自在コラム

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☆マエストロ岩城の死を悼む

2006年06月13日 | ⇒トピック往来

 日本を代表する指揮者の一人、岩城宏之(いわき・ひろゆき)さんが13日午前0時20分、心不全のため東京の聖路加病院で死去した。73歳。夫人はピアニストの木村かをりさん。

  1932(昭和7)年、東京生まれ。東京芸術大学音楽学部に進学。在学中から指揮者を志し、56年にNHK交響楽団を指揮してデビュー。ベルリン・フィル、ウィーン・フィルなど、世界的なオーケストラの指揮台に迎えられた。正指揮者を務めたNHK交響楽団をはじめ、札幌交響楽団、音楽監督として設立に尽力したオーケストラ・アンサンブル金沢など、多くのオーケストラを率いた。

  近年の顕著な活動としては、2004年12月31日午後3時30分から翌2005年1月1日午前1時にかけて、東京文化会館でベートーベェンの全交響曲を一人で指揮したのが知られている。この企画は、05年12月31日にも東京芸術劇場で行われた。

  「初演魔」として知られ、特にオーケストラ・アンサンブル金沢ではコンポーザー・イン・レジデンス(座付き作曲家)制を敷き、委嘱曲を世界初演することに意欲を燃やした。

  指揮者の職業病ともいうべき頸椎後縦靭帯骨化症を皮切りに、2001年喉頭腫瘍、05年には肺がんと立て続けに病魔に襲われたものの、その度に復活し力強い指揮姿を披露した。手術は実に25回、「手術が元気の素と」とも本人が言っていた。ことし5月末に体調を崩して東京の病院に入院していた。

  岩城さんの生前のご厚情に感謝し、ご冥福を祈ります。

※上が岩城さんのステージ写真(01年3月)。下が06年1月1日にベートーベンの交響曲1番から9番までの演奏を終えて歓談する岩城さん=東京芸術劇場で

<「自在コラム」で紹介した岩城さんの人となり、業績などは以下の通り>
05年5月14日・・・岩城流ネオ・ジャパネスク
05年6月10日・・・マエストロ岩城の視線
05年6月12日・・・続・マエストロ岩城の視線
05年10月5日・・・「岩、動く」「もはや運命」
05年12月20日・・・岩城宏之氏の運命の輪
05年12月21日・・・続・岩城宏之氏の運命の輪
05年12月22日・・・続々・岩城宏之氏の運命の輪
06年1月1日・・・「拍手の嵐」鳴り止まず
06年1月2日・・・続・「拍手の嵐」鳴り止まず
06年2月6日・・・ちょっと気になった言葉3題

 

 

 

 

 


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