Rの会~楽覚生~ 今ここの気づき

ゲシュタルト療法を用いて、自分自身を見つめ、今ここを丁寧に感じていくワークショップのお知らせです。

<なんか変という感覚を大切に>

2015-09-18 | 日記

安全保障関連法案が、国会で、衆議院でも強行採決され、

そして、昨日参院特別委員会でも強行採決されました。

これって、変ですよね。

そして、今日明日中に、参院本会議でも

同じようなことが起こりそうな勢いです。

これも変。おかしい。

 

話し合いというのは、一方的なものではなくて、

お互いの声に耳を傾けるというのが、基本です。

国会というのは、話し合う究極の場と思っていましたが、

私の考え方が間違っているのかしら?

説明が説明になっていなかったり、

質問と答えが噛み合わなかったり、

首相自らが野次を飛ばしたり、

挙げ句の果てには、

混乱の中で、話し合いもなく一方的に多数決を取るなんて、

とっても変だと思います。

 

国会周辺でも、また地方集会でも、一人ひとりの人が声を上げて、

反対しています。

そういった国民の声に、見向きもしない姿勢も変です。

憲法が政治家を律するから、立憲国家なのであって、

政治家が憲法を都合のいいように変更するのは、独裁なのです。

だから今の動きは変なのです。

憲法学者からの違憲という意見が多く出ているのは当然でしょう。

 

もちろん私も、安全保障関連法案には反対です。

人と人との関係でも、国と国との関係でも、

武器が役に立つことはなく、お互いの話し合いが役に立つというのは、

歴史が教えてくれているでしょう。

今、戦前の空気を知っている人たちから、

思い余って発言している言葉をいろいろ聞きます。

その言葉を聞いていると、

戦争というのは、少しずつ準備されていったものであることがわかるし、

一度始めれば、どんどんエスカレートしていくものだということもわかります。

そうならないように、今までにどれだけの努力が払われてきたか。

今それを壊しているように思えます。

なぜ日本が70年前に戦争をしてしまったのか、

その前にどのように準備されていったのか、

今こそ、その過程をもっと知り、そこから学ぶ必要があると思います。

 

今朝の朝日新聞に、料理研究家の辰巳芳子さんの意見が載っていました。

<いのち>の尊さを、食を通して考えているその姿勢に、私は惹かれます。

そして、自分自身の体験を踏まえていろいろ考え、

その考え方の延長線上に、政治も平和についても考えていることが、

わかりやすい言葉になって表現されていて、私の腑に落ちました。

取材を終えた記者の一言に、

「身に降りかかった難題はとことん考え続けるのが身上。

『いまの人は政治家も学者も記者も考え抜くことをしません』」と。

 

私も、<なんか変>という感覚を大切にして、

そこから考え抜いていきたいと思います。

里英子


<記録的豪雨>

2015-09-12 | 日記

今朝5:50頃大きな地震で、目が覚めました。

ガタガタっと大きな縦揺れの後、横揺れがそれほど長い時間ではなく、

棚から物が落ちたり壊れたりということはありませんでした。

地震が収まった時、頭に浮かんだ事は、

震源地が、茨城や栃木または東北の方ではありませんように、

ということでした。

テレビをつけて、震源地が東京湾、規模もそれほど大きくない事、

津波の心配はないということを確認して、少しホッとしました。

 

日頃ほとんどテレビを見ない私が、

この大雨で、気象情報と、鬼怒川の堤防の決壊のニュースを見ました。

凄まじい水の勢いに、4年前の津波の映像が重なりました。

水の中で救助を待つ方を見てオロオロし、

ヘリコプターに救助されたのを見ては、ホッと胸をなでおろし、

何もできないのに、一緒になってドキドキしてしまいました。

行方不明者も出ているとのこと、

ひとりでも多くの方が助かりますようにと、祈るばかりです。

そして、避難された方たちが、

早く暖かくて居心地の良い場所に移動して、ホッとできますように。

救助活動をしている方たちも、怪我などなさいませんように、

健康に気をつけて活動してくださいますように。

 

自然の力の大きさをまたまた見せつけられたような気がします。

自然に対して謙虚に生きてきた昔の人たちの知恵と行動力に、

もっと学ぶ必要があるのかもしれません。

<てんでんこ>というのは、東日本大震災の時に教えて貰った、

私が深く納得した先人の知恵でした。

今回の地震の時にまずしたことは、自分自身の安全の確認でした。

里英子