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流出雑記 

2014/6/25

2014年06月25日 | Weblog

晴れ

無事5時半起床。サッカーを見るためではない5時起きだけれど、ちょうど日本対コロンビアの試合。前半1-1だったのが後半立ち上がりで素人目にも押されている感じがするなと思っていたら1点決めらた。
サッカーの中継を聞いていると「なんとかの時間帯」という言い方をよくするのが気になる。これはサッカーに特徴的な言い方なのだろうか。でもとにかくライブの試合は朝向きじゃない。家をでなければいけないタイムリミットまでにやることがあるのに目が縛られる。
家を出て移動中にツイッターをひらくと点数は1-3になり1-4になっていた。

時間通りに電車に乗って奈良へ。
眠気と共にポーズをやりきり日陰のない真昼の帰り道。学校を出てすぐの畑では、きゅうりや茄子やズッキーニを一袋百円で売っている。お金は置いてある箱に入れる。この大らかさが今もあることがうれしい。シソは予約制とあり、携帯番号がかいてある。

墓地がある。墓地の駐車場になっているところを囲むように戦没者の墓石が並んでいる。
故陸軍軍曹とか故陸軍歩兵長、故海軍海兵伍長、その下に名前があり、石碑の右面には碑を立てた人の名前、多くは父 なんとかとあった。軍曹の墓石は兵長などの墓石より倍ほど高い。低い墓石には骨壺を納めるところがないから、遺骨は戻らなかったのかも知れない。墓石の左面には亡くなった日付と場所、年齢、戦死と記されている。病死というのもある。年齢はほとんど二十代~三十代で、ニューギニア、ダガルカナル、マニラ、ボルネオなど南方の島で亡くなっている人が多い。ひとつの石碑に兄弟の名前が並んでいるのもいくつかあった。
石に彫られた最低限の情報だけで、この長閑な土地に生まれた人たちが、まったく縁のない南の島に連れて行かれた末にむかえた死がおそらく悲惨であったことは、持っている知識と重ね合わせて想像できる。
理性的な判断ができる状況なら、絶対に口にすることを選ばないものまで食べざるを得なかったほどの飢餓状態、不衛生な環境で蔓延する伝染病、ジャングルでワニに喰われ、爆弾で吹き飛び二十二、三の若さでこの人たちが死ななければならなかったことを思うと無性に腹が立ってきた。そんなふうに命をかり出していいはずがないのに。息子を奪われた家族や、夫を奪われた妻は、せめてもの弔いとこの碑を建てたのだろう。この石に刻まれた名前は、ある時期までは間違いなく体を伴って、話したり食べたり寝たり笑ったり怒ったりしていたのだ。 祖父母から戦争の話しを聞くことのない世代の子供たちも、ここを通ればこの碑を目にするだろうし、そこに刻まれていることの怖さをいつか理解するようになる。ここに住む人たちが普段通る道の方に向いて石碑が並んでいることが重要だと思った。情報としては学校や本や映画やネット上からでも得られるけれど、この場所に数十年前に生きていた人たちのこととして受け取ることは体験として違う。

総員玉砕せよをもう一度読もうと思った。


2014/6/24

2014年06月24日 | Weblog

晴れ

今日から2週間、朝から奈良の大学で仕事。昨夜は普段なら眠りの底にいる朝5時半起きられるかどうか自信のないまま寝たので、1時間毎に目が覚めて、結局目覚ましの鳴る前に起きた。

小梅と小麦もつられて起きてきた。

家を出る前の小一時間、朝のテレビは好きだ。昼のテレビは憂うつ。夜のテレビは居間を演出。

いつもはたぶん最下位の燃えるゴミが今日は一番のりだった。

自転車で最寄りの地下鉄駅へ。半袖シャツのサラリーマンたちがやや小走りで駅に向かうので、乗る予定の電車には間に合う時間なはずだけど、つられて小走りしたら、一本早い地下鉄に乗れた。

地下鉄から近鉄連絡駅の竹田での乗り換えがいちばんスムーズであるけれど、一時間の乗車時間、通勤通学時間帯でずっと座れない。少し遠回りになる近鉄の終点である京都まで出て、そこから乗れば一時間眠ったまま気付くと奈良に着くというコースが朝向き。橿原神宮も終点なので乗り過ごして焦らないところがいい。けれど電車はそのまま折返し京都行きになるので、数年前に来ていたときに眠りこけて、気付くと逆行していて冷や汗をかいたことがあった。携帯のアラームを到着3分前にかけておく。でも今日は初日の緊張感なのかぼーっとしながらも目は覚めていて、携帯でずっと工藤静香の歌を動画検索して延々聞いていた。何かのテレビで一瞬嵐の素顔が流れたのが尾をひいて。MUGOん…色っぽい、黄砂に吹かれて、慟哭、雪月花、いいと思うのはことごとく中島みゆきの作詞だった。                                          時々半目で見る風景に緑が増えて奈良が深まり、畝傍御陵前という駅名はフリガナなしでは困難だなあと覚醒しきらない頭で思ったりしていた。

駅に着く。たしか駅中のコンビニはampmでファミマではなかったと思う。駅から学校まで歩いて10分ほど。その途中の道はほとんど変わらず。校舎の青色がいい。

洋画の研究室。毎日違う先生が指導にあたられる。今日はいちばん若い先生で、今日はガイダンスと構図決めに時間結構使うと思うのでゆっくりしてくださいと言われる。ガイダンスの内容は人物画、人間をモチーフにすることについて、で黒板にプロジェクターでギリシア美術から始まる美術史の人物を描いているものをざっと見せていき、近現代まで来ると、シンディー・シャーマン、やなぎみわ、タカラヅカ、コスプレ文化までフォローし、さらに日本の洋画界に未だあるザ西洋趣味の絵を出して、こんなのは美術でもなんでもないと批判した。ついでに私が着ているポーランドの民族衣装もなんとかしてほしい。

その先生は構図、バックの布の色やその他のモチーフも生徒に決めるように指示をする。十数人全員女の子の2回生のクラスだが、考えようと積極的な数人と別のおしゃべりをやめない数人と沈黙している数人が混在していて一向に決まらない。最終的に先生がまとめた。ただポーズは今回ちょっとおもしろい。だらっと椅子にもたれ掛かるようなポーズで「モデルをやる気がないような感じ」という雰囲気の東欧の民族衣装を着た日本人がいて、そのまわりには枯れた植木鉢やひょろひょろの観葉植物、自転車の車輪、頭蓋骨、鴨の剝製、メキシコ土産の顔の器、ゴミの入った水色のゴミ袋などが配置されたわけのわからないシチュエーションが出来上がった。今日は3時間の授業時間のうち6ポーズする予定が1ポーズのみで終わったけれど、この構図からどんな絵が作られるのかは興味があるのでたのしい仕事になりそうな予感がする。

京都に戻って松ヶ崎のTUTAYAで工藤静香を探したけれどJPOPの棚のカ行に見あたらない。無いはずないと歩き回っていたら懐メロコーナーだった。3枚組のベストを借りて帰る。


2014/6/21

2014年06月22日 | Weblog

曇り

熟睡していたようで夫が起きて仕事に出たことに全然気付かず、目覚めたときの感じにも、それまでの眠りが深かった余韻があってなんとなく体が重い。
昨夜はふたりの友人が来て、そのうちのひとりが出演していた公演のことなどを深夜まで話していた。

おつまみのトルティーヤに乗せて食べていたアボカドの残りを牛乳、レモン汁、砂糖とミキサーにかける。 うっすら黄緑のなめらかなジュースができる。バナナがあれば入れたかった。
10日前に仕込んだ梅シロップは青梅だったのが、砂糖で熟した色に変わり、瓶の底に沈んでいる砂糖も数日中に溶けきりそう。

昨夜手土産にもらった友人の友人が作ったらしい無農薬の完熟トマトのうちの一個がはじけていた。
それでトマトソースを作る。今朝は包丁を持ってみじん切りの意欲がわかなかったので、フードプロセッサーに働いてもらって、玉ねぎとニンニクを炒めてトマトを入れてしばらく煮る。出来たソースを瓶に移して、トマトソースの残ったフライパンで輪切りにしたソーセージ、ケチャップを少し足して冷やご飯を炒め、夫のお昼、オムライスを作る。

午後から仕事。
地下鉄の駅へ向かう途中に高野川に掛かる橋がある。護岸工事をしていて、赤い字で番号のふられた砂袋が積み上がっている風景が墓に見える。

仕事中、意識の横をずっと眠気が並走していて、申し訳ないくらい眠い。こんな日に限って出してもらったお茶のペットボトルにはノンカフェインと書いてある。家を出る前に飲んで来たコーヒーは全然効いてない。彫刻の頭像モデルのときはやっぱり主に顔を見られているので、あきらかに眠そうなのは具合が悪い。息を止めることで眠気の息の根を止める作戦などをやっていたが、最後まで眠いままだった。

夜はリーディング公演を見に行く予定があった。同じく眠気の不安を抱える夫と開演前にレッドブルを半分こして観劇に臨む。ヴェンダースの「ベルリン 天使の詩」でもテキストに使われていたペーター ハントケの一番新しいテキストがこのリーディングのために翻訳されたらしい。いくつかの灯体とふたりの俳優が配置された空間でテキストが淡々と読まれ、明かりはゆっくり変化している。ときどきりんごが転がされる。カーペットの上を軽いとも重いとも言い難い音でりんごが転がる。ふたりの俳優はごく時々体勢を変えるけれどほとんど動かない。明かりとりんごと観客席の体の方が動いていた。

終演後、会場で人と落ち合う約束があった。その方と初日乾杯の席になだれ込み今日も深夜まで。話しがずっとおもしろい。

信頼のおける方との仕事が動き出した夜だった。


2014/6/20

2014年06月20日 | Weblog

晴れ夕立

朝7時からワールドカップ、日本対ギリシャを見るために夫は起きていた。私が居間に降りたときにはもう後半で、まだ得点はなく、夫は試合時間残り15分くらいのところで仕事にでた。グラノーラを食べながら残り時間の試合を眺めていたけれど、どちらもゴールを決められないまま試合は終わった。そのあとテレビは今日の試合のハイライト、現地で応援している選手の母親に電話を繋いでインタビュー、渋谷の交差点に集まる青いユニフォームの若者の様子を映していた。

グラノーラに、いつになったら飽きがくるのだろうと思いながらここ数ヶ月。買うと高いのでオートミールを買って作るようになった。イメージよりも簡単にできる。オートミール1カップに対して砂糖とオイルは大さじ1。フライパンに砂糖と同量の水とオイルを入れて火をつけ砂糖を溶かす。溶けたら火を消しオートミールとココナッツを入れて絡める。ナッツを混ぜて広げて160度のオーブンで30分焼く。15分で一度取り出して混ぜる。冷ましてからドライフルーツを混ぜる。分量が多少変わっても失敗ということのないようなものだから目分量でもいい。

オートミールはいろいろリサーチした結果、ネットで大容量のを買うのが断然安かったけれど、4kgを超えるオートミールのプレッシャーにまだ購入を踏み切れず。

明日から天気が崩れる予報なので洗濯。今夜は人が来るので念入りに掃除をし、買い物に出掛ける。発育が悪かったブルドゥパルファムのやっと開花しそうだった枝が折れている。自転車が倒れたのだろうと思われる。昨日帰ったときには大丈夫だった。昨夜そんなに風は強くなかった。いつ、どうして。

送金の用の為に京都銀行と京都信用金庫の間を行き来し、ラーメン屋に冷やし中華ののぼりが並んでいるのを見て、お昼は冷やし中華に決め、スーパーで買い物して帰る。

冷やし中華の為に買ったまがりキュウリ3本をゆかりで塩揉みして浅漬け風にしたり、タイのドレッシング、ヌクチャムを作ってキュウリと玉ねぎを漬けたり、暑いので酸味のあるものが冷蔵庫に増えていく。

今夜のメニューはテーマをブラジルにしてみた。先日作ってみておいしかった肉と豆を煮たフェジョアーダという料理。本来は黒いんげんを使うらしいけど、近所の輸入食品店にはひよこ豆かミックスビーンズの缶づめしかなかったので、ミックスビーンズにした。それと薄皮のパイのようなパステウという料理を餃子の皮で真似、トマトと玉ねぎとピーマンを刻んでマリネしたヴィナグレッジというサラダのようなソースを添える。餃子の皮は余るので、余った皮は焼いてチップスのようにし、アボカドとヴィナグレッジソースをのせておつまみにするといいに違いない。でもブラジルではアボカドは果物に分類されて、砂糖とレモンをかけて食べたりするらしい。

夕立は友人が来る前にあがった。 -->


2014/6/18

2014年06月19日 | Weblog

ハーモニー コリンは『ガンモ』があまり響かなかったので、『ミスターロンリー 』にあまり期待を寄せずに見たらこれがものすごくいい映画だった。シスターがスカイダイビングするシーンは一生忘れないと思う。

マイケル ジャクソンのそっくりさん、マリリン モンローのそっくりさん、誰でも名前を知っているスターの姿を借りて生きる人たち。信じるものを自分の中心に据え、信条に身を捧げて生きるお揃いの修道服を身につけたシスターたち。

「私」は誰として生きていくのか、確かにここにいるはずである「私」の所在とその不確かさ。誰だって、他の誰でもない「私」のはっきりとした輪郭線がほしい。名付けられたもの、借りものの縁取りではない「私」のかたちで。しかしそれはどこにあるのだろうか。そもそも最も「私」であるところのものは、何にをしてそう言うことができるのか。

もしもそれぞれの「私」についての台本があれば、書かれた内容から役柄を推察し、役づくりをすることが可能であるけれど、それを持たずに何かを言ったり言わなかったりしながら、常に台本に書き込むことが同時であるような「私」たちはある程度過去を参照することはできても、皮フが接しているこの今の瞬間に身を投げ続けている状態である。しかもこの身投げは自発的に身を乗り出さなくても時間の方が向かってくるのでどんどん押し出されていく。「私」の生の発生に「私」の意志は介在していないし、現在に像を結んでいる地点である「私」に、未来の方から時間がとどまることなくやってき続け、その接触面で身を処すことの連続が生の状態である。そしていつかはわからないけれど終わりが、死やってくることだけは決まっている、というその大筋を選ぶことはできない。生の状態は、すべては受動を基礎としている。

しかし、生まれたと同時に属している社会では、「私」は何かにならなければいけない。大きくなったら何になりたいかと問われ、何かになるよう促され、何かになることができたか、あるいは何かになれず、そのとき心に生じる何でもない自分に対する諦めも含めて、この社会に属するための能動性の力によって導き出されている。それを当たり前のことと思い、それに対して疑問を持っている暇があったら、何かしらの資格でも取るための勉強でもすることを有益とする世界に生きている。

そのような現実と接しながら生きているにも関わらず、自分が関わる分野である舞台芸術、演劇においては演じるということを要素として含んでいる。しかし、その演じるとはむしろ、何にもならない、ということへの能動であると思う。

そんなことを考えていると、ツイッターの演劇名言botがこう呟いた。

「〈表現〉はフィクションを構える。フィクションとは、受動が力である世界の構築である。フィクションは、だから、能動の力を拒みうるのであり、現実世界からの距たりをもちうるのではないだろうか」太田省吾

その言葉は太田さんの「裸形」という言葉ともつながっている。


2014/6/17

2014年06月17日 | Weblog

晴れのち曇り

よく寝た。目覚めすぐに体温を計る。音が鳴って文字盤を見たら、37.3℃でちょっと高すぎると思った。これは部屋の温度が高いせいなのか、5年ぶりに使う体温計がおかしくなっているのか。以前基礎体温をつけていたときはグラフがガタガタで、自分がいつどういう状況なのかグラフ化してみたところでわからなかった。つまりそういう結果だったのかも知れない。今回も初日からそうなりそうな予感がする。

昨夜「ケン パーク」という映画を見た。脚本はハーモニー コリンで、その前の夜は「ガンモ」を見た。ピンクのウサギの帽子を被った男の子のパッケージとはビデオ屋何度もすれ違っていたけれど、なんとなく今まで見ずにいた。「ガンモ」はどうにも波長の合わない映画だった。一応物語の主軸になる少年ふたりがいるけれど、その周囲に生きる同性愛者、障害者、どこか普通でないと見なされる人々がどんどんフレームに引き込まれ、それぞれ濃い色を放つので目がチカチカするというか、物語のなかにハレーションが起きている。いわゆる筋で見ることの出来ない、いろんな意味で辺境を感じる映画だった。ただそれがなんだか好みではなかった。主人公の少年ふたりは猫狩りをしてその肉を肉屋に売って生活しているので、猫が殺される場面がけっこうあった。それが映画であっても猫好きにとっては嫌なものと感じるのではないかと思い、出来る限りその個人的な部分を差し引いて考えてみたが、それでも好きではない。

「ケン パーク」はどうだろうと思いながら見たけれど、こっちはおもしろかった。ハーモニー コリンの映画に出てくる親たちはほとんど嫌悪の対象として描かれている。まともな大人がひとりも出てこない。そういう親の監理下で生活しなければならない年齢の少年少女たちは、否が応にも親から受ける影響で屈折しているし、選べずに身を置くしかない息苦しさを見ていると、家族という状態を維持するあたりまえさは、実は奇妙なものなのではないかと思えてくる。タイトルになっているケン パークとは冒頭とラストにだけ出てくる少年の名前で、冒頭でいきなりピストル自殺し、ラストでは自殺する前に時間が戻り、付き合っているガールフレンドから妊娠したがお腹の子供を殺したくないと告げられるシーンで終わる。

ビデオ屋で借りて来たのはハーモニー コリンがもう一本とカウリスマキが一本ある。ハーモニーコリン連夜上映が終わったら最後にカウリスマキを見る予定。

今夜はずっとお世話になっているクロッキー会の創立記念の食事会にお誘いをもらっていた。これまでも何度かそういうことがあったけど、行く店は毎回決まったビアレストランで、注文するものも毎回ほとんど決まっているので今日は隙があったら意外なものを差し挟んでみたい。


2014/6/16

2014年06月16日 | Weblog

晴れ

Gパンだけをかき集めて裏返し全部洗う。洗わない方がいい説と洗った方が長持ちする説がある。洗わない方は色落ちの問題が主だと思われるが洗う方の理屈は、皮脂が付いた布地に雑菌が繁殖して繊維が劣化するということらしい。暑くなってきて自転車で坂を登ってうちまでたどり着くと、太ももの裏や膝の裏に結構汗をかいているのがわかる。それを夏中繰り返し履き続けるのも気が進まないので時々洗う。

ゆで卵をつくる。ゆで卵を作るのがずっと苦手だった。特に殻を剥くのが。最近少量の水で茹でると熱いうちでもするする剥ける方法を知ってゆで卵への積極性が生まれた。きれいなむき卵ができたけれど半分に切って黄身を取り出し白身を刻む。みじん切り玉ねぎも加え、ヨーグルト、酢、塩こしょう、マヨネーズと和える。パンに乗せるにはちょっとゆるかったのでパン粉を少し混ぜて水分を調整することを思いついた自分を褒めてあげたいと思った。

先日行ったネパールカレー屋で食べたアチャール(のようなもの)を作ってみた。酸味のあるスパイシーな和え物という感じで、家にあったじゃがいもとにんじんとキュウリを使った。食べやすい大きさに切ってキュウリは塩で揉んでおき、じゃがいもとにんじんは茹でて粗熱をとる。野菜をボウルに入れて刻んだパクチーと塩とすりゴマをまぶし、熱した唐辛子とフェネグリーク入りの油を野菜にじゅっとかけ、酢を合わせる。いろんなレシピがあったけどフェネグリークを単品で使うのが珍しいと思った。カレーのスパイスに少し入れる以外には使ったことがなく、持ってはいるのにフェネグリークの特徴をよくわかっていなかった。思ったよりも苦みが強く、加熱すると苦みが倍増する。ホールだと特徴であるらしい甘い香りがもっとよくわかるのだろうけれどうちにあるパウダーを嗅いでもよくわからなかった。ホールのフェネグリークを水と砂糖と煮出せばメープルシロップのような甘い香りのシロップができるという。想像できない。この苦みはどうなるのか。

たまごサラダを乗せたトーストにアチャール(のようなもの)を添えた。夫はネパールカレー屋のよりおいしいと言ってくれた。そのカレー屋の味付けは全体的に甘みが強く塩味が弱い傾向があって、メニューによってはちょっと物足りない感じがあるのだ。

片付けるタイミングを逃していたホットカーペットを片付ける。まず上に敷いているカーペットに掃除機をかけ、コロコロテープを転がし、重曹を溶かした水の雑巾で拭いて干す。次に同じサイクルをホットカーペット本体に、さらにその下の床に敷いているカーペットも。きれいにしたところにすかさず小梅が転がりにくる。新しい敷物や掃除したところが猫はなぜ好きなのか、調べている人はいないだろうか。

夫が玄関先で小梅をブラッシングしたらとんでもない大きさの毛の塊ができた。あらためて猫はほとんど毛なのだと思った。

午後、今月で30代も一歩進むし、友人に受診を促されたこともあって婦人科検診を受けにいくことにしていた。産婦人科に行くのは6年ぶりだった。とりあえず子宮頸癌検診を受ける予約をして病院にいく。

病院で周期のことなど一通り話し、一応中の状態を見ておきましょうということになった。粘膜の細胞を採取したあと白黒のモニターを見ながら説明を聞くが、言われてみれば丸いものの群れが左右に見えるような気がする、のが卵子だそう。左右交互に排卵するが次がどちらからなのか今日見た様子ではわからなかった。ちゃんと排卵しているかどうかはやっぱり基礎体温をつけなければわからないので3ヶ月ほどつけるように言われた。検査の結果は来週。

帰りにカナートの輸入食品店でトマト缶2個、赤インゲン豆缶、パスタを買う。それから元田中のスーパーに寄り、ピーマン、じゃがいも、牛乳、安かった豪州産サーロイン切り落とし、ソーセージ。

陽射しはそれほど強くないけれど気温は高い。家に帰ると汗をかいていた。冷たいものが食べたくなって夕方まで時間のある夫と一乗寺の洋菓子店にソフトクリームを食べにいき、隣の恵文社のなかを漂って帰る。

いまワールドカップはブラジルでやっている。前にブラジル喫茶店でフェジョアーダというのを食べたのを思い出した。黒いインゲン豆と牛すね肉を煮込んだ料理でカレーのように米と食べるものだった。黒インゲンのせいで全体的に黒いので、何も知らずに出されたらすぐには手が伸びない得体の知れない怖さがある。けれどおいしかったしワールドカップなので赤インゲンで作ってみることにした。黒いんげんも乾燥豆では売っていたけれど、500gの黒インゲンを使うあてがないと思った。

ニンニクと玉ねぎをスライスし、にんにくを油で熱して玉ねぎを炒め、塩こしょうした肉を入れ具が浸るくらいの水とローリエ。アクをとって赤インゲン、切ったソーセージを入れ、心持ち強めに塩。その方が米に合う。

豆をもどす行程がないのであまりにすぐできてしまう。即地球の裏側へ行き着いてしまったようなあっけなさでフェジョアーダ(らしきもの)が日本の食卓にのぼることが今日、ひそかにあったのだった。


2014/6/14

2014年06月15日 | Weblog

晴れ

前日から実家に帰っていた。今日の昼前に実家に岩田家が来ることになっていた。

岩田家は父の会社の同僚の家族で、小さい頃は夏は海、冬はクリスマスやスキーで集まる数家族のなかで特に仲良く今も付き合いのある一家だった。住んでいるところがやや遠いのでそれぞれの親に伴われて年に数回しか会わなかったけれど、そのために会う機会は特別楽しみだった。大人になってから母に聞いたところによれば、20代から30代前半にかけての若かった父親たちは、冬になるとスキーだとか妻子ほったらかしで遊びに行ってしまうので、家族ぐるみのイベントを計画して年中行事として組み込んだらしい。中学に上がるまでそれは続いた。その様子を父はよくHI8のカメラで撮影していた。高校、大学の数年間は親同士以外ほとんど連絡を取らないままそれぞれ知らないうちに大人になり、結婚や妊娠という年頃になってから会うまた機会が訪れた。岩田家は二人姉妹で歳も近い。今日は両家とも父はいないので女子の会だった。卵とアスパラを茹でてサラダを作り、ピザを注文し、母は果物やらハーゲンダッツやらジュースやら十分過ぎる量を買い込んできた。

 両方ともの次女が同い年で今ふたりとも妊婦である。岩田家次女は5ヶ月目で先月までは2ヶ月間ずっと悪阻がひどく、ほぼ毎日気分が悪いまま自分が食べる事も家事もままならなず実家に戻っていた。

妹はそれほど悪阻で苦しまないまま臨月を迎えている。出産予定日は来月だけれど2500gを越えた重量を抱えるお腹はもうすでに限界に達しているように見えた。本人も重たいので早く出て来てほしいと言う。貧血気味になるので生協で買った鉄分が摂れるりんご味の微炭酸飲料tetukosanというのを箱買いして飲んでいた。後味が鉄というので一口もらったらほんとにそうだった。

昨夜妹と一緒に風呂に入って、人の体がこんな事態に耐えうるようできていることに驚かずにはいられなかった。妊娠するまで知らなかった機能が自分に備わっていたことに妹自身も知識で知ってわかっていてもいちいち驚くらしい。自分以外の生き物がお腹の中にいることはやはり奇妙な感覚で、でも、ただ動いているのがわかるだけで幸せな感じがすると言っていた。心身ともに母性が浸透し妹は母になっていくのだと思った。

子供を自分の体に宿すということは個人的な営みであるけれど、生まれてくる子供はしばらく片時も離れず世話をしなければ生きていけないものでありながら自分のものではない他者であることには間違いなく、そういうことを思うと、何で記憶しているフレーズだったか「世界に身体を明け渡す」という言葉を思い出した。他者は世界につながる回路であると考えると、個から別の個が生まれるということは「私」の生の時間から「私」のとどかないところに接続するいとなみであると言える。それは自分を世界に向かって開くひとつの方法であるとも言えるのではないか。

「世界に身体を明け渡す」の世界をふと社会と読みなおしたらなんだか意味合いが180度変わると思った。「社会に身体を明け渡す」。この広がりの違いはなんだろう。明け渡す先を間違えると呼吸の仕方にまで影響がありそうに思う。自分がその時々に選択する行為の宛先がどちらに向かっているのかを自覚すること、それを判断基準として据えることは、自分の在りようを体を軸ににて定める指針になるのではないだろうか。

妊娠も出産も経験がないけれど、自分の体から自分以外の他者が現れる、そんな体感を得てなお創作に身を置こうとするとき、何に動かされるのだろうと思う。

想像した。でも考え尽くせない死ということに生がつなぎ止められている限り、自分が生きていることのわからなさは解決しないものとして残る。それ以外のことを何かしら表現しようとする必然性が自分にとってはおそらくない。

風呂上がりにストレッチをしていた。最近縦の開脚ができるようになった。それを見て妹は驚いていた。うちの三姉妹はみんな体が硬かった。器械体操を習っていたが、三人とも硬いなと先生に笑われていたくらいだった。妹にお姉ちゃんは何になりたいのと聞かれたが答えられなかった。


2014/6/12

2014年06月13日 | Weblog

晴れたり曇ったり夕立が降ったり

お昼 夫カレーうどんとおにぎり、私グラノーラ。ふたりとも休日だったので映画を見に行く事にする。ジャ ジャンクー『罪の手ざわり』。いつもバイクを置いているところが使えず、仕方なく四条烏丸地下の市営駐輪所500円に入れる。

平日の昼間、客席の年齢層は高い。ジャ ジャンクーの映画は前に『長江哀歌』を見たことがあった。『罪の手ざわり』はオムニバス的に数人の人物の罪を犯すにいたる状況を追っていくような構成になっていて、それぞれの物語は直接的ではないかたちで関係している。炭坑、大規模工場、サウナ、風俗店、同時代の様々な環境で働き生きる人々。カメラを向けられる人物の生きる場所によって現在の中国にある風景が多様な角度から映しだされるような映画だった。語られる物語よりもそれがおもしろく感じた。その見方に気付くまでは途中眠気に支配されそうになって夫に起こしてもらった。

アジアの映画監督とその作品名がごっちゃになっていてよく混乱するので自分のために書き出し整理してみる。

○キム ギドク…『サマリア』『弓』『絶対の愛』『アリラン』を見たい。
○ツァイ ミンリャン…『楽日』『西瓜』               
○パク チャヌク…『オールドボーイ』『親切なクムジャさん』
○ポン ジュノ…『殺人の追憶』『スノーピアサー』
○ジャ ジャンクー…『長江哀歌』『罪の手ざわり』
○ワン ビン…『収容病棟』来月見る。

ちょっとすっきり。

映画館を出ると明らかに雨雲が立ちこめはじめていた。錦通りの傍の奥まったところにある古い喫茶店でコーヒーを飲んでからロフトにシャワーヘッドを買いに行く。越して来た当初に付けたのが劣化して、変な方向から水が漏れるようになったため。水を止めるボタン付きのがあったのでそれにした。

四条烏丸に戻る途中ついに雨が降って来た。でも空が明るいのでこれはおそらく夕立だろうと四条烏丸に向かいながら歩いていると雨はあがった。大垣書店の中にあるアップルストアで夫のiPhoneの液晶がやや浮いているのを見てもらうのを待っているあいだになんとなく手に取った精神病院のルポを読んでいた。

うつの病歴のある著者があるとき原因不明のけだるさ、指先の震え、食べてもどんどん痩せていくなどの体調不良に見舞われ、うつが再発したのではと精神科を受診したところ、うつだろうと診断され薬を処方された。しかし一向に良くならない。著者自身も湯治に通ってみたり、ジョギングをしてみたり、体に良いと思われることを心がけてみてもなぜか体調は悪化する一方だった。他2件の精神科を受診してもやはりうつだろうと言われるが、これはおかしいと医師の友人に助けを求めたところその病気はうつではなくバセドウ病であったことが判明したという。それが判明するまでに著者は精神病院に短期入院をし、そこで出会った患者、となっている人々との出会いからこの本を書く事になったらしい。ルポの内容は、精神病院に数十年に渡る長期入院をしている患者と、入院を余儀なくされ病院で管理される日々を生きる人々がいて、そのことで恩恵を受ける病院があるということの告発。すべての病院がそうではないだろうけれど、患者を退院させないようなシステムを作って病床を常にいっぱいにして利潤を得ていた事実はあるそうだ。少しのサポートがあれば社会での生活を営める人がたくさんいるのに、その整備をすすめるよりも、一所に押し込めて管理することが推進されてきた。というのを読みながら、これは現在の社会の縮図のようにも思えた。思っているよりも無意識のうちに管理体制は速やかに整えられ、気付いたときには自由な見かけをしていて、実はそうではない足場であるという事態は今すでに仮説ではない。

夜は夫が新たにリサーチして見つけた餃子屋へ。北野天満宮の傍にある商店街の端、赤いのれん中華料理屋。カウンター4席、テーブル2席の狭い店内には食べ終わったラーメンの器やビール瓶の片付けが間に合わないまま店主がひとりで料理をしている。客は常連がほとんどな様子で、学生らしき青年が炒め物などの持ち帰りの料理を待っていた。待っている間に青年は新聞を読みながら、近くにイズミヤができるんですね、商店街まずいですねというと店主は、もう底の底まで来てるからこれ以上悪くなりようありまへんと笑っていた。餃子はニラとにんにくがしっかり聞いた薄皮だった。こういうあまりにアットホームな店に来ると、ネットで調べて急にあらわれた馴染まない客であることのどことない申し訳なさみたなものがあるけれど、食べ終わった私たちに店主はお腹いっぱいになりましたかと話しかけてくれた。この場所自体の熟成とそれには縁のなかった者がそこで味わう微妙な苦みや甘みは餃子の味より印象に残る。


2014/6/11

2014年06月13日 | Weblog

晴れたり曇ったり時々降ったり

朝から大津で仕事。朝のニュースで梅雨になんとなく体調がすぐれなくなることを梅雨バテと言ってその対策について話している。

休みの夫のお昼用に炊飯器をセットして家を出る。地下鉄からJR。大津駅を出て琵琶湖に向かって下っていく。途中に登山用品の専門店がある。こんな湖のほとりに釣具屋でなく山登りの専門店があるのをいつも不思議に思う。京阪の踏切を越えたところにある公民館。建物自体は年季が入っていてずっしりした雰囲気で、劇場も併設されている。次の公演予告のポスターは「ミュージカル ブッダ」らしい。仕事でいろんな公民館に訪れたけれど、この会館がいちばん好きだ。年季が入っているけれど、床はいつ来ても艶を放っているし、お手洗いも和式だけどにおいもない。丁寧に掃除されていることがわかる。朝に行くとふたりの掃除夫さんがモップ掛けなどをしているのを目にするけれど、やはり仕事が丁寧だった。京都のある公民館なんかは、朝一の仕事で行ってお手洗いに入ると、掃除されているのはわかるけど水を撒いただけではないかという生臭さがある。同じ掃除でも全然違う。美しい仕事の為されていることにいつも静かに感動する。

仕事を終えて家に戻ると13時半だった。とっくに炊けているごはんはそのままで、まだ寝間着の夫が二階から下りて来た。先日も同じようなパターンで私が午前中の仕事を終えて14時過ぎに電話して外で待ち合わそうと言ったらまだ身支度が整っていないのですぐ出られないと言われ愕然とした。朝からこっちが働いていても家の用事ひとつせず、寝ていないとしたらネットでも見ていたのだろうと思うと腹が立つ。

腹立って半日過ごすのは嫌なので、買って来た梅シロップの為の梅の処理をし、砂糖と梅を交互に瓶に詰めていく。掃除機をかけ、洗濯物を入れて、ドライマークの衣類を洗って干す。疲れたので小一時間横になり、夕飯の支度をする。流行っているらしいレモンの塩漬けを余ったレモンで少し作っておいたので使ってみることにする。皮ごとくし切りにしたレモンは熟成して全体的にとろんとしたふうになっている。鶏を焼いて、玉ねぎとマッシュルームを炒め、そこに小麦粉、粉気がなくなったら牛乳を少しずつ加える。ゆるいホワイトソース状になったら刻んだレモンを入れて塩こしょうで味を整える。塩レモンクリームパスタ。それを食べる頃には腹立たしさを内蔵の底に沈めた。このパスタはとてもおいしかった。夫皿を洗う。