このブログのタイトルは、
“Crazy For dos and don'ts”であるが、
「『するべきか・してはいけない表』(dos and don'ts)に夢中になって」
という意味である。
もしこのブログエントリーを読んで、実際の社会の
中でのするべきリストやしないべきリストの参考に
なれればいいなと思って、半ばジョークのように
つけたタイトルである。
このブログエントリーを書き始めて、
6年になるが、
アナロジー(喩え)であるが、
現実の社会を反映させているものもある。
さて、ここ最近のエントリーを中心に
書くべきだった(dos)エントリーをまとめてみようと
思う。書くべきでなかった(don'ts)エントリーは、
あることにはあるが、察して下さい。
<Dos>
まず、自分のまわりで起っていることのエントリーとして、
「『バクダンジュース』後」がある。
つまり自分の周りは、『バクダンジュース』後のようになっていて、
数年前は腐りきっている連中が幅をきかせていたが、
今はポスト・オウムのような現実が待っているはずだ。
ただエントリーの中身は、
「リトルピープル」に気をつけて行動するようにという、
自分のしてはいけない(don'ts)リストの最上位に位置するような
ことを書いたものでした。
自分の知っている人が殺された?と感じて、
書いたエントリーが「殯の森」である。
北京オリンピックのウキウキ感と盆の厳かさが、
奇妙に同居している。
自分の周りで、横領事件のようなことが、
起っていると感じたのは、2008年9月の
リーマンショックがあった後であった。
そこから3年我慢して書いたのが、
「Fish Story」というエントリーである。
最近では、
「うつろいゆくもの」
「封印切」
で、有名な映画や歌舞伎作品を通したアナロジー(喩え)で、
書いてみた。
いろいろ書いてきたが、
ほぼ自分の感覚を頼りに、村上春樹の本や、
映画や、歌舞伎を見て感じて、考えたことを
書いたものである。
自分は、ここ何年も戦ってきたが、
それもとうとう終わりを迎えるかもしれない。
とうとう『バクダンジュース』後も山場を迎える気がする。
自分の周りで起きているらしいことを、
アナロジーで書くのもこれが最後かもしれない、
後は、作品それぞれと向き合って、
作品の良さを引き出すようなブログを書いていきたい。
“Crazy For dos and don'ts”であるが、
「『するべきか・してはいけない表』(dos and don'ts)に夢中になって」
という意味である。
もしこのブログエントリーを読んで、実際の社会の
中でのするべきリストやしないべきリストの参考に
なれればいいなと思って、半ばジョークのように
つけたタイトルである。
このブログエントリーを書き始めて、
6年になるが、
アナロジー(喩え)であるが、
現実の社会を反映させているものもある。
さて、ここ最近のエントリーを中心に
書くべきだった(dos)エントリーをまとめてみようと
思う。書くべきでなかった(don'ts)エントリーは、
あることにはあるが、察して下さい。
<Dos>
まず、自分のまわりで起っていることのエントリーとして、
「『バクダンジュース』後」がある。
つまり自分の周りは、『バクダンジュース』後のようになっていて、
数年前は腐りきっている連中が幅をきかせていたが、
今はポスト・オウムのような現実が待っているはずだ。
ただエントリーの中身は、
「リトルピープル」に気をつけて行動するようにという、
自分のしてはいけない(don'ts)リストの最上位に位置するような
ことを書いたものでした。
自分の知っている人が殺された?と感じて、
書いたエントリーが「殯の森」である。
北京オリンピックのウキウキ感と盆の厳かさが、
奇妙に同居している。
自分の周りで、横領事件のようなことが、
起っていると感じたのは、2008年9月の
リーマンショックがあった後であった。
そこから3年我慢して書いたのが、
「Fish Story」というエントリーである。
最近では、
「うつろいゆくもの」
「封印切」
で、有名な映画や歌舞伎作品を通したアナロジー(喩え)で、
書いてみた。
いろいろ書いてきたが、
ほぼ自分の感覚を頼りに、村上春樹の本や、
映画や、歌舞伎を見て感じて、考えたことを
書いたものである。
自分は、ここ何年も戦ってきたが、
それもとうとう終わりを迎えるかもしれない。
とうとう『バクダンジュース』後も山場を迎える気がする。
自分の周りで起きているらしいことを、
アナロジーで書くのもこれが最後かもしれない、
後は、作品それぞれと向き合って、
作品の良さを引き出すようなブログを書いていきたい。