自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆ガレリオの墓

2009年01月23日 | ⇒トピック往来
 ことしは「天文学の父」ガレリオ・ガリレエ(1564~1642)の当たり年なのだろう。先月(12月)の新聞でローマ法王ベネディクト16世がガレリオの地動説を公式に認めたとの記事が掲載されていた。今度はガレリオが失明した原因を解明するため、埋葬地を掘り起こして遺体をDNA鑑定することになったと報じられた(23日付・朝日新聞シンターネット版)。ことしはガリレオが望遠鏡で天体観測を始めて400年にあたることから、調査が決まったという。以下、記事の要約。

 イタリアの有力紙「コリエレ・デラ・セラ」を引用した記事は、フィレンツェの光学研究所を中心に英ケンブリッジ大学の眼科の権威やDNAの研究者らが調査に参加する。フィレンツェのサンタ・クローチェ教会に埋葬されている遺体の組織の一部からDNAを採取するという。ガリレオは若い頃から遺伝性とみられる眼病に悩まされ、晩年に失明。地動説を唱えたことでローマ法王庁の宗教裁判で有罪となり、軟禁生活を送った。死後95年たってサンタ・クローチェ教会に埋葬されてた。

 一方で困惑の声も上がっているという。ガリレオ研究の第一人者でフィレンツェ天文台のフランコ・パッチーニ教授は朝日新聞の取材に「なぜ博物館にある指を鑑定せず遺体を掘り起こしてまで調べるのか。彼も不愉快だろう。そっとしておくべきだ」と語った。

 ガレリオの墓は06年1月に訪れた。サンタ・クローチェ教会にはガレリオのほか彫刻家のミケランジェロ、政治理論家のマキアヴェッリなど世界史に燦(さん)然と名を残す偉人たちの墓がある。このサンタ・クローチェ教会大礼拝堂の正面壁画「聖十字架物語」の修復作業が金沢大学と国立フィレンツェ修復研究所、そして同教会の日伊共同プロジェクトとして進行している。金沢大学が国際貢献の一つとして位置づけるこのプロジェクトの進み具合を視察・報告するため、同教会を訪れた。

 修復現場はどうなっているのかというと、鉄パイプで組まれた足場は高さ26㍍、ざっと9階建てのビル並みの高さである。平面状に組んだ足場ではなく、立方体に組んであり、打ち合わせ用のオフィス空間や照明設備や電気配線、上下水道もある。下水施設は洗浄のため薬品を含んだ水を貯水場に保存するためだ。それに人と機材を運搬するエレベーターもある。つまり「何百年に一度の工事中」なのである。ガレリオの墓は教会大礼拝堂にある。墓を解体して、遺体を掘り起こすというのはおそらく相当の作業だろうが、教会とすると、修復作業の工事中であり、ガレリオの墓の掘り起こしもタイミング的には観光的なダメージはないと読んだのだろうか。記事を読みながら、そんなことをふと思った。

※写真は、サンタ・クローチェ教会大礼拝堂にあるガレリオ・ガリレエの墓

⇒23日(金)夜・金沢の天気  はれ
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★雪原の遠い記憶

2009年01月18日 | ⇒ドキュメント回廊
  雪原を見ると妙にファイトが湧いてくる。狩りがしたくなるのである。小中学生のころだ。野ウサギを狩るため、針金で仕掛けをつくった。ダイナミックだったのは、雪原を駆ける野ウサギの頭上をめがけて60センチほどの棒を投げ、野ウサギが雪に頭を埋めるのを獲った。棒が回転しながら頭上をかすめると、ビュンビュンという風を切る音を野ウサギは猛禽類(タカなど)と勘違いして、雪の中に身を隠そうとする習性を狩りに生かしたものだ。その耳を切って2枚持っていくと、森林組合の窓口では50円で買ってくれたと記憶している。

 人類学者の埴原和郎氏(故人)のことを記す。東京の学生時代に埴原氏の研究室を訪ねると、いきなり「君は北陸の出身だね」と言われ、ドキリとした。その理由を尋ねると、「君の胴長短足は、体の重心が下に位置し雪上を歩くのに都合がよい。目が細いのはブリザード(地吹雪)から目を守っているのだ。耳が寝ているのもそのため。ちょっと長めの鼻は冷たい外気を暖め、内臓を守っている。君のルーツは典型的な北方系だね。北陸に多いタイプだよ」。ちょっと衝撃的な指摘だったものの、目からウロコが落ちる思いだった。もう30年余りも前の話だ。

 埴原氏は、古人骨の研究に基づいた日本人の起源論が専門。とくに、弥生人は縄文人が進化したものではなく、南方系の縄文人がいた日本列島に北方系の弥生人が渡来、混血したことによって、日本人が成立したとする「二重構造モデル」を打ち立てたことで知られている。

 雪原におけるファイティング。これはひょっとしてDNAが騒ぎ出すのか。ながらくシベリア大陸をさまよって、かつてはマンモスを駆っていた北方系の血か。冬は動物の動きが鈍くなる。最高の猟場が雪原なのである。雪原を見ると血が騒ぎ出す。これは遠い記憶か。

⇒18日(日)午後・金沢の天気   くもり
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☆過疎地がホープ・ランドに

2009年01月12日 | ⇒トピック往来
 「過疎の村を応援するミュージカルがある。地球温暖化や生物多様性もその内容」と聞いて、ミュージカルとしては骨っぽいと興味がわいて、先日(1月10日)、金沢市文化ホールに観劇に行ってきた。ざっと500人の入り。環境という地味なテーマの割には多いと思ったら、環境保全に取り組んでいる大手住宅メーカーがしっかりとスポンサーについていた。

 なかなかの深みのあるストーリーだった。公演は、劇団ふるさときゃらばん(東京都小金井市)による「ホープ・ランド(希望の大地)」=チラシ・写真=。地球温暖化で、海に沈んでしまった赤道直下の島・モルバルの人々が手づくりの船に乗ってニッポンにやってくる。酋長がニッポンの友人、実業家オカモトから、過疎というニッポン特有の病気で、見捨てられ、荒れはてた山里があると聞いたからだ。過疎という病はニッポン人しから罹らず、モルバル人には感染しないから大丈夫と、夢と希望を持ってやってくる。南国の底抜けに明るい人たちだ。

 ニッポンの山里ムジナモリに無事着いたモルバル人たち12人は荒れ果てた限界集落の様子にカルチャーショックを受けながらも、島での経験から緑を育む大地と水と太陽の光があれば人間は生きていけると信じている。一方、過疎の病に罹ったニッポン人たちは、山里では仕事(工場やオフィス)がないのでお金が稼げず生きていけないないと思い込んでいる。ムジナモリの村の長(おさ)トンザブロウ夫妻の指導でモルバル人たちは荒れた棚田や畑を耕してコメや大豆をつくり、山の下刈りをして山菜やキノコが出る豊かな里山をつくり上げていく。順風満帆のシーンだけではない。イノシシに棚田が荒らされ、深刻な状態に陥って、「イノシシとの戦争」を始める。さらに毒キノコにあたって踏んだり蹴ったりの場面も。この毒キノコのシーンでは、山仕事が大好きだが、モルバル人に先祖伝来の田畑を耕させることを良しとしない、頑固者のガンちゃんの悪巧みが明かされる。

 そんな緊張した物語がありながらも、実業家オカモトがイノシシの肉を販売するショップを提案したり、水車を利用した発電でテレビが見れるようになったり。そしてトンザブロウの息子シュンスケがモルバルの娘と恋仲になって、過疎の村ムジナモリは少しずつホープ・ランドになっていく。

 ミュージカルとはいえ、生物多様性に対する考えがしっかり入っている。オカモトの秘書マリコは都会育ちで、木の下刈りの場面では「緑は切らずにそのままにしておいた方がよいのでは」と釈然としない。それに役場の職員(合併して市職員)のコウジまでもが同調したので、トンザブロウはコウジの頭をコツンを叩いて、「おめえまで何いっている」としかるシーンがある。山は「弱肉強食の世界」で、放っておけば荒れて光が入らなくなり植物の多様性が失われる。イノシシやカモシカ、クマが里に降りてくるのもヤブと化した里山を動物の領域と勘違いして出没するのだ。うっそうとした山は若返りがきかないので二酸化炭素の吸収力も弱い。「豊かな山は人がつくっている」とトンザブロウは諭す。

 さらに、なぜイノシシが棚田を荒らすのか、という疑問に答えている。イノシシの好物はミミズ。そして、イノシシが泥地で転げ回って体に泥を塗る場所を「ぬた場」という。泥まみれになった後は近くの木で体を擦り、毛並みを磨く。つまり水田はイノシシにとってお風呂になのだ。ミュージカルとして盛り上がってくるのは「イノシシとの戦争」のシーンからだ。

 個人的には満足度は高かった。「地球温暖化を大人と子供と一緒に考える」とチラシにあり、親子連れの姿も多くあった。しかし、私の横に座った小学生たちには恐らく言葉もシーンも断片的にしか理解ができなかったのか、所在なげで落ち着かなかった。また、モルバル風にアレンジした日本語のしゃべりがお年寄りには聞き辛かったかも知れない。熱心に鑑賞していたのはお母さんたちだった。

⇒12日(祝)午前・金沢の天気   ゆき
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★金蔵というところ

2009年01月07日 | ⇒トピック往来
 能登半島にある輪島市の金蔵(かなくら)という在所は不思議なところだ。緩やかな傾斜の棚田と5つの寺がある。人口は160人ほど。時がゆったり流れているようなそんな空間なのだ。ただ、日本人のDNAを呼び覚ますかのような強烈な原風景が目に飛び込んでくる。「そこにたたずむと涙で目が潤む」と金蔵を初めて訪れた知人が言った。その金蔵が「にほんの里100選」(朝日新聞社、森林文化協会主催)にこのほど選ばれた。推薦した身としては、「選ばれた」ということが素直にうれしかった。

 朝日新聞のホームページで自薦・他薦の募集があったのは07年12月のこと。大学でかかわっている「角間の里山自然学校」の名前で申請した。推薦文は以下のような短文だった。

「能登半島の山間地。棚田が広がり、160人余りが住む。集落に寺が5つあり、寺と棚田の風景は日本の里山の原風景のよう。8月に万灯会が催され、2万本のロウソクがともされる。人々は律儀に田を耕し、溜め池を守っている。その溜め池にはオシドリがやってくる。夜の星座が近くに見える。そして、人々は道で出会えば、見知らぬ人にも軽く会釈をする。「能登はやさしや土までも」と言われるが、金蔵の人々にはそんなやさしさが感じられる。古きよき日本の風景と人が残る里である。」(推薦文・07年12月29日)

 選定の記事が掲載された6日付の紙面を読むと、全体で4474件の応募があったようだ。候補地としてはおおよそ2000地点。書類審査、現地調査を経て100に絞り込まれた。その選定の基準となったのが「景観」「生物多様性」「人の営み」の3点。冒頭のようなノスタルジックな原風景だけではなく、生物多様性という環境的な視点や、人の営みという持続可能な社会性が必要とされた。金蔵の場合、地元のNPOが中心となって、はざ干しによるブランド米の取り組みやお寺でのカフェの営業、ワンカップ酒の小ビンを2万個も集めた万灯会の催しなど棚田と寺を活用した地域づくりに熱心だ。金蔵の人たちと話していると、人間関係が砂のように希薄となった1万人の町よりも、金蔵の160人の方が生き生きして勢いがあるのではないかと思ったりもする。万灯会ともなると百人近い学生たちがボランティアにやってくる。

 この土地には歴史の語り部、世話好きがいて、そしてよそ者や若者が集まる。金蔵はそんなところである。

⇒7日(水)午後・金沢の天気  くもり
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☆時代の先端に立て

2009年01月02日 | ⇒メディア時評

 元旦に届いた年賀状。パソコンで加工できるようになり、さまざまに工夫が凝らされカラフルに、そしてメッセージ性にあふれたものが多くなったように感じる。動物写真家F氏からもらったものは、寝そべったニホンカモシカがじっとこちらを睨んでいる凄みのある画像が印刷されていた。国際ジャーナリストのK氏からは中国・四川大地震の取材で最も震源地に近い映秀の被災現場をバックに撮影した自身の姿がプリントしたものをもらった。そして、「今年も《この国の行方》と共に、中国、朝鮮半島の《現場》を取材したいと思っています」と抱負が記されてあった。それぞれが体を張って現場に、あるいは最先端に立っているのだ。

  さまざまなジャンルの職業の方々から年賀状が届いた。が、グチがこぼれていた業界もあった。新年のあいさつなので、新年早々から「グチはこぼさない」のが通り相場なのだが、どうやらテレビ業界は「グチをこぼさないとやっていられない」といった感じだ。旧知のあるローカル局の幹部からは「閉塞感漂うTV業界です。ローカルの役割が見直されて欲しい時代です」と、また、別の局の若手からは「厳冬のTV業界で寒さがひとしおです」とそれぞれ添え書きがしてあった。また、これはグチではないが、他の局の若手からは「テレビの世界も激動の時代に入りました。地方局として存在感を持ちたいと思います」と覚悟のほどが伺えた。ため息が漏れるのも、過日の「株価に見るテレビ業界」で述べたように、キー局、準キー局ですら中間決算が赤字となっていて、ローカル局も相当厳しい数字になっているからだろう。

  気持ちは理解できる。むしろ、閉塞感、厳冬、激動の時代だからこそテレビ業界は時代の先端に立ってほしいと思うのである。たとえば環境問題。テレビ局は「装置産業」といわれるほど編集、CM送出、送信などのために巨大な装置(システム)を構築し、電気を使っている。環境のためにカーボン・ニュートラルの発想で、二酸化炭素(カーボン)を相殺(ニュートラル)するための植林活動を率先して行ったらどうだろうか。テレビ局は環境問題に対し「啓発番組」をつくればそれで事足りるという傾向がある。テレビ局の社会的責任(CSR)というのはそれだけに留まらない。番組を放送すると同時に率先垂範しなければ、視聴者は「本気」とみなさないのである。つまり、信用を得ることにはならない。

  デジタル化にしても、放送画面はハイビジョンでクリアにはなったが、ワンセグ放送やデータ放送による視聴者との双方向性はどうなったのだろうか。コンテンツに革新性がなく、視聴者からはすでに飽きられているのではないか。もし、こんなことのために2011年7月24日にデジタル波へ完全移行するとなると、視聴者から「割に合わない」と大ブーイングが起きそうな気がする。デジタル放送が実感できるような放送イノベーションを起こしてほしいと願う。

  もう一つ。地域の放送局は地域のためのメディアであることを前提に国から放送免許をもらっている。ところが、地域に根ざした自社制作番組はどうだろうか。すべての局とはいわないが、各局とも自社制作番組の本数、あるいは自社制作比率が減っているのではないだろうか。そして、この経営状態が厳しい中では、「番組をもっとつくろう」という制作サイドの意欲さえ削がれているのではないか。最先端のメディアであるテレビ局が時代の先端に立たず、「内こもり」になることを危惧する。

  試しに、コストをかけずに番組をつくり、環境保護活動に全社員が参加する。そんなキャンペーンを張ってみたらどうだろうか。まず一点突破で実践してみる。そこから拓かれる知恵もある。

※【写真説明】トキ、ニホンカモシカ、タヌキと今年の年賀状にネイチャー志向が見える。

 ⇒2日(金)午後・金沢の天気   くもり

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★喜べないレギュラー99円

2009年01月01日 | ⇒トピック往来
 大晦日、恒例の我が家の大掃除で私の役目は三つあった。一つは換気扇の掃除。ファンにこびりついた油分との闘いなのだが、パーツをばらして組み立てるのに時間がかかる。ガスレンジを覆うようにして天井から吊り下げるタイプの換気扇でボルトやビスのたぐいがやたらと多い。掃除をする人の身になって製造されていないと毎年、憤慨している。二つめが台所のシンクと排水パイプをつなぐL字状のつなぎ目の掃除。最後に愛車のガソリンを満タンにして終わりだった。今回のブログのテーマは大掃除ではない。ガソリンだ。

 31日の夕方、いつも利用する金沢市内のガソリンスタンドに向かった。電飾看板の「レギュラー99円」の文字が目に飛び込んできた。先の夏ごろまでは1リットル180円もした。幾分安くなったとはいえ、これまで5000円札を入れて、30数リットルしか入らなかった。それが徐々に下げて、先日は1リットル105円で入れた。それがあっさり100円を割ったのである。「現金会員」という条件つきでの「レギュラー99円」ではあるものの、円高を実感した。家計が助かる。

 しかし、ガソリンが安くなって、これで安心だろうか。そうではない。「レギュラー180円」を経験した消費者心理というものはそう簡単に警戒心を解かないものだ。では、消費者心理はどこに向かっているのかというと、燃費のよいハイブリッド車への買い替えにシフトしている。安くなったからといって、いまさら燃費性能のよくない大型車を乗り回す気にはなれない。ただ、燃費のよい大型車には関心は向くだろう。これは何も車だけではない。洗濯機や冷蔵庫など家電製品でもデザインやブランドではなく、たとえば洗濯機ならば水が節約できて、消費電力が少ないものを選ぶようになってきた。

 ガソリンの高騰は家計を直撃しただけではなかった。石油という地球資源がどれほど貴重なものか身にしみて分かったのである。さらに、二酸化炭素と地球温暖化という問題にだれしもが関心を持つようになった。去年7月に金沢を直撃したゲリラ雨(3時間で254㍉、5万人に避難指示)などは、地球温暖化による気候変動を連想させた。ゲリラ雨は金沢だけでなく全国的に猛威を振るっている。「自然からの警告」と受け止められるようになったのではないだろうか。

 ここで話はアメリカに飛ぶ。ピックアップトラックなど燃費性能が劣る大型車を中心に生産してきたビッグスリーは破綻が懸念され、公的支援を受けることになった。が、果たして蘇生できるのだろうか。低所得者に住宅ローンを組ませ、その債権を束にして証券化するといったサブプライムローンの行き詰まりがビッグスリーの経営にも影響を与えたかのようにいわれるが、それ以前から破綻の懸念は指摘されていた。ここ数年のアカデミー賞では、リムジンではなくハイブリッドの日本車でやって来てくるハリウッドスターが増えている。レオナルド・デカプリオはその代表選手だ。すでに、かっこよさの基準がアメリカでは崩れつつあったのだ。

 では、その日本車のシンボル、トヨタはどうか。確かに年の瀬に6000億円の黒字から1500億円の赤字決算の大幅修正があり、世界を驚かせた。トヨタの赤字の理由は「無理なグローバル化」にあったといわれている。世界各地に50近くもの工場を稼動させている。アメリカではピックアップトラックの生産販売もしている。ただ、トヨタの場合は2兆円ものキャッシュによる内部留保があり、ビッグスリーにように「赤字決算=経営危機」という図式にはならない。「売れる車」「つくるべき車」とそうでない車の選別作業と製造ラインの再構築が始まるのだろう。

 「レギュラー99円」。円独歩高の恩恵である。家計は助かるが、素直に喜べない背景を大晦日に考えてみた。さて新年。総選挙、経済不況とすべての案件が年越した。未来をあきらめてはいけない。これから社会の変革が始まる。ピンチはチャンスである。

⇒1日(祝)未明・金沢の天気  くもり
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