アブソリュート・エゴ・レビュー

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ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹

2014-10-20 20:46:50 | 
『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』 ジェフリー・ユージェニデス   ☆☆☆☆★

 再読。原題はザ・ヴァージン・スーサイズで、ソフィア・コッポラが映画化した。映画の方は大した出来ではなかったが、原作はかなり良い。アメリカの作家で題材もアメリカ的だが、スタイルは明らかにガルシア・マルケスを意識していて、文体や語り口がそっくりだ。しかし単なる物真似ではなく、ちゃんと咀嚼した上でアメリカの地方都市を舞台とした物語にアレンジしている。これはこれで大したものだ。マルケスの文体はラテンアメリカの驚異的な現実の裏づけがないと成立しないような気がしていたが、アメリカの地方都市でもちゃんと成立することが分かった。しかも、ハイスクールに通うティーンエイジャーたちが主人公で、本書は甘酸っぱい青春ものでもあるのだ。

 そもそも、ある一家の五人姉妹が一人残らず自殺してしまう、という基本のアイデアが現実離れしている。残酷な童話の色を帯びている。他にもさまざまなデフォルメされた意匠がちりばめられており、たとえば夏になると繁殖して町中を覆いつくしてしまうヘビトンボ、いつもウェディングドレスを着ているセシリア、ミスター・リズボンが見る自殺した娘の幽霊、娘を幽閉したあとカオスと化していくリズボン邸、女生徒という女生徒をメロメロにしてしまう男子生徒トリップ、リズボン家から漂ってきてどこへ行っても消えない臭い、屋根の上で誰彼かまわずセックスをするラックス、などなど。マジック・リアリズムそのものだ。

 また、本篇の語り手は「ぼくら」だが、具体的に「ぼくら」が誰なのか判然としない。リズボン家の近所に住む男子生徒たちというだけで、正体不明だ。マルケスの『族長の秋』方式である。また、この物語はリズボン家の悲劇を忘れられない「ぼくら」が事件から数十年たった現在、関係者の話を聞き、事実関係を調査して報告する、という形をとっている。だから物語の途中で「~夫人はあの時のことをこのように語っている…」のように事後のインタビュー結果が挿入されたりする。マルケスの『予告された殺人の記録』方式である。

 という具合に明らかにマルケスの小説を強く想起させるスタイルだが、これで実にアメリカらしい、恋愛やセックスやティーンエイジャーのパーティーなどのエピソードなどを繰り出し、全体としてきわめてアメリカ的な青春ものとして成立しているところがミソだ。マジック・リアリズムで描いた青春学園もの。そんなものはもちろんマルケスも書いていないし、そもそもラテンアメリカ文学とはまるで匂いが違う。異質なるものの結合により、これまでにない新しい小説が出来上がっている。

 ところでリズボン家の五人姉妹が自殺した理由は、結局のところ良く分からない。抑圧的な母親という分かりやすい要因はあるものの、それだけでは説明がつかない。「ぼくら」はリズボン・シスターズを救出する直前だったし、少女たちは決して死ぬ必要はなかったはずだ。結果的にこの小説は、ティーンエイジャーの少女たちという、どこかこの世のものではない妖精性を帯びた存在の神秘を描き出すことに成功している。生と死の垣根をあっけなく越えていく少女たちの物語が、スキャンダラスな事件というより、神話的な物語と化しているのである。



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