新島襄
函館港岸壁にはひとつの記念碑がありました。新島襄出発の地という碑銘。
徳川末期の1864年、どうしても海外に渡りたかった新島襄は、鎖国の禁をおかし、夜ひそかに小船で岸を離れ、沖合いの米国船に乗り、アメリカにわたりました。
そこでキリスト教に入信、ミッションスクール設立のビジョンを抱いて帰国、仏教の中心・京都に同志社を開いたのです。
岸に立つと、一人の青年のうちに熱くたぎった海外渡航の火が、こちらにも伝わってくるような感じがしました。深い摂理のうちに、神は新島を捉え導き、キリストの器として育てた後、日本に送り返しました。いつでもどこでも、歴史はまず一人の心から始まります。ルターしかり、パウロしかり。
今の若者はなっていない・・・よくそんな声を耳にします。でももしかすると、どこかで神は21世紀の新島襄を、すでに捉えているかもしれません。御国のため、熱く燃え滾(たぎ)った心を抱く青年を! そのことに期待しましょう。神様の御腕は力に満ち、失敗などありえないのですから。