エバーグリーン (いつまでもあほい)

酒と映画と本を愛し 音楽なら何でも
名前と同じで気(木)が多い

今更だけど
人間到る処青山有り  

赤線の先

2012-05-07 03:39:51 | Weblog

GWも今日でお終いですね
今年のGWは農作業週間になってしまった
昨日も田圃の畦の草刈に汗を流した
その帰り隣に住む91才の婆に出くわした
「ああ!!何時も何時もママちゃんにはお世話になっておりますだ」
と何時ものご丁寧な挨拶
この地に嫁いで40年故郷福島を離れて70年以上
経つというのにまだ訛りが抜けていない
実は...で始まった婆サマの話はかなり長くてまどろっこしい
私が昨年亡くなった爺サマの郷土史ノートを読みたいむね
家の婆を通して伝えていた返答なのだが
ノートについてはまだ何処にあるのか見つけていないのだが
話しておきたい事があるというのだ
それはその向こうの畑の真ん中を通る小道
赤線道の先にあるという
赤線の先などと書くと
普段の私知っている人は妙な処を想像するだろうが
今回の話は違う

婆婆様がオラも行くというので

手を取って支えながら登って行くと

「オラもこの先は近付くなと達さん(昨年の亡くなった連合いのこと)

にきつく言われていたので初めて行くだ」

と感慨深げ

それは 本家の墓の一番端に有るはずだと言う

行ってみてくれと下駄をあずけられた

件の場所から3.4m離れた処に

其れは転がっていた

かなり風化が進んでいるが

五輪塔の一部の様な形だ

真ん中に凹みの有る四角い石とそれよりやや大きな

丸い石

首塚???

それは 備中松山城で戦いに敗れこの地に一緒に落ちて来た

じい様とその孫殿の墓だというのだ

その何方かの名を為繁何某といい

ここら辺の古い地名を為繁村といったのだと

私に伝えたかった様だ

婆婆様は私に其れを話す事が出来て

最初で最後の証人だな~と喜んでいた

赤線からとんだ処に話しがいったが

まるで 横溝正史の八墓村を地でゆく様な話になった

畠のど真ん中の道は貴人の墓へ参る為の道であった

しかし その墓の存在を婆婆様夫婦以外私の家の爺婆も含め

近所の誰も知らない話だったのは墓が敵の手で暴かれるのを恐れ

代々密かに墓守りを受け継いできた結果だろう

婆婆様と近所の人に訊いたあかせんみちというのが気になって

後で調べてみたら下記の事がわかった

 

赤線・赤道(あかせん・あかみち)里道とも言う

赤線も登記所に備え付けられてある旧土地台帳の付属地図上無番地で
、しかも無籍地であることは青線と同様。一般には里道、赤道と呼ばれて
いて、多くの人々のための道路でもあり、現在いわれている公衆用道路
である。この土地は国有地で道路法の道路として認定されたものがほと

んどでそれ以外は認定外道路の敷地となっている場合が多い。「認定外
道路
」この赤線の大部分は、地方分権推進計画に基づき機能管理者で
ある区市町村に譲与されている。

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