Rの会~楽覚生~ 今ここの気づき

ゲシュタルト療法を用いて、自分自身を見つめ、今ここを丁寧に感じていくワークショップのお知らせです。

<2012年を振り返って>

2012-12-29 | ワークショップ

この一年を振り返って、今も胸が痛むのは、

東日本大震災、そして福島原発事故で被害に遭われた方たちが、

まだ避難生活を強いられ、復興に向かって努力を続けているということです。

この寒い時期、どうぞ暖かいお正月が迎えられますようにと心より願っています。

 

この夏、秋田の湯瀬温泉でワークショップを行うことができたことは、

私にとって、とても大きな意味のあることでした。

直接大きな被害を受けた様には見えませんでしたが、

温泉の出方が変化したなど、いろいろ困ったことも起きているようでした。

また土地の方たちや参加者の知人や親戚に、被害を受けた方たちもいました。

一人ひとりの喪失体験や傷ついた体験を語ってくれる時、

一緒に居ることは、私のできる唯一のことです。

人と一緒にいて、悲しみや辛さを十分に感じることができると、

それまで感じられなかった、喜びや楽しみも味わうことができるようになっていく、

その過程を一緒に体験していると、人間の柔軟さに、私は心から感動します。

 

前にも書きましたが、この災害と事故によって、私の中で起こった大きな変化は、

<今ここに居る>という意識がとても強くなったことです。

 私のしているゲシュタルト・セラピーの基本である<今ここの気づき>も、

今ここに、心も体も意識も全身で存在していることを感じることです。

ファシリテーターをしていても、クライエントと一緒に今ここに居る事の大きな意味を、

改めて今年は味わっています。

何かをすることより、ただ居るということ、の大切さを感じています。

   

今年も色々ありがとうございました。

今年ワークショップに参加していただいた方、

色々なところで出会った方、初めての方も、何度もお会いしている方も、

そしてブログを読んでくださった方も、

どうもありがとうございます。

 

みなさま、より良いお年をお迎えくださいますように。

そして、来年もまた<Rの会―楽覚生>をよろしくお願いします。

Rの会―楽覚生  俵 里英子

 

 

 


<今年最後のワークショップin伊豆高原>

2012-12-26 | ワークショップ

今年最後のクリスマス連休に、伊豆高原で、

香港から毎年お呼びしているT氏のワークショップを行いました。

<Rの会―楽覚生>としても、今年最後のワークショップでした。

 

ワークショップをしている部屋から、

ずーっと広がった海と大島が近くに見えます。

天気によっては、伊豆七島の利島、三宅島、新島、式根島、神津島が見えてきます。

今回は、私はファシリテーターをせずオブザーバーとして臨席し、

皆さんのワークの場に一緒にいながら、

外の景色の変化を充分に眺めることができました。

 

一人ひとりのワークをサポートするように、

また、そのワークに呼応するように、

景色が変わっていくように思われました。

 

あるときは、

雲間からさす日の光がキラキラ輝いて、海に届いています。

<天使の梯子>とは、素敵な名前をつけた人がいるものですね。

その梯子が届いたところの海の表面が、

スポットライトが当たっているように、眩しく輝きだします。

その美しさに、ぐんぐんひきつけられました。

 

またあるときは、

遠くの黒い雲がどんどん迫ってきて、

今までこちら側は晴れていたのに、にわかに雨が降り、風が強くなり、

と思う間に雨が白くなっていきます。

雪!です。

上から降っているのか、下から舞っているのか、ぐるぐる回っているのか、

踊っているように見えて、私も楽しくなっていきました。

 

今回は、このような自然の中で、

T氏の穏やかでゆったりした優しさに包まれて、

一人ひとり、充分に自分と向き合うワークができたように思います。

私も一緒にいられたこと、とてもうれしく思います。

T氏には、本当にありがとう♡

通訳をしてくれたA子さん、ありがとう♡

参加してくれた皆さん、ありがとう♡

そして、3日間の短い間一緒にいて、

これだけの変化を見せてくれた自然に、

海に、太陽に、大地に、地球に、感謝♡♡♡

( 写真は、朝焼けの海と雲と大島です。)

               里英子


Feude 歓喜の歌

2012-12-21 | 音楽

今年もベートーヴェンの第九を歌いました。

一生に一度は歌ってみたいと思っていたのが、

昨年に続いて、二度になったわけです。()

 

昨年と同じ、<夢の第九コンサート>

西本智実指揮、今年は日本フィルハーモニーの演奏で、

国際フォーラムの客席(カジュアルシート)で参加しました。

今年は5000人の合唱とのこと!

当日のFM、ライブで流れたらしいです。

 

昨年は、合唱が得意の友人2人と一緒に歌ってもらいながら、

参加することに意義を感じて、高揚して歌いました。

今年は、さらに3人の友人が加わって、6人で歌いました。

私を含めた5人がアルト、一人がバス。

一緒に歌うのって、本当に楽しいですね。

カジュアルシートですから、周囲からソプラノもテノールも聞こえて、

全部のパートを楽しく聞きながら、少し余裕を持って歌えました。

 

舞台があまりに遠く、西本さんの指揮が見えないので、

スクリーンに映っている西本さんを眺めながら歌うのですが、

時差があって、映像がすこーし遅くなるのが気になって、

それには目をつぶって、エイーっと早めに歌ったら、

ちょっと早すぎたところもありました。()

 

今年は練習会には10回参加しました。

ドイツ語の発音が難しいことに、やっと気づきました。

歓喜というFreude フロイデ 舌を巻くことが難しい。

ただ、喜びを感じて、それを伝えて行きたい気持ちになりました。

ベートーヴェンが、シラーの詩に感激しまくって作曲していったその情熱を、

少しは感じることができるようになってきたように思います。

今年は昨年よりは歌えたけれど、まだまだ十分でないなあと思います。

来年も参加して、もっと美しく、喜びを伝えるように歌いたいな。

もう一つ正直に言ってしまうと、

その後皆で飲んだビールが美味しくて、

来年も友人を誘って、この気分をまたみんなで味わいたいな!     

     里英子


<小さな秋を探して>

2012-12-12 | 日記

急に寒くなりましたね。

今年は、東京では紅葉・黄葉が遅く、

<小さな秋>を探すのは、12月に入ってからでした。

まず家から出てみると、少しずつ色づいた葉っぱに眼が止まります。

      

新宿御苑に足を向けました。

なんだかユーモラスな木です。

これも紅葉の一種。裏に回ると、

この12月1日は、いろいろな種類のもみじがとても美しい。

 

同じ新宿御苑に、12月6日にも行ってみます。

銀杏も、他の大きな樹も、日に当たって金色に輝いています。

     

そして黄金の道。

最後に新宿門の銀杏が、別れを惜しんでくれました。

 小さな秋を探しに行って、大きな秋に出会いました。 里英子


<聴衆もコンサートを創る要素>

2012-12-03 | 音楽

マスタークラスを聴講して、興味深かった事のひとつは、

演奏は、演奏する人と聴く人の両方で創っていくということ。

演奏者は、必ず聴衆を意識して、

自分の出す音がどのように響いているのか、

合奏なら、音がどのように重なり合って、聴衆に届いているのか、

自分が音楽を通して、聴衆に何を伝えようとするのか、

など、意識して弾く必要があると教えていました。

 

実際にコンサートの聴衆となったときは、

伝えてくれる音楽を一緒に共有して、

とても感動して興奮して嬉しくなったり、

静かではあっても深く心を動かされたり、

またはちょっと違和感を覚えたり、などなど、

その時その場で、いろいろ感じています。

 

紹介したレオ・ヌッチのコンサートでは、

深く感動して、興奮して、思わず拍手してしまう、という気分でした。

何人かのブラボーの声もやはり感極まった声で、

拍手の仕方も力強く、聴衆も皆一緒に楽しんでいる雰囲気で、

ヌッチも合奏した人たちも、ニコニコしていました。

 

その後に聴いた、メゾソプラノの藤村実穂子のドイツリートのリサイタルは、

全く雰囲気が違いました。

藤村実穂子の歌う一曲一曲は、考え抜かれて今ここに創りだされる結晶の様で、

今まさに光り始めるところに私も一緒にいる、緊張感を感じるのです。

プログラムにある、広瀬大介の文章を紹介しますと、

「~(前略)~藤村自身が、だれよりも「歌を歌う」と言うことの意味を真摯に考え抜き、歌っている最中ですらそのことを考え続けているように見える。演奏家がストイックなまでに自らを追い込む過程で絞り出される、ひとしずくの涙のような曲のエッセンス。藤村の歌にはそのしずくが必ず宿り、その中に彼女の最良の部分が詰まっている。~(後略)」

 

聴衆の拍手も、

同じ作曲家の5曲なら5曲を歌った後、音の余韻も十分に味わいつくして、

藤村実穂子と、ピアニストのウオルラム・リーガーが、ふと緊張を解いたときに、

静かに始まって、徐々に大きくなって、感動を伝えていくという風でした。

このような成熟した聴衆の中にいると、

コンサートは、演奏者と聴衆とが一緒に創っているのだなあと実感します。

 

もうひとつ、最近のコンサートでの体験です。

ジャニーヌ・ヤンセンのヴァイオリン・リサイタル。

オランダ生まれの若くて精力的、とても堂々としていて、エネルギーを感じました。

イタマール・ゴランのピアノも素晴らしく、

特にフランクのヴァイオリン・ソナタの共演は、聴いていてほれぼれとしました。

残念だったのは、最後の音のまだ余韻が残るところに、

大きな拍手をした人がいたこと。

体が驚いて、ビクッと反応してしまったほどでした。

さらに気になったのは、舞台を見ているときに視野に入る、人の手の動きでした。

何かリズムをとっているように指を動かしているのですが、

それが舞台上の音楽と全然合っていないのです。

その指が目に入るとイライラしてしまい、音楽も聴けなくなってしまいました。

しかたないので、上を見たり目をつぶったりして音楽に集中しました。

その人にとっては、それが自然な動きでしょうから問題ないことですけれど、

同じ音楽を楽しんでいる私が苦痛に感じたのは、

少し客観的に考えると、おもしろい体験でした。

ちなみに、隣の席の友人も同じように感じていて、

止めて欲しいと言うこともできず困った、と言うので、

コンサートの後、大笑いしました。

                        里英子