HRJ 中央突破 の日記?雑記?備忘録?

・・・monument of me! Hasta la vista,baby...

2012 今年の目標

2012年01月15日 | 新年1発目のブログ?



新年も気付けば、3週間が経過しようとしています。

毎年毎年書いているような気がしていたけれど、
どうやら2011年は書いていなかったらしい。

過去何度か書き残したような重大な事案ではない。
モラトリアム時代の、壮大な考えの結論ではなく、とにかく目先のお話。


人生とは 記事で、ある程度、私の中の人生観が固まっているので、もはや、それにのっとった生き方をするしかない。
果たしてそれが正しいのか、間違っているのかすら、世界の真理の一部に過ぎないと思っています。

まぁ、またこういう話をし始めると、長くなって堂々巡りなので、省くと、

とにかくまぁ、目先生きていくにあたって、ふとこのままでは苦しいことに気がついた。

気がついたというか、気がついていたけれど、ひとまず忘れるようにしてただけで、
そろそろ向き合わないといけない!と改めておもったので、今年はそれを実行することとする。


まずおさらうと、私は人間力がないし、こんなクズのような人間だけれども、なんとか就職できた。
しかも明らかに向かないだろうと思われる営業職。

しかし、会社のおかれる状況を考えたとき、このままの状態が続くとは思えないし、
どんどん悪化していくのが明白なんよね。

悪化していったら、当然労働環境が悪化していく。そうすると、私のような人間力のない人間は淘汰されると思う。

だから、先手を打って、淘汰されない業界に移動するか?

移動できるだけの能力と、そして環境がそろっているか?

そう考えたとき、なくはないし、その可能性を信じるのもまた一興だと思うんよね。

ただ、世の中そんなに甘くない。
たかだか2年強仕事しただけで、社会様が何を評価するのか、
タダ飯食らいの小僧に用はないと思う。


向いている、向いていないに関わらず、ひとまずやってみる(やり抜いてみる)のが筋じゃないかと、
最近はそう思ってるんよね。

もはや、そういう決断らしきことをほざくことすら、逃げているともとれるけれども、
環境から移動することもまた、逃げていると取れるワケで、
同じ逃げるなら、とかく泥舟でもやれるだけやる必要があるんじゃないか?そう思った。

あと、これはもっともっとツラくなってから思い出そうと思ったことで、
上記(移動せず、踏み止まる)の理由付けにはあまりに重たいし、
ここに挙げることで、私の考えが、甘く、軽いと思われるけど、
私は忘れやすい性格やから、メモ代わりに書き残すこととすると、


やっぱり、今までこんな私でも支えてくれた上司を、大きく裏切ることにならないか?という懸念。
(能力がないのに経費がかかるお荷物である、という視点もあるが)

あと、信念なのか、なんなのかわからないけれど、ささいな金額の案件でも、
わざわざ私へ発注をかけてくれるお客さんがいること、

相手からすれば、単に連絡しやすいからなんやろうけど、なぜか連絡を私に取ってくる取引先。

そういう小さなやりがい?というか気持ち的なところで、心が残ってしまうのも、要因ではある。


とかく、やるからには、意思薄弱でどうしようもない私でも少しずつでも進めてみようかと。
・・・すでにこういう言い回しが甘えてるとしかいいようがないけれど。

そこでまず、私のやれることから2012はスタートする。

実行計画は以下とする。


1、体重を減らす
 急にレベルの低い話となるが、実はこれも重要なんだ

2、ネバコ引退
 これも低レベルやけど、重要

3、ちょっとエッチなお店からの引退
 これは、別にいいような気もするけれど、経済的に圧迫する要因やから、
 思い切って身を引いてみようかと
 
4、資格取得開始
 営業職というのは、いわゆる総合職であるから、人間力という、ありとあらゆる力が必要な反面、
 特にコレ!というものがなく、裸の王様的なトコがある。
 だからこそ、何かしら手に職とまではいかなくても、なにかしらね。
 移動をしない以上は、今現状に役立つことを学ぶのが一番だと思うし、人の目から見ても、
 そういうことにこそ、評価があると思う。

5、営業ツールの拡充
 例えば、営業のスポーツと言われる・・・

6、生物的人間の充実
 例えば、彼女を探すために積極的に動いてみるとかね


しかし、簡単に6コ挙げてみるも、なかなかに甘っちょろい私だと、
実施を先延ばしにしてしまう恐れがあるものが多々。
よって、ここから絞ってみると、1、3、4くらいにしてみようかな。と甘ったれているところです。

やっぱり自分にとって明らかにメリットがあるところからはじめないと、
またダラダラ一年が終わってしまう。

実際に1については2011夏からかすかではあるけれど、進捗させていて、
入らなかったベルトが入るようになった、という微々たる成果もあげている。

あとは、3については、とにかく余剰資金をすべて4に強制的にまわしてしまえば、やれると思う。

問題は4を何にするか。

本当は私の会社は元請となることも相当多いから、そういうのに役立つのがいいハズ。
でもねー受験資格が、もっと職歴がないとね、得られない。

そもそも、下請けがあまりにしっかりしているので、本当に必要ではないという背景もあるけれど、
あるに越したことはないからね。
(しっかりした下請けを使えない場合が、発生することが想定される)

まぁ、私の性質からして、まず手軽なところから始めて、やる(やれる)という自信、または習慣を
つけないといけないだろうから、講習くらいからやってみようかな、とか考えているところで、

最終的にはとりとめのない話となったけれど、

こうしてメモすることで、これを自分の今年の表明としたいと思う。



新年一発目のブログ -2009- ~少しブログを振り返ってみたら

2009年01月01日 | 新年1発目のブログ?
あけおめやね。

新年一発目のブログ。
これも四回目や。

いやいや早いねー。

時間の流れを早く感じる。
これもまたメモ?にときたま書くように、
おっさん化したってことやろね。

いかんせん恐らく、いろんなことに対して新鮮味がなくて、
一つ一つの印象が薄いと、経験が浅くなって、時間の印象が薄弱となるんやろ。

悲しいやら、それでいいのやら。


今年は少し、ブログを振り返ってみると、
なかなか変遷してるね。

もともとはホンマに暗ーい文面やね。
黒さが少しにじんでるわ。
最初のほうは人間腐ってたからね。

だんだん丁寧語になってきて、最近は今の感じや。
文体からも多少その当時が思い出される。

しかもブログの記事を見ると、当時を思い出すわ。
あーこの日はそうやったとか、
あーそういえばとか。

そういう思い出の発掘という意味ではブログはエエかもしらんね。

・・・書く手間に合ってないとは思うけど。

それでもだんだんIPは上昇してるんで、
一日100アクセスからはなかなか伸びないけどね。
まぁこれはなんの主張もない、なんのレビューもない、
単にストレスの発散?になってるかはわからんけど、しょうもないこと書いてるだけやから仕方ない。

もしアクセスが欲しければ、それに対するコストは必ず必要や。
私は書く手間しかコストを払ってないので、
アクセスを稼ぐのはなかなかね。
面白い時事ネタを考えるコスト、なにかモノを買ってのレビュー。
哲学的考察を考えるコスト、あるいは顔出しして具体性を出すコスト。

ありとあらゆるコストをとらないと。なかなかね。

だからエエねん。


そんなこんなで、
一番最初のブログを見てみたら、
なんとなく、「引っ越してきました」とは書いた気がするけど、
見てみたら、太陽のセクスアリスについて書いてるね。

やっぱり最初からテレビについて触れてるわ。。
趣向趣味の変遷?でも書いたように、
やはり私の中でテレビは普遍的なようや。

そうわかる、一つの事例やね。



新年一発目のブログ ~2007 ~ブログを書く意味

2007年01月01日 | 新年1発目のブログ?
新年一発目のブログもはやくも2年目になったね~

光陰矢のごとし。


明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。そして来年もよろしくお願いします。


去年は確かいきなり暗い話を書き残した気がするね。(死の話

死んだらきっと無なんだろうなぁとかなんとか。

死についてはまだまだ考えることがあるけれど、今回は違うことを書き残しておこうと思う。


ブログを書き始めたころとは違って、最近はよく「書き残しておこう」とか「書いておこう」とかいう表現をよく使う。

これには最近独自に勝手に私の心の中で確立した「ブログを書く意味」というのが大きく関与してるワケよね。

その意味というのを「書き残し」ちゃうと、(笑)


ずぼり「他人に押し付けてる(と仮定した)独り言」よね。


独り言というよりは、ネット上にUPすることによって、

強制的に誰かに読んでもらっている(と勝手に自己完結させた)独り言ってことやね。


なぜ独り言なのか?

独り言というよりは、話しかけてるのよね。ネット上の誰かにね。


私は比較的「話を聞いて欲しい人」なのよね。

たいがいの人はそうやと思うんやけど、自分が体験したいろんなこととか、思ったこととか、

誰かに聞いてもらいたいと思うんよね。・・・出来たら共感してほしかったり?


しかしね、大概自分の経験談や思ったことなんて、あんまり他人から聞いても面白くないのよね。


それをね、まぁ無理くい知り合いなりなんなり誰でもいいんやけど会って、それで時間をとって、話てもいいんやけど、

そら相手からしたら面白くないわね、普通はね。


共に体験したことならいいけど、

一方的に「こんなことがあったんよ、でね、こうでね、こうなってさ、こう思ったワケさ」

なんて聞かされても、

一応リアクションはしてくれて、共感したフリはしてくれるだろうけど、

やっぱりそれははっきり言って相手側からしたらそんなに面白くはないと思うんよ。


だからね、

一緒に映画観ようとか、どこか行こうとか、何かしようとか、

そうしてここ一年くらいは、共に共感したこと以外についてはあまり人に話さないように心がけてるのよね。


するとね、ストレスってやっぱり溜まるのよね。


そこで登場「ブログ」


勝手に自分の思ったことや、見たテレビの話、映画の話、

これを書き残してネットにUPしていることによって、

まぁ簡単に言うとストレスを発散しているんやね。


多分個人が面白くも無いブログを書いていたところで、

真剣に読んでる人なんて一人もいないかもしれない。


でも、こうして書き残して、書いておくことで、



「誰かに話す代わりのストレス発散」になるならいいじゃないか。



ってことやね。


まぁ、今でもなんか嫌なことがあったら

「ちょ、聞いてよ~」って電話とかメッセとかで誰かに直に聞いてもらうことが多いけれども、


「そこまで聞いて欲しいワケじゃないけど、やっぱり聞いて欲しいこと」

例えば「こんなテレビと見たとか、映画を観たとか、こんなことがあったのよ」とか。


そんなことってワザワザ誰かに話すと迷惑やし、面白くないし。


だからね、「勝手に誰かに見てもらえてると仮定してブログに書き残す」のよね。


すると、まぁたとえ見てもらってなかったとしても一定量のストレス発散には繋がるやん。・・・ならそれでいいじゃん。(笑





・・・・ついでに誰かにホントに見てもらえてるともっといいけど。(笑


そんな感じかな~最近の私のブログを書く意味。ストレス発散かな。


ストレスをね、発散していかないと人間死んじゃいますからね。



ストレス発散の術を常に模索しながらも、
胃痛を通り越して背中が痛くなることが最近多いひらみー2007エディションでした。

・・・胃潰瘍には気をつけよう。






2006明けましておめでとうございます!! ~死の話 其の一?

2006年01月01日 | 新年1発目のブログ?
現時刻は午前の5時の半。
平成18年1発目のブログです。
2006年1発目のブログです。
ブログを始めて初の元旦であります。
これからも続けていきたいこのブログだけに記念にカテゴリに分けておきました。
来年1発目も登録したい。
こうして何十と積み重ねていきたい。

・・・出来たら。(笑

ただ今はえと、朝まで生テレビを見てます~
とゆうのも、10時くらいからうっかり寝ちゃって、ほいで2時くらいに起きたもんでね。
全然眠たくないんですよ。(笑

しかし残念!
新年早々に残念ですよ。
いきなり年越しの瞬間を寝過ごしですよ。(笑

ええ。
しかも10時ってことはアレですよ。
K-1とかプライドとか紅白とかの一番の盛り上がりの前に寝ちゃったってことですからね。

かなりがっかり。
新年早々に自分にがっかりです・・・。(笑

新年1発目のブログに暗い言葉を並べて申し訳ないです。(笑

でも救いとしてK-1を録画してたってことはよかったです。
一応プライドと紅白をザッピングするつもりだったのでね、K-1は録画だねとゆうことで。

しかしがっかりですねぇ・・・
なんで自分はこんなんなんだろうって思いますよ。
なんで楽しみにしてたのを寝過ごすようなことをしてしまうんだろう・・・
なんでちょっとくらいなら仮眠しても大丈夫だなんて思ったんだろう・・・(笑

まぁ残念がっててもしかたないからこれからの見たい特番は見逃さないようにしよう。

そんなトコですね。新年1発目。(笑

しかし朝から生テレビ白熱ですねぇ
確かに財政改革は必要ですよ。
でも貧富の格差がどんどん広がっていってるのはどうかとは思いますね。

まぁ確かに頑張った人が報われる社会ってのは非常に大事だとは思いますが、やはりありすぎる格差ってのは問題だと思います。
あんまり開きすぎてアメリカみたいになると犯罪率もグンと上がりますし、スラム街とか・・・って新年早々やめましょう。
暗い将来の話は・・・(苦笑

でも暗いでしょうねぇ
特に今10代くらいの人の大多数たち(自分も含めて)は地獄を見るような気がしますね。

ええ。
あとしたい話といえば、死の話ですか。
なんか新年だなんだと祝ってる感じですけど、つまりはまた一歩、「死」に近づいたワケですよ。

「死」とゆうのは死ぬといってしまえば、人間の一行動のように感じてそんなに怖い印象が少ないんですけど(そんなことない?笑)

「死」とゆうのは「無」とゆうことですよ。

「何も無くなる」

ってゆうことなんだろうと思うんです。

何もなくなる、これって怖くないですか?
もちろん死後の世界ってものがあるのならばそれが一番なんですけど、多分「無」だと思うんですよ。

何もなくなる。
嬉しい。悲しい。痛い。楽しい。・・・五感。思考。意思。思い出。

全てのものがなくなってしまうんです。
何もかも。

せめて思い出くらいは持ち続けていたいと思うんです。
でも「無」ですからもてない。

こうゆう状況に至るのって非常に私は怖いんですよねー・・・。

何も分からなくなるんですよ。
せめて思い出くらいは持っていたいです。

完全に無。
まぁだから夢を絶対に見ない、絶対に起きない「睡眠」ってことですよね。

これは怖い・・・。
完全に無・・・。

怖いとゆうか悲しい。

そうですね。悲しい。この表現が一番しっくりきますね。

死ぬのは悲しいから嫌です。

何もかも分からなくなって、いままであった嬉しいことや悲しいこと、全て忘れて、なくしてしまうのが悲しい。

たとえ家族がいても、子供がいても、愛する人がいても、その人たちのことをどんなに忘れたくなくても、「なくして」しまう。
これは悲しい。

もちろん全くの無になるのも怖い。
死ぬのはこう考えて、私は嫌なんですねぇ。
死後の世界があって欲しい。(笑

でも死ぬのが嫌だといっても絶対生き物である限り死ぬワケです。
絶対いつか死ぬワケです。

そして一度しかないんです。
生きるのは一度しか出来ない。

だから私は後悔のないような人生が送りたいですね。
最後死ぬときに後悔するような人生は送りたくない。

どうせ何も分からなくなって「無」になってしまう。
でもだからこそ無になる前に後悔して「無」はなりたくない。

そう思っているワケであります。

まぁよく考えれば死んで無になってしまえば後悔したこともヘッタクレもそうゆう記憶自体なくしてしまうわけなんですよね。(笑
実はそうなんですよね。
何をしたって無駄っていったら無駄なんですよね。
でもそんなん悲しいから、せっかくやから何かしたいから人間は生きてるんですよね。
私もそのうちの一人ですかね。
何もせずに無になるのが悲しい。

「無になるから何かしても何もしなくても一緒なんですけど、せっかくやからエンジョイしたい。」

そうゆうことです。
私の座右の銘(なのか?)
「踊る阿呆に観る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃそんそん」
これもまぁそうゆうことからくる座右の銘ですよね。

・・・ちょっと意味あいは違うんですけど、なんとなく語呂が好きやから使ってます。(笑

ま、なんか話がゴチャっとしてきて面倒になってきたのでまぁ、とにかくそんな感じです、私は。(笑

こんな感じでいいかな?(笑

ま、どうせ死んだらわかんなくなるんやからと実はそうゆういい訳を使って物事を流してしまうことがあったり、小学校の卒業文集の将来の目標みたいなんを書く欄に「死ぬときに後悔しない人生を送りたい」って書いて先生に怒られて(夢がないとか言われた。)新年1発目のブログから暗めな話を連発するピスフルでした~~(笑


今年こそ後悔しない、いい年になりますように・・・