自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆世界農業遺産の潮流=3=

2012年08月31日 | ⇒トピック往来

 世界農業遺産(GIAHS)の名称は「世界遺産」と混同されやすい。世界遺産は1972年にUNESCO総会で、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)が採択され、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」をもつ遺跡、景観、自然などをテーマに、文化遺産(日本では法隆寺、姫路城、古都京都、白川郷、原爆ドームなど)と自然遺産(屋久島、白神山地、知床など)がある。世界農業遺産は、国連食糧農業機関(FAO)が2002年に制定したもので、「Globally Important Agricultural Heritage Systems」。頭文字を取って「GIAHS(ジアス)」と呼ぶ。これを日本語に訳すると、「世界重要農業遺産システム」となるが、これでは理解しづらく国民に浸透しないと、2011年6月に能登と佐渡が認定を受けた折、認定に向けて働きかけをしてきた武内和彦国連大学副学長(東京大学サステイナビリティ学連携研究機構長・教授)らが一計を案じて、一般の略称である「世界農業遺産」をひねり出した。従って、世界農業遺産と呼ぶのは日本だけで、中国では「世界農業文化遺産」などと呼んだりしている。

              レジリエンスを特徴にする日本のGIAHS

 今回のワークショップの日本側の発表で一つのキーワードとなったのが「レジリエンス(resilience)」だった。レジリエンスは、環境の変動に対して、一時的に機能を失うものの、柔軟に回復できる能力を指す言葉。生物の生態学でよく使われる。持続可能な社会を創り上げるためには大切な概念だ。2011年3月11日の東日本大震災を機に見直されるようになった。「壊れないシステム」を創り上げることは大切なのだが、「想定外」のインパクトによって、「壊れたときにどう回復させるか」についての議論をしなけらばならない。よく考えてみれば、日本は「地震、雷、火事…」の言葉があるように、歴史的に見ても、まさに災害列島である。しかし、日本人は大地震のたびにその地域から逃げたか。東京や京都には記録に残る大震災があったが、しなやかに、したたかに地域社会を回復させてきた。ある意味で日本そのものがレジリエンス社会のモデルなのだ。

 レジリエンスと日本の世界農業遺産のかかわりついて述べたのは、国連大学サステイナビリティと平和研究所シニア・プログラム・コーディネーターの永田明氏だった。FAOによるGIAHSの認定基準は農業生産、生物多様性、伝統的知識、技術の継承、文化、景観が対象となる。さらに、日本の特徴として加味するのは3つある。1つ目は「レジリエンス」(自然災害、気象・気候、病虫害、市場価格、消費者ニーズへの対応)、2つ目は「地域の主体性」(農林漁業の従事者、企業、行政、NPO、ボランティア、都市住民の連携可能性、コミュニティ、高齢者の参画など)、3つ目はトータルな6次産業化(観光との有機的な連携の可能性、農山漁村の歴史・文化の活用、農林水産物のストーリー性の創出など)。加味する意味合いは、日本は先進国で初めて認定されたがゆえに、その特徴を出そうという意味合いでGIAHSの付加価値を高めることに意義がある。

 世界に誇ってよい日本の農山漁村文化があまたある。生物多様性や社会の復元力(レジリエンス)、そのような価値を世界に広める場がGIAHSだと実感した。

⇒31日(金)朝・浙江省青田県の朝 はれ


 

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★世界農業遺産の潮流=2=

2012年08月30日 | ⇒トピック往来

 世界農業遺産(GIAHS)の国際ワークショップが開催されている紹興市は中国・浙工省の江南水郷を代表する都市とされる。市内には川や運河が流れ、 その水路には大小の船が行き交っている。歴史を感じさせる建造物や石橋などと共に見える風景は「東洋のベニス」だろうか。人口60万人の水の都だ。

     「国策」としてGIAHSを推進する中国の思惑

 紹興と言えば「紹興酒」、中国を代表する酒だ。ワークショップが開催され、われわれの宿泊場所ともなっている「咸亨酒店(Xianheng Hotel)」は、「酒店」の名の通り、紹興酒の造り酒屋がルーツ。『阿Q正伝』を表した文豪、魯迅の叔父が1894年に開業した酒屋として中国では知られる。その咸亨酒店が出しているのが紹興酒「太雕酒(たいちょうしゅ)」。8年間貯蔵し熟成された上質の紹興酒は琥珀色、さらに熟成18年ものとなると赤黒くふくよかな味わいなのだ。これが浙江料理と呼ばれるラインナップに合う。とくに豆腐料理。浙江の豆腐は独特のにおいがする。「豆腐」の意味がなとなく理解できる。このにおいはすぐ慣れる。

 前回のブログで中国にいることを知った友人からメールが届いた。「こんなややこしい時期に中国に行って大丈夫か」との助言である。28日と29日の両日の街の様子など見た限りでは、テレビのニュースにあるような政治的なスローガンを掲げた喧騒は見当たらない。また、現地の浙江日報(28日付)を広げても、日本関係の記事は国際面に「日否決東京都登島申請」などと通常の記事扱いである。宿泊しているホテルの1階に「日本料理」の店もあるが、客は入っている。

 話を世界農業遺産のワークショップに戻す。国連の食料農業機関(FAO)はGIAHSサイトを100から150ヵ所で認定したいと述べている。このGIAHS認定で一番熱心なのは中国だろう。すでに世界で12件が認定されているが、このうち中国は4件。「Rice-Fish Agriculture(水田養魚農業)」(浙江省青田県)、「Hani Rice Terraces System(ハニ族の棚田群のシステム)」(雲南省ハニ族イ族自治州など)、「Wannian traditional rice culture system(万年の伝統的な稲作文化の仕組み)」(江西省万年県)、「Dong’s Rice Fish Duck System(トン族の稲作・養魚・養鴨システム)」(貴州省従エ県)である。これに、昨日の中国側の発表によると、来月(9月)に雲南省の「プーアル茶」の産地と内モンゴルの「乾燥地農業」が認定され、2件加わる。さらに、浙江省のカヤの林「会稽山の古香榧林」を準備中だ。広大で農業の歴史がある中国は有利だ。ここれほどまでになぜ中国はGIAHSに積極的なのだろうか。

 中国側の参加者のスピーチだ。「山に住んでいると、その山の景観や価値というものは分からない。下りて振り返って眺める、他の山から自分の山を眺めて初めて自分の山の価値が分かるものだ」と。GIAHS認定では、日本の場合(佐渡と能登)は地域の自治体が名乗りを上げて、申請書きを行う。中国は政府が主導している。農業振興という面もあるが、ハニ族やイ族、トン族といった少数民族への配慮もあるだろう。少数民族が守ってきた伝統の農業に国際評価をつける、その「山の価値」を見直してもらい、プライドを持たせるという明確な意図があるように思える。日本の地域活性化というレベルを超えた「国策」という勢いを感じたのは自分だけだろうか。 ※写真は、水郷の都・紹興をイメージした咸亨酒店の中庭

⇒30日(木)朝・中国の紹興市の天気  はれ 

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☆世界農業遺産の潮流=1=

2012年08月29日 | ⇒トピック往来

 中国・雲南省のプーアル茶は世界に愛飲家がいる。加熱によって酸化発酵を止めた緑茶をコウジカビで発酵させる熟茶と、経年により熟成させた生茶があり、高いミネラル濃度によって飲むと血圧が下がり、血液循環が良くなると日本でもファンが多い。そのプーアル茶の産地が新たに世界農業遺産(GIAHS)に認定され、来月(9月)にFAOから認定を受けることになったようだ。

                       GIAHSを活用する日本と中国の期待

 きょう29日から中国・浙江省紹興市で開催されている「世界農業遺産の保全と管理に関する国際ワークショップ」(主催:中国政府農業部、国連食糧農業機関、中国科学院)の席上で中国側から披露された。昨年6月、国連食糧農業遺産(FAO、本部ローマ)が制定する世界農業遺産に「能登の里山里海」と佐渡市の「トキと共生する佐渡の里山」が認定された。この国際的な評価をどう維持、発展させたらよいか、ワークショップでは中国と日本のGIAHS関係者120人が集まり、GIAHSに認定されたサイト(地域)の現状や環境保全、将来に向けての運営管理など意見交換するものだ。日本から農林水産省、東京大学、国連大学、石川県、佐渡市の関係者17人が参加した。石川県から泉谷満寿裕・能登地域GIAHS推進協議会会長(珠洲市長)、金沢大学の中村浩二教授、渡辺泰輔・石川県環境部里山創成室長らが出席している。

 ワークショップで泉谷会長は「能登は過疎・高齢化による耕作放棄地や後継者不足などに問題を抱えているが、世界農業遺産の認定によって、環境に配慮した農業やグリーンツーリズムへの関心が高まっている」と現状を説明。また、来年5月ごろに、石川県でFAO主催のGIAHS国際フォーラムが開催されることを報告した。中村教授は「能登の里山里海を未来につなぐため人材養成を行っている」と大学の取り組みを説明した。

 佐渡市の山本雅明生物多様性推進室長はこう佐渡の取り組みを紹介した。かつて、佐渡の水田は経済性や効率性を優先した土地改良が進み、大規模化、低コスト化が進む中、ため池がダムに変わり、土の水路がコンクリートへと変化し、カエルやドジョウなどトキの餌となる生きものたちの多様性が失われつつあった。また、かつてはトキを育んだ小規模な水田は効率性や農家の高齢化等を理由として、耕作放棄となり、トキの野生復帰とその餌場となりうる水田の保全にも危機が訪れていた。水田を餌場として活用する新たな農業への挑戦は、「朱鷺と暮らす郷づくり認証制度」から始まった。これは水田を餌場とするトキを守るため、生きものを育む農法を農業技術として同市が認証するシステム。水田に江(え)という「深み」を設置したり、冬期湛水、魚道の設置などの実施は、水田に棲むドジョウやカエルなどの小さな生きものの命を守り、生態系の再生を促し、トキの生息環境の向上につながると考えた。そして、農薬・化学肥料を大幅に削減することを加え、佐渡から新しい生物多様性保全型農業を創出した。

 中国では、積極的にGIAHSサイト(地域)を増やそうとしている。少数民族や農家に誇りを持たせ、生産の意欲や新たなツーリズムを開発しようというのだ。農村から大都市へ出稼ぎが相次ぎ、農村が空洞化する懸念があるからだ。双方が知恵を出し合い、手のかかる、高品質の農産物をつくり、世界のあすの農業を切り拓く。日本と中国のそんな思惑が交差する会議の印象だった。

⇒29日(水)夕・中国の紹興市の天気  はれ
 

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★五輪の後味

2012年08月13日 | ⇒メディア時評
 第30回の夏季オリンピック・ロンドン大会は日本時間の13日早朝からオリンピック・スタジアムで閉会式が行われている。「007」の映画のパラシュート降下の映像、「Mr.ビーン」のパロディーの映像で注目された開会式は、映像を使い安上がりだったが、簡素さを感じさせない、華やかな演出だった。運営では競技プールの水を水洗トイレに使うという「もったいない」の精神が貫徹されていた。見事だったのは、ホスト国として競技会場や選手村の運営、そしてテロ対策に気を配り、金メダルを29個も獲得し、堂々の世界3位(アメリカ、中国に続く)である。大会を通じてイギリスの底チカラをというものを感じた。経済危機で混乱するEUにあって今大会でイギリスの存在感を高めたのではないだろうか。

 ロンドンでのオリンピックは1908年、48年に続き同一都市で3度目だった。東京も2度目の2020年大会誘致向けて余念がないが、ハプニングも。IOC国際オリンピック委員会は、IOCの選手委員に立候補していた陸上男子ハンマー投げの室伏広治が、選挙活動規定に違反したとして、候補者から取り消したと発表した(11日)。室伏は立候補した21人中、選手間による投票数は1位、つまりほぼ当確だった。その違反とは、選手村のダイニングホールで選挙活動をしたとのこと。当選すれば、IOC委員もかねるため、東京五輪招致に向けての活動が期待されていただけに、JOC日本オリンピック委員会の落胆ぶりが目に浮かぶ。うがった見方をすれば、ダイニングホールでの名刺交換を「選挙活動だ」とIOCに指したライバルがいるということだ。後味が悪い。

 後味の悪さをもう一つ。日本と韓国戦となったサッカー男子3位決定戦の試合後に、勝った韓国の選手が竹島の領有権を主張する紙を掲げたとして、IOCが調査に入った。韓国の朴鍾佑選手が「独島は我々の領土」と韓国語で書かれた紙を頭上に掲げている写真を韓国メディアの掲載し発覚した。写真があるのだからこれは事実だ。オリンピック憲章は、施設や試合会場での政治的メッセージを含む宣伝活動を一切禁じている。この紙は、会場に応援に来た韓国サポーターが掲げていたものを試合終了後に朴選手が受け取ってスタジアムを走り回ったというから連携プレー、つまりどさくさ紛れの計画的な政治活動ということになる。

 日本領として残されることを決定したサンフランシスコ講和条約発効直前の1952年(昭和27年)1月18日、韓国の李承晩大統領が領土ラインを一方的に設定して竹島を占領した経緯がある。この騒動の発端となった、韓国の李明博大統領による竹島上陸問題。日本政府が領有権問題解決のため国際司法裁判所(ICJ)への提訴を検討すると表明したことに、韓国の与党・セヌリ党の洪日杓報道官が日本を「盗っ人たけだけしい」などと批判したとニュースになった。この言葉をそのままお返した方がよさそうだ。

 12日最終日にレスリング男子フリースタイル66㌔級で米満達弘選手が、前日にはボクシング男子ミドル級で村田諒大選手がそれぞれ金メダルを獲得して、日本選手団の金は7個となった。目標とした金15個以上には届かなかった。メダル総数は2004年アテネ大会を上回る史上最多の38個に達した。ここで前回のブログで書いた「金1個の放送権料」を修正する必要が出てきた。IOC国際オリンピック委員会に支払ったテレビ放映権料は日本コンソーシアム(NHKと民放)が3億5480万㌦(※バンクーバー冬季大会含む一括)、アメリカ(NBCテレビ1社)20億㌦(同)である。日本は金7個なので1個当たり約5000万㌦、アメリカは金46個なので1個当たり4300万㌦となる。「有終の金」2個、なんとか日本五輪に花を添えた。

⇒13日(月)朝・金沢の天気   あめ
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☆金1個の放映権料

2012年08月11日 | ⇒メディア時評

 ロンドンオリンピックで日本のサッカーが男女ともベスト4入りしたとき、「もしやダブル金か」などと期待が盛り上がったものだ。しかし、男子サッカーが準決勝でメキシコに敗れ、さらに3位決定戦でも韓国に負けを喫した。そして、「金が目標」の女子は国民からの期待を背負ってのオリンピック決勝戦。アメリカとの戦いは、大人のゲームを見たという思いだった。結果は残念だったが、深夜のウエンブリー・スタジアムの鮮やかな緑で演じたアスリートたちの堂々した姿には感動した。

 ところで、11日現在の日本の今大会でのメダルの獲得数は36個となり、これまで過去最多だった2004年のアテネ大会と並んだという。確かにメダル数は多いのかもしれないが、金は5個だ。人口が日本の半分以下の4800万人の韓国は金12である。日本より人口が少ないドイツ、フランスでも2ケタの金メダルを獲得している。アテネ大会では日本の金は16個、2008年の北京大会でも9個だった。1992年のバルセロナ大会と1996年のアトランタ大会の金3個に比べればましかもしれないが。それしても夜中、テレビを見て応援する割には今大会の金が獲得数が少ない。応援の労が報われていない感じがするのは私だけだろうか。

 ここで思い出す。2009年11月、民主党政権下に内閣府が設置した事業仕分け(行政刷新会議)で蓮舫議員が、次世代スーパーコンピューター開発の要求予算の妥当性について説明を求めた発言。「(コンピューターが)世界一になる理由は何があるんでしょうか。2位じゃダメなんでしょうか」だ。この発言に、科学者の利根川進氏は「1位を目指さなければ2位、3位にもなれない」と批判意見が相次いだものだ。これまで科学者やスポーツ選手では当たり前と思われてきた世界一(金メダル、ノーベル賞)への道だが、政治家にはこの目標がない、正確に言えば「政治の世界ナンバー1」という尺度がないのだ。その政治家が「世界一になる理由は何があるんでしょうか」などと言う資格は本来ないだろう。ひょっとして政治家の多くは「オリンピックは参加することに意義がある」と今でも思っているかもしれない。

 それにしても高くついた。金メダルを見るテレビ映像料がである。IOC国際オリンピック委員会に支払ったテレビ放映権料は日本コンソーシアム(NHKと民放)が3億5480万㌦(※バンクーバー冬季大会も含む一括金額)、アメリカ(NBCテレビ1社)20億㌦(同)である。これを国民一人当たりにすると日本が2.9㌦、アメリカ6.6㌦となる。しかし、金メダル1個当たりで計算すると、5個の日本は1個当たり7000万㌦、金41個のアメリカは1個当たり4800万㌦となる。日本は金メダル1個獲得のシーンをテレビで視聴するのにアメリカより多く払ったことになる…。2016年はリオデジャネイロ大会となるが、果たして日本コンソーシアムはこれだけの高額放映権料を次回も払えることができるだろうか。

⇒11日(土)夜・金沢の天気  はれ
 

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★「無料のランチ」

2012年08月07日 | ⇒ランダム書評
 経済理論の講義などでよく使われる「無料のランチなどない」の格言は、今に生きる日本、欧米諸国にとって身に染みる言葉になった。産業革命が始まって150年間、化石燃料をエネルギーとして使い続け、それによって産み出されるサービスや商品に満たされる消費文明を謳歌してきた。しかし、われわれが何か便益を得れば、そのコストは必ず誰かが負担することになる。タダの飯はない。どこかでツケ(勘定書)が回ってくる。しかし、アメリカは地球温暖化ガス排出権に絡む京都議定書に参加しなかったように、これまで極力、その負担を避けようとしてきた歴史がある。『世界を騙しつづける科学者たち』(楽工社、ナオミ・オレスケスほか著)は、酸性雨、二次喫煙、オゾンホール、地球温暖化などの環境問題を事例に、これら環境保護論に関する科学者たちの研究に、「地球を束縛するものだ」と毛嫌いする一部の科学者たちがそのつど疑問を投げかけ政府の対応を遅らせてきた「科学史」を分かりやすく紹介している。アメリカ政府が国連の生物多様性条約を批准していないこともその延長線上にあるのではないかと思えてきた。

 原題(『Merchants of Doubt』)の直訳は「疑念の商人たち」。信頼に値する全米科学アカデミー総裁を務めた人やアメリカ合衆国政府の科学顧問らの実名を挙げて、環境保護に関する研究をことごとく批判してきた経緯を列挙している。それらの肩書を持つ科学者の語りや論評、書評、著作だったら、取材するジャーナリスト、あるいは彼らが書く『ウオールストリート・ジャーナル』『ニューヨーク・タイムズ』での掲載記事は読者は信頼するだろう。ところが、肩書きを持った科学者たちの論は一見して健全な科学批判に見えるが、タバコ産業などの企業と組んで環境保護に関する研究に疑念を売り込み、政府の対応を遅らせてきた。だから「疑念の商人たち」なのである。

 アメリカらしいのは、「疑念の商人たち」の多くはソ連との冷戦時代にSDI(アメリカの戦略防衛構想、別名「スター・ウォーズ計画」)を推し進めた物理学者たちだった。冷戦崩壊後は、資本主義の「総本山」アメリカを揺るがすと彼らが警戒する新たな敵が、環境保護論を研究ベースで進める研究者たちだった。「疑念の商人たち」は環境保護論の研究者を「スイカ」と称する。外側はグリーンだが、内側はレッドだ、と。環境保護の政策化は市場規制であり、さらにその先にあるのは共産主義的なイデオロギーだ、というのだ。

 この本を読んで驚いたことに、『沈黙の春』の作者レイチェル・カーソンがいま「レイチェルは間違っていた」「殺虫剤DDTの禁止はヒトラー以上に多くの人を殺した」とネットで攻撃されたいるということだ。著書が発刊され、3代の大統領がこの問題を慎重に審議し、10年後の1972年にニクソン大統領がDDT使用を禁止したにもかかわらず、である。その論拠は、何百万人ものアフリカ人がその後、マラリアで死んだというのだ。そのネットの発信元がくだんの「疑念の商人たち」関連の研究所だ。著者たちは丁寧に反論している。たとえば、世界保健機関(WTO)はマラリアの流行している国々で引き続き使うことや、アメリカ国内でも公衆衛生上の非常事態の場合は販売することができる、などDDTの使用は一切禁止という措置ではないのである。

 いくら肩書きがよくても「疑念の商人たち」の矛盾もある。共通するのは、批判している科学者たちの専門は、批判する分野ではなく、その道の「専門家」ではない。専門外からの批判は大切だが、現代科学は分野外の科学者が論評や意見をできるほど単純ではない。科学はピアレビューという科学者間の厳しい審査の積み重ねを得て担保される。かつての「SDI冷戦の戦士」である物理学者たちが、その肩書きによって医学や気候変動について科学的に批判できるかは疑わしい、と本著の結論で述べている。著者は「権威への妄信は真実の敵」という言葉を引用し、読者に訴えるとともに、批判にさらされた科学者たちの「冷笑主義も真実の敵だ」と述べている。アメリカの科学と政治の現実が見える。

 冒頭で述べたように、アメリカが国連生物多様性条約を批准していない。アメリカの製薬企業は遺伝子利用で最も利益を上げており、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10、名古屋市)ではオブザーバーとした参加しただけだった。途上国にある動植物の資源なしには新製品を開発できない。だから保護しなけらばならないのだが、条約に易々と加盟するば、国際規制で市場の自由主義が失われ、アメリカの利益も失われる、そう考えているのだろう。アメリカはいつまで「無料のランチ」をむさぼろうとしているのだろうか。いつの日かツケは払わされるものだ。

⇒7日(火)夜・金沢の天気  はれ
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