しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 ヨブ記28章 <知恵はどこで手に入れるのか>

2016-10-05 | ヨブ記

白花ペア「地そのものは、そこから食物を出すが、その下は火のように湧き返っている。その石はサファイヤの出るもと、そのちりには金がある。」(ヨブ記28:5,6新改訳)

ヨブの時代は紀元前だが、すでに鉱山があり精錬所があった。ここには当時の鉱工業のあり様が描かれ、興味深い。同時に、人間の富に対する欲求は今も昔も変わらないものだ、と思う。▼宝石や貴金属はそのようにして得られるが、知恵はどこで手に入れるのか。宝物でも解決できない人間の心の問題、それを解き明かしてくれる知恵はどこでどのようにして得ればよいのか、こう自問自答したヨブは最後に、「主を恐れること、これが知恵である」(28)との結論に行き着く。が、今の彼にはなんら解決にならない。はげしい苦難が自分になぜ降りかかって来たのか、それを与えた神の御心がわからないのだ。だから神のなさったことに絶対承服できない自分、神の前に居直る自分をどうすることもできない。ヨブはうめく、主を恐れることが知恵であることはわかるが、私は知恵を超えた知恵、死せる知恵ではなく活ける知恵がほしいのだ、と。▼この疑問についての答えこそ、人となって来られたイエス・キリストにある。「ことばは肉となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た」(ヨハネ1:14同)とヨハネが言うように。ヨブが求めた神の知恵は、肉となり、私たちが目で見、手でさわれるものとなった。「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、」(Ⅰヨハネ1:1同)。知恵に渇き苦しむ人よ、「目」でイエスを見よ、「手」でつらつら触れてみなさい。