橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

2006年談志の芝浜「女房酔わせてどうするつもり?」の100倍かわいいおかみさん

2011-11-30 14:38:23 | 書評/感想

先週末のテレビの情報番組は、立川談志追悼企画が花盛りだった。花盛りと言っていいのか分からないが、どこの番組もやっていた。たいてい、みんな芝浜のVTRを使っていて、撮影の年代はバラバラだった。

先日、このブログで、同じ芝浜でも演者によってずいぶん違うと書いたが、いろんな時代の談志の芝浜を見ていて、演者によってどころか、同じ演者の落語でも、演じる時々で随分と違うものだということにあらためて気づかされた。

日曜の朝の番組で使っていたのはいつの芝浜だろう、結構昔、たぶん90年代。土曜日の午前中、NHKのBSプレミアムで使っていた芝浜は2006年の立川談志独演会。どちらの番組も、下げの部分を使っていたが、おかみさんの演じ方が全然違っていた。後者の方が断然良かった。

06年の独演会。旦那が3年断ってたお酒を、「私も飲むからさ」と勧める女房のことば。

「酔っちゃえよぉ、ベロベロんなっちゃえ」

かわいくて、ちょっとドキッとした。だってこのあとに続くのは、口には出さずとも「私も酔っちゃうからさ」でしかない。これ、90年代初頭に流行ったCM「女房酔わせてどうするつもり?」の100倍素直でかわいくないですか?

そこにいるのは糟糠の妻ではなく、旦那のことが好きでたまらないおかみさんで、いい夫婦なんかじゃなくて、仲の良い男と女。相手のことを好きだと思っている時にだけ生まれる会話の初々しさとなれなれしさ、そしてちょっとの照れくささ。おちついた夫婦愛じゃなくて、そわそわする恋。何年も連れ添っているのに、この夫婦まだ恋してる。恋と愛が同居してる。そんなかんじを抱かせる演出なのだ。それを71のダミ声のジジイが演じている。

なんだか、女子高生のようでもある(意外に好きな男には一途であるとかそういう意味で)。バブル直後のアラサー女みたいに打算がない。「あの人の為なら私がんばる」と、旦那を支え、背筋延ばしてがんばってきた末の「酔っちゃえよぉ」。書いてる私もなんだか照れくさい。そんなキュンとする芝浜のラスト。

日曜日の情報番組で紹介していた十年以上前の芝浜のおかみさんには、恋しているような初々しさは感じなかった。あれは夫婦愛。昔見た時には、それはそれで、かわいいおかみさんだったような気がしていたけれど、談志の芝浜は自らはジジイになりながら、その初々しさを増していたのだった。

その時の芝浜の全体像を見ないで、「酔っちゃえよお、ベロベロんなっちゃえ」の一言で語るのは乱暴かもしれないが、あの一言がすべてを表している気がした。

談志の落語の登場人物には、今を生きる人が見える。そしてその今とは、私たちが生きる現代でもあり、話の設定の江戸時代でもあり、その間はタイムトンネルで繋がっている。一瞬と永遠の同居。恋と愛を同時に演じることができる落語家は談志のほかにいるだろうか?

「落語を現代に」っていうのは、こういうことなのかもしれない。

2000年代を象徴する女性像というか、消費に明け暮れてもったいぶってるバブルの残党女でなく、自分って何?とか探してる場合でもなく、焼け野が原でも、何もなくとも、べそかきながらでも、よくわかんないままでもわかってても、まっすぐ突っ走って、最後に好きな男に「いっしょに酔っちゃおう」と言える女。そんな女たちこそ、この沈みかけた日本って国をなんとかできるんじゃなかろうか。

談志の演じるかわいいおかみを見ながら、こんなことを考えた。

しばらく落語に接していない自分がこんなことをつらつら書くのも気が引けるが、談志の「酔っちゃえよお」があまりにリアルだったので、こんなことを書くに至ってしまった。いや、あまりにリアルは嘘だ。あんなおおげさな身振り口ぶりの子はいないのかもしれない。でも、そんな人間描写で見るものドキッとさせるのが、談志のイリュージョンなんだろうなあ。ああ、うまく伝わらない・・・。でもそろそろ仕事に戻ります。銀行いかにゃあ。もうすぐ3時。

 

 


グローバリズムは終わった

2011-11-24 20:33:46 | 出島DEJIMAプロジェクト

「グローバリズムは終わった」

この言葉、FACEBOOKとかツイッターでつぶやいてみました。


ネットで配信してるラジオデイズの平川克美、内田樹両氏の

「はなし半分」10月号がめちゃ めちゃ面白かったんですが、

そこで、「遠い目をして『グローバリ ズムって終わったねっ』て

言ってると感染力凄いんだよね」と言っ てたので、

とりあえず、パソコンに向かって遠い目をしてつぶやいてみました。


 その番組では「もう鎖国かな」とも言ってて、

私も出島プロジェク トって名のってることだし、

かっこつきの「鎖国」ってどういう形 があり得るか

考えてみようかなとも思ったりしました。

交流しながら 鎖国する方法。

例えば、隈研吾の言う、建 築における「柔らかいスクリーン」、

格子とか障子みたいな 仕切ってんだけど、つながってるみたいな方法が

ないだろうかと思ったりしてます。

日本のあり方ってそういうインターフェイスのあいまいさにある気もします。


たとえば貿易。海外のもの買うにしても、日本のモノ売るときも、

関税高くてもどうしても欲しい人だけ

売ったり買ったりすればいいんじゃないんですかねえ・・。

そんなに言うなら売っちゃるわ、というやつです。

輸入輸出が減った分は国内需要で。

そのかわり、旅行に来てくれはるのは大歓迎。


もちろんこの発言は、ふつうの経済理論とか無視してます。

ただ、内田氏も言ってますが、経済学って、人間の消費行動の中の

数値に表れない非合理的な部分は織り込んでないので、

ある意味、かなり不完全なんじゃないでしょうか。

それに、スタバだのマックだのが無くなったら、

多分一時期は混乱するんでしょうけど、

そこに地元のカフェとかが入っても、今の日本なら、

かなりオシャレで快適な空間を提供できると思うんですけどね。

大資本じゃないいろんなお店の顔が見れて楽しそうです。

まあ、多国籍企業がロビー活動をして、そんな日本をぶっつぶせ、

戦争しかけチャレなんてことになるっていうなら、

ちょっとまた方法を考えねばなりませんが…。


内田氏は、大政奉還、廃県置藩とも言ってましたが、

江戸の仕組みに学ぶところはありそうです。

私も以前、半分本気半分遊びで「水戸黄門計画」water door yellow gate plan

略してwater gate (嘘)というノートを作っていたことがあります。

水戸黄門って、毎回、その土地の代表的な産業をになう庄屋とか大店が出て来て、

そこでの贈収賄がテーマになります。

つまり、各藩の伝統工芸とか産業とかを見て回ってんですよね黄門様って。

水戸黄門って、そんな各地の産業紹介番組ともいえるなあと常々思っていたわけです。

そこで、わたしも水戸黄門よろしくとりあえず、格安深夜バスを駆使して

各地の手仕事や産業を見に行こうかと思ったのが水戸黄門計画でした。

とにかく地方自治体が中央政府にぶら下がらないでやっていける方法を

見つけねばとの思いです。

一時期は、地方交付税のひも付きをなくし、一括交付にすることで

ある程度、中央集権政府からのぶら下がり体質は解消できるかとも思いましたが、

ショック療法としての廃県置藩もいいかもですね。


グローバリズムの時代も終わろうとしています(キリッ。

「鎖国」が象徴する新しい時代の、新しいインターフェイスとはどんなものか

私にもまだわかっていません。「出島プロジェクト」の出島はまさしく、

そのインターフェイスのつもりで名付けたのですが、

それがどういう機能を果たすものかは、

実のところ自分でもまだよくわかっていないのです。

「出島」としたのは直感です。

ここらへんで本気出して、現代の「出島」とは何かを考えねばなりません。

こんな話をお酒でも飲みながらしたいもんです。

 

ラジオデイズ たぶん月刊 内田樹・平川克美「はなし半分」10月号

http://www.radiodays.jp/item/show/200808



facebookにも短いバージョン投稿したんですが、ブログでもだめ押ししときます。

にしても、facebookに書くときって話口調にするせいか、

ちょっと「ヒロシです」みたいになってしまいますね。

やはり、メディアによる違いて文章にもでるんだなあ・・・。

あと、なぜかフォントサイズが小さいところがあります。なぜだろ?直らない。

 


だんしがしんだ

2011-11-24 06:28:14 | Weblog

ずっと昔、90年代の半ばだっただろうか、ちょっとだけ立川談志の番組にADとして関わる 事があった。

 打ち上げの席で、弟子も交えて山手線ゲームをやったとき、頭に「あ」のつく有名人というお題に、「アイ・ジョージ」と「愛新覚羅溥儀」を挙げて、喜んでくれたことが思い出である。

「芝浜」は談志のが好きだった。あの芝浜を聞いて、同じ演目でも演る人によって全然違うものになることを知った。なぜか「紙入れ」のおかみさんの描き方が好きで印象に残っている。柄でもないが、あんなちゃっかりした女の人になりたいなあと思ったものだ。

ほんの短い間の思い出である。しかし、何が面白いか、何がいいものかということを教えてもらった。

家元は根津に住んでいるのに、ほとんど会うことはなかった。夏に、談志の住むマンションの一階にある桶屋さんを訪ねた。火鉢クラブ納涼会で使う桶を借りに行ったのだ。たまに談志さんがここで話を聞かせて下さると、桶屋の娘さんが話していた。桶を作る板の間に座布団しくか、もしくは土間にいらない板を椅子代わりに置いて、3人か4人に向けて話したのだろうか。混ぜてもらいたかったなあ。

仕事をした頃からもう十余年、ずーっと、また独演会にと思いながら、だんだん遠い存在になっていた。しかし確実に、20代の私に、芸とは何かを考えさせてくれた人の一人である。おもいつくまま書いた。

以上は、死去の速報の直後、facebookにも投稿したものを小直し。


ここからは、今、24日早朝。

新聞を取りに外に出た。一面に談志さん死去の見出し。曙の東の空を見上げると、お日様より一足先に細い細い月が昇っている。たしか明日は新月で、消え入る直前のはかない月が、薄い紅色と薄い水色が溶けるあたりに浮かんでいた。そろそろ日ものぼってくる時刻だ。

合掌。



さいきんのこと お金のことや 善意について(ほとんどひとりごとです。でも折角書いたので掲載)

2011-11-20 18:15:33 | ツイッターで仕事辞めました~その後

このところブログを更新していなかった。

もはや、商品開発をして自分のウェブショップで販売し、それを生活につなげる事が厳しくなって来て、生活のためにひとつwebサイトでの編集執筆の仕事を始めたのだが、それに思ったより時間をとられてしまっている。最近ではバイトという範疇には収まらなくなって来ている。

<お金のこと>

ツイッターで仕事を辞めましたを書いてから、はや1年半。やはり3・11の震災の影響は大きく、自分の中でも微妙に考えが変わって来ている。いろんな迷いの中ではあるが、とりあえず、自分の今のスキルを使ってギャラとしてお金をもらえる仕事をして生活を安定させねばならない。少しずつお金を増やして行かないとどうにもならない。そんな感じになったためにギャラ仕事を始めた。たまたまちょうど話をもらったというのもある。お金がすっからかんになろうとしているところに、ギャラ仕事の話。やらない選択肢はなかった。

これまで協力していただいた皆さんには本当に申し訳ないと思いながらも、生活する程の売り上げが見込めないウェブショップにこれ以上力を入れることもできず、ギャラ仕事をしている。しかし、働いているにもかかわらず、今、一生の中でもっとも貧乏な状態なのである。

というのも、フリーランスへのギャラの振込というものは作業の2ヶ月後末日とかになるということだ。この仕事でも、準備作業は8月末に始め、当初、9月半ばから開始ということで準備していたのだが、先方の都合で開始が10月からに。そうなるとギャラは10月分からしか入らないのだそうだ。準備期間の作業は賃金にカウントされない。ライターでも、テレビの放送作家などでも、企画書出したりしてる分は特にお金にならない。企画が通って本や番組になって初めてお金になる。8月半ばに話をもらって、これで食いつなげると思って始めたは良かったが、予想に反してまだお金は入って来ない。この間、その仕事に結構時間をとられて即金の仕事をするほどの余裕もなく、収入のないままさらに2ヶ月以上が過ぎてしまった。先方のご好意で、ギャラの一部を個人的に前借りさせてはもらったものの、一部であって、厳しい。最初の振込は結局11月末。それまでにも光熱費の支払い、カードの支払いなどがある。ギリギリの綱渡りである。なんか財布の小銭とかも数えてしまったよ。なのに、昨日はNPOの手伝いに一日出ていた。私はアホなんだろうか。でも、手伝いしてる間はお金掛からないし、軽食も出るし、ただでお手伝い先のイベント歌舞伎の音曲を聞けていい事ずくめではある。それにしても、どれだけ貧乏なんだ、私ww

出版関係の仕事をしている友人などは常々言っているが、出版社からの編集料などの支払いは平気で遅れることが多いそうだ。編集長が請求書を経理に廻すのを忘れてて、さらに一ヶ月遅れるとかザラらしい。やっぱサラリーマンやってると一緒に仕事しててもフリーの大変さなんて分からないん人もいるんだろうな。ダブルインカムでなく、一人でフリーでやって行くって大変だと、いまさらながら実感している。

まあ、ギャラが入るまでのあと10日間のひやひやを存分に楽しむことにしたいと思う。心臓に毛が生えるとはこのことで、もう嫁に行くとも思っていないが、自分ながら本当にかわいげがない。心のどこかに乙女な心が残っているかと思っていたが、このところ本当に心のその辺に死亡フラグが立っている感じ。ただ、そういう幻想の乙女も、この消費社会によってつくり出された幻なのかなとも思う今日この頃。だからだろうか、最近、GQオヤジみたいなのが一番苦手かもしれない。GQオヤジとなんとなく書いたが、ちょい悪ってことかな、ちょっと違うかな、まあテキトーです。

それはおいといて、一個忘れていた。

唯一、支払い期限の話で腹が立つのが東京電力だった。被災地で電気代払えない方の電気止めて非難浴びてたけど、こういうインフラを持ってる企業が民間会社で、支払い期限を一ヶ月過ぎると、有無を言わさず不在でも止めますという脅しの書面がやってくるという事実。私も、今や給料口座は使っておらず引き落としが機能しないため、ちょっと支払いを忘れていると、これが来る。さすがに、最終期限を過ぎても払わなかったことはないので、本当に止めにくるのかどうかは体験しなかったが、「重要」というお知らせまではもらった。「お支払いいただけない場合は◯月◯日以降、ご不在でも送電をお断りすることになりますので、ご承知おきください」とある。「ご承知おきください」だ。たとえば、11月9日に検針した電気代の支払い期限は12月9日、それを20日過ぎると、電気の供給を停止する事があると電気供給約款に書かれている。そして、その10日後に電気止めますよとの脅しの書面が届く。

ライターのギャラは振込が遅れても、「ゴメン」で済まされることも多々あるのに、生活インフラの電気の料金は期日を一ヶ月遅れると、止められてしまうという情け容赦のなさ。結局はインフラを握っている者の強さというか、自分は一貫して原発反対だっただけに腹が立つ。使った分だけ払うのは当然なのだけれど、日本の電気代は高いし、東電がかけた迷惑をマイナスに換算してはくれないのだろうか?

続いて、善意についてを続けるつもりでしたが、長くなるので分けます。

わー、もうちびまるこ始まってるじゃん。こんな時間!