しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 ヨブ記36章 <おごり高ぶったそむきの罪>

2016-10-19 | ヨブ記

金岡公園2「もし、彼らが鎖で縛られ、悩みのなわに捕らえられると、そのとき、神は、彼らのしたことを彼らに告げ、彼らがおごり高ぶったそむきの罪を告げる。」(ヨブ記36:8,9新改訳)

いよいよエリフの弁論は中心に入っていく。▼彼は言う、人の罪の本質は「おごり高ぶること」でありそこに気づかせるため、神は試練や悩みを下すのである。たしかにヨブは具体的な罪の行為をしたことがない、と言えるほどの生を送ってきたかもしれない。しかし圧倒的な神の尊厳と偉大さに比べれば、それがなんだというのか。雄大な自然界を見よ。人はあまりにも小さく、無きにひとしい存在だ。それなのに自分に患難が下されたといって、「神よ、あなたは私に対し、不正を犯した」などと、どうして言えよう。▼ここからエリフは壮大さに満ちた創造の御手を描写することで(22以下)、「神のみわざを覚えて賛美せよ」と勧め、暗にそれが出来ないで怒りに捕らえられているヨブの罪、つまり高ぶった心のあり方を指摘する。こうして本章と次章で、神が登場される舞台設定が完了することになる。「あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。」(詩篇8:3,4同)