アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

遁走状態

2014-08-28 21:07:30 | 
『遁走状態』 ブライアン・エヴンソン   ☆☆☆☆☆

 不思議な表紙とタイトル、そして奇想の作家らしい紹介文に惹かれて買ったが、予想だにしなかった強烈な読書体験となった。正直、かなりの衝撃を受けた。決して好みとはいえないし、美しい小説というわけでもない。が、否応なしに呪縛される。

 最初の一、二篇は、ありがちなアンリアリズム系の奇想短篇を予想していたこともあって、なんだか抽象的で分かりづらいなということと、ねっとりした気持ち悪さがあるなとの印象を抱きつつ読んだ。外れだったかな、とも思った。でもまあせっかく買ったしということで、ポツリポツリと読んでいくうちに、得体の知れない不安と緊張感でだんだん胃の腑を締めつけられるような気分になってきた。なんだか怖い、という印象だが、何が怖いのかはっきりしない。多少グロテスクな描写はあるが、それが原因というわけでもなさそうだ。

 だんだん気分がすさんできたところで、ちょうど本書の真ん中部分に収録されている「九十に九十」がいいアクセントになっている。これだけ他の短篇より軽みがあって、ユーモラスだ。しかも長い。文学好きのマジメな編集者が災難に遭うコメディ・タッチの話で、出版界のコマーシャリズムを痛烈に皮肉っている。が、人形のくだりのような意味不明の気持ち悪さとシュールさがあり、読者を笑いながら居心地悪くさせるのはやはりこの作家らしい。

 それからまた強烈かつ部分的にグロテスクなテイストの短篇に戻る。そしてラストから三つ目の表題作「遁走状態」は、もう凄まじいの一言だ。読みながら心臓がバクバクいい、息が苦しくなってくるほどのスリル。読書でこれほどの圧迫感を味わうのは一体いつ以来だろうか。最初の数ページはまったく意味が分からず、しかしぎらつく肉切り包丁のような剣呑さに溢れたシーンが続く。そしてある程度の説明が提供される中盤以降は、にもかかわらず信じがたい、圧倒的な、黙示録的とでもいうべき光景が展開する。

 ほとんど茫然自失状態で読み終えた。確かに柴田元幸が絶賛するだけのことはある。全体の特徴を思いつくままに列挙すると、SF的なあるいは世界終末的な舞台設定を多用する寓話性、無意味な言葉しか喋れなくなったり人間が入れ替わったりするナンセンスな幻想性、抽象的で不可思議なイメージ、予想できない話の展開、展開の中でどこか意味が食い違ってきて首尾一貫しなくなる気持ち悪さ、「逸脱」の感覚、暴力やカニバリズムも作品のモチーフとして扱うグロテスク性、残酷性、そして現代的なオフビート感覚、あたりだろうか。

 特に重要なのは、やはりこの不思議な気持ち悪さとグロテスクの感覚だ。ホラー小説のグロテスクとはまったく質が違う。確かに流血などのグロテスク描写もあるがそれはあくまでスパイスであって、エヴンソンの小説で真に怖いのは世界の歪みである。これらの短篇の中で明らかに世界は歪んでいる。その歪みはある時は一見オフビートでコミカルにも感じられるけれども、つくづく味わうとぞっとするような歪み方なのである。柴田元幸があとがきでポーと比較して、ポーは怖い場面でも常に滑稽な場面に転じる可能性をはらんでいるが、エヴンソンは滑稽な場面でも常に怖い場面に転じる可能性をはらんでいる、と書いているが、それはこのことだろう。

 ちなみに柴田元幸はエヴンソンとポーを似ていると書いていて、私はとてもそうは思えずびっくりしたけれども、ポーとエヴンソンをネガとポジを反転させた相似形と考えると納得できる。両者ともきわめて人工的な、寓話的な世界を構築する作家で、作品中のムードの完璧なまでの統一感、象徴主義的な感覚も似ている。一方、たそがれたゴシック趣味満点のポーに対し、エヴンソンの世界は白々した光に満ちた白昼のイメージだ。現代的で、たとえばスーパーマーケットの清潔な店内を思わせる空虚さがある。

 本書の収録短篇はどれもすごいが、私が特に強い印象を受けたのは「追われて」「供述書」「温室で」「九十に九十」「第三の要素」「助けになる」「父のいない暮らし」「アルフォンス・カイラーズ」「遁走状態」「裁定者」などである。柴田元幸が自身の雑誌「MONKEY」Vol.2にエヴンソンの「ザ・パニッシュ」という短篇も訳出しているが、これもとんでもなく薄気味悪い傑作だ。しかし、写真を見るとなんだか人の良さげなおじさんだが、こんなものをさらっと書いてしまうブライアン・エヴンソンとは一体どんな人間なんだろうか。

 小説芸術を愛するすべての人に本書を推薦するが、あなたがこれを好きになるという自信はまったくない。ただ、強烈に打ちのめされるだろうという自信はある。物凄い作家だ。

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