齢24才となり、いよいよおじさんと化してきた、
昭和61年勢。
2011年2月5日(土)、久しぶり(とはいえ半年くらい?)に
会ってみたらば数年前までは、あまり変わらない、なんて言ってたけれど、
結構変わってきてるのは間違いないのかな。
本質的には変わらないけれど、それぞれの特徴が際立って、
やっぱり偏ってしまっているんだろうか。
それぞれがドリーム心地を諦め、自らの身の丈に沿った選択をする。
「人生は常にギャンブルである。」
自分たちの現在(いま)は、無限の宇宙から自ら選び出した、自分たちの未来です。
常にある二択を選択し続けた結果、現在(いま)がある。
私の現在(いま)についても、負け色の濃い方に掛けたことにより、
存在するワケやけん、それはそれで問題ないと思ってる。
ただ、少し感じたのは、エラそうなことをいうようだけれども、
やはり「優秀」な人が、本来存在するべき場所にはいないこと。
まぁ、そもそも私の交友録が、常に文系であることから、
そういう現象に至るってのが大きい要因やろうけれど、
基本的に文系というのは常に、生産性が高くない。
生産性が高くないトコに、人を配置してコストをかけても、
全体の足をひっぱるんだろう。
優秀な人が、生産性のないことに消費されるリアル。
そうして、どんどん沈むのかもしれん。
そんなことは、分かってはいても、人間やはり自分が大事やけん、
保身したいのよ、私も。
だから、正味なトコ、舟に最後まで乗ってるヤツが勝ちよ。
まぁそもそもそういう状況になりつつあること自体、
時代の終わりというのを感じてる、と言いたかった。。
まぁ、時代が終わることもまた、宇宙に煌めく一つの星、
エエこったかもしらんねー。