橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

洗濯機の寿命と娯楽としての手洗いのススメ

2011-06-19 23:43:59 | 出島DEJIMAプロジェクト

去年の秋に始めた「火鉢クラブ」http://hibachiclub.blogspot.com/ では、炭火に限らず、いろんな楽しい暮らしの提案をしていくつもりですが、まさに今日、自分の生活の中で、お、これ意外にイイかもって思う事があったので、お伝えします。


「手洗い洗濯」です。


まずそもそもは、うちの洗濯機が壊れかけていることが事の発端。20年近く使っている洗濯機なのですが、とうとうその寿命を迎えようとしているのか、今朝はどうしても動かなかったのです。いつもは、いろんなボタンを闇雲に押していると動き出したりするのですが、今朝はピクリ、くらいで止まってしまう。ただ、完全に動かなくなったわけではないようで、また気まぐれに動き出すかもしれない気配でした。


この洗濯機、もう1年くらいずっと調子が悪いのです。

全自動なんかとっくのとうにできなくて、洗濯、すすぎ、脱水その都度止まっては、スイッチを入れ直しに行っていました。最近では、年老いた人のように、陽気のいい時には動くけれど、寒さで縮こまる日には、ボタンを押してもピクリともしないいう日が続いていました。それでも、適当にいろんなボタンを無造作に押していたりすると、突然動き出して洗濯を全うする事ができました。全自動洗濯機のくせに、2層式なんかよりもずーっと、洗濯機の側にいる時間が長

いという、不思議な1層式でした。


持ち主が買い替えを考え始めるとパソコンが自ら壊れてしまう事がよくあるといいますが、洗濯機も歳を取るほど人間のような動きをするのかなあとしみじみ今日の調子はどうだろうか。ちょっと寒いけど今日は動いてくれるだろうか。気温や湿度を気にしながら、ふつうなら買い替えるであろうめちゃめちゃ調子の悪い洗濯機を使い続けてきたわけです。普段動かない分動いた時は嬉しいし、すごく年寄なのに今日はがんばってるわと思ったりして、どうも買い替える気になれませんでしたこのところの経済状態では買い替えるのもままならないというのもあっ

のですが・・・。


にしても、新しい洗濯機も買わない、今の洗濯機も動かない。

ではどうするか。


コインランドリーに行ってみたら、なんと今日に限っていっぱいでした。

それではたと思いついたのが「手洗い」です。


「そーだ、手洗いしよう!」


時間がかかるとはいっても、コインランドリーを行き来する時間を考えたら、かかる時間は実質は変わらないはず。それに、手洗いって、結構運動になるのではないだろうか。そう思ったのでした。


考えてみれば、常々私は、家事を楽にして時間を作って、その時間でスポーツジムに行ったりする事にやや違和感を感じていました。いろんな家電製品のおかげで家事は随分楽になったけれど、そのせいで脳みそしか動かさないという人が増えた。そして、それでは身体がなまると、現代人はせっせとスポーツジムの動く道路で走っているのです。そんなこと言ってる私も、一時期スポーツジムに通ったことがあります。しかし、走っても走っても変わらない都会の夜景を見下ろしながら、風も感じず、動く歩道の上を走る自分にはなにか違和感がありました。かつては体育館や運動場で土ぼこりや汗にまみれてやっていた運動を、ジャグジー付きのサロンみたいなところでやるってことに対し、セレブでもないのになにか勘違いをしてない?似合ってないよという言葉が脳裏をよぎりました。しかしいちばんの違和感は、忙しい忙しいといいながら、家事という運動を家電というロボットにまかせてジムに通うという本末転ではなかったかと思います(ただ、プールで泳ぐのはちょっと別物かなと思います)。

もちろん、身体が動かなくなってきたら、電化製品に頼らねばならないし、家事家電が無くていいと言うわけではありません。それに、若い人にも「使うな」というわけじゃない。私だって使ってますし。家電を使う事で得ているもの、また失っているものは何かということを、ちょっと意識してみてもいいんじゃないだろうかと思ったのでした。


まあ、そんなこんなで、この際、汗かきながら洗濯やってみるのもよかろうと思ったわけなのです。実際には、ふと「やってみよう!」と思っただけで、その一瞬の脳の動きを、後から説明すれば、以上のようになるというだけのことです。長々すいません。


というわけで、早速手洗いしてみようということにしたのですが、といっても、うちには洗面器しかありません。やはり、本格的に手洗いするとなるとたらいが必要です。そこで、早速その足で、近所の荒物屋にたらいを買いに行きました。こういうときに、歩いて行ける範囲に荒物屋なるクラシックなものがあるこの谷根千地域の環境に感謝です。


せっかくだから、気分を出そうと思って、トタンの金だらいを購入。ドリフのコントで上から落ちてきていたアレです。ただ、あまり大きいと置く場所もないので、やや小さめ。それと、洗濯板も買いました。なんだかんだいってまだ売ってはいるのです。子どもの靴下の泥汚れなどを落とすため、小さい洗濯板を買ってく人が時々いるんだとか。私が嫁入りする時はこの金だらいと洗濯板を持ってきたもんよと言ってた店のおばちゃんは、今年78歳だそうです(70そこそこにしか見えないのですが)。


ところで、この金だらい、直径48cmの大きさで2800円でした。

ちなみに洗濯板は1800円

高いと思うか安いと思うかは人によって違うんでしょうが、同じくらいの大きさのよくあるブルーのポリのたらいが1200円。洗濯に使うってことだけ考えると倍以上する金だらいは高い気もしますが、このビジュアルだと、夏、氷水を貼ってスイカやキュウリを浮かべたりしてもイケル感じ。今後の火鉢クラブの活動を考えたら、断然金だらいの方が用途が多く、お得であるに違いない(実際のイベントのときにはちゃんと新しいヤツ使いますよ!)。

というわけで、ポリではなくトタンの金だらいにしました。



ちなみに、この金だらいを作っている会社。写真のたらいの真ん中に「DOIAEN」と書いてあるのですが、多分これ「土井亜鉛」で、「土井金属化成株式会社」http://www.d-k-k.jp/index.htmlというところのもののようです。とあるサイトの情報だと日本で唯一残る金だらいメーカーということですが、ググるとほかにも金だらいを作っている会社はあるようです。しかし、写真を見ると、金だらいでも素材が違っているようで、こういうドリフのコントに出てきたようなトタンの金だらいを作っている会社はここだけってことなのでしょうか?要リサーチですわ。



ということで、風呂場で洗濯開始。

石鹸はカネヨの純石鹸分98%の洗濯石けんで環境にもgood。1個120円


たまっていた靴下15足ほか、綿シャツ5枚、パーカーなど洗いましたです。斜めに置いた洗濯板は思いのほか使い勝手がいい。左手でつかんで右手でごしごしってやっていましたが、運動の意味も考えて、左手でもごしごしやってみました。なんだか腕の運動になってる気がする~。


実は、私は昔から腕力と握力が弱いのです。学生時代スポーツは得意な方で、体力測定の数値もほとんどの項目で平均を上回っていました。しかし、なぜかボール投げが苦手で、握力にいたっては平均25~26くらいのところ、私は20いかなかったんじゃないかと記憶しています。崖から落ちそうになっても枝にもつかまれない、サバイバル能力が低い身体なんだという認識がどっかでずーっとありました。


それが、洗いからすすぎを経て、靴下3本を一度にぐっと絞ったとき、握力が鍛えれるのを実感!これは、一石二鳥。なんだか、二の腕にも力がかかっているし、思ったよりいい運動です。これはまじに、手洗い続けたら、握力が強くなってくかもと思いました。また、お湯を使ってるから、ホットヨガをやっるみたいで、結構汗も出ます。お風呂に入ったとき一緒に洗ってしまえば、汗もいっしょに流せます。


運動になるだけじゃありません。洗濯物をバシャバシャすすいで、水がだんだん濁って、水を変え、次第に澄んで行く。桶に手を突っ込んで、どういう風に洗濯物を揺すれば、もっとも泡が早く落ちて行くか、小刻みに手の平を動かしてみたり、洗濯物をつかみ洗いしてみたり。いつもは洗濯機が勝手にやってる事を、自分の目で見て手を使って、より効率的にやろうとするのは結構楽しい体験でした。


ただ、ちょっと大きなものは絞るのが大変。特にパイル地のパーカーみたいなものは水をよく含むので、スゴく重くて脱水機が欲しくなります。まあ、洗濯機が復帰したら、脱水だけは脱水機でやってもいいかもな。


 一張羅のシャツも手洗いしました。ドライマークがついてるのもあったけど、自己責任ざんすw


こういう綿シャツは手で絞るとシワシワになりますし、もしかしたら、

絞らずに水浸しで吊るしとくという手もあったかもしれません。


 手洗いマークをまさに手洗い!なんて思ったけど、最近の手洗いマークは洗濯機の手洗いコースを

想定してるんでしょうか?本当の手洗いは、結構摩擦もスゴいと思うからな・・・。



あんまり、手洗いだけにこだわる事も無く、ゆる~く手洗いを楽しむ感じが長続きの秘訣かなとも思います。まあ、私はしばらく洗濯機を買わないと思うので、洗濯機の機嫌が直って動き出したら、脱水は洗濯機でやろうかなと思いますが、大抵のお宅の洗濯機は元気でしょうから、この手洗い洗濯、気分転換として、たまにやってみるってのはどうでしょう。「娯楽としての手洗い洗濯」でしょうか。庭があるお宅やベランダが広いお宅なら、天気がいい日は、庭にたらいを出してバシャバシャやるともっと気持ちいいと思います。


固形石鹸で洗うと泡切れもよく、水もそんなに使いませんし、節電にもなります。いろんな意味で一石二鳥だとも思います。


せっかく私たち人類が開発した文明の利器。まったく否定する必要はないと思います。実際、洗濯機というのは、お母さんの腰痛も減らしただろうし、腰の曲がったおじいちゃんおばあちゃんでも使えるし、かなり優れものだと思います。


その機械達に自分の仕事を肩代わりしてもらった代わりに、私たちは何を得ているのか、その得たものは価値あるものなのか、はたまた何を失っているのかを意識しながら、機械を使おうよってことだと洗濯しながら思いました。


たまの手洗い、水遊びでもあり、洗い上がるという達成感もあって、結構おすすめです。




 


6月20日は難民の日 21日に「イラクと東北、難民、放射能、子ども達」緊急トークライブ開催

2011-06-18 10:40:29 | 東日本大震災

6月20日は国連の定めた「難民の日」です。

毎年この時期には難民映画祭などのイベントが開かれています。

通常は、「難民」といえば、海外途上国の戦争避難民であったり、

政治的な理由や貧困による難民であったりするわけですが、

今年の日本にとっては、意味がちょっと違ってきました。

津波による大規模被害やいまだ続く原発事故による放射能汚染のせいで

私たち日本国民自身が国内避難民となっているからです。

これまで、海外の難民支援に向かっていたNGOも

3月11日以降はのきなみ東北に支援に向かいました。

 

イラクで小児がんの子どもたちへの医療支援を行っている

JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)http://www.jim-net.net/もそのひとつです。

イラクで白血病などの子供たちの治療を行いながら、

そこに劣化ウラン弾による被爆の可能性を見て調査を続けてきた彼らにとって

今回の福島の原発事故は、より重い事実としてのしかかっています。

アメリカ政府や国連はがん発症への劣化ウラン弾の影響を認めていません。

しかし、イラクで小児がんの子どもが増えているのは事実です。

では、何が原因なのか・・・。怒りをどこにぶつければいいのか・・・。

こうした状況を将来の日本で生まないために私たち日本人はどういう行動を起こせばいいのか。

そういう思いの中、国際支援をしてきたNGOは、

今あらためて自分の足下日本の現状を考える事から世界を見ようとしています。

 

そんななか、このJIM-NETのメンバーとパレスチナの子供達を追うジャーナリストが、

トークライブを行います。

 

難民の日に考えよう

「イラクと東北、難民、放射能、子ども達」緊急トークライブ

日時:6月21日(火)(難民の日の翌日ですお間違えなく)
   18:30開場 19:00スタート

場所:高田馬場 鉄板焼き「大都会」B1ミーティングルーム

   高田馬場駅を下車。早稲田通りを中野方向へ3分歩くと右手に西友があり、向かい側です。
   http://daitokai.net/access/index.html

定員:20名(+地べた席10)先着順です。(まだ空きがあるそうです)
参加費:無料
申込はmaki_sato@jim-net.net
03-6228-0746
当日はユーストリーム中継します。詳しくはHPで告知します。
http://ustre.am/zVLv
当日参加できない方でも、質問等メールで送ってください。

以下のテーマでトークを繰り広げます。

1.家を失い避難する人たち

  パレスチナ、イラクの難民と、東北の避難所から考えたこと

2.放射能汚染
  イラクの劣化ウラン弾と福島原発

3.子ども達の未来
  ガザの子どもたち、イラクのガンの子ども達、そして、日本の子ども達は?

詳しくはこちらのページをご覧になり、ふるってご参加ください

http://www.jim-net.net/news/info/2011/06/post-58.php

 


協力募集!真夏の防災訓練&ミニ夏祭り企画

2011-06-07 14:11:33 | 出島DEJIMAプロジェクト

 

今回は、わが出島プロジェクトの活動のひとつ

「火鉢クラブ」(http://hibachiclub.blogspot.com/)からのお願いです。

 

現在、「火鉢クラブ」では8月に向けて2種類のイベントを構想しております。できましたら、趣旨にご賛同いただける方のご協力を賜りたく、インターネット上で広くご協力をお願いすることにしました。

今日は2つの構想のうちの1つをご説明させていただきます。


先日、このブログにて、地方自治体による防災用の木炭備蓄の提案をアップしましたが(5月24日「提案:自治体で防災用に木炭の備蓄を」)、構想のひとつは、その防災用木炭備蓄に連動して行う防災訓練の提案、


「木炭による火の熾し方と木炭を使った調理教室in東京」です。



今回、震災の被災地でも、電気ガスが使えなくなった時に、七輪と炭はあるものの、火の付け方使い方がわからず、暖かい食事が作れなかったと言う声を耳にしました。被災した時に、暖かいものが食べられるという事は重要です。暖かい食べ物は立ち上がろうとする活力を生みます。


昨今では、火を使う危険性ばかりが強調され、家の中で直火を使う事が減っています。しかし、使い方を知らねば、危険が訪れたときの回避もできません。まずは、「火」を知る事が大切です。特に、自然との関わりの薄くなった東京ではなおさらです。


そこで、木炭を使った緊急時調理教室を行いたいと思っています。防災訓練の一環としてみんなで楽しく炭の使い方を学びながら、自然エネルギーのこと、森林保全についても考えて行ければと思っています。実際に「火」を使う体験から、自然やエネルギーについての考え方も育まれて行くのではないかと思います。

炭焼き釜(愛媛県内子町石畳)


現在、開催場所などについて一部の方にご相談しておりますが、まだ、具体的メドはついておりません。企業協賛などもいくつかお願いしてはみたのですが、大学や行政、有名企業などの肩書きもなく、今だ大きな実績がない中お願いしても難しいということで、なかなか厳しいものがあります。


以下に、企画書と資料をリンクしております(以下クリックして下さい)


火鉢クラブプレゼンツ:真夏の防災訓練

 「木炭の熾し方と木炭による調理教室」&納涼ミニ夏祭り」企画書

*企画内容については、

列挙した項目の中から可能なものを実施出来ればと考えています。


火鉢クラブとは



<お願いしたい項目>

1)場所のご協力

  (できれば台東区内のどこか、もしくは根津千駄木周辺地域を希望)

2)当日スタッフ、チラシデザインなど人的ご協力

3)協賛金のお願い(金融機関さまによる融資なども)

  (チラシ、ブログ、その他メディアにて広報します)


*この限りではございませんので、なにかアイディアなどありましたらお寄せいただけるとありがたいです。


現在、友人数名、都内炭店さんにご賛同、協力の意向いただいております。また、夏休みに限らず、今後も季節毎にこうしたイベントを開催したいと考えております。


もし、この内容を見て、ご協力いただけるかたがいらっしゃいましたら、

dejima2010@gmail.com までご連絡いただけると幸いです。

(リンクしてませんのでアドレスをコピペしてください)


何卒よろしくお願い致します。


もう1つの企画は、通常の「火鉢カフェ」の夏版という感じの企画です。こちらも追ってアップします。

 



上野夜散歩 Night walk in Ueno

2011-06-06 22:20:32 | 谷根千・上野浅草・下町

これって、去年の夏頃アップしたビデオなのだけど、

さっきたまたま見直す機会があって、懐かしかったので再アップ。

アメ横ガード上の山手線と京浜東北線。何度見ても萌えますな!

こんなごちゃごちゃしたところを一分の遅れも無く電車が走るって脅威。

これが日本の底力って感じ。リニアモーターカーとかいらんから

こういう電車で十分わくわくです。日本の活力感じます!

なんか大丈夫って気になります。

最初は上野公園から始まっております。

ごらんください(すでに見た方はもう一度どうぞ)。

Night Walk in Ueno

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政府とメディアと国民の不安 その2~<3・11>を語り合う会に行った~

2011-06-06 10:21:19 | 東日本大震災

昨日、3・11を語り合うという集まりに行った。

 被災地に行った方の現地の状況報告、被災地出身の方の話、また東京での被災状況など報告があり、今後の地域の防災について語り合おうという有志の会だった。

参加者は、実際に現地に行った方、話を聞きたい方、メディアの方など様々だったがその中で印象に残ったのが、幼稚園ママの話だった。やはり、ちいさい子供を持つ人は、今の放射能汚染の状況に敏感だ。当然だと思う。しかし、状況はそうそう簡単でもないようだ。

何か言いたいことをと問われたそのお母さんは、堰を切るように、こういう話は、お母さん仲間、ママ友の間ではできなくて苦しいと訴えた。

例えば、幼稚園で給食が出るが、食材について心配な方は、お弁当を持たせて下さいと先生の方から連絡があった。しかし、実際にお弁当を持たせたのは、そのお母さんだけだったらしく、後で幼稚園の先生から、やんわりと「お弁当はお宅一軒だけでしたよ」と言われたそうだ。別にダメと言われたわけではないが、彼女はプレッシャーを感じた。それに、一人だけお弁当を持っていった自分の子供の幼稚園での様子を考えるとちょっと心配になったという。


お母さんたちの間では、放射能汚染に対する不安もある反面、いや不安の裏返しなのか、もうこの話はしたくないという空気があるらしい。例えば、持ち家の人や長年その地域に住む人は、簡単に引っ越すこともできないし、放射能汚染の話による風評被害で、その地域の資産価値を落とすということもあり、あまり、東京が危険とは言いたがらないらしいのだ。おたがいそういう空気を察してか、放射能の子どもへの影響が気になっているのにそういう話はタブー視され、危険じゃないと思いこもうとさえしているように見えるらしい。

放射能怖いねという話をすると、どこかでひそひそと非国民扱いされてしまうのではないか、そういって、自粛を促してしまうような空気が社会に広がっている。

まさに戦時中のようだ。

昨日紹介した東浩紀氏のツイッター上では、彼の子どもの通う保育園のママたちは、厚生労働省の配布した安心安全を訴えるパンフに反発しているようだったが、どこもそういう雰囲気というわけではないようだ。

何かどんよりしてしまう。

言いたいことも言えないとストレスを抱えるお母さんたちはその精神的ストレスで病気になりはしないかと心配だ。

これも、原発事故の二次被害と言っていいと思う。


今回の報告でもうひとつ気になった話。

被災地の支援物資配給でよく聞いた話に、全員分ないと不平等になるからと、配られない物資が山積みになっているというのがあった。行政の融通の利かなさが批判され、山積み物資の映像がYOUTUBEに流れた。

しかし、被災地支援に行った人が見たのは、あそこには配られて、なぜこっちにはないんだといって諍いが起こっている様子だったという。避難所暮らしも長引き、多くの人が精神的に不安定になってピリピリしている。普段なら冷静に対応出来ることもできなくなってしまう。そんな中で、物資のちょっとした不平等が、避難所の雰囲気を悪くする。そういう場合には、配りたくても配れないのだそうだ。

ただ、だから配れないとばかり言っていてもしょうがない。そういう中で、不満を抱かせない配布の仕方を考えるのも行政職員の仕事じゃないかとは思う。しかし、一面からだけ見て単純に批判もできない。


そこで考えるのが、東北の人は文句も言わずに素晴らしいという報道を続けたメディアのこと。確かに、東北の人の我慢強さや謙虚な姿勢は本当のことだと思う。しかし、あまりにもこのことばかりが強調され、東北の人をこうした東北人像の枠内に押し込めていはしないか。

彼らの本当の辛さや被害の悲惨さが伝わっていないのではないか。東北の人はそんな自分の辛さを人目に晒す事を良しとはしないと思うが、いい話ばかりをメディアで流し続けるのは、自分たちがそういうものしか見たくないからではないかと邪推してしまう。

そんなにいい話ばかりのわけがない。

私たちが見つめるべき事実とはどこにあるのか。

 平時には不安をあおることを旨とし、しかし有事には大丈夫だ、大丈夫だという。それは国民を舐めてはいないか。



 


政府とメディアと国民の不安 その1~東浩紀氏、朝日新聞に抗議~

2011-06-05 13:52:16 | 東日本大震災

汚染水の問題、土壌からのセシウム検出、首都圏にも現れるホットスポットなど、不安材料は今だ増え続けている。昨日の東京新聞こちら特報部の見出しには、「口先の安全、不信増幅」の見出し。原発事故から3ヶ月近く。いつまでたっても国民と政府のこうした関係は解消されない。そして、マスメディアも少しずつ、大丈夫一辺倒の報道から変化を見せているものの、まだまだ国民の不安は消えない。

 今国民の最大関心事となっている、放射能汚染への不安の解消。

先日ツイッター上で、批評家の東浩紀氏が朝日新聞に抗議するという一件があった。それがまさに、「放射能汚染への不安とマスメディア」について考えさせられるやりとりだったのでとりあげてみたい。

発端は、ツイッター上で朝日の原発問題担当記者が、3月15日の時点で東氏が伊豆に避難したことについてつぶやいたこんなツイート。

うーむ、まあ妻子つれて伊豆に逃げてたくらいなのだから、いまもまだ錯乱状態が続いているのだと思うことにしよう。」(削除されたようなので、東氏側のRTでしか確認出来ず)。

東氏の抗議はこの発言に対するものだが、記者がそのツイートに至ったそもそもの発端は、この記者が5月30日付けの夕刊に書いた以下の記事に東氏がコメントしたことだ。→http://goo.gl/Fm3NU

5月30日朝日新聞より一部引用>>>

東京電力は30日、東電福島第一原子力発電所で作業していた男性社員2人が数百ミリシーベルトの放射線を浴びていた恐れがあると発表した。今回の作業で認められている被曝(ひばく)線量の上限250ミリシーベルトを超えた例はこれまでなかったが、この値を超えれば今後の作業はできなくなる。ただ急性症状が出る1千ミリシーベルトの被曝までには至らなそうだという。(後略) 

 引用ここまで>>>

これに対し、東氏が次のようにツイートした。 

「ただ急性症状が出る1千ミリシーベルトの被曝までには至らなそうだという。」という表現に我が国の麻痺を感じるな…… asahi.com(朝日新聞社):東電の2社員、多量の内部被曝 数百ミリシーベルトか - 社会 http://goo.gl/Fm3NU」。 

そして、このつぶやきに対して、朝日の記者氏は「麻痺とかじゃなく、正しい記述なんですけど。」というリプライを飛ばしたこれによって、東氏に火がついた。

東氏の5月30日ツイートより引用>>>

正しいとかまちがっているとかじゃなくて、急性症状が出る数字をわざわざ付け加えそれより低いことを強調しているところが麻痺って言っているの。溜息。RT @ryomakom: 麻痺とかじゃなく、正しい記述なんですけど。RT@hazuma 我が国の麻痺

posted at 14:54:02

 

文章って正しい誤りだけじゃないんだよ、文脈読めないんじゃ困るなあ……と呟こうと思ったら、このひと、「新聞記者。科学記事を担当する部署所属。なんとこんな時期に原子力安全・保安院を受け持つことに」かよ!w 参った! それじゃあ「安全を強調するつもりで不安を煽る」記事が蔓延するはずだ。

 

posted at 14:56:08

 

(その後のやりとりは、Twilogでこの日の東氏@hazumaの発言とこの記者 氏@ryomakom(現在非公開)の発言を見て下さい。http://twilog.org/hazuma/date-110530) 

 

いくつかのやり取りの後、朝日の記者氏は「錯乱状態」発言に至った。

この記者は、東京の安全性を確信しているらしく、世論に影響を与える立場にありながらこうした行動に出た東氏の行動は、無用な不安を与えるリテラシーがないものだと判断した。

 私は、この記者のほうが間違っていると思う。 

「東京は危険だ」と言ってるわけではない(もちろんホットスポットの話がでてきてる今、完全に安全だとも言えない)。 

将来、やっぱりあの時避難しとけばよかったと後悔することになる可能性がないと、100%の自信をもっては誰も言えない。だからこそ、その対応には個人の意志を最大限尊重せねばならないはずだ。そういうことをこの記者は意識しているのだろうか。

 彼のツイートは現在非公開になっていて確認出来ないが、東氏のツイートで記者氏の発言がRTされている。

東浩紀氏のツイッターTLより引用>>>

このひとまだ言ってるんだ。RT @ryomakom: 「錯乱」と書いたのは礼を失していた。重ねて謝罪します。一方、東さんが伊豆に避難した判断は、東京の現在の放射能レベルをみても、間違っていました。しかも当時、避難の必要がないということは、マスメディアで広く報道されていました。 

posted at 20:56:57

 この嫌みの連投は、つまり喧嘩する気なんでしょうねえ……RT @ryomakom: 国民は正しい情報にもとづき、安心できました。知識人に求められるのは、こういった行動じゃないでしょうか。お二人は、「学者のノブレスオブリージだ」と言っておられました。東さんとは結果として対照的だった。

posted at 20:58:15 

 そういう話ではありません。あなたの見識が問われています。RT @ryomakom: いいえ、喧嘩する気はございません!平に平にご容赦を。@hazuma

posted at 21:14:55 

TL引用ここまで>>>

記者氏は 謝ってはいるけれど、基本的に当時東京が安全であったという立場に変わりはなく、東氏が間違ったことをしたという認識もそのままのようだ。

当時、東京は安全であったという認識に記者氏が立つのは、自らの取材の上での判断なのだろうからまだ認めるにしても、それを強要してはいかんと思うのよ。それが影響力のある知識人であったとしても同じ。「東浩紀が東京から避難しない」というのも、ひとつのメッセージではあるからね。

新聞という公器に、記者が記事を書くとき、彼が取材によって得た情報は、それが全てではないかもしれないという謙虚さを持って書くべきだ。

なのにマスメディアは、国民に不安を感じさせてはいけないという強迫観念にも似た方針からか、違う価値観を持つ人を容認しない(このところ変化も見られるが)。しかし、その「国民に不安を感じさせてはいけない」という政府やメディアの行動基準こそが、現在もっとも国民を不安に陥れる原因となっているように感じる。

 インターネット全盛で、様々な情報を人々が手に入れられる時代。ウィキリークスなどに、日本の外務官僚がアメリカ様に自国政府の御し方を御注進申し上げていることまでも白日の下に晒される時代である。原発情報に関しても、一般の人でも様々な情報が手に入る。もはや何を信じていいかわからない。情報を廻って不安になることはデフォルトな時代なのである。それを自覚している人々は、もはや最終的には自分が判断するしかないと腹を括っていると思う。国民がそこまで真剣になっている状況で、いくら「安全です」「こっちの情報のほうが正しい」とバカの一つ覚えのように訴えたところで、国民から「バカにすんな」と言われるのがオチだ。

 記者氏のいう「学者のノブレスオブリージュ」は、そういう現代の情報のあり方を理解しないで、専門性を持つ自分たちだけが世の中に正しいことを伝えられるという、時代遅れな奢りになってしまってはいないだろうか。 

 そもそもこの記者が特別扱いする、知識人の行動とか、専門性ということも、今回の原発事故によって、その学者の立場がデータの読み方や説明の力点を変えてしまうことがあからさまになった。そういう、目の前で起こっている事実を直視せずして、知識人のあり方や専門性を語るのは本末転倒だろう。

政府やマスメディアが掲げる2大錦の御旗。

1)「国民を不安に陥れ、パニックを起こさせてはいけない」

2)「俗説を排せ、専門性を重視せよ」

 一見、正しそうに見えるこの命題であるが、これが、今回、政治やメディアの行動が、国民の多くから反発を買っている大きな原因だ。

1)は、先程も述べたように、国民の知性を信用せず、大衆は無知蒙昧であるという前提に立った、石器時代の命題である。しかし、さすがに国民はそんなに無知蒙昧ではない。政治家や官僚やメディアは、いわゆる「B層」を想定して、いまだに自分たちが大衆を先導している、灯台の明かりであると思っているのだろうが、今回の震災や原発事故で、自ら考え始めようとしている国民は多いはずだ。自分たちの方が最後尾を走っていることに早く気づいた方がいい。

2) の俗説と専門性についても同様にこれまでの考えは通用しない。何が俗説で何が定説であるか、様々な研究が成されている現代では、意見が対立していることは珍しくない。どっちの立場にたつかで、データの読み方も微妙に変わってくる。そういう意味で、メディアは「ただ専門家に話を聞く」だけではダメなことは自明だ。専門家にもいろいろいるのだから、どの立場で語っている専門家なのかを明示し、一方の立場の学者しか呼ばないならば、自分たちはそちら側の立場でものを言っていることになるということを自覚すべきだ。

 そして、「お上の言う事は正しい」を基本とする記者クラブメディアの発表報道もここらで見直さねばならないのだろう。後から後から訂正が繰り返される保安院からの原発情報や冤罪事件を見ても明らかだ。

あらためて、この記者の書いた件の記事を見てみると、まさに発表報道の典型のような記事だ。発表をそのまま報じているから「ただ、急性症状が出る1000ミリシーベルトの被爆には至らないという」なんて間抜けな一文を入れてしまうのだろう。もちろん、全てのマスメディアの記者がそうだというのではない。特にこの記事が間抜けだったのだと思う。優秀な記者も一緒にしては申し訳ない。

そもそも原発での作業基準は100ミリシーベルトだったのを、今回の福島第一原発対応のために250ミリシーベルトに引き上げているのである。今回はそれを超える数百ミリシーベルトを浴びたのだ。それだけで大問題なのに、この記者の書いた記事を読むと、基準は昔から250ミリだったみたいに見えるし、その上、わざわざ急性症状が出る1千ミリシーベルト被爆にはいたらなそうだと断りは、受け取り方によっては、「急性症状がでないから大丈夫」「死なないから大丈夫」と、数百ミリシーベルトの被爆を肯定しているように見えなくもない。

それに、よく見れば、その前の文章「この値を超えれば今後の作業はできなくなる」もやばい感じ。「困ったなあ、じゃあ上限もっと引きあげないとだめじゃんか」という声が聞こえてきそうだ。いや、記者自身がそう思っているということではない。そう思っているようにも読める文章なのだ。自分がどう思っていようが、記者ならばそう読まれることも想像できねばならない。

東電側が会見で「でも、急性症状の出る1000ミリは超えてませんから(大丈夫)」とか言ったのかなあ?それをそのまま書いちゃったのかなあ、とか想像する。基準がもとは100ミリシーベルトだったことも、字数の関係上、既知の事実だと判断して入れなかったのだろうか。

もちろん1000ミリ浴びてないというのは事実だろう(その後あびてないことが確認)。1000ミリまでは緊急症状が出ないというのも「正しい記述」なんだろう。では逆に、緊急ではなく、数年後にどうなるか、晩発性障害についての「正しい記述」ができるのだろうか。晩発性障害については、被爆線量が低くても出るという話もある。

 もしや、こっちがわからないから、はっきりわかっている「緊急症状は出ない」という情報だけを出したわけじゃあるまいな?まあこれは勘ぐり過ぎですか・・・。

緊急症状がでないのは事実だろうけど、それを書くことにどういう意味があるか考えてる?と聞きかえしたい。あなたはこの一文を入れることで何が伝えたかったの?「そのまんまですけど、なにか?」って言う?言える?

それとも、さっきも指摘した、国民を不安に陥れてはいけないというマスメディアの使命により、「大量被爆した職員は、被爆はしましたが大丈夫です!」ってことを強調したかったのでしょうか。

東氏のツイッターを見ると、朝日新聞とは和解したようだから、この記者氏が未熟でしたという辺りで収まったのか。

この記事と記者のツイートの問題点は、東浩紀氏がツイートの中で指摘されている。http://twilog.org/hazuma/date-110530

上記のツイートを見れば、十分という気もするが、その後私も、一般人の情報収集とか専門性の問題とか、不安の問題とかいろいろ考えたので、この項目もう少し続けたい。


 次回に続く>>> 

 

 

 

 

 


なぜ挙党一致できないのだろうか?素人の素朴な疑問 

2011-06-05 13:01:44 | 東日本大震災

昨日、マスメディアは人のせいにしてる場合かって書いたけど、

じゃあ私だって、どうすればいいと思ってんだと言う事である。

私のブログを見ると、マスメディアの「退陣表明」速報が、

まるで菅さんを退陣させられなかったことを残念に思っているようにとられかねない。

菅さんをいいとは思わないが、退陣した所で良くなるとも思えないのが本音で、

もっと本音を言うと、なんでいい意味での挙党一致ができないのか、

なぜ、小沢一郎を排除し続けるのかということだ。

もう無理なのかもしれないが、政府に小沢一郎も入れて挙党一致しろよ。

それが言いたいことだったりする。いや、もう無理かもしれないけどね。

岩手県選出の小沢一郎を、震災後の緊急時に復興関係の役職につけることは

できないのだろうか?役に立つのではないか?

この緊急時に、そこまで今の執行部が小沢一郎を排除する意味がわからない。

小沢一郎をここで使うと、再び巨大利権を握らせることになるというのか?

今朝、テレビ朝日の番組で、震災後「なんでもやるぞ」といった小沢を

菅総理はスルーして何の仕事も振らなかった、その後の対応を見て小沢は

イライラを募らせたとうような趣旨の内容のVTRを流していた。

それが本当だとしたら、なんで日本がこんなに大変な時に、

このおっさんたちは手を組めないのか。

なぜ、菅さんは小沢さんを受け入れられないのか。

その理由を教えて欲しい。

菅(仙谷)と小沢は手を組めないということを前提に報じているメディアの皆様

この前提が崩れない理由はなんなのでしょうか。教えて下さい。

小沢一郎を閣内に入れることは、そんなに亡国をまねく愚作なのでしょうか?

なぜに、自民党の大連立との話はでても、小沢一派との協力の話はでないのか、

小沢一郎が野党とくっつく画策をしている話はでても、菅さんや仙石さんと

和解する話は出ないのか。そこまでの確執はなんなのか?教えて下さい。

私は、こうしたおっさんたちの不毛な確執や牽制やらに毎日イライラしている。

おっさんとは何でこうなのか。男は女を嫉妬のどうぶつみたいに言うが、

嫉妬や意味の分からないメンツやめんどくさいメンタリティで変な動きを

しているのは男、とくにおっさんたちだ。

そして、今のマスメディアは、そういうおっさんたちのメンタリティに

フィットしているのか、そうしたメンドクサイ政局やおっさんたちのごたごたを

扱うのが好きだ。

だから、なぜ、この緊急事態にあたって、普通に挙党一致できないのか

教えて欲しい。

あと、小沢一郎は復興利権なんて狙ってるのかどうかも。

小沢にまかせると小沢関係以外の企業に仕事が行かないのか、

復興計画が旧態依然とした、土建利権まみれのものになってしまうのか、

それとも違うのか。

私にはよくわからないから、教えて欲しい。

 

素人丸出しの質問ですがよろしくお願い致します。

 


マスメディアも人のせいにしてる場合か~なぜ「菅首相退陣表明」の速報テロップが出たか

2011-06-04 10:42:33 | メディア批評

菅総理が辞任の時期を明確にしないことで、鳩山さんがダマされたとか、菅の猿芝居だとか、やっぱりそもそも小沢が悪いんだとかテレビや新聞は大騒ぎであるが、一番悪いのはマスコミじゃねえのか今回の場合。それもテレビの罪は大きい。

なのに、今朝もテレビをつけたら、いまだに反省も無く、「なぜこんなことになったのか?」なんて分析してる。なんで政治家の中で犯人探ししてるのか意味分からねえ。これって、政治部の記者がダマされた、アホでしたってことに私には思えるのだが、テレビを見る限り、そういう自覚はないみたいだ。

というのは、不信任案決議の日の、民主党代議士会の中継。菅総理が「私が果たせる一定の役割を果たした段階で、若い人に責任を引き継いでいきたい」そう言い終わるか終わらないかのうちに、テレビの速報で「菅首相退陣表明」というテロップが出た。

え?なんで?と思った。

「一定のメド」なんて、こと原発事故の収束のメドなんて、もちろん早く収束して欲しいが、いつになるかなんて誰にも分からない。これ、あとでどうとでも解釈出来る内容じゃん。あの演説の言葉を聞いてとっさにそう思った。

しかし、テレビでは「菅総理退陣を表明」って見出しでニュースをやっている。だれも、それを疑っていない。まあ、つぎに演説した鳩山さんも、もうみんなひとつになりましょうよなんて、不信任に反対みたいなこと言い出したんで、みんなもうそっちに流れるのが既定路線だったんだろうけど、もし、あそこで、「この一定のメドっていつのことなんですかね?菅さんもしかしたらそのへん曖昧にしてませんかね?」って論評する解説者がいて、速報テロップが「菅総理、退陣の意志示すも時期は明言せず」だったら、それを目にしたり、耳にしたりした小沢派の議員とかは、これはちょっとおかしいぞ?ということになって、投票行動を変えていたのではないだろうか。

特に代議士会に出席していない参院議員はテレビを見ていただろうから、そういう評価があれば、それを同胞の衆院議員につたえて、いま一度、投票方針を考え直すよう、投票までの短い時間ではあるが、奔走したのではないだろうか。それで状況は変わっていた可能性がある。

 

なぜ、あんなにはやく「菅総理退陣表明」のテロップが出たのか。

 

それはいつものことであるが、すでに記者がそういう情報を得ていたからであろう。しかし、確認文書には「辞める」とは一言も書いていない。

その文書は投票時間の前には公開されているし、あの確認事項はどうみても辞めることを確認しているものには思えない。「民主党を壊さない」というあたりに、「菅総理が居座ると不信任賛成者が増えて、民主党は保たなくなるから辞めるしか無いだろう」という鳩山氏の希望みたいなものは垣間見えるが、それは希望でしかなくて、そんな文書が効力をもたないことなんてあのどうとでも解釈出来る法律を見慣れた人間なら分かるだろうにと思う。

 

なのに、なぜ誰もそこに疑義を挟まなかったのか?

 

多分、菅さん側の有力議員の誰かが、そのへんを分かってて、「これは菅さんも腹を括ったね」って、記者に言ってたんだろうなあ。そんで、記者たちの間では、「もう菅さん腹括った」が既定路線になっちゃったんだろう。

私の勝手な想像ですけど。

以下、私の勝手な想像でお送りすると、マスコミの記者もあの確認文書を見た時、時期が明示されてないなくらいは思ったと思う。それをどう解釈するか。自分の判断じゃなく、政治家への取材でそこの含意を測ろうとしたんだろう。しかし、利害当事者である民主党の人間に話を聞いた所で、自分に都合のいいことしか話さないのは当然だ。

執行部に近い人間は、多分、あの確認文書が絶対的なものでないことが分かっていて、「確認文書交わしたんだから、総理は腹を括った」と言うだろう。その場合、「腹を括る」の意味は、震災復興に命をかけるくらいの意味だと思う。辞めるということではない。一方で、鳩山さん周辺の人間は、希望的観測もあり、記者に対し「菅さんは辞めるよ」と言うに決まっている。

 結果、速報「菅首相退陣表明」となる。

 

政治部の記者は、自分が政治家と近く、そこからインナーサークルの情報を確実にとれるということが、できる政治記者だと考えている。しかし、それは諸刃の刃でもあって、政治家にいいように使われてしまうことも多い。

特に近年、政治家にとってマスメディアは「利用するもの」となっている(それは官僚にとっても同じだ)。今回の事例なんて、それのいい例ではないかと思う。政治家の意見は意見で聞きながらも、客観的な視点を保ってあの確認文書や菅総理の演説を聞けば、すぐに「菅首相退陣表明」の速報テロップは打てないはずである。ほんと、マスメディアは、自分たちも今のぐずぐずな状況に加担しているということを自覚した方がいいと思う。

でも、自分で判断して、結果誤報を出すことを恐れているのだろうなあ~。

鳩山さんがダマされた、菅さんがダマした。あの議員はこういってたのに、なぜだ・・・。誰かに聞いて取材すれば、誤報を取材源のせいにできるもんなあ…。

誰か権威のあるものとか、肩書きのあるものが言わないと、情報を情報とも認めない。こうしたメディアの風潮はなんとかした方がいいと思う。

それじゃあ、権力者に利用されるばかりだ。

 

もし、私が今もテレビの仕事を辞めていなかったら、報道フロアで、あの代議士会の中継を眺めながら、「これっていつ辞めるかわかんないじゃん?」とぶつぶつ言ってたと思う。けれど、そんなぶつぶつは、スタッフルームのみで留まり、政治部には届かない。政治部記者は既に「菅総理退陣表明」でテロップを用意していて、取材で裏とれてるからといって、私みたいな契約ディレクターの言葉など誰も聞いてくれなかったはずだ。多分ね。想像ですけど。


かつて報道の仕事をしていたころ、政治家の会見や演説を聞いていると、結構「へ~っ」と思うことが多かった。私は、取材に飛び回るクラブの記者と違って、そうした情報をもとにしながら番組を作る仕事をしていたので、政治家に直接話を聞ける機会は少なく、会見や演説をくまなく見ることで、情報を得ようとしていた。デイリーニュースの頃はなかなかくまなく見るのは難しかったが、ウイークリーの頃は時間に余裕もあったので、取材テープを見れるのをいいことにいろんな人の取材VTRを見た。

一番、なんだよ!(怒)と思ったのは、オバマのプラハ演説。

あの演説で、彼が「長崎と広島」に言及し、「我が国は世界で唯一核兵器使用した国」という言葉を聞いた時、これは画期的な演説だ!と思った。自分の番組内では「スゴいですよ」と騒いでいたが、当初、あのプラハ演説の中で切り取られ放送で使用されたオバマの言葉は、核開発を標榜する北朝鮮やその意志をかいま見せるイランに対する牽制の部分だった。その頃はデイリーニュースの担当で、その日、そのニュースの担当では無かったので「そこじゃないだろ!」と歯がゆい思いをした。多分、当初は、国際通信社が切り取って配信した部分をそのまま使ったのだと思う。確か、毎日新聞はそこの部分に触れるのが早くて、特集記事を書いてたと思うが、それ以外のメディアが、オバマの画期的な発言を賞賛し始めたのは、数日経ってからだった。

政治家や経済人は会見で実はいろんなことを言っているのに、取材者の方が、当初から「欲しい答え」しか求めていないために、結構重要な事項が見落とされていることが多い。でも、政治家はやはり政治家で、彼らのおはこともいえる演説や会見の行間で、その表情も含め、本音やその人の本性をかいま見せることも多いと思う。

まあ、記者からしてみたら、こういうのを「素人」の見方というんだろうけど、今や、食い足りない「素人」たちが、衆院や参院のウェブ中継や、ニコ生、USTREAMなど編集されない記者会見の全貌を見て、みずから考える時代になっている。私がテレビ局内にいる特権で、でも記者クラブにははいれない非特権階級として何年前からやっていたこと(会見VTRを見ること)を、今や、別にテレビ局内にいなくてもある程度誰でもできるようになっている。

だからこそなお、政治記者は、差別化を求め、インナーサークルでの取材にこだわるのかもしれない。しかし、それは「利用される」ということと紙一重であることに厳しく自覚的であらねばならない。

ただ、私も、もし特権階級であったなら、インナーサークルでとれる情報を重視していたかもしれない。非特権階級だったからこういう批判的な見方をするようになっているのかもしれない。

でも、今回の不信任案決議の顛末を見ると、やはり、マスメディアが政界内部情報に振り回された感はいなめない。引いた目と両方が大事だ。

誰か第三者に聞いて答えを出すんじゃなくて、本人の言葉から自分で判断することもやはり大事だなあと思う。

 

最後に、今回の話とは直接関係ないが、

私は、あの「加藤の乱」の後、どういう経緯だったか忘れたが、テレビのとある番組から菅さんのところにインタビュー取材に行っている。当時の私は今よりもっとアホだったので、たいした質問はできなかった(あまり憶えていないのだ)が、唯一、「加藤さんの行動は誤算だったんじゃないですか」と尋ねたときの、菅さんの苦虫をかみつぶしたような表情だけは憶えている。

あれが、彼の教訓となったのだろうか。


 


私が「火鉢クラブ」を始めた理由~なぜ私たちは原発事故という悪夢の到来を察知できなかったのか

2011-06-01 21:32:33 | 出島DEJIMAプロジェクト

テレビの仕事を辞めることを決めた去年の3月。

このブログ内で、かなりぶっちゃけた内容のブログ記事を書いていた。

そのひとつに、私の「住宅」に対する思いを書いたものがある。

入り口は、収入が無くなるのに伴って、自らの住宅ローンをモラトリアムしてもらう話であるが、

その住宅ローンを組んで建て替えた田舎の実家への思い入れと壊した古い家への思い出を

延々書いている。ボロいけど、季節とともにある住宅であった。

私は、「火鉢クラブ」(http://hibachiclub.blogspot.com/)という活動をやっているのだが、

この思いが、この活動を始めた根っこにある。

 

去年までやっていた報道番組のディレクターという仕事も、自分にとって大切な仕事であったが、

「報道」とは何かという認識が、結局は今のテレビとズレていて、続けるのが辛くなった。

私にとっての報道は「人の暮らし」である。

快適な家に住む、美味しく安全な食べ物を食べる・・・、それを阻むものが何であるのか。

一見私たちを守っているかに見える政治や法律が、

実は見えないところでそんな小さな幸せを阻んでいる。

それが見える形で、それも最悪の形で表れたのが今回の原発事故だ。

実は見えないところで、今回の悪夢は準備されていた。

生活実感からは乖離した報道が、そんな水面下の悪夢に気づかせなかったんだと思う。

 

ニュースが伝える大事件の数々。

なぜ原発が誘致され続けたのか、なぜ耐震偽装問題が起こったか、冤罪はくりかえされるのか、

それを発見する鍵は、自分の生活の中のちょっとした事象に実は垣間見えている。

それが見えないのは、ちょっとした違和感や疑問を見て見ぬ振りをしてやり過ごすことに

慣れっこになっているからだ。

それは、ちょうど、空調の整った住環境に慣れっこになって、

本来の季節のすばらしさを忘れ去ってしまっている私たち現代人のあり方に似ている。

季節感を取り戻し、季節の変わり目にふと気づく、そんな感性と身体性を取り戻すことが

人為的な悪夢の到来を予測する直感を育てることにもなるのではないかと信じている。

 

そして、私自身ずっと原発はやめるべきと思ってきたのも、

もちろん自分の実家の20キロ圏内に原発が存在することもあるが、

やはり、小さい頃、ボロい我が家で体験した、季節を感じる暮らしのせいだと思っている。

 

そこで、今回は、ちょっと長くなるが、この「火鉢クラブ」設立の元となった、

今はなき(建て替わりました)、実家の話を書いた、去年のブログ記事を再掲したいと思う。

住環境の話だけではなく、地域のつながりや場所に関係した話もほんのちょっと

ではあるが入っている。そのへんも「火鉢クラブ」が考えていることの範囲である。

以前、読んだことのある方は飛ばしてチョ。

 

 

2010年3月14日「住宅ローンモラトリアム。そして、日本の家と私の野望(笑)」

 

(最初の方すこし略します)*途中少してにおは直したり、書き直してます。元のブログはもとのママ

 

これまでのブログにも書いていますが、私は親が住んでいる実家の住宅ローンを抱えていて、

仕事を辞めるにあたって、それ以後返済をモラトリアムしてもらえないかと思っています。

私が借りているのは、地方銀行ですが、さて、どういう対応に出るのやら。

相談に行くのは4月に入ってからになりそうですが、

ちょっと電話で探りを入れてみようかなあ。

 

お前が分不相応に家なんか建てるからダメなんだろという方もいらっしゃるかもしれないので、

言い訳がましくも、一応断っておこうと思うのですが、

この住宅ローンはやむない事情で組んだのです。

 

親が暮らしている実家は、本当に古い家で、明治時代に建った商店街の長屋の一軒だったのですが、

周りの家がだんだん切り離して建て替えていく中で、支えを無くしたこともあってか、

一部土壁は崩れ、本当に地震でもあったらやばいぞってことになっており、

父母は日々不安のうちにその家で暮らしておりました。

お金がなくて、それまであまり修理できなかったのもあります。

雨漏りなどもあり、本当にどうにかせねばという状態が続く中、

とりあえずリフォームの相談をしてみたところ、これはもう建て替えないとダメだよと

知り合いの大工さんにも宣言されたようです。

両親もボロい家で暮らす事はやぶさかではなかったのですが、危険と隣り合わせとなり、

どうしようと悩んでいたようです。

 

しかし、シャッター商店街となりはてた地方の商店街で、

表具店なんていまどき田舎での需要はのぞめないクラシックな商売をやっている両親に

そんなお金はなく、困っていたところに、たまたま出入りの銀行が

「住宅ローン借りませんか」という話をもってきたのですね。

でも、返済能力のない両親に借りられるはずもなく、私のところにお鉢がまわってきました。

 

年取った両親に今から東京出てこいと言うのも酷だし、もし実家を畳んで、

東京で広い部屋に越したとしても、家賃が激上がりするか、遠くに離れるかどちらか。

それに、細々とはいえ、お店を開けておく事で社会とのつながりを保って生活している両親から

それを奪う事は、生きる張りを奪うようなものでしょう。

また、当時丁度、不景気のおかげなんでしょうか、

私のような、テレビ局で契約で働く保証のないものでも、

奇跡的に住宅ローンを組む事ができたのです(しかし、結局ローンを組んだのは最初に話しを

もちかけた銀行とは違う所になったのですが)。

 

で、今の実家が完成し、25年の住宅ローンを払い始めました。

払い始めてもう6年になります。

そんなわけで、不可抗力により組まざるを得なかった住宅ローンです。

どなた様も銀行様も、こんな景気の悪いおり、たった1年待ってくれという私の願いを

聞いてくれたってバチは当たんないでしょ、と思うのですがいかがざんしょ。

 

ところで、当初の住宅ローンモラトリアムとはちょっと話がずれますが、

ここで、この実家の話を少し聞いてもらえますでしょうか。

 

というのも、この、家に対する思いが、私が仕事を辞めて今後やろうとしていることにも、

間接的に関係があるからです。

 

ローンを組んで新しく建てた実家は、資金不足で、狭い上に、

建材などの部分で妥協の産物でもありますが、

暮らしやすい家になったと、自分では結構気に入っています。

店舗の裏側に居間があって、その奥に壷庭があります。いわゆる町家風のつくりです。

居間と廊下と台所と風呂場が庭を囲んでいて、どこにいても庭が見えます。

狭い庭にはいろんな植物が己生えに茂っていて、ちょっと野山を切り取って来た風情。

腰高の風呂の窓を開けると庭に面した露天風呂気分。空を見上げれば時には月も見えます。

昔の家からとっておいた沓脱ぎ石は縁側代わりの廊下の前に置かれていて、

廊下に座ってぼーっとできます。

居間のサッシの内側の障子は雪見のガラス障子です。

建材などは、カタログから選ぶセミオーダー形式で、

窓は普通にサッシ(アーケード商店街は消防法で防火ガラスのサッシにしないと違法なのです)、

町家風とはいっても、予算と面積の制約で、京都の町家とは似て非なるものではありますが・・。

 

今はこの家に満足していますが、昨今の家の標準的スタイルであるLDKな間取りと違う

こうした家を作る事は結構大変な作業でした。

最初に設計士さんから出されたプランは、店舗の奥のドアを開けると、すぐ廊下があって、

廊下の途中にトイレ、その先にキッチンと居間があり、

その先に裏通りに面した小さい庭があるというもので、

店舗にちょうど2LDKの家をくっつけた感じでした。

しかし、町家の作りでは、多分、店舗のすぐ裏は、ちょっとした部屋(玄関間)があるはずです。

店番してる時ちょっと中に引っ込んでも、

「ごめん下さい」という声が聞こえる位置に部屋がなくてはいけない。

田舎の表具店なんて、いつも店に誰かいる訳じゃないですから。お昼ご飯食べるときは引っ込む。

そういう時のために店のすぐ裏に部屋が必要なんです。

いつでも店番置いてちゃんと商売している今時のお店はそんなことないのかもしれません。

そういうちゃんとしたお店なら、近くにあるのはトイレだけでいいのでしょう。

しかし、年寄り2人の、人もそれほど訪れない店には、こうした仕様が使い勝手がいい。

 

ながながくどくど説明しましたが、これを設計士さんに分かってもらうのは実は比較的容易でした。

それよりも難しかったのは、昔の家のいい部分を残したいという漠然とした希望を伝える事です。

私の主観的な家への思い入れや思い出などが入り混じって、

それをどう説明してどう具体的設計にしてもらえばいいものかが分かりませんでした。

 

実のところ、壊してしまった昔の家、それをそのまま再現したかったのが本音です。

昔の家は、先にも述べましたが、いわゆる町家の作りで、土間があって、

家の真ん中に小さい壷庭がありました。

庭に面した部屋は表面に歪みのある、昔の流れるようなガラスの入ったガラス戸で囲まれていました。

階段は箱階段、風呂は五右衛門風呂、

台所は(釜屋と呼んでいましたが)一旦靴を履いて下に降りる土間でした。

そういえば和式便器も白ではなく、伊万里風の青い画が描かれたものでした。

また、これが子ども心に一番グッと来てたのですが、物干に繋がる木の雨戸には、

小さな木の節穴があって、晴れた日に雨戸と内側の障子を一緒に閉めると、節穴から光が入り、

ピンホールカメラになって、障子のスクリーンに外の景色が逆さに映るのでした。

また、物干から屋根に登って何度も夕焼けも眺めました。

瓦と瓦の隙間には雑草が顔をのぞかせています。

そこから眺める西の空を鳶が行く様は、私にとっての枕草子の雁の様です。思い出すと涙・・。

 

住んでいた当時は、もう古いボロ屋で、人を呼ぶのも恥ずかしく、

自慢など決してできなかった家ではありますが、

ほかにも、挙げだしたらきりがないほどいろんな思い出が詰まっていました。

 

物理的にそのまま再現するのは資金的に全然無理です。

面積からして土間も諦めなくてはならないでしょう。

では、そんな気分だけでも再現できる家はどうやれば作れるのか?

夏休みを家の打ち合わせにあて、実家に帰り考えました。

 

方眼紙に自分で素人なりの設計図を書いて試行錯誤です。

長屋を切り離すので、間口が片側50cm計1mも狭くなり、建坪も以前よりずっと狭くなります。

そのため、当初は、昔の家と同じ間取りで、真ん中に壷庭をとる発想は私にもありませんでした。

裏庭でもいいやと思っていたのです。

しかし、実際に設計士さんから提示された間取りから見えてくる生活は、

どうしてもしっくり来ませんでした。

店舗のすぐ裏に部屋がひとつあって、ダイニングキッチンがあって

再奥に庭があるのが何故ダメなのか?

 

帰郷から何日目だったか、家の向かいの道を登っていったところにある

かつては金比羅様の祀られる本殿のあった場所から商店街を見下ろしていたときのことでした。

「やはり部屋は狭くなってしまうけど、家の真ん中に壷庭つくるしかないなあ」とふと思ったのです。

 

うちの家が、貧しいながらも、最終的に殺伐としなかったのは、家のど真ん中に庭があったからだ、

その時そう思いました。

そして、それを裏付けるシーンが頭の中に浮かんできました。

大学で東京に行くまでの私は、

よく、庭で地面に向かって蟻の行列にすいかの欠片を落としてやったりしていました。

反対に空も見上げていました。

特に思い出に残っているのが、夜トイレに行く時に内庭に面した廊下から見上げた月や星座です。

闇の怖さも覚えています。時には野良猫が侵入しどきりとする事もありました。

トイレ(ご不浄)は外に面してないとだめなのです(って決めつけ過ぎw)。

水回りはすべて庭に面してる、つまり半分外にあるのが、生活の基本だったことを再認識しました。

そういえば、母は洗濯機も外に置く派です。

 

当時は部屋にいるときも台所でも風呂でもトイレでも、一日中何をしている時でも、

外とつながって日常を過ごしていました。アーケード商店街という町中に住んでいても、

この小さい庭が家の内部にあり、向かいの鎮守には大きな楠木が茂り、秋には葉っぱでたき火をして、

木にまたがった。そういう風に四季を感じる事が、お金がないということを私の中で

決定的な問題にしなかったのではないかと思えてなりません。

 

家の中の全ての場所から見える庭。今の建築の主流がどうであろうと、部屋が狭くなろうと、

そういう自分の家族の暮らし方の基本だけは崩してはいけないだろうと、その時気付きました。

夕焼け空の下、今は廃墟になってしまった鎮守の崩れ落ちた狛犬の横で

アーケード街を見下ろしながら、やっぱり家の真ん中に壷庭をつくることに決めました。

そして、その後、それを基準にしてすべてを決めました。居間などの住居部分は狭くなってしまい、

ちゃんとした客間も無いような家ですが、商店ですから、人がくれば店で話をしてますし、

両親はこの家に満足しているようです。

 

長くなりついでにもうちょっと話すと、この家は、もともと真ん中の壷庭をはさんでお店のある

表が2階建て、母屋のある裏が3階建てでした。木造の3階建てです。

しかし、家業が傾いて来たために、私が生まれる前に裏の3階は他人の手に渡ってしまい、

広かっただろう庭には仕切りの塀が作られていました。

今回老朽化を理由に、この他人の手に渡った3階も取り壊し駐車場になりました。

父が小さい頃には、まだこの木造3階はうちのもので、曾祖母らが3階の座敷で映っている写真も

あるのですが、この3階というのが、サンルームのようにガラス戸が入っていて、

私は一度そこに行きたくてしょうがありませんでした。

曾祖父の時代は、茶懐石などもそこでやってたなどという話を聞かされた日にはなおさらでした。

でも、そこを買い取った人の家とは仲があまり良くなくて、私は一度もその3階には行けぬまま、

家の最後を看取ったのです。

しかも、家を壊す時、持ち主からいろいろ難癖を付けられ、

結局裏の3階の解体費用と駐車場にする費用は私が出しました。本当に私が最後を看取りました。

そんなこともあったからでしょうか、私の密かな野望の中には、ゆくゆくは裏の土地を買い戻して

3階木造を建ててみたいというものもあったりします。

 

原体験としてこんな住宅体験をしているために、

私はどうしても昨今のフローリングのマンションは

買う気になれず、東京で築40年の賃貸ボロマンションに住んでいます

(地震が来たらかなりヤバいです)。←今本当にヤバいことになってます!どうなる私!

そのかわり都心なのに周りの環境は最高です。春は近くで桜が舞います。

 

さらには、「木造4階建てマンションを建てて母子家庭向けの格安NPO不動産をやって、

そこの最上階に住むんだあ」とか、「やっぱり日本の家には借景が必要なのよ」とか、

贅沢かつ妄想めいたことを日々口にして、たぶん、多くの人にあきれられています。

でも、できる事ならばいつか、日本の風土に合った本当に心地よい家というものを作ってみたいです。

自分のためでなくてもいいし、高価なものである必要もありません。

 

妄想ついでに、最後にだめ押しすると、

今回住宅ローンモラトリアムを申し込んでまで、私が今の仕事を辞めて新しい道に進むのは、

以上のような野望を達成するための一歩という意味も無くはないのです。

 

(最後ちょっと略)

 

転載ここまで>>>

 

1年前にこんなことを書いていました。

その後1年間、会社に行く代わりに、地元の町で暮らし、地方に行き、いろんなことを考えました。

冬からは、実験的に「火鉢カフェ」を開催し、まだ少しですが、理解して下さる方も増えてきました。

このへんで、本格的な活動を開始しようと思っています。

このところ、あらためて「炭」のスゴさも実感していますし。

 

「火鉢クラブ」は、http://hibachiclub.blogspot.com/で活動の告知をしています。

今後ともよろしくお願い致します。