橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

原発問題は基地問題と同じ。地方が自立するために

2014-02-15 21:42:08 | Weblog

このところ、ずっとこのブログを更新していなかった。facebookのほうに書き込むと、ついついこちらにも掲載する事を忘れてしまう。ちょっとブログに戻ろう。

以下は、先日の都知事選挙の前日に書いたもの。上のタイトルのような内容。ここに書いたことは都知事選挙にも関係あると思ったけれど、それに限った問題でもないので、ブログの方にも再掲する事にします。当時の時勢でそのまま掲載します。

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都知事選挙まであと1日。
私は東京都民ですが、今日は地方の実家に帰っています。明日、選挙には行けるように東京に帰りますが、自分の生まれた土地の現状を見ていると、東京都知事選が東京のためだけにあるとは到底思えません。特に国政の中でも最も重要なエネルギー政策に一石を投じる候補が出馬している選挙です。

中央集権の時代に、東京の経済の論理に引きずられ、地方は逆に疲弊して行きました。東京本社の大企業が地方に進出し、地方の自立と富を中央のために奪って行きました。地方の人々の華やかな東京に対する憧れは皮肉なことに、彼らの文化も富も収奪しました。

そこにやってきたのが原発政策です。疲弊した土地に仕事を持ってくるという名目で、一部の人はいざしらず、多くの人をその犠牲に見合わない条件で働かせ、それでも、より疲弊した地域よりはマシだろうと思わせる。そしてそれに頼らなければ生きて行けないように自立性を奪った。

原発政策は国政だけれど、それで最も恩恵を被ったのは東京のはずです。犠牲を伴う恩恵である原発立地自治体とちがい、東京は犠牲のない恩恵だけ。
今、東京が原発推進を宣言することは、地方の自立をさらに遅らせ、東京はいつまでもそうした地方の犠牲の上でしか成立しない都市のままでいることを宣言することにほかなりません。東京五輪の積立金は決して東京だけの力で積み立てることができたわけではないと思います。いかに東京が地方の犠牲の元に肥え太って来たかを考えてみて下さい。そういう意味でこれは一自治体の選挙ではない。

3・11以降、地方の状況も変わりつつある気がします。原発のある自治体でも、もはや推進にこだわっているのは、経営者側など甘い汁が吸える人々とその恩恵を受ける政治家や天下り。それに頼らなくていいのなら、代替の仕事があるならば、原発にこだわることはない。そう思い始めている人もいるような気がします。私はそうした人々に期待したい。脱原発派の候補が知事となり、東京の経済力と人脈とあらゆる力を使って、原発の代替となる仕事を考え、作り、地方のお手本となる姿を見せるなら、現在、脱原発に踏み出せないでいる地方の人々の背中を押すことができるかもしれない。

そして、それは地方の経済の自立に向けた第一歩になると思うのです。
そのためにも、東京では是非、脱原発候補を当選させたいのです。
本当にこの選挙は東京のためだけの選挙ではないと思います。
明日の選挙、有権者の皆さん、雪が降っても、寒くても、がんばって行きましょう!


選挙へ行こう!選挙ステッカーなるものを作ってみる。ウェブ用ですが

2014-02-02 03:01:31 | Weblog

東京都知事選に向けて、投票を呼びかける選挙ステッカーを漫画家さんたちが作り始め、配布されています。それに触発され、私も選挙ステッカーを作ってみました。とはいえ、シール状にはなっていない、ただのウェブ上の画像です。ツイッター(@yurys)でツイートしています。拡散希望!

上野不忍池の水面に映った蓮。蓮はふたたび緑に戻るけれど、とりかえしのつかないことをして、戻らなくなったりしないように、自然を守り、人を守ってくれる候補を選びたい。