橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

岡田斗司夫の「風立ちぬ」評が凄すぎて・・・

2013-08-10 16:21:39 | メディア批評

岡田斗司夫の「風立ちぬ」評が凄すぎる(以下リンク)。

http://blog.freeex.jp/archives/51393680.html

(おおいにネタバレですので、映画を見てない方はご覧にならない方が良いかと思います。かなり引きずられます。)

私は自分のブログの「風立ちぬ」の感想http://blog.goo.ne.jp/ebisu67/e/9dba6e6894b96462de2c9f7f5ce76ffbで、おもにその風景の美しさについて書きました。映画を見てそこにしか反応できず、どう言っていいか分らないまま、ほかの部分は保留にした上で、最後にこう書きました。

「『風立ちぬいざ生きめやも』の方に私がそれほど反応できなかったのは、人間社会を怖がっているからなのかもしれません。そんなことを考えて打ちのめされてもいたりします。」

理想を語り、悪い人にはなれず、自分を汚す者には近づかない自分は、本当には人間というものが何もわかってはいないのではないだろうか…という引っかかりとかわだかまりです。なぜかこの映画を見て、こんなことを考えました。
 岡田斗司夫の感想を見てわかりました。「風立ちぬ」はまさに、私がわだかまっていたような部分を考えさせられる、そういう自分を顧みざるをえなくなる映画でした。下手するとこれまでの自分をひっくり返して、いま一度そのあり方を考え直さねばと思うきっかけとなるような映画でした。手放しで良い映画とは言えなかったわだかまりは、そういうところにあったのか…と納得しました。ただ、宮崎駿がメッセージとしてそういうことを打ち出しているわけでは全然ありません。むしろその逆。
いろいろ考えさせられるとか思ってるのは私の個人的問題であり、自意識過剰です。

岡田斗司夫は「風立ちぬ」を100点で98点、宮崎の最高傑作と言っています。その論に従えば、私もそう思います。でも、先にも述べたように、良い映画だった!と素直には言えない感じもあります。これって、自分に自信のある人じゃないと素直に良いと言えない感じがします…。人生の半分以上を終えてしまった自分の現状のダメさとか、人と上手く関われない自分が今後どうしたらいいのかを突きつけられる気がして、頭を真っ白にしたくなりました。あまりの暑さに、何もする気がしないのが、そういう考えにさらに追い討ちをかけます。鬱になりそうです。
自分のダメさを突きつけられるからというだけではありません。じゃあ、バリバリとなにかをやれたとして、その先にあるものは何かをこの文脈で考えると…。やっぱり鬱になりそうです。
そう、「風立ちぬ」をちゃんと語ると鬱になりそうだから、立ち止まっちゃうんです。やはり手放しで良い映画!とは言えない。でも完成度は高いのです…。

でも、多分、今の私はこの岡田論に影響されすぎてもいます。
自分にとっての「希望」とは何なのか…。まだまだ考えることはたくさんありそうです。自分は単純すぎる。でも、複雑であることがいいことなのか…。じゃあどう生きる?ああ、また頭ぐちゃぐちゃです。

自分でもアニメを作っていた岡田斗司夫は、ひとつひとつのシーン、登場人物の視線の方向などから様々なことを読み解いてます。宮崎駿がそう描いたのには理由があるとすべて分析しています。そういう細かいところから分析しながら、人間の深い業とか、美と残酷とか、大きなテーマに言及しています。確認の為に映画もう一度見たくなります。


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