5月26日15:40、80回目の日本ダービーが
東京競馬場で行われた。
日本で3歳馬によってとりおこなわれるレースで、
最も格式の高いレースそれが日本ダービーであるが、
3年前の2010年に生まれたサラブレッド7197頭の頂点を
決めるレースである。
3歳馬クラシックには、4月の皐月賞(中山2000m)、
10月の菊花賞(京都3000m)があり、
『皐月賞は速い馬が勝つ』『菊花賞は強い馬が勝つ』
『ダービーは最も運のある馬が勝つ』と言われる。
最近では、2011年にオルフェーブルがこの三つに勝って
三冠馬になったし、2005年にはディープインパクトが
三冠馬になって世代最強馬と言われた。
以下、サンケイスポーツの翌日の記事からの抜粋である。
「ドラマチックな幕切れだった。
第80回日本ダービーが26日、東京競馬場で行われ、
一番人気に推された武豊騎手(44)のキズナ(栗東・佐々木晶三厩舎、牡3歳)
が直線一気の末脚で快勝、三歳馬の頂点に立った。
武騎手はキズナの父、2005年のディープインパクト以来の5勝目で
ダービー最多勝を更新。
キズナはこの後、世界最高峰のレース、凱旋門賞(10月6日、
フランス・ロンシャン競馬場、G1、芝2400メートル)を目標にし、
父が果たせなかった世界一の夢に挑む。」
ダービーレコードが、2004年のキングカメハメハの2分23秒3であり、
今回のタイムは2分24秒3でレコードより1秒遅いが、
歴代で見た場合速いタイムだと思う。
上がり3ハロン(600m)33.5秒の圧倒的な末脚でキズナが勝った。
自分は、皐月賞馬のロゴタイプの、レコード勝ちした脚を軸に、
馬券を買ってしまい外してしまった。
ロゴタイプは、皐月賞で疲れてしまって、5着。
皐月賞を回避して、ダービーに臨んだキズナが、堂々と1番人気で勝った。
サンケイスポーツで、武豊騎手がインタビューにこたえて次のように言っている。
「いかに前半をロスなく、気分よく走らせるか。
馬のリズムを重視しました。
(直線で)前の馬がフラフラして進路が塞がりかけましたが、
そこは引けないところです。彼のいい部分が出れば届くと思いましたし、
夢中で追いました」
JRAのサイトで、映像を確かめたが、
確かにキズナの進路が塞がりかけたのに、
その後爆発的な伸び脚で、ゴールを駆け抜けている。
もちろん「運」も欠かせない要素であったろう。
この運をたぐりよせた、佐々木調教師や馬主、
武豊騎手の戦略的な努力と技術が実った日本ダービーだった。
不調を極めた武豊騎手の、騎手としての底力を見せつけられた。
80年もの歴史を持つダービーであるから、
その間にいろいろな人がダービーについて書いている。
あの寺山修司は「誰か故郷を想はざる」の中で1968年の第35回日本ダービー
についてこう書いている。
「タニノハローモア(1968年第35回日本ダービー勝ち馬)の宮本は
『幸運でした』といっている。だが、その幸運は結局、
思想の展開の埒外においてしか、とらえられるものではなかった。
『まだいい』と思ったレース半ばの森安弘の判断は、
確率論的には決して間違っていなかったはずだからである。
そして、競馬においては『強い者が勝つ』という論理は通用などしない。
――本質が存在に先行するならば、賭けたり選んだりすることは無用だからである。
『勝ったから強い』のであり、存在は本質に先行するからこそ、
人は『存在するための技術』を求めてやまないのである。
『汚されない幸運などは存在しない。亀裂のない美は存在しない。
完璧な幸運、完璧な美とは、もはや幸運でも美でもなくて規則である。
幸運への欲望は、私たちにあっては一本の痛む歯のようなものだ。
同時にそれは、その反対物でもある。つまりそれは、
不幸というものの混沌とした内奥を欲するのである。』
(ジュルジュ・バタイユ『賭けの魅惑』)」
ちなみに第35回日本ダービーは優駿5月号
によれば次のようなレースだったらしい。
「アサカオー、タケシバオー、マーチスの三強対決に
注目が集まったものの、一番枠から積極的に飛び出した
本馬(タニノハローモア)が終始馬群を引っ張る展開。
直線で伸びあぐねる有力馬たちを尻目に5馬身もの差をつけて逃げ切った」
そんな昔から、日本ダービーは存在し、人々を魅了し続けてきた。
第80回日本ダービーは、一番人気が優勝した番狂わせのないレースといえる。
しかし、2着に入ったエピファネイアや、5着に入ったロゴタイプなどを見て、
自分は正直、キズナにそれほど信頼をおけなかった。
だから、皐月賞でレコード勝ちしたロゴタイプを軸に
馬券を買ったのである。
皐月賞を回避したキズナが、G1という「強い馬」がきしめくレースで、
一番人気に推されて、そのすさまじい重圧の中で、
あれほどの走りをみせるとは、想像できなかった。
(競馬を見る目が、他の競馬ファンがすごかったといえるけど)
一番人気の馬が、勝ったレースであるが、そのドキドキ感はすごかった。
そう寺山修司のいう「存在」(日本ダービー勝ち馬)は「本質」(強い馬)に先行しない。
だからこそ「存在するための技術」を追い求めてやまないのである。
あの武豊騎手にしても、ここ数年は、ダービーに出なかった年もあり、
G1に一回も勝てなかった年もある。武豊の「本質」は
強い騎手であるが、勝利騎手として「存在」できなかった。
それは、その不運の時に、「存在するための技術」を追い求め、
運をたぐりよせた、努力と技術と、もしかしたら絆(キズナ)の
勝利だったかもしれない。
80回目にふさわしい、歴史と伝統と今の魅力にあふれた日本ダービーだった。