明けましておめでとうございます。
昨年も大変でしたが、皆様のおかげで年を越せました。
今年は、月に何回かブログをアップできるようにします。※コメント欄参照
書く内容でいっぱいいっぱいだったため、年始の挨拶忘れておりました。
すみませんでした。
今年も、どうぞよろしくお願いします。
今年も大変そうです。
今回は、音楽については先週のエントリーで小休止して、
息抜きに行った美術館のことを書きます。
東京、上野の東京都美術館に
「エル・グレコ展」を見に行った。
車で上野に向かったのだが、午後に行ったのが甘かった。
上野公園前の駐車場はどこも満車で、
車の長い列ができていた。
上野公園から、離れたところにあるコインパーキングに車を止めて歩いた。
歩いて5分くらいだから、それほど苦でもなかった。
雪がところどころに残る道を、注意して歩いた。
晴れているが、冷たい風が強く吹く。
しばらくして、上野公園入口に着いた。
この奥に、東京都美術館がある。
この前に来たのは、フェルメール展
「光の天才画家とデルフトの巨匠たち」を
見に行ったときだから、5年ぶりくらいだ。
途中看板を発見。
そうこうしている間に、
東京都美術館に到着。
地下1階に行くエスカレーターで降りて、
エルグレコ展に向かう。
東京都美術館では他のフロアでも別の展示が行われていた。
それほど、混んでいない。
すぐに中に入れた。
500円で音声ガイドレコーダーを借りた。
四部に展覧会が分かれていて、絵の横に書いてある番号を
レコーダーに打ち込むと音声ガイドがヘッドフォンから流れる。
最初は、エル・グレコ本人の自画像と言われる
肖像画から展覧会は始まる。
理知的な目が印象的な肖像画は、すごく印象に残る。
音声ガイドの説明が的確で、うなずいてしまう。
ほか、色々な人物のエルグレコ画の肖像画が、まず並んでいる。
憂いや苦悩などの内面を映し出すその
肖像画のスタイルは、その当時から特別なものであったろう。
ある絵画の一つは、同一人物の肖像画で、別の画家のものと並べて展示してあり、
エルグレコ画の肖像画の特色がよくわかるようになっている。
エル・グレコとは、「スペイン語の男性定冠詞エル(El)と、
ギリシャ人を意味するイタリア語グレコ(Greco)との合成による
あだ名にすぎず、本名をドメニコス・テオトコープロス
(Domenikos Theotokopoulos)と言う。」(「エルグレコの世界」P135)
1541年ギリシャ クレタ島の首都カンディア(現イラクリアン)で生まれる。
「特に注目すべきは、画家としての出発が『イコン(聖像画)画家』
であったという事実である。」(同135P)
その後、エルグレコの絵は、「無原罪のお宿り」(↑のエルグレコの世界の表紙
になっている絵、ポスターの絵)のような画風に
たどり着くが、それまでの過程の絵が多数展示してある。
「盲人を癒すキリスト」や「聖衣剥奪」の小さいバージョンや、
「受胎告知」「聖マルティヌスと乞食」などが展示してある。
途中良かったのは、丸い大きな絵「受胎告知」などが3点並んだ
もの。すごく誇張された手などがリアルに見える。
「芸術の理念は、ルネサンスの基本原理である自然の客観的な模倣よりも、
続くマニエリスム時代の『内なるディゼーニョ(素描)』に重きをおく、
主観的な創造性に移行していたのであり、それこそが、
エルグレコの後半生、トレード(スペインの都市)時代の
基本的な制作態度となった。」
「彼にとっては、美は規範や公式からは生まれず、
絵画も建築と同様に、『視点の移動によって
多様性と装飾美は達成される』のであった」(同139P)
展示で最後に、巨大な3メートルを超える「無原罪のお宿り」
が出てくる。9、10等身のマリア様が中央に描かれる。
9、10等身の人間なんていないのだが、そのデフォルメされた身体の
図柄が躍動感に満ちて目に飛び込んでくる。
視点の置き方で、天使が動いて見えたり、
上からふりそそぐ光の構図がすばらしい。
ほとんどすべてで、キリスト教に関する絵ばかりだが、
それを超えて、芸術家エルグレコのすばらしい才能が爆発している
展覧会であった。
「無原罪のお宿り」はスペインのトレードという都市のサンタクルス美術館所蔵らしい。
トレドは、エルグレコが死ぬまで30年以上いた場所で、
世界遺産に登録されている。
ウィキペディアによれば、奈良市と姉妹都市らしい。
トレドの写真や、地図が展示され、トレドに対して興味が湧いた。
集中して絵を見て、2時間ほどで見終わった。
エルグレコの絵を見たという充実感でいっぱいになる。
すばらしい展覧会であった。
展覧会を出て、1階のカフェでお茶をした。
スマホでニュースをチェックしたが、
アルジェリアの人質事件は情報不足で人質にされた方たちの
安否がよくわからない。
自分は、
自分のできることを、コツコツやっていくしかない。
冷たい風が吹く中、
夕暮れ前の東京都美術館をあとにした。
追記
「エルグレコ展」を選んだ理由は、
苦闘している人が見ることができる「光」を見たかったためでもある。
その「光」は、キリスト教を超えて普遍的な意味があるようにも思える。
今日本では、現在進行形の苦悩・逆境・終戦にも似た状況がかんがみられる。
苦悩する彼らにエルグレコの「光」はどう映るであろうか?
「聖イルデフォンソに法衣をもたらす我らが聖母の
物語において、その飾りとして、また人物たちを大きくするために、
私は彼らが天上的存在であることを利用したのです。
光の中では、遠くから見れば、たとえ小さくとも
我々には大きく見えるからです」とエルグレコは書く。(「エルグレコの世界」P139)
見ようとしなければ、「光」は見えないかもしれないが、、、、
昨年も大変でしたが、皆様のおかげで年を越せました。
今年は、月に何回かブログをアップできるようにします。※コメント欄参照
書く内容でいっぱいいっぱいだったため、年始の挨拶忘れておりました。
すみませんでした。
今年も、どうぞよろしくお願いします。
今年も大変そうです。
今回は、音楽については先週のエントリーで小休止して、
息抜きに行った美術館のことを書きます。
エル・グレコの世界 | |
クリエーター情報なし | |
新人物往来社 |
東京、上野の東京都美術館に
「エル・グレコ展」を見に行った。
車で上野に向かったのだが、午後に行ったのが甘かった。
上野公園前の駐車場はどこも満車で、
車の長い列ができていた。
上野公園から、離れたところにあるコインパーキングに車を止めて歩いた。
歩いて5分くらいだから、それほど苦でもなかった。
雪がところどころに残る道を、注意して歩いた。
晴れているが、冷たい風が強く吹く。
しばらくして、上野公園入口に着いた。
この奥に、東京都美術館がある。
この前に来たのは、フェルメール展
「光の天才画家とデルフトの巨匠たち」を
見に行ったときだから、5年ぶりくらいだ。
途中看板を発見。
そうこうしている間に、
東京都美術館に到着。
地下1階に行くエスカレーターで降りて、
エルグレコ展に向かう。
東京都美術館では他のフロアでも別の展示が行われていた。
それほど、混んでいない。
すぐに中に入れた。
500円で音声ガイドレコーダーを借りた。
四部に展覧会が分かれていて、絵の横に書いてある番号を
レコーダーに打ち込むと音声ガイドがヘッドフォンから流れる。
最初は、エル・グレコ本人の自画像と言われる
肖像画から展覧会は始まる。
理知的な目が印象的な肖像画は、すごく印象に残る。
音声ガイドの説明が的確で、うなずいてしまう。
ほか、色々な人物のエルグレコ画の肖像画が、まず並んでいる。
憂いや苦悩などの内面を映し出すその
肖像画のスタイルは、その当時から特別なものであったろう。
ある絵画の一つは、同一人物の肖像画で、別の画家のものと並べて展示してあり、
エルグレコ画の肖像画の特色がよくわかるようになっている。
エル・グレコとは、「スペイン語の男性定冠詞エル(El)と、
ギリシャ人を意味するイタリア語グレコ(Greco)との合成による
あだ名にすぎず、本名をドメニコス・テオトコープロス
(Domenikos Theotokopoulos)と言う。」(「エルグレコの世界」P135)
1541年ギリシャ クレタ島の首都カンディア(現イラクリアン)で生まれる。
「特に注目すべきは、画家としての出発が『イコン(聖像画)画家』
であったという事実である。」(同135P)
その後、エルグレコの絵は、「無原罪のお宿り」(↑のエルグレコの世界の表紙
になっている絵、ポスターの絵)のような画風に
たどり着くが、それまでの過程の絵が多数展示してある。
「盲人を癒すキリスト」や「聖衣剥奪」の小さいバージョンや、
「受胎告知」「聖マルティヌスと乞食」などが展示してある。
途中良かったのは、丸い大きな絵「受胎告知」などが3点並んだ
もの。すごく誇張された手などがリアルに見える。
「芸術の理念は、ルネサンスの基本原理である自然の客観的な模倣よりも、
続くマニエリスム時代の『内なるディゼーニョ(素描)』に重きをおく、
主観的な創造性に移行していたのであり、それこそが、
エルグレコの後半生、トレード(スペインの都市)時代の
基本的な制作態度となった。」
「彼にとっては、美は規範や公式からは生まれず、
絵画も建築と同様に、『視点の移動によって
多様性と装飾美は達成される』のであった」(同139P)
展示で最後に、巨大な3メートルを超える「無原罪のお宿り」
が出てくる。9、10等身のマリア様が中央に描かれる。
9、10等身の人間なんていないのだが、そのデフォルメされた身体の
図柄が躍動感に満ちて目に飛び込んでくる。
視点の置き方で、天使が動いて見えたり、
上からふりそそぐ光の構図がすばらしい。
ほとんどすべてで、キリスト教に関する絵ばかりだが、
それを超えて、芸術家エルグレコのすばらしい才能が爆発している
展覧会であった。
「無原罪のお宿り」はスペインのトレードという都市のサンタクルス美術館所蔵らしい。
トレドは、エルグレコが死ぬまで30年以上いた場所で、
世界遺産に登録されている。
ウィキペディアによれば、奈良市と姉妹都市らしい。
トレドの写真や、地図が展示され、トレドに対して興味が湧いた。
集中して絵を見て、2時間ほどで見終わった。
エルグレコの絵を見たという充実感でいっぱいになる。
すばらしい展覧会であった。
展覧会を出て、1階のカフェでお茶をした。
スマホでニュースをチェックしたが、
アルジェリアの人質事件は情報不足で人質にされた方たちの
安否がよくわからない。
自分は、
自分のできることを、コツコツやっていくしかない。
冷たい風が吹く中、
夕暮れ前の東京都美術館をあとにした。
追記
「エルグレコ展」を選んだ理由は、
苦闘している人が見ることができる「光」を見たかったためでもある。
その「光」は、キリスト教を超えて普遍的な意味があるようにも思える。
今日本では、現在進行形の苦悩・逆境・終戦にも似た状況がかんがみられる。
苦悩する彼らにエルグレコの「光」はどう映るであろうか?
「聖イルデフォンソに法衣をもたらす我らが聖母の
物語において、その飾りとして、また人物たちを大きくするために、
私は彼らが天上的存在であることを利用したのです。
光の中では、遠くから見れば、たとえ小さくとも
我々には大きく見えるからです」とエルグレコは書く。(「エルグレコの世界」P139)
見ようとしなければ、「光」は見えないかもしれないが、、、、