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近況報告。

・・・のつもりではじめたのですが・・・。
ゼミについては、学科公式ブログで報告しています。

秋田。

2012-09-23 23:36:08 | 近況とか。
調査と研究会で秋田に行きました。

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↑千秋公園を散策。
 関ヶ原で転封された外様大名の御膝元だとは知りませんでした。


 調査の中身は詳述しませんが、初こまちに揺られながら「ここの山は針葉樹なんだなあ」と思いつつ、​連鎖的に色々なことを思い出しておりましたので、わりとしょうもない話をつれづれなるままに。

 関東平野の真ん中でインドアな虚弱児として生まれ育ったためか、小1で初めて家族で榛名山に行ったとき、「山って木が集まって山なんだ!」と思った記憶が鮮明にあります。「近づくと木なのにどこまで遠ざかると山に見えるのかなあ」とか「土が盛り上がってる上に木が生えてるのかな」とか、そんなことを車の後部座席で考えていました。それは「なんで月は追いかけてくるんだろう」に近い世界の不思議であると同時に、実物の手触りなく絵に描いてあるこんもりした緑のあれが「山」だと認識していた自分を、子どもながらに「反省(反照)」した瞬間でありました。 

 
 そういう自分の認識を「反省」させられる経験は、やはり遠くに行ったときにすることが多いです。知っていたつもりの概念がわかってなかったことに気づかされるというのとは逆のパターンかもしれませんが、中2で島根~山口を移動したとき、山の間にぽっかりと数軒の集落が現れるという景色を初めて見ました(このときは1輌しかない電車に電車概念を崩されたと衝撃を受けた記憶も…)。それまで、関東平野か東海道新幹線沿いのリアリティしかなかったため、RPGで“町の外ではモンスターに遭遇する”という状況が「わからない」と思っていました。「<本当は>家がずっと続いてるじゃん」と。その時はじめて、集落とその外の自然との境界が存在するという世界観が理解できた気がしました。

 今回いった秋田は中3の10月の修学旅行で行って以来(市内は初)ですが、そのときは十和田湖で紅葉した山を見て「紅葉ってこういうことだっ​たのか!」と感動しつつ、それまで紅葉した山を見たことがなかった自分に自分でびっくりしたものです。アウトドア志向がないこともさることながら、紅葉の季節は家と学校の往復で街路樹の紅葉以外を見たことがなかったようなのです。
 その時は、稲刈り中・後の田んぼも初めてで「へえ」と思ったのですが、M1の5月に山形に資料集めに行ったとき、初めて田植え中・直後の田んぼを見て感動しました。どうも二十歳を過ぎても、私の自然像は、学校が休みのときに限定されていたようなのです。(ついでに、三十路になっても、数年前の9月に長野に行った時、リンゴがなってる時期にはじめて来た!とテンションあがった記憶が。)

 話がずれますが、中3の修学旅行では男鹿半島に行ったのが印象深く、なぜか考えてみるに、どうも「日本地図を書くときイノシシの鼻のように出っ張らせるあそこにいる」ということが感動的だったようです。「地図」なるもののリアリティの奇妙さはしばしば学問的にも言及されるところですが、この場合は、イノシシの鼻のような形を目視したわけではなく、抽象的な理解と実感がすり合わされたのかされてないのかもはやわかりません。飛行機で弘前方面に飛ぶと八郎潟がきれいに見えるらしく、そうしたらまた別の「実感」が与えられるのかもしれませんが。

 と、まあ重なるような重ならないようなことを連鎖的に思い起こさせる場所に行ったということで。関東平野育ちの上に、机上の勉強を重ねたことで色々リアリティがめんどくさいことになっているようだ、というまとまりのない話でした。



↑秋田=なまはげと連想しがちですが、なまはげは男鹿半島のもの。




ゼミ合宿2012。

2012-09-08 17:29:09 | ゼミとか。
今年もゼミ合宿を行いました。

いきなり行きの電車が乱れて、開始時間が押すという
ハプニングに見舞われましたが、なんとか開始。

先憂後楽型で、先にお勉強を詰め込むプログラムになり…。
ゼミ生はもちろん私もグロッキー

 

でも、みんな抽象度の高い内容を理解しようというモチベーションも高く、
それぞれに自分のの関心に引きつけて考察しようとしてくれたため、
かなりいいディスカッションができたのではないでしょうか。


最後は楽しみました



※お母さんの注文に答えてポーズをとる子ども↑を見て、
「子どもも子どもらしさを内面化してるんだね」という感想も。
勉強の成果?

※なりゆきで(ノリで)、「怪しい少年少女博物館」なるところにも行ってみました。勉強の成果2??
子ども像というよりは、風俗とサブカルの変遷って感じでしたが。


青春