安全保障関連法案が、国会で、衆議院でも強行採決され、
そして、昨日参院特別委員会でも強行採決されました。
これって、変ですよね。
そして、今日明日中に、参院本会議でも
同じようなことが起こりそうな勢いです。
これも変。おかしい。
話し合いというのは、一方的なものではなくて、
お互いの声に耳を傾けるというのが、基本です。
国会というのは、話し合う究極の場と思っていましたが、
私の考え方が間違っているのかしら?
説明が説明になっていなかったり、
質問と答えが噛み合わなかったり、
首相自らが野次を飛ばしたり、
挙げ句の果てには、
混乱の中で、話し合いもなく一方的に多数決を取るなんて、
とっても変だと思います。
国会周辺でも、また地方集会でも、一人ひとりの人が声を上げて、
反対しています。
そういった国民の声に、見向きもしない姿勢も変です。
憲法が政治家を律するから、立憲国家なのであって、
政治家が憲法を都合のいいように変更するのは、独裁なのです。
だから今の動きは変なのです。
憲法学者からの違憲という意見が多く出ているのは当然でしょう。
もちろん私も、安全保障関連法案には反対です。
人と人との関係でも、国と国との関係でも、
武器が役に立つことはなく、お互いの話し合いが役に立つというのは、
歴史が教えてくれているでしょう。
今、戦前の空気を知っている人たちから、
思い余って発言している言葉をいろいろ聞きます。
その言葉を聞いていると、
戦争というのは、少しずつ準備されていったものであることがわかるし、
一度始めれば、どんどんエスカレートしていくものだということもわかります。
そうならないように、今までにどれだけの努力が払われてきたか。
今それを壊しているように思えます。
なぜ日本が70年前に戦争をしてしまったのか、
その前にどのように準備されていったのか、
今こそ、その過程をもっと知り、そこから学ぶ必要があると思います。
今朝の朝日新聞に、料理研究家の辰巳芳子さんの意見が載っていました。
<いのち>の尊さを、食を通して考えているその姿勢に、私は惹かれます。
そして、自分自身の体験を踏まえていろいろ考え、
その考え方の延長線上に、政治も平和についても考えていることが、
わかりやすい言葉になって表現されていて、私の腑に落ちました。
取材を終えた記者の一言に、
「身に降りかかった難題はとことん考え続けるのが身上。
『いまの人は政治家も学者も記者も考え抜くことをしません』」と。
私も、<なんか変>という感覚を大切にして、
そこから考え抜いていきたいと思います。
里英子