今日陸前高田の避難所の方からお手紙が届きました。
そこにはゆっくりだけど復興に向かっていること
何も変わらない街並みと国からの支援
陸前高田を離れていく人たちのこと
いまだに親族が見つかっていない人がたくさんいること
減っていくボランティアや報道陣の数にこんなにも早い風化への足音
そして瑠奈チャンのこと
瑠奈チャンは最近になり
関西か九州の親戚のもとに引き取られて行ったそうです。
叔母さんと一緒に暮らしたかったそうですが
叔母さん宅も何も残っていない状態で家族が増えても瑠奈チャンを養っていけない現状だそうで一番瑠奈チャンが不自由なく生活出来る環境ということで
遠く離れたところに引き取られて行ったそうです。
叔母さんの気持ちも痛いくらい分かるので
きっとこれが一番いいかたちなんだと思います。
瑠奈チャンはぼろぼろになったキティちゃんのマスクやミッフィーちゃんの小さなちゃぶ台と必死にお母さんが抱えた瑠奈チャンの大切なものがたくさん入ったリュックだけ持って
陸前高田を後にしたそうです。
今後、大きくなった瑠奈チャンにどこで会えるか分からないけど生きてさえいれば必ず会えるのでずっと気にとめていこうと思います。
瑠奈チャンのこれからの長い長い人生が
たくさんの笑顔と優しさに囲まれているように願います。
瑠奈チャンだけでなく被災地の皆さんの人生も同様です。
今も陸前高田の避難所がテレビに映ると私が行っていた期間一緒に過ごした方々の顔が見受けられます。
元気そうな顔に安心するけど、
まだ仮設や住む場所が確保されていないのかという思いも強くなります。
お手紙にも書いてあった
まだ3ヶ月を迎えるような時期なのに風化に向かう足音への恐怖を
被災地の方々は抱いています。
これから梅雨や夏に向けまた山積みとなる課題に備えた復興を考え、
行動していきたい気持ちでいます。
そこにはゆっくりだけど復興に向かっていること
何も変わらない街並みと国からの支援
陸前高田を離れていく人たちのこと
いまだに親族が見つかっていない人がたくさんいること
減っていくボランティアや報道陣の数にこんなにも早い風化への足音
そして瑠奈チャンのこと
瑠奈チャンは最近になり
関西か九州の親戚のもとに引き取られて行ったそうです。
叔母さんと一緒に暮らしたかったそうですが
叔母さん宅も何も残っていない状態で家族が増えても瑠奈チャンを養っていけない現状だそうで一番瑠奈チャンが不自由なく生活出来る環境ということで
遠く離れたところに引き取られて行ったそうです。
叔母さんの気持ちも痛いくらい分かるので
きっとこれが一番いいかたちなんだと思います。
瑠奈チャンはぼろぼろになったキティちゃんのマスクやミッフィーちゃんの小さなちゃぶ台と必死にお母さんが抱えた瑠奈チャンの大切なものがたくさん入ったリュックだけ持って
陸前高田を後にしたそうです。
今後、大きくなった瑠奈チャンにどこで会えるか分からないけど生きてさえいれば必ず会えるのでずっと気にとめていこうと思います。
瑠奈チャンのこれからの長い長い人生が
たくさんの笑顔と優しさに囲まれているように願います。
瑠奈チャンだけでなく被災地の皆さんの人生も同様です。
今も陸前高田の避難所がテレビに映ると私が行っていた期間一緒に過ごした方々の顔が見受けられます。
元気そうな顔に安心するけど、
まだ仮設や住む場所が確保されていないのかという思いも強くなります。
お手紙にも書いてあった
まだ3ヶ月を迎えるような時期なのに風化に向かう足音への恐怖を
被災地の方々は抱いています。
これから梅雨や夏に向けまた山積みとなる課題に備えた復興を考え、
行動していきたい気持ちでいます。










メディアも震災関連は原発の話題が多くを占め、これでは被災地に対する気持ちが薄れてしまうと思ってます。
実は今週、多賀城に行きます。
まだ手付かずの場所が多くあるけど、ボランティアの数が減ってると聞きました。
ボランティアなりに精一杯やってきます。
私も看護師です。
JKTSさん(とお呼びしたらいいのでしょうか?)のメッセージで、同じ看護師として魂を揺さぶられる想いです。
私事ですが、ただの胆石だった夫がERCP後に重症急性膵炎になり、その際のおびただしい放射線暴露が原因と思しき白血病で、現在闘病中です。
先が見えない不安、予期せぬ愛する家族との別離の恐怖。
「私が判断を間違わなければ」という自責の念。
状況や立場は違いますが、被災された方々のご心情の一端が実感できるだけに、いたたまれません。
「風化」、恐ろしい言葉です。
関心を向けなくなることが、一番の罪ですよね。
大きな事はできませんが、今いる立場でできることをやっていきます。
今まで毎日の様にブログを拝見しております。
初めてコメントさせていただきます。
皆さんが書いているように風化させてはいけないはずなのですが、震災ではなく原発や政界の話ばかりでどうなってんだ?この国は!と憤りさえ覚えてしまいます。
瑠菜ちゃんもこれからの人生イロイロあるかもしれませんが、今回のような事があってどんな辛いことでも乗り切れると信じております。
私は、貴方の手記の翻訳をもとに、カナダでチャリティコンサートを開いたものです。250名の参加者みんな、貴方が心を動かされていましたよ。ある参加者がコンサート後、こんなメールをくださいました。
「私は一生このチャリティコンサートを忘れない。忘れてはいけない。」
瑠奈チャンのためにも。亡くなった方々のためにも。遠いカナダで、貴方の手記を一人でも多くの方に伝える努力をしています。
以来、度々覗かせていただいています。
もうすぐ3ヶ月ですね。
私の友人はすでに2回、ボランティアで宮城を訪れましたが、やはり今後も定期的に支援を続けるべきだと言っていました。
私自身、ぜひとも現地に行きたいと思っておりますが、なかなかスケジュールが合わず、歯痒い思いをしています。
今は東京にいて出来ること、募金・節電・情報収集に徹して、機会を窺っています。
今後もこちらのブログは引き続き読ませていただきますので、どうぞ宜しくお願い致します!
ネットの友達のブログから、「1.被災地へ」を読ませていただいてから、
自分の心が迷うたび、何度も訪問させていただいています。
瑠奈ちゃんのことも、とても気になっていました。
人と人との出逢いには、きっと意味があると思っています。
瑠奈ちゃんの毎日が笑顔で包まれていますように。
そして、「生かされている意味」もよくわからなくなった私は、
JKTSさんの
「生きていく義務」だと思えばちょっと何か見えてきそうな気もする・・・という言葉に支えられて、生きていこうと思っています。
ありがとうございます。
数ヶ月前、このブログを偶然知ってから、たびたび覗かせて頂いております。
瑠奈ちゃんのこと、最初にブログを読んだ時から気になっていましたので、とても切なくて泣いてしまいました。
これからの彼女の人生が、希望と笑顔で溢れたものになるように願ってやみません。
これからも引き続き読ませて頂きますね。
どうかいつか瑠奈ちゃんとJKSTさんが再会出来ますように。
今朝偶然WSで見た映像に朝から涙しました。
避難所には動物を連れて行けないからと、お休みの度に施設に預けているワンちゃんに会いに来られるご夫婦。
少しの時間をともに過ごし、お別れが辛くなるからと早めに退散される際のワンちゃんの寂しそうな声。暴れて暴れてついて行こうとする姿。ご主人は時折振り返っていらっしゃいましたが、奥様は振り返ることなく進んで行かれました。どんなお気持ちだったでしょう。。。その背中を見て胸が痛みました。
まだまだです。
まだまだ辛い思いをされている方がたくさんいらっしゃいます。
テレビから聞こえてくる「みなさんの笑顔に逆に勇気づけられました!」というレポーターののん気な言葉に腹が立ちます。
その笑顔の裏にどれほどの思いが隠されていると思う?
もっともっと見なきゃいけないものがたくさんあるはずですよね。
私は忘れてません。風化させません。
微力ですが自分にできることをこれからも続けていきます。
最後になりましたが、瑠奈チャンが幸せな時間を過ごせますように・・・瑠奈チャンといつか再会してほしいです。そして思いっきり抱きしめてあげてほしいです。
瑠奈ちゃんや大勢の方が苦しんでいるのに…
しかし、生まれ育ったはずの高田は本当に変わってしまいました。
でも、住んでいる人たちは変わりなく、そして、前へ前へ進んで行っています。
私も遠く離れてはいますが風化なんてさせない!
いろんな形でこれからも陸前高田市を知ってもらう努力をしていきます。
がんばっぺし!!!
JKTSさんのブログを利用するようで恐縮ですが、
全国の皆さんに現状を知っていただきたく
2つのブログを紹介します。
不適切でしたら、削除して下さい。
被災者の方(宮城県名取市閖上地区)のブログ
http://blog.livedoor.jp/coolsportsphoto/
荒っぽいけど、熱いハートで支援を続けるチームのブログ
http://blog.goo.ne.jp/cheapdust
皆さん、東北の各被災地では様々な支援が必要です。
どうか、力を貸して下さい。
初めて拝見しました。
うちの祖父も石巻で被災しなくなりました。まさか親戚にこんなことが起こるなんてしばらくは信じられない気持ちでいっぱいでした。すべての助けてくださっている方々に感謝します。
私は震災の一月前に夫を亡くしたのですが、二ヶ月を越える頃には私のことを気遣う人はいなくなりました。
これに関しては個人に起きた日常的な死ですから、しょうがないと思います。
みな自身の日常に精一杯で、それ所ではないのでしょう。
それは納得しているのですが、最初の頃の皆の構いっぷりを思い出すと白けた気持ちになってしまいます。
もしかしたら、心の中では気にかけてくれているのでしょうが、態度に出なければ実際に不幸の渦中にいる者には伝わらないのですよね。
被災者の方たちは現在生きている人たちが経験もしたことのない大災害に巻き込まれたのです。
もっと態度に表していかなければならないです。
義捐金もなかなか届かないのもイライラしますよね。
今は、そちらへの寄付よりも直接企業への支援に回すようにしています。
住む所が確保されても、働き口がなくっちゃぁ被災者の方々は日々の糧も得られないし、気持ちに張り合いがないですものね。
遠くからでも少しでも効果が出るのが早いことは何か、これからも考えて実行していきたいです。
夏休みに、またたくさんのボランティアの方が現地で活躍されることを祈っております。
長野では、少しずつ震災の影響がなくなり、ほぼ、以前の生活に戻りました。栄村の震災以外の東北の状況を報道される機会も減り、私の中で震災が風化しつつあることを感じました。
本当にごめんなさい。
そして、伝えて下さってありがとうございました。
私は海外にいるので直接ボランティアに行くのが難しいのとそのぶんの費用(航空費等)を寄付した方がいいのかな、と思い、わずかな金額ですが、長い期間継続的に寄付していこうと思っています。
私は日本で素晴らしい時間を過ごしたので、今後日本がどうなろうと、そこにいる人たちが助けを必要としているならば、何がしか力になっていきたい、いこうと強く思っています。
日本人の震災後の譲り合う精神が海外では大きく取り上げられました。また、60歳を越した元技術者の方たちが、福島原発の事故収束のためにプロジェクトを立ち上げて多くの参加者、賛同者を集めています。これも海外メディアにおいて「こんなの日本だけ」と賞賛の声があがっています。
暗いニュースもたくさんあります。でもこういった私心のない人たち(ブログ主さんも含めて)もたくさんいるのです。そう思うと私はまだまだ大丈夫!って強くなれます。
復興作業は長い道のりになると思います。でも諦めないで前に進んでいきましょう。
胸が熱くなりました。
ボランティア、私はやめません。
みんなで一緒に頑張りましょう!
知人の歯医者さんが7月中旬連休も含めて、1週間ぐらい医療支援にはいられます。帰られたら相談して、私たち医療関係者でないものができることを、行いますね。
目に見える行動にはすぐにはならないけど、震災をわすれない遠いところに住んでいる人も大勢いるからね。
現地のかたは、看護師さんが書いていたように充分頑張っているのだから、そうだ!!長くサポートできるよう、自分の仕事もきちんとできるよう、と最近は自分にがんばれって言ってます。自分の手元にあるものを活用できたら、めぐりめぐって、被災地のなにかお役にたつことが、また、わすれてないよ!!ってことが、目に見える形であらわせる日もくるのでは・・とおもってます。
なんどもなんどもこのブログには読みにもどってきます。
6月にまた東北ヘ行くと書かれてましたが、準備などしてる頃でしょうか?
以前とは違ったケアになると思いますし、被災者の方の傷も心の方が大変かと思います。
私は募金くらいしかできません。
でも、3月11日を忘れないで継続的に行っていきます。
暑くなってきています。
お身体に気をつけて行ってきてください。
まずは、被災地ではご苦労さまでした。
私は、最近になって仙台で被災地を回っている方と知り合いになり、時折近況をメールでいただくのですが、未だ物資が行き届かないところがあるとか・・・。
そんな被災地と活動をされている方たちの近況報告を無にしてはいけないと、写真ブログとは別にお知らせ・ご紹介ブログもつくりました。
まだまだ弱小ブロガーですが、何かお役に立つことがあればお寄りください。
瑠奈チャンの幸せもお祈りいたします。
何度もブログ読ませてもらってます。
瑠奈チャンのことずっと気になってました。
瑠奈チャンのこれからの人生が笑顔でいられること、いずれJKTSさんと瑠奈チャンが再会出来ることを願ってます。
今出来ること、毎月11日には募金を続けようと思います。
今から募金してきます。
震災後3カ月が過ぎ、ちまたでも危機管理が薄くなり「風化」を感じるようになりました。
私は3人の育児があるので行動に移せませんが、地元でできる経済支援や募金を続け、相方は週末ボランティアに参加し、復興のお手伝いを続けています。
そんな中にいると24時間、復興の為に支援を続けている方が多いのにも気がつきます。
確かにその方達は「ボランティアの数が比例していない」と感じていますが、頑張っています。
出来る事は小さいかもしれませんが、これから何年かかるか分からない復興かもしれませんが、私たち家族の中では風化させることなく共に立て直しを続けていきたいです。
雪から雨へ、3ヵ月は季節の区切りでもあることを改めて感じます。
ボランティアの数は、夏休みやお盆を利用する人たちで、きっとまた増えます。その後方で、ボラに行けない人たちの支援の輪が、再び広がります。手と手が繋がります。
そう信じています。
長い長い未来を生きていく留奈チャン達に日本のふるさとを引き継ぐのは、わたしたち生産世代の義務だと感じます。
そのことを心に留めつつ、できることを大切に意識して続けていこうと改めて思っています。
GWと6月の二度岩手県に行きましたが、三陸沿岸の被災地はGWの頃とほとんど変わっていませんでした。
風化は確実に進み、ボランティアの数は減ってきています。
今こそ、日本中のみなさんの力が求められていいるのだと思います。
仲間の職員は代わるがわる交代で、主に宮城県内の被災地に入っています。
3月11日以降、震災や被災地のことを忘れた日はありません。
俺も支援従事者に加わりたいのですが、今は一身上の都合でどうしてもかないません。
そんな自分が歯がゆく、そして情けなくて仕方ありません。
でも、支援は今後、長いながいスパンで、それこそ数年、十年単位で必要なはず。
必ず役に立てる時が来ると、そしてその時のために今は精進しようと、毎日、自分に言い聞かせています。
糸井重里さんのほぼ日からこちらを知りました。もう何度も読み返しております。中学校の読み聞かせで読ませていただこうかと思ったのですが、お家の人とじっくり読んでほしいなあと思い、校長先生に 本日紹介してきたところです。
あの頃は電気ひとつ回復するだけでも喜べたみなさんも、この遅遅として進まぬ復興にどんな思いでいられるのか・・
頑張ろう!ではなくて、もう大丈夫だよ と言える日を1日でも早く訪れることを願うばかりです。
お体きをつけてお仕事ますますご活躍されますように。
私は山形県で看護師をしており、今現在、宮古に来ています。
同じく勤務する兵庫チームとレンタカーを借り、海沿いを陸前高田まで南下してみましたが・・・。
3ヶ月経ったとは思えないあまりの状況に、言葉が見つかりませんでした。
津波が襲ったこの状況が過去のモノにならないよう、同じ東北の仲間として貢献して行けたらと思います。
貴重な体験を読ませて頂き、本当にありがとうございました。
私は福島県のいわき市出身で、里帰り出産のため帰省していた時に被災しました。
震災があった当時予定日を過ぎており、震災から6日後、無事出産しました。
原発の影響で、マスクをしながら陣痛をこらえ産院にむかう時も、余震で揺れる分娩台も、"一体何故こんなことに"という気持ちでいっぱいでしたが
同じ市内でたくさんの方が亡くなったことを考えると、家族や親戚、家も無事だった私はなんて恵まれているんだろうと思っていました。
だけど本当は、現実感がないという言葉が一番正しいのかな…。
あの頃は、本当なら深夜は放送しない筈の市内のラジオ局が一晩中流れていて、身元不明遺体の特徴を延々と語っていたことや、それが聞き慣れたDJの声であること、
私が高校時代に吹奏楽部の演奏会で行ったホールが遺体安置所になっていたり
本当に、今ここにいる自分に関わるものがこんなことになってしまっていることが嘘のように感じられていて
一体何故私は無事で、亡くなった方は亡くなったのか…… なんて、すぐに解るようなことを考えるととても怖くなって、またそこで気持ちが止まってしまいます。
あれから私は、里帰りを終えて東京に戻ってきました。夏には子どもをつれていわきに帰りたいと思います。
夏の海は綺麗かな、だけど、もうずっと怖くて悲しい海かな。
瑠奈チャンもあなたをはじめ、皆さんの暖かい心を忘れず、自分が人びとに優しくできる大人になれると信じます。人は悲しみを知って初めて人の悲しみや痛みが分かるのだと思います。戦い続けるあなたにナイチンゲールの言葉をお贈りします。「天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者のことだ。」
テレビで陸前高田の避難所が映ると、キティちゃんマスクの女の子の姿を探したりして。
瑠奈チャンが陸前高田を後にした時の様子……まるで映像を見ているかのように想像できてしまい、涙せずにはいられませんでした。
瑠奈チャンは、ちいさな、大切なものたちを抱えて、遠くへひきとられて行ったのですね。
JKTSさんも書かれていますが、生きていればこの先必ず会えますよ!!!
私もそうですが、実際には会ったこともない瑠奈チャンちゃんのことを、こんなにも沢山の人達が気にかけています。
瑠奈チャンの転居先の周囲にもこのブログを読んだ人がいて、静かに暖かく見守ってくれるといいなぁ。
そしてJKTSさんの風化への警鐘、ありがとうございました(宮城在住です)
そして、ルナちゃんが生きていく土台が見つかって安心しました。
私も4月下旬と6月上旬に宮城県へボランティアに行きました。
石巻と南三陸です。
南三陸は石巻の影に隠れてボランティア人口が明らかに少ないです。
あの人材過剰になっていたGWさえ、100人未満だったと聞きました。
よし&つよしさん、次は是非南三陸にも行ってみてください。石巻から1時間くらいです。
南三陸はもうすぐ3ヵ月という時でしたが、やっと今日から避難所のトイレの水が出るようになった!!というレベルでした。
街はまだ当然のように一面の瓦礫でした。
帰りに石巻の4月に瓦礫撤去したお宅を訪問しました。
(津波で死んだ方が良かったと呟いていたので気になってしまって)
床板が剥がれてて泥を出した状態でした。
ご家族も元気そうで、壮絶な津波体験を聞かせてくれました。
話せるまで回復してきた証拠だと思います。
ヒロシマナガサキのエピソードかと思ってしまうような壮絶な話ばかりでした。
そんな中、生き延びたこの家族は本当に運がよかったのだなと思い、本人達も運が良かっただけと言ってました。
今、東京のテレビは震災前にほとんど戻ってしまいました。
なぜそんなことが出来るのか?
まだ狭い避難所に住んでいる人がいるのに!
あの規模の事故を他人事のように捉えている日本を見ていて、日本が嫌いになりそうです。
民族として一丸とならないのは欠陥に見えます
今日は陸前高田にファンキーモンキーベイビーズというとても勇敢であたたかみのあるバンドが来てくれて歌を聞かせてくれました。
避難所暮らしも100日をこえ、先の見えない生活に、毎日下を向いていましたが元気をいただきました。
仮設が増えて移動したいけど仮設に入ると支援物資の提供打ち切りという現実もあり、まだ避難所暮らしです。情けない。
また医療チームが来てくれることを楽しみにしています。
コメントさせてもらうのはこれが2度目です。
瑠奈ちゃんが新しい環境に慣れるといいですね。そして暖かな気候に心も暖められるといいな。
そしてもしもこの先、震災の悲しい記憶が甦ってしまった時にも、あの時に優しい看護士さんが側に居てくれたということを一緒に思い出して、その悲しみが少しでも和らぐといい。
いつの日か、瑠奈ちゃんと再会出来たらいいですね。きっと瑠奈ちゃんもそれを望んでいると思います。
もしかしたら瑠奈ちゃんは本当に看護士さんになっているかも知れないですね♪
自分も2度、被災地に行き、子どもたちと触れ合ってきました。
震災に遭って悲しい思いをした全ての子どもたちが、もうこれ以上の悲しみを負わず、看護士さんのような優しい人たちに囲まれて育ちますように…。
4月に、精神科看護師として陸前高田に行ってきました。
その報告を私もブログにまとめました。
まぁ、真似ですw
よろしかったら、精神科目線の災害派遣活動報告、お読み下さい。
このブログに出会えて本当によかった。
真実を知ることができた・・・
復興は、今始まったばかり、皆で応援していきたいですね。
JKTSさんありがとうございます。
ライターの谷川と申します。
以下のようなかたちで、瑠奈チャンのエントリーを引用させていただきました。
http://getnews.jp/archives/124573
震災からすでに2ヶ月以上過ぎた頃ですが。
行く前にこちらのブログを何度か読ませていただいてました。
大槌では坦々と任務をこなしてきましたが、帰ってから思い出す度に涙が出てしまいます。
今進路について悩んでいるのですが、看護を目指そうと決心し始めているところです。
そこで今看護についていろいろ調べているところ、コチラを発見し一気に読ませていただきました。
私の母は看護師、父は消防士です。
昔から漠然と自分は医療の道に行くと思っていましたが、改めて考えると何も自分は知らない事に気づく日々です。
今回の震災も自分は何ができるかと考えましたが、結局一般的なことしかできていないのです。
しかしJKTSさんの文章を読んで、「直接的に人の役に立つ医療」をしたいと強く感じました。
原点はたぶん、私が数年前からお邪魔しているデイサービスのボランティアと一緒。
「ありがとう」と言われる規模を大きくしたのが、医療としての福祉だと信じて。
私は、本当に人の役に立ちたい。
うまく言葉にできないのですが、安易な考えでなく、看護師を目指そうと思います。
陸前高田を含めたすべての被災地が一刻も早く復旧し、被災者の方々がお元気になれますように。
いい言葉ですね。
純真な「白衣の天使」を目指して頑張って下さいね。
陸前高田の沿岸部を初めて見た時は、絶望感に襲われました。
皆、絶句していました。。。
ほんとうに言葉を失います。
まだ連日遺体の捜索が行われ、待っている人たちもいます。。。
被災者の方から、いろんなお話を聞きました。
津波にのまれ「ごめんね」と繋いでいた祖母の手を離した孫
迎えに行ったまま帰ってこなかった妻
亡くなった方の無念さ
生き残った方の苦しみ
都内に帰ってきて、彼らのことを想うと、涙が出てきます。
彼らのために、これからも出来る限りのことをしたいと思っています。
それが、
日々の生活に追われながらもこの日だけは震災のこと、
被災地、被災者のみなさんのこと、この国のこと、自分なりにできること等々色々考えてしまいます。
災害医療の知識も経験もある主さんだからこそ 現状の深刻さや矛盾している部分が
よりはっきり見えて苦しくなったり傷ついたりしてしまうのかなと思いました。
自分が手掛たことをきちんと整理し支援し続けていこうとされる主さんの姿勢は頼もしく
私達にももっと何かできることがあるのではないかと考えさせてくれます。
一日も早い被災地の復興、被災者の方々の安定した生活を願ってやみません。
そして勝手ながら、主さん自身もより元気でより幸せでありますようここから願っています。
自分自身も観光なのかボランティアなのかまだ具体的ではありませんが 近い将来、被災地を訪れたいと思っています。
引用は自由にして良いというお言葉を以前に読ませていただき、そして英語に翻訳してくださった方も有り、その翻訳にネイティブが手を入れたものを、今回、教育関係の国際会議で資料として出させていただきます。
お名前も連絡先も不明ですので、こちらのURLだけはその資料に紹介させていただきます。海外の方には、そのままでは読めませんが、翻訳ツールを使って見に来てくれる人もいるかと思いますので。
何度も読み返させていただいて、何度も涙を流しました。英語で読んだネイティブも同じ事を言っておりました。ありがとうございます。
あれから、4ヵ月が過ぎ、暑い夏になりましたね…
確かに、以前より報道もあまり見かけなくなり、私の周りを見ても、風化の速さを感じますね…
みな、自分達の生活に必死にもなってますしね。
でも、風化はしないでもらいたいですね。
度々、こちらにきては読まさせて頂いております。
その度に、忘れてはいけない!と感じます。
他の方々のコメントも 拝読させて頂いてます。
涙が出る内容、胸がしめつけられる内容、世界に広がり、意識が変わる 少しの嬉しさを感じております。
私事ですが、先日 母を亡くしました…
治療中から亡くなるまで
関わって下さった、医師にも感謝しておりますが、
ある看護士の方には、支えられたり、励まされたり、その言動には、私に大きな影響を与えてもらい、これからも 忘れられない 看護士さんとなると思います。
こんなにも、影響力を持つ方は凄いな〜と感心し、あんな風になれたらな…と
目標にもなりました。
形は少し違いますが、JKTSさんも、被災地の方々は勿論、このブログを読んだ多くの方々に影響を与える力がある方だと、改めて思いました。
きっと、私がある看護士さんを人として目標と思うように、どこかで、誰かが、目標と思ってる人がいると思います。
これからも、看護士さんとして頑張って下さい!
そして、JKTSさんらしく、発信していって下さい。
応援してます。
体調には 十分お気をつけ下さい。
また訪問させて頂きます。
近づく台風6号の影響が心配です。無事通過を重ねて祈っています。
震災から、しばらくしてこちらのブログを知り、自分に何ができるのか、いろいろと考えさせられた一人です。
あれから、大槌町に知人がいるとわかったり、偶然にも大槌町へボランティア活動に行く機会があって数十年ぶりに知人に再会したり、と自分の中でも信じられないくらいの行動力が働いたのもこのカンゴンさんのブログの存在が大きかったからかな、と思ってます。
瑠奈チャン、本当に幸せになってほしいです。
そしてカンゴンさんと瑠奈チャンの心の絆が、いつかまた再会という形で実現できるといいですね。
また、折をみてこちらのページを拝見したいと思います。
いつか元気な瑠奈ちゃんに会えるとイイですね
負けないで、
ママの分も生きるんだよ。
幸せになってね。
7月1日の段階でさえ依然として行方不明の方々の捜索、ご遺体の捜索が続いている・・・
都内に家族と暮らしているとどうしても自分が住む地域への飛散放射性物質の情報などに耳と目を奪われてしまっている自分がいる
いかん、と思いました。自分の姿がいかんと思いました。情けなく思いました。このマイナスをせめてゼロにしたい・・・具体的な行動、考えてみます
高田松原の松は薪となり、薪に綴られた思いと共に、お盆の迎え火としてたかれましたね。
高田で迎え火となって、ここが高田だよと御霊に知らせたんですね。
色々とあったことについては、怒りと情けないのとで家族で話しながら声が震えました。
いろいろとありはしましたが、京都の送り火の時間には、手を合わせます。どうか見守っていてください、と祈ります。
カンゴンさん、お仕事がお忙しいでしょうが、どうぞご自愛ください。
以前から瑠奈ちゃんの事が気になっており、この記事でその後の瑠奈ちゃんの事が書いてあったので、安心した気持と故郷を離れなくてならないといったモドカシイ気持ちです。
大変恐縮ではありますが、どんな形でも結構ですので、今後も瑠奈ちゃんの様子を教えていただきたいです。
そして必ず逢いに行ってほしいです!
あつかましいお願いではありますが、自分にも娘が居ます。
もし自分の娘がそうなっては。。。だから瑠奈ちゃんには少しでも、その不安な気持ちを取り除いてほしいから。。。力になってあげてください。
もう次から次へと頭に出てくる言葉を打ち込んでいるだけなので、何を言いたいのか分かりません。
とにかくお願いします。
二回目のコメントです
病院勤務の介護士をしていたものです
母が被災地にいます
この日の事を忘れてはいけないと
何度となく訪れています
瑠奈ちゃんがこれからもずっと笑顔に包まれますように
また瑠奈ちゃんのおばさんや、現地に残った方々に
一日でも早く、安心の笑顔が戻りますように
祈っています
胸がつまり、なかなかコメントできずにいました
これからもまた読ませてください