アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

さくらんぼの性は

2007-09-06 19:00:10 | 
『さくらんぼの性は』 ジャネット・ウィンターソン   ☆☆☆☆☆

 昔、冒頭ちょっと読んで中断していた小説。あらためて最初から読み直し、こんなにいい小説だったのかと驚いた。

 基本的に奇想天外な幻想小説である。ちょっとユーモラスな語り口はほら話的でもあり、御伽噺的なムードを漂わせている。主人公の一人である犬女は巨大な女だが、はかりに乗って象を空高くふっとばしてしまうなんてあたりは、ガルシア・マルケスあたりに通じるたくましい荒唐無稽さを感じる。その一方で、恋人達の言葉が幾千幾万の鳩になって飛んでいく、なんていう繊細で美しいイメージには、たとえばボリス・ヴィアンやジャリあたりの華麗なシュルレアリスムに近いものも感じる。いずれにしろ、誰かのフォロワーではない独自の想像力のきらめきを持っている作家さんだ。

 全体を貫く明確なストーリーがないという、この緩さもまた魅力的だ。ジャネット・ウィンターソンは物語作家やストーリーテラーではなく、詩人であり、幻視者なのである。一応物語の枠組みはある。主人公は犬女とジョーダン。犬女はジョーダンを拾って彼を息子として育てる。ある時ジョーダンは旅に出て、不思議なダンサー・フォーチュナータを探して世界を遍歴する。その過程で彼はさまざまな空想的な町、御伽噺的な人々に出会う。一方犬女はピューリタン革命の嵐吹き荒れるロンドンに残り、王様の処刑を目撃し、ピューリタン連中と戦う。しかしこれはこの小説のおおざっぱな枠組みみたいなもので、その中で自由自在に展開されるイメージの美しさこそがこの小説の眼目である。たとえば象を空中に飛ばす犬女。ジョーダンが訪れるすべてが宙づりになっている町。細いロープの上を(ロープを切ったりつないだりしながら)渡っていく踊り子。高い塔に閉じ込められていると信じている娘(でも外から見ると普通の家に見える)。毎晩すべての家が引越しをする町。十二人の踊る王女。ギターとマンドリンが禁じられた町。などなど。こうした詩的な断片の数々が花火のように光っては消えていく、それがこの小説である。

 しかし美しいロマンティックなエピソードばかりではなく、特に犬女の章には残酷なエピソードも多い。革命が背景になっているということもあるが、犬女は平気で人を殺す。目をくりぬくとか、男のあそこを噛み千切るとかいうシーンもある。どれも彼女なりの正義感に裏付けられているので嫌な感じはしないが、この残酷さはまるでギリシャ神話だ。文体は簡潔でスピーディーなのでまったく猟奇的ではなく、そういう乾いた感じもやはり神話や御伽噺の残酷さに近い。それから、作者のジャネット・ウィンターソンがレスビアンだからかどうか分からないが、本書の中では異性愛と同じくらい自然に女同士、男同士が愛し合う。そういうところも人間界を超越した天上的なものを感じさせる。

 小説はしばしば、リアルな人生の後ろに隠された人生、あるいは空想と現実の等価性に言及する。そして小説の後半では、ジョーダンと犬女が現代に生きるキャラクターの空想であるとほのめかすような章が現れる(この場合空想というのはもちろんジャネット・ウィンターソン的な現実の等価物、現実の人生と同じ重要性を持つ「隠された人生」という意味であって、いわゆる空想とは違う)。けれどもそのつながりも明確にされることなく、また物語はジョーダンと犬女の世界に吸い込まれていく。最後まで読んでも、この小説の構造や、この小説を支配する世界観がはっきり呈示されることはついにない。この小説自体が幻のような曖昧さと詩的な多義性に包まれている。まるでジョーダンが追い求めるフォーチュナータのように。
 
 マジック・リアリズムとシュールレアリスムと御伽噺がミックスされたような美しい小説だった。文章も非常に魅力的。幻想文学愛好者は必読。


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2 コメント

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お~、ジャネット・ウィンターソンだ! (くろにゃんこ)
2007-09-08 00:02:25
私も好きですよ。
「オレンジだけが果物じゃない」も読んでいますが、「さくらんぼの性は」と伴わせて読むとまた一段と面白いです。
ジャネトット・ウィンターソンの持ち味は、あの明滅するイメージですよね。
なんだか、ウィンターソンが読みたくなってきました。
そうだ、図書館へ行こう。
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ウィンターソン (ego_dance)
2007-09-08 12:24:13
『オレンジだけが果物じゃない 』もやはりお薦めですか。入手しようかどうしようか迷ってます。半自伝的小説と聞いたので、完全なフィクションの『さくらんぼの性は』と違うんじゃないかとちょっと心配で。
10月に出るらしい『灯台守の話』というのも非常にそそられます。
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