映画化に向けて宣伝のためか本屋で山積になっていたので、
ついに、よしながふみ『大奥』を買いました。
若い男だけがかかる奇病が流行り、
男性が女性の4分の1になった江戸時代、
将軍を含めて、すべての家業は女が継ぎ、
種を持つ男は大事に大事に育てられる。
そんな「江戸時代」の大奥は、男子3000人といわれる逆ハーレム。
「腐」系かなあ(←すみません苦手)とおそるおそる読んだのですが、
なんていうか正統派ジェンダー系。
センス・オブ・ジェンダー賞受賞だそうです。
おもしろかったので、ジェンダーの専門家でもないのに
(専門家でないから許される?)あやしい感想を書きました。
※長文&乱文すみません。はい。仕事からの逃避です。
(以下ネタバレあり)
映画にもなる1巻(吉宗編)は、わりと完結しています。
男女逆でどうなるかなと思ったら、
時代劇風のくさいくらいの台詞の中にはめてしまうと、
あら不思議。これは、あり。というか違和感ない。
ベタすぎるのに/だからこそ、あり。
吉宗(女)のあまりの男前ぶりに感激するも、
必ずしもすべて男女逆でなくて、
主人公の水野(男)が男気あるかっこよい設定だったりと、
それをどうとるかは別として、不思議に攪乱されています。
なんだ逆でも全然ありだなあと思うことで、
逆はやはりどこかで「なし」だと思っている自分に気づかされます。
しかしながら、ここまではいわば序章。
1巻の終わりから始まる過去編からが本編。
男名を残したままの女が家を継ぐ制度が出来上がっていく過程が
明らかにされます。
2巻からは、家光編。
本物の家光(男)が死去し、私生児の千恵(女)を代理に立てたところから、
男女逆転が始まっていく様を描きます。
家光(千恵)とお万の方(万里小路有巧)の愛のゆくえを
絡めながら話が進みますが、アリバイ崩しのように、
結論がわかっているところに向けてピースをはめていくのがおもしろい。
史実と虚実の配合が絶妙で、
鎖国、大名家取り潰し、吉原、農具の開発等々が
男子人口の減少に絡めて説明されていきます。
家制度のせいで一夫多妻制が進まず、女系相続に至ったという説明も
なんとなく納得させられてしまいました。
そして、話がまた転回するのが、家光編の末尾(4巻)ごろから。
女大名を認め、女将軍を世に公表し、男による大奥が成立したあと。
あくまでも父家光の影として生きる家光(千恵)は、
世継ぎを生むために出産と流産を繰り返して若くして死去。
市井の状況について、
「そう 男女の役割は逆転したのではない
正確には 男は子作り以外は何もしなかった
育児を含めた家事も仕事も この世の労働の一切を
女達は引き受ける事になったのである」
とのモノローグを残して、1話の家綱編を経て、綱吉編へ。
元禄の狂乱を代表する将軍の治世は、
男による武断政治から女による文治政治の転換期と位置づけられ、
由比小雪の乱も忠臣蔵もその路線で描かれます。
と同時に、綱吉編では、男女逆転の「隘路」が描かれます。
一人娘の松姫が夭折してしまい(史実は女児は成人し、男児が夭折)、
世継ぎ(この時点では女子でOK)を産むことを宿命付けられた女将軍。
夜な夜な若い男を選んで子作りに励む日々。
かんざしを大量にさした、遊女さながらの綱吉の絵にドキッとさせられます。
「何が将軍だ!! 若い男達を悦ばせるために
私がどれほどの事を床の中で覚えてきたか そなたにはわかるか!?
将軍というのはな 岡場所で体を売る男たちより
もっともっと卑しい女の事じゃ」
父(!)桂昌院の
「勉学も大切やけど やはり女は器量が大事やで
どないに偉いのや 殿様や言うても 子を生すには
側室の男達をその気にさせねば 始まらんのやさかい」
という言葉に縛られる一生。
将軍になっても、産む性ということに縛られるのか?
見られ、選ばれる性なのか?
この問題は、家光が母になって変わった、強くなった等々
描写されているところから続いているのかもしれません。
やはり母になることに何かが賭けられてしまうのか?
でも、実はそれは男も同じで、子種を売るために夜な夜な違う女のもとに
売られていく男達。大奥にあがることは、ある意味その宿命からの
逃避とも位置づけられます。
そう。あえて言えば、家事仕事両立問題とか、産む性とか、草食系とか、
ジェンダーの攪乱の「隘路」が描かれているのです。
(勝手に解釈したところによれば。)
「虚実ない交ぜ」のこの話、
「実」のほうは、ごくごくお約束的なエピソードで構成されているのですが
(「大奥総取締役」など、史実でではなく「大奥」ドラマのパクリも散見)、
にもかかわらず/だからこそ、男女逆転という「虚」の発想の妙が
際立つような気がします。
さて、「隘路」の先は、というと。
最新刊の5巻ラストで、ついに少女吉宗と老女綱吉が邂逅。
「大名の娘ともなれば 美しく着飾ることも必要であるぞ」
と父の言葉をそのままぶつける綱吉に、
きっぱりと答えるニュージェネレーション吉宗。
「私はそうは思いませぬが なぜなら
私自身が姿の美しい男にとんと興味が無いからにござります
女にも私のようなのがいるのですから
男にだって必ず 美しい女を好まぬものがいるはずです」。
(選ぶ性としての視点!)
人生を呪縛した思考を少女に簡単に崩された老女将軍の高笑いとともに
「隘路」の先の可能性が示唆されました。
今本誌は綱吉死亡までの模様です。
したがって、おそらく重要なのは、短い家宣・家継の治世の次。
この新しい世代の将軍がどういう治世を築くのか、
1巻の時代に戻ったあとなのでしょう。
わりとだいぶ楽しみです。(けど難しそうです。)

ついに、よしながふみ『大奥』を買いました。
若い男だけがかかる奇病が流行り、
男性が女性の4分の1になった江戸時代、
将軍を含めて、すべての家業は女が継ぎ、
種を持つ男は大事に大事に育てられる。
そんな「江戸時代」の大奥は、男子3000人といわれる逆ハーレム。
「腐」系かなあ(←すみません苦手)とおそるおそる読んだのですが、
なんていうか正統派ジェンダー系。
センス・オブ・ジェンダー賞受賞だそうです。
おもしろかったので、ジェンダーの専門家でもないのに
(専門家でないから許される?)あやしい感想を書きました。
※長文&乱文すみません。はい。仕事からの逃避です。
(以下ネタバレあり)
映画にもなる1巻(吉宗編)は、わりと完結しています。
男女逆でどうなるかなと思ったら、
時代劇風のくさいくらいの台詞の中にはめてしまうと、
あら不思議。これは、あり。というか違和感ない。
ベタすぎるのに/だからこそ、あり。
吉宗(女)のあまりの男前ぶりに感激するも、
必ずしもすべて男女逆でなくて、
主人公の水野(男)が男気あるかっこよい設定だったりと、
それをどうとるかは別として、不思議に攪乱されています。
なんだ逆でも全然ありだなあと思うことで、
逆はやはりどこかで「なし」だと思っている自分に気づかされます。
しかしながら、ここまではいわば序章。
1巻の終わりから始まる過去編からが本編。
男名を残したままの女が家を継ぐ制度が出来上がっていく過程が
明らかにされます。
2巻からは、家光編。
本物の家光(男)が死去し、私生児の千恵(女)を代理に立てたところから、
男女逆転が始まっていく様を描きます。
家光(千恵)とお万の方(万里小路有巧)の愛のゆくえを
絡めながら話が進みますが、アリバイ崩しのように、
結論がわかっているところに向けてピースをはめていくのがおもしろい。
史実と虚実の配合が絶妙で、
鎖国、大名家取り潰し、吉原、農具の開発等々が
男子人口の減少に絡めて説明されていきます。
家制度のせいで一夫多妻制が進まず、女系相続に至ったという説明も
なんとなく納得させられてしまいました。
そして、話がまた転回するのが、家光編の末尾(4巻)ごろから。
女大名を認め、女将軍を世に公表し、男による大奥が成立したあと。
あくまでも父家光の影として生きる家光(千恵)は、
世継ぎを生むために出産と流産を繰り返して若くして死去。
市井の状況について、
「そう 男女の役割は逆転したのではない
正確には 男は子作り以外は何もしなかった
育児を含めた家事も仕事も この世の労働の一切を
女達は引き受ける事になったのである」
とのモノローグを残して、1話の家綱編を経て、綱吉編へ。
元禄の狂乱を代表する将軍の治世は、
男による武断政治から女による文治政治の転換期と位置づけられ、
由比小雪の乱も忠臣蔵もその路線で描かれます。
と同時に、綱吉編では、男女逆転の「隘路」が描かれます。
一人娘の松姫が夭折してしまい(史実は女児は成人し、男児が夭折)、
世継ぎ(この時点では女子でOK)を産むことを宿命付けられた女将軍。
夜な夜な若い男を選んで子作りに励む日々。
かんざしを大量にさした、遊女さながらの綱吉の絵にドキッとさせられます。
「何が将軍だ!! 若い男達を悦ばせるために
私がどれほどの事を床の中で覚えてきたか そなたにはわかるか!?
将軍というのはな 岡場所で体を売る男たちより
もっともっと卑しい女の事じゃ」
父(!)桂昌院の
「勉学も大切やけど やはり女は器量が大事やで
どないに偉いのや 殿様や言うても 子を生すには
側室の男達をその気にさせねば 始まらんのやさかい」
という言葉に縛られる一生。
将軍になっても、産む性ということに縛られるのか?
見られ、選ばれる性なのか?
この問題は、家光が母になって変わった、強くなった等々
描写されているところから続いているのかもしれません。
やはり母になることに何かが賭けられてしまうのか?
でも、実はそれは男も同じで、子種を売るために夜な夜な違う女のもとに
売られていく男達。大奥にあがることは、ある意味その宿命からの
逃避とも位置づけられます。
そう。あえて言えば、家事仕事両立問題とか、産む性とか、草食系とか、
ジェンダーの攪乱の「隘路」が描かれているのです。
(勝手に解釈したところによれば。)
「虚実ない交ぜ」のこの話、
「実」のほうは、ごくごくお約束的なエピソードで構成されているのですが
(「大奥総取締役」など、史実でではなく「大奥」ドラマのパクリも散見)、
にもかかわらず/だからこそ、男女逆転という「虚」の発想の妙が
際立つような気がします。
さて、「隘路」の先は、というと。
最新刊の5巻ラストで、ついに少女吉宗と老女綱吉が邂逅。
「大名の娘ともなれば 美しく着飾ることも必要であるぞ」
と父の言葉をそのままぶつける綱吉に、
きっぱりと答えるニュージェネレーション吉宗。
「私はそうは思いませぬが なぜなら
私自身が姿の美しい男にとんと興味が無いからにござります
女にも私のようなのがいるのですから
男にだって必ず 美しい女を好まぬものがいるはずです」。
(選ぶ性としての視点!)
人生を呪縛した思考を少女に簡単に崩された老女将軍の高笑いとともに
「隘路」の先の可能性が示唆されました。
今本誌は綱吉死亡までの模様です。
したがって、おそらく重要なのは、短い家宣・家継の治世の次。
この新しい世代の将軍がどういう治世を築くのか、
1巻の時代に戻ったあとなのでしょう。
わりとだいぶ楽しみです。(けど難しそうです。)
