アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

白い巨塔

2006-11-23 14:01:48 | 
『白い巨搭(1~5)』 山崎豊子   ☆☆☆☆☆

 以前、唐沢寿明主演でやったTVドラマ『白い巨塔』にはハマり、その時に原作から昔の田宮版『白い巨塔』、映画『白い巨塔』まで全部読んだり観たりした。とにかくメチャメチャ面白いのだ。

 ストーリーを知らない人はあまりいないと思うが、優秀だが野心的な外科医・財前五郎が権謀術数を尽くしつつ大学病院の中でのし上がっていく、その野望と破滅の壮絶なる人間ドラマである。最初は教授選(助教授である財前が教授に選出されるべく策略をめぐらす)、次に誤診裁判(教授になった財前が誤診で訴えられる)、そして誤診控訴審&学術会議選と大きく三部に分かれている。

 はっきり言って、これはもう面白いので読んで下さいと言うしかない。大衆小説の面白さをすべて備えた上、人間ドラマの壮絶さゆえに純文学的な感動ももたらすという一大傑作である。文庫にして五巻、息つく暇もなく読了できる。

 ところで私は唐沢版『白い巨塔』と田宮版『白い巨塔』を両方観たわけだが、小説を読んでいるとどうしても田宮版『白い巨塔』の役者の顔が浮かんでくる。田宮版の方が原作に忠実ということもあるが、とにかく田宮版『白い巨塔』の出演者の面々、インパクトの強さがハンパじゃないのである。私の場合、特に印象に残っているのが鵜飼医学部長と財前五郎の義理のおやじ財前又一だった(東教授も捨てがたいが)。
 それぞれ小沢栄太郎、曽我廼家明蝶という俳優さんがやっているが、とにかくうまい。二人とも腹黒いたぬきオヤジなのだが、その腹黒さというか一筋縄ではいかない曲者ジジイぶりが最高である。小沢栄太郎氏は『ブルークリスマス』にも出ていて、やはり味のある曲者ぶりを発揮していた。曽我廼家明蝶という人は他で知らないが、見るからに海坊主っぽい、ギラギラした異様な容貌で、暑苦しい大阪弁の喋りもあってすごい迫力だ。とにかく金に物を言わせて財前五郎を教授にしようとするのだが、人間最後に欲しくなるのは名誉や、などという独特の哲学をぶち上げる語りなどもすごくいい。

 唐沢版ではそれぞれ伊達雅刀、西田敏行がやっていて、特に西田敏行は得意の演技力で健闘していたが、やはり田宮版の二人にはかなわない。小説『白い巨塔』ファンの人は、ぜひ田宮版『白い巨塔』も観ていただきたい。

 さて、小説では役者の演技は見れないが、その代わりセリフのひとつひとつをじっくり味読することができる。注目のバイプレイヤー・鵜飼医学部長と財前又一について言えば、金を権力にあかせて策略をめぐらす中で悪だくみを美辞麗句で飾ったり、婉曲話法で脅迫したり、そうかと思えば低姿勢になってみたりと、狐とタヌキの化かしあいのようなやり取りが実に面白い。例えば教授選で、謹厳な大河内教授が選挙工作批判を口にすると、「そんなご心配なら、現医学部長の私が、責任をもって、厳正な選挙を行いますから、そこまで前医学部長にご心配いただいては心苦しい限りです」という。要するに余計な口を出すなと言ってるわけだが、言葉の上では礼儀を失していないのがすごい。財前又一はたとえば医師会の会長を動かす時に「こういうところででも、ちょこちょこ、会うとかんと、ツーツーカーカーにはいかんからな、ともかく、会長と副会長は、ツーツーカーカー、以心伝心やないと、ものごとはうまく運ばんさかいな」などとうそぶく。ツーツーカーカーなんて死語だろうが、こういう独特のレトリックを駆使しながら展開される熾烈なタヌキオヤジ的駆け引きの数々を堪能できる、これも本書の魅力の一つだ。

 主要キャラクターである財前と里見がそれぞれ魅力的なのは言うまでもないが、特に里見はほとんど現実離れしているくらい誠実で、世俗から超然とした医者として登場する。彼は恐いもの知らずの財前が唯一、心の奥で畏れを抱いている人物で、財前の愛人・ケイ子も、どんな権力者や有名人でも操ってみせるがあの人だけは無理だ、と言う。まるで医学者のモラルと良心が人間の形となって物語に介入しているかの如き人物で、ほとんど幻想的なキャラクターである。終盤、財前が里見と激しく対立しながらも、自分が人間として一番信頼しているのは里見だと悟る場面があるが、その直後、里見という人物はなんと財前の目にしか見えておらず、現実には存在していない、財前の秘められた良心が生み出した幻覚だったということが判明する、などという大どんでん返しがあったりしたらこれは違うジャンルの小説になってしまうだろう。

 この小説はまた優れた法廷小説でもある。作中展開される誤診裁判はもちろんTVドラマより詳細、緻密で、素人が読んでいると本物の裁判のようにリアルに感じる。ものすごい綿密な取材がなされている様子で、専門用語がちりばめられ、鑑定者によって言うことがまるで違ったり、医療裁判というものの難しさがひしひしと伝わってくる。

 山崎豊子はもともと誤診裁判で財前が勝ち、里見が大学を去るところで小説を完結させていたが、社会的な反響が大きかったので続編として控訴審篇を書いたそうだ。まあ確かにあそこで終わっていたら気持ち悪いだろう。里見と東佐枝子の関係にもケリがついていない。続編が書かれることで財前と里見の関係も深まったし、財前というキャラクターが重層的になったし、何といっても物語がものすごく劇的になった。評判を呼んだ小説の続編が蛇足になることも多いが、この小説に限っては、最初からこの形で構想されたとしか思えないほど見事にまとまっている。娯楽小説として最高なだけでなく、一大叙事詩的な感動をもたらす傑作だと思う。
 


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2 コメント

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Unknown (challeteleko)
2006-11-27 18:04:51
>山崎豊子はもともと誤診裁判で財前が勝ち、
>里見が大学を去るところで小説を完結させていたが

唐沢版ドラマを最後まで見たあとに映画版を見ました。映画版はここで終わっていたので、消化不良な感じが残りましたが、原作はもともとここで終わっていたんですね。原因が分かってすっきりしました。
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映画版 (ego_dance)
2006-11-29 12:29:58
そうなんです、もともとは非情な医療裁判の現実を描くということで、患者敗訴にしたそうです。ところが「もっと社会的責任をもった結末を」との声が大きかったので、一年半おいて続篇を書いたとか。だから控訴審篇はタイトルも『続白い巨塔』で発表されたそうですよ。
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