<iframe class="embed-card embed-webcard" title="「Jポップ」は死んだ (扶桑社新書) | 鳥賀陽 弘道 |本 | 通販 | Amazon" src="https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2F%E3%80%8CJ%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%97%E3%80%8D%E3%81%AF%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0-%E6%89%B6%E6%A1%91%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%B3%A5%E8%B3%80%E9%99%BD-%E5%BC%98%E9%81%93%2Fdp%2F4594077773%2Fref%3Dsr_1_1%3Fie%3DUTF8%26qid%3D1508048664%26sr%3D8-1%26keywords%3DJ%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%97%E3%81%AF%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe>www.amazon.co.jp
皆さんこんばんは、しょっかーです。
今日は趣向を変えて書評ブログです。
【「Jポップ」は死んだ。】を読みました。
日本のJポップの衰退はなぜ起こったのか?
Jポップが衰退して現代の日本人はどのように音楽と相対しているのか?
本書では、実際に関係各所へ取材を行った結果を元に推察したり、各種の売上データなどを細かく分析して、日本に、Jポップに起こった変化について綴った本でした。
かいつまんで説明すると、ネットによって情報の受信法、発信法、拡散法などが変わってきた結果として、旧来のJポップの方法論では音楽が売れなくなった。それに変わってライブ産業や、意外なところでは老人福祉(カラオケ)、パチンコ、結婚式などの新しい音楽供給媒体が伸びてきた。というような内容。
個人的にはネットによって日本のメディアが受けた影響に関しては知っている情報が多かったので、あまり新しい発見があったわけではないけれど、
「今まで音楽家の演奏拠点だったライブハウスの形が徐々に変わり始めている」のくだりは興味深かった。以前、自分もライブハウスでライブ活動を行っていた経験があるからだ。
日本独特なライブハウスの「ノルマ制度」が緩やかに崩れ、日本のミュージシャンのライブ会場が諸外国のそれに近い形へと緩やかに変わってきている。という事実が実地の取材を通して明らかになり、日本の音楽シーンの明るい兆しを感じさせていた。
「ノルマ制度」を疑問視していた私にとっては、その変化を知ることが出来たのは嬉しかった。
Jポップ全盛期に盛んだった「バンド」を元にした音楽形態にも変化が起こっていて、
一度出来上がった音源を再編集する事で音楽を作る「サンプリング」がデジタル技術の進歩によって安価で容易に出来るようになった事から「DJ」や「ラップ」の文化が一般化して、楽器を使った音楽をやるミュージシャンも音源作成にはデジタル機器(パソコン等)を使うのが一般的になった。
実際に楽器を持って演奏するという事自体が贅沢な行為になりつつある。
音楽を演奏するための道具は楽器よりも安価かつ、高品質で手軽なパソコンに取って代わりつつあり、
プロの音楽家でさえも、パソコンなしに音楽制作を行うのは非現実的な状況になって久しい。
そんな中で、今現在ギターを弾いている自分の今後を考えさせられる内容も多分に含まれていた。
より広い意味で音楽を作る、演奏する事を考えるのならば、
自分の手でギターを弾く以上のことに手を出すのは自然な流れと言えるかもしれない。
現在巷にあふれているデジタル機材はおそらく、ギターを練習するよりも遥かに容易に高品質な音楽制作を可能にしてくれるだろう。
しかし、個人的にはその不便さと贅沢さを何より愛していて、
何より元々目的よりも手段にこだわってしまう質なので、
結果として出来上がる音楽の質を高める事よりも、自らの手でギターを弾く喜びともどかしさを選んでしまうのであった。