Crazy For dos and don'ts

音を楽しむことを。日々の無常を。心の遊びを。

第80回日本ダービー

2013-06-08 23:13:13 | Weblog


5月26日15:40、80回目の日本ダービーが
東京競馬場で行われた。

日本で3歳馬によってとりおこなわれるレースで、
最も格式の高いレースそれが日本ダービーであるが、
3年前の2010年に生まれたサラブレッド7197頭の頂点を
決めるレースである。

3歳馬クラシックには、4月の皐月賞(中山2000m)、
10月の菊花賞(京都3000m)があり、
『皐月賞は速い馬が勝つ』『菊花賞は強い馬が勝つ』
『ダービーは最も運のある馬が勝つ』と言われる。

最近では、2011年にオルフェーブルがこの三つに勝って
三冠馬になったし、2005年にはディープインパクト
三冠馬になって世代最強馬と言われた。

以下、サンケイスポーツの翌日の記事からの抜粋である。
「ドラマチックな幕切れだった。
第80回日本ダービーが26日、東京競馬場で行われ、
一番人気に推された武豊騎手(44)のキズナ(栗東・佐々木晶三厩舎、牡3歳)
が直線一気の末脚で快勝、三歳馬の頂点に立った。
武騎手はキズナの父、2005年のディープインパクト以来の5勝目で
ダービー最多勝を更新。
キズナはこの後、世界最高峰のレース、凱旋門賞(10月6日、
フランス・ロンシャン競馬場、G1、芝2400メートル)を目標にし、
父が果たせなかった世界一の夢に挑む。」

ダービーレコードが、2004年のキングカメハメハの2分23秒3であり、
今回のタイムは2分24秒3でレコードより1秒遅いが、
歴代で見た場合速いタイムだと思う。
上がり3ハロン(600m)33.5秒の圧倒的な末脚でキズナが勝った。

自分は、皐月賞馬のロゴタイプの、レコード勝ちした脚を軸に、
馬券を買ってしまい外してしまった。
ロゴタイプは、皐月賞で疲れてしまって、5着。

皐月賞を回避して、ダービーに臨んだキズナが、堂々と1番人気で勝った。

サンケイスポーツで、武豊騎手がインタビューにこたえて次のように言っている。
「いかに前半をロスなく、気分よく走らせるか。
馬のリズムを重視しました。
(直線で)前の馬がフラフラして進路が塞がりかけましたが、
そこは引けないところです。彼のいい部分が出れば届くと思いましたし、
夢中で追いました」

JRAのサイトで、映像を確かめたが、
確かにキズナの進路が塞がりかけたのに、
その後爆発的な伸び脚で、ゴールを駆け抜けている。
もちろん「運」も欠かせない要素であったろう。

この運をたぐりよせた、佐々木調教師や馬主、
武豊騎手の戦略的な努力と技術が実った日本ダービーだった。

不調を極めた武豊騎手の、騎手としての底力を見せつけられた。

80年もの歴史を持つダービーであるから、
その間にいろいろな人がダービーについて書いている。

あの寺山修司「誰か故郷を想はざる」の中で1968年の第35回日本ダービー
についてこう書いている。

「タニノハローモア(1968年第35回日本ダービー勝ち馬)の宮本は
『幸運でした』といっている。だが、その幸運は結局、
思想の展開の埒外においてしか、とらえられるものではなかった。
『まだいい』と思ったレース半ばの森安弘の判断は、
確率論的には決して間違っていなかったはずだからである。
そして、競馬においては『強い者が勝つ』という論理は通用などしない。
――本質が存在に先行するならば、賭けたり選んだりすることは無用だからである。
『勝ったから強い』のであり、存在は本質に先行するからこそ、
人は『存在するための技術』を求めてやまないのである。
『汚されない幸運などは存在しない。亀裂のない美は存在しない。
完璧な幸運、完璧な美とは、もはや幸運でも美でもなくて規則である。
幸運への欲望は、私たちにあっては一本の痛む歯のようなものだ。
同時にそれは、その反対物でもある。つまりそれは、
不幸というものの混沌とした内奥を欲するのである。』
(ジュルジュ・バタイユ『賭けの魅惑』)」


ちなみに第35回日本ダービーは優駿5月号
によれば次のようなレースだったらしい。

「アサカオー、タケシバオー、マーチスの三強対決に
注目が集まったものの、一番枠から積極的に飛び出した
本馬(タニノハローモア)が終始馬群を引っ張る展開。
直線で伸びあぐねる有力馬たちを尻目に5馬身もの差をつけて逃げ切った」

そんな昔から、日本ダービーは存在し、人々を魅了し続けてきた。

第80回日本ダービーは、一番人気が優勝した番狂わせのないレースといえる。
しかし、2着に入ったエピファネイアや、5着に入ったロゴタイプなどを見て、
自分は正直、キズナにそれほど信頼をおけなかった。
だから、皐月賞でレコード勝ちしたロゴタイプを軸に
馬券を買ったのである。

皐月賞を回避したキズナが、G1という「強い馬」がきしめくレースで、
一番人気に推されて、そのすさまじい重圧の中で、
あれほどの走りをみせるとは、想像できなかった。
(競馬を見る目が、他の競馬ファンがすごかったといえるけど)

一番人気の馬が、勝ったレースであるが、そのドキドキ感はすごかった。

そう寺山修司のいう「存在」(日本ダービー勝ち馬)は「本質」(強い馬)に先行しない。
だからこそ「存在するための技術」を追い求めてやまないのである。

あの武豊騎手にしても、ここ数年は、ダービーに出なかった年もあり、
G1に一回も勝てなかった年もある。武豊の「本質」は
強い騎手であるが、勝利騎手として「存在」できなかった。

それは、その不運の時に、「存在するための技術」を追い求め、
運をたぐりよせた、努力と技術と、もしかしたら絆(キズナ)の
勝利だったかもしれない。

80回目にふさわしい、歴史と伝統と今の魅力にあふれた日本ダービーだった。

コメント (3)
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スピリット

2013-06-02 19:13:13 | Weblog
歌舞伎名作撰 梅雨小袖昔八丈 髪結新三 [DVD]
クリエーター情報なし
NHKエンタープライズ



歌舞伎名作撰 野田版 研辰の討たれ [DVD]
クリエーター情報なし
NHKエンタープライズ


昨年12月、中村勘三郎が亡くなった。

自分は、今年初めて歌舞伎を通して見た(それもDVDで)まったくの素人だが、
中村勘三郎(勘九郎)の歌舞伎のDVDを
2本買って見てみた。

まったく歌舞伎と関係ない自分だが、
なんとなく勘三郎への供養に、と思って見てみたのである。

1本目は、「梅雨小袖昔八丈 髪結新三」

あらすじは、以下


中村勘九郎(以下勘三郎)が出てくるシーンまでが、
けっこう辛抱だった。


勘三郎が出てきたシーンから、この演目が生き生きと動き出す感じがした。

勘三郎が、白子屋の軒先で、髪結いの道具を右手に持って立っている
姿は、それまでの導入部の場面の落ち着きなさを取り払い、
それを見ただけで、イカしてる、と思わせる。

勘三郎が出てくるだけで、他の役者もスーッと居場所が見つかり、
最初は薄く感じた芝居の色彩が、奥行きを帯び、全体が生き生きと
してくる感じがした。

髪結新三は、美人のお熊(坂東玉三郎)(すごくイイ)をダシにして
大金を得ようという小悪党で、
「封印切」「勧進帳」を見た後では、
「ヘェーッ、こんな悪党を主役の勘三郎がやるのか」と
素人っぽく思ったりした。

勘三郎が一番決まっていると思ったのは、
新三が雨の永代橋で、忠七を打ちのめすくだりで、
傘を持って永代橋のたもとに立つ新三(勘三郎)の
立ち姿。これが、すごく決まっていてかっこよい。

最初素人の違和感で、新三の小悪党ぶりに、自分も被害者となるような不安な
感じを受けたが、
そのうち小悪党ぶりが小気味よく感じられて、その軽妙洒脱な語り口に
ついつい引き込まれてしまう自分がいた。新三の長屋の家主長兵衛の小悪党ぶりも、
すばらしい。フィクションではあるが、なんとなく江戸の庶民の
ただでは死なない生き様を見せつけられた感じがして、
歌舞伎の奥行きの深さを、非常に感じる演目であった。

土地の顔役弥太五郎源七(片岡仁左衛門)にしても、
髪結新三(中村勘三郎)と合わさってこそ、
魅力が増す部分がある。片岡仁左衛門は、すごい渋い色男なのだが、
中村勘三郎のかっこよさと対照的で、
最後の大詰を彩る。

勘三郎は、他の役者をすごく生かすのだ。

この髪結新三は、中村勘三郎の歌舞伎の一つの型だとして、
(1本しか見てないで何を言いやがる、と言わないでくださいスミマセン)
その型を破った型破りな演目が、
「野田版 研辰の討たれ」だろう。

髪結新三を見た直後にこれを見た時は、
若干拒絶反応が起きて、一日おいてから見ないといけないと
思った。

髪結新三の歌舞伎の世界にどっぷりつかってしまったから、
1日ぐらいその余韻に浸りたかったからである。

1日開けて、再度見直した「野田版 研辰の討たれ」は、
すごく良かった。

あらすじは以下


普通の歌舞伎とは、ほんとに違う。

セリフ回しも、間の取り方も、歩き方も、掛け声も違う。

ただ、見終わった後、やっぱり歌舞伎を見たんだと思ってしまう自分がいて、
そもそも「歌舞伎らしさ」ってなんだろうと考えてしまった。

何か、そこには、通常の演劇とは違う、歌舞伎らしさがやっぱり
あったんだと思う。

一つは、役者さんの歌舞伎の伝統を背負う凄みがにじみ出たのか、
「研辰の討たれ」という物語の100年を超える歴史からなのか、
時々流れる、三味線と太鼓の音の新鮮さからなのか、
わからないけど、すごく納得して充足感満載になってしまった。

そこにはまた、歌舞伎というものを再度見つめなおし、
モノをつくるスピリットのようなものが感じられるのかもしれない。

この脚本・演出を担当した野田秀樹と中村勘三郎は、
戦友だった。そのスピリットは、歌舞伎の中で、
化学反応を起こして、こういったすばらしい作品を生み出した。

やっぱり、歌舞伎界は、かけがえのないものを亡くしたし、
まだ、自分も彼の死を噛みしめなければ、先に進めないだろう。
野田秀樹の弔辞を読んで、すごく心に沁みこむ感じがする。

彼の残された作品から、そのスピリットのようなものを、
これから噛みしめて行きたいと思っている。
自分も、こうしてブログを書いて、細々と批評家のような
ことをしているが、故中村勘三郎のスピリットから学ぶべきところは、
たくさんあると思う。

そう思った、「髪結新三」と「野田版 研辰の討たれ」だった。
コメント (1)
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