『アマルコルド』 フェデリコ・フェリーニ監督 ☆☆☆☆☆
クライテリオンのブルーレイで、フェリーニの『アマルコルド』を観た。ところでフェリーニ映画の邦題によく「フェリーニの」というのが付いているが、あれは何なのだろう。『七人の侍』を『黒澤の七人の侍』、『天国と地獄』を『黒澤の天国と地獄』というようなものである。これも本当は『フェリーニのアマルコルド』であるらしいが、どうも違和感があるので私は『アマルコルド』で通させてもらう。もちろん原題に「フェリーニの」は付いていない。
非常に叙情的で、ロマン溢れるフィルムである。フェリーニの他の作品で時々見られるニヒリズムはほぼ封印されている。「アマルコルド」とは「私は憶えている」という意味で、つまりこの映画はフェリーニが少年時代のある一年を回想する体裁になっている。魅力的な設定だ。エレガントで甘美なニーノ・ロータの音楽とともに映画の幕が開く。舞台はあるイタリアの町。町中にポプラの綿毛が舞い、人々は口々に「春が来た!」と叫ぶ。これが物語の始まりだ。そして最後まで観ると分かるのだけれども、この映画は一年後の綿毛の到来をもって幕を閉じる。綿毛で始まり綿毛で終わる映画である。
人々が「春が来た!」と叫ぶと同時に、町中に鐘が鳴り響く。この夢のようなファースト・シーンだけで魅せられてしまうが、その夜、町中の人々が広場に集まって篝火を焚くという壮麗なシークエンスがそれに続く。巨大な篝火の上で魔女の人形が焼かれる。これが春を迎える儀式なのだが、儀式といっても格式ばった厳かなものではなく、要するにみんなで酔っ払って大騒ぎをする祝祭である。人々は羽目を外し、子供のようにはしゃぎ、どんちゃん騒ぎをする。町中が浮き足立ち、人々は生の悦びに浸る。これがイタリア人なんだなあ、とつくづく思う。やはり日本人とは違う。
このめくるめく冒頭シーンを皮切りに、少年チッタの目を通したエピソードが描かれていく。最初の方は微笑ましくユーモラスなエピソードが多く、たとえばそれぞれ個性的な学校の教師たち、とにかくエロで頭がいっぱいの思春期のクラスメート達、怒声が飛び交うやかましい家族の食事風景、などが登場する。私が特に好きなのはそれぞれ特徴を見事に捉えた教師たちの短いスケッチ集で、歴史、美術、宗教、数学、と色んな教師が次々に現れるがどの教師も非常に個性的で、どこかおかしい。怒りっぽくてやたら怖い教師もいれば、授業をしながらおやつを食べているとぼけた老婦人もいる。色っぽい女教師もいる。ルックスもみんな個性的で、このシークエンスはとにかく楽しい。
それから少年の回想記には欠かせない、エロ妄想。チッタ本人のものもあればクラスメート達のものもあるが、どれもこれもアホ度は満点である。ちなみにチッタは町のマドンナ的存在であるグラディスカに憧れていて、彼女とたった二人映画館に入るエロ妄想がなかなかケッサク。あれじゃただの痴漢である。が、映画好きは萌えるシチュエーションかも。
やがてファシズム関連のエピソードが出てくるが、感心するのは、チッタのエロ妄想と同じユーモラスなトーンでファシズムまで語ってしまうフェリーニの咀嚼力である。ファシストの式典に熱狂する人々を尻目に、チッタのクラスメートはムッソリーニの巨大な肖像画を見ながらやっぱり妄想に耽る。その妄想の中で、ファシストの式典は彼と(彼が憧れている)女学生の結婚式に変わっていて、ムッソリーニの巨大な顔が彼に語りかけてくる。この場面のアホさ加減はもう無限大である。大笑いした。
ところでチッタの父親はファシスト嫌いで、こっそり悪口言っていたのを誰かに密告され、連行され、拷問されるというエピソードもある。ハラハラしながら待っていた妻は、よろめきながら帰ってきた彼を抱えるようにして家に入り、手当てをする。するとチッタはその姿を見て笑いころげる。父親は怒り狂い、密告者の野郎見つけたらただじゃおかないぞと怒号する。とても笑えるような話じゃないはずだが、ファシストに拷問されたエピソードですら逞しい笑いに変えてしまう。反戦のイデオロギーやファシズムにまつわるクリシェを軽々と飛び越えてしまうこの諧謔精神は、やはり只者ではない。しかしこのエピソードで個人的に一番印象的だったのは、いつも喧嘩ばかりしている夫を心から心配し、思いやる母親の姿だった。
前半はこんな感じでユーモラスなエピソードが多いが、後半になると現実離れしたエピソードや幻想的なエピソードが混じってきて、ますます充実する。まずは精神病院に入っている伯父のエピソード。一家総出で施設に迎えに行き、ピクニックに行くと、伯父が木に登って下りて来なくなる。そして伯父は木の上から空の彼方に向かって「女が欲しい!」と叫ぶ。いやーすごい。一家がいかに手を尽くし、言葉を尽くして説得してもどうにもならないが、夕方、施設からこびとの修道女がやってきて一喝するとあっさり降りてきて、にこにこしながら施設に連れ戻されていく。家族一同どっと疲れる。このエピソードも好きだなあ。
(次回へ続く)
クライテリオンのブルーレイで、フェリーニの『アマルコルド』を観た。ところでフェリーニ映画の邦題によく「フェリーニの」というのが付いているが、あれは何なのだろう。『七人の侍』を『黒澤の七人の侍』、『天国と地獄』を『黒澤の天国と地獄』というようなものである。これも本当は『フェリーニのアマルコルド』であるらしいが、どうも違和感があるので私は『アマルコルド』で通させてもらう。もちろん原題に「フェリーニの」は付いていない。
非常に叙情的で、ロマン溢れるフィルムである。フェリーニの他の作品で時々見られるニヒリズムはほぼ封印されている。「アマルコルド」とは「私は憶えている」という意味で、つまりこの映画はフェリーニが少年時代のある一年を回想する体裁になっている。魅力的な設定だ。エレガントで甘美なニーノ・ロータの音楽とともに映画の幕が開く。舞台はあるイタリアの町。町中にポプラの綿毛が舞い、人々は口々に「春が来た!」と叫ぶ。これが物語の始まりだ。そして最後まで観ると分かるのだけれども、この映画は一年後の綿毛の到来をもって幕を閉じる。綿毛で始まり綿毛で終わる映画である。
人々が「春が来た!」と叫ぶと同時に、町中に鐘が鳴り響く。この夢のようなファースト・シーンだけで魅せられてしまうが、その夜、町中の人々が広場に集まって篝火を焚くという壮麗なシークエンスがそれに続く。巨大な篝火の上で魔女の人形が焼かれる。これが春を迎える儀式なのだが、儀式といっても格式ばった厳かなものではなく、要するにみんなで酔っ払って大騒ぎをする祝祭である。人々は羽目を外し、子供のようにはしゃぎ、どんちゃん騒ぎをする。町中が浮き足立ち、人々は生の悦びに浸る。これがイタリア人なんだなあ、とつくづく思う。やはり日本人とは違う。
このめくるめく冒頭シーンを皮切りに、少年チッタの目を通したエピソードが描かれていく。最初の方は微笑ましくユーモラスなエピソードが多く、たとえばそれぞれ個性的な学校の教師たち、とにかくエロで頭がいっぱいの思春期のクラスメート達、怒声が飛び交うやかましい家族の食事風景、などが登場する。私が特に好きなのはそれぞれ特徴を見事に捉えた教師たちの短いスケッチ集で、歴史、美術、宗教、数学、と色んな教師が次々に現れるがどの教師も非常に個性的で、どこかおかしい。怒りっぽくてやたら怖い教師もいれば、授業をしながらおやつを食べているとぼけた老婦人もいる。色っぽい女教師もいる。ルックスもみんな個性的で、このシークエンスはとにかく楽しい。
それから少年の回想記には欠かせない、エロ妄想。チッタ本人のものもあればクラスメート達のものもあるが、どれもこれもアホ度は満点である。ちなみにチッタは町のマドンナ的存在であるグラディスカに憧れていて、彼女とたった二人映画館に入るエロ妄想がなかなかケッサク。あれじゃただの痴漢である。が、映画好きは萌えるシチュエーションかも。
やがてファシズム関連のエピソードが出てくるが、感心するのは、チッタのエロ妄想と同じユーモラスなトーンでファシズムまで語ってしまうフェリーニの咀嚼力である。ファシストの式典に熱狂する人々を尻目に、チッタのクラスメートはムッソリーニの巨大な肖像画を見ながらやっぱり妄想に耽る。その妄想の中で、ファシストの式典は彼と(彼が憧れている)女学生の結婚式に変わっていて、ムッソリーニの巨大な顔が彼に語りかけてくる。この場面のアホさ加減はもう無限大である。大笑いした。
ところでチッタの父親はファシスト嫌いで、こっそり悪口言っていたのを誰かに密告され、連行され、拷問されるというエピソードもある。ハラハラしながら待っていた妻は、よろめきながら帰ってきた彼を抱えるようにして家に入り、手当てをする。するとチッタはその姿を見て笑いころげる。父親は怒り狂い、密告者の野郎見つけたらただじゃおかないぞと怒号する。とても笑えるような話じゃないはずだが、ファシストに拷問されたエピソードですら逞しい笑いに変えてしまう。反戦のイデオロギーやファシズムにまつわるクリシェを軽々と飛び越えてしまうこの諧謔精神は、やはり只者ではない。しかしこのエピソードで個人的に一番印象的だったのは、いつも喧嘩ばかりしている夫を心から心配し、思いやる母親の姿だった。
前半はこんな感じでユーモラスなエピソードが多いが、後半になると現実離れしたエピソードや幻想的なエピソードが混じってきて、ますます充実する。まずは精神病院に入っている伯父のエピソード。一家総出で施設に迎えに行き、ピクニックに行くと、伯父が木に登って下りて来なくなる。そして伯父は木の上から空の彼方に向かって「女が欲しい!」と叫ぶ。いやーすごい。一家がいかに手を尽くし、言葉を尽くして説得してもどうにもならないが、夕方、施設からこびとの修道女がやってきて一喝するとあっさり降りてきて、にこにこしながら施設に連れ戻されていく。家族一同どっと疲れる。このエピソードも好きだなあ。
(次回へ続く)