ケニア
2005.03.01(火)
エチオピアの旅が終りケニアへと入国する。
サハラ以南をブラックアフリカと捉える場合が多いがエチオピア人は見た目も我々の想像する黒人とはちょっと違うので、あまりそうは感じなかったがこの先は俗に言う縮れ毛の黒人世界へと突入する本格的なブラックアフリカが始まるのだ。
これから突入するブラックアフリカのイメージとは何だろうか?
政情不安定、劣悪な衛生環境、絶えざる内乱、腐敗に賄賂、貧困等色々な物がある。
中でも旅行者にとって最も気になるのはブラックアフリカ諸国に於ける都市部の治安の悪さだろう。
「トップスリー」に挙げられるのは、「ヨハネスブルグ(南アフリカ共和国)」、「ラゴス(ナイジェリア)」、そしてこれから私が向かう「ナイロビ(ケニア)」であった。
国境町であるモヤレからナイロビまでいくには大雑把に行って3つのルートがあるが、その内のメジャーな2つのルートは武装強盗団が出ることで有名だ。ナイロビという危険な都市に行くまでにまずこれを心配しなければいけないのは頭の痛いことでもあるが私にはどうすることも出来ない、これから乗るコンボイ(トラックの悌隊、武装強盗を避けるために車列を組んで移動する)が武装強盗団に遭わないように願うぐらいが限界だ。そして私のコンボイはマルサビット国立公園を経由するルートとなっていた。(注:コンボイのルートはこのメジャーな2つのルートのいずれかでおり、それは一つのルートをしばらく使っているとそこに武装強盗団が襲いかかってくるのでそうなるともう一つのルートに移すという繰り返しだった。私の時期ではマルサビットルートは安全と言われていた。)
泊まっていたホテルをガイドと一緒に出て国境を越える。
モヤレの街並
手続きは昨日すでに終っているのでただ通り抜けるだけだ。
トラックの発着場につき、昨日ガイドが調整していたブローカーに残りの代金を渡す。
このトラックは前座席と後ろの荷台という2つの選択肢がある。
後ろだと移動中はずっとフレームに摑まらねばならず、また地面の悪さからしょっちゅう跳ねたり、また道路脇の木の枝を避けたりしなければならないので身をかがめたりすることとなり、その乗客の動作から“スーパーマリオ・トラック”と呼ばれている。また荷台の荷物も当り外れがあり豆ならまだしも牛となると最悪と言う事で有名だ。
多くの旅行者は安いことやこれを一つのアトラクションととらえてチャレンジするのだが私にはそんなメンタリティーは露ほども無い。何よりもしがみつくことで精一杯になり道中の景色が楽しめないではないか!
と、言い訳して前座席を取っていた(トラックは前座席は2列で運転手と同じ列の後ろにもう一列ある。私が取ったのは前座席の前)。窓際には先客がいて残念ながら中央だがまあ悪くは無いだろう。
なにやら人が来て私になにやら話しかけてくる。エチオピアと違ってケニアは英語圏だから話が早い。
なんでも私の荷物をくくるのにロープを買わなければならず、その代金とくくりつけるお金がひつようだそうだ。
『・・・』
うーん、毎度の事ながら何故あらかじめ言ってくれないんだろうか?ブローカと押し問答したが向こうは折れる気配も無く、一応の説明はされたので仕方なく支払う。(後で聞いたら後ろの荷台に乗る人も自前のロープがなければ払う仕組みになっていたのでボラれた訳ではなかったようだが・・・)
しかし、これで昨日から併せて乗車代2100ケニアシリング(約3000円、以下シリングという)にこのロープ代に作業代で200シリング(ロープは1本50で私の荷物には3本使っていた)の合計2300シリングの出費だ。
それにしても予算が最初の予定通りに収まらないのは気分が悪い。
一連のごたごたを終えて私をここまで案内していたエチオピア人ガイドにガイド代としてチップとして残っているエチオピアブルを渡そうとしたらもう消えている。エチオピアブルはもうとっていても仕方なかったのに彼には間の悪いことをしてしまった。
そこで一時間ぐらいは待ったのだろうか?エンジンがかかっていよいよこれから出発だ。と、いう時に急にポリスが助手席に顔を入れ、私になにやら言ってくる
「おいっ、パスポートを見せろ、それとイエローカードだ」
私は彼に従い両方提示する。ケニアは黄熱病の予防接種を受けていないと入れないのでそれも確認したかったのだろう。
だが、彼は予想もつかない一言を放ってきた。
「イエローカードはこれじゃないぜ。お前きちんと見せてみろ」
イエローカードといったら私にはこれしかないし世界中でも常識な筈だ。彼の言い分が良く分からず私は聞き直す。
「入国した時にカードを記入しただろう。それの事だ」
『???』
確かに記入した。そのカードの色は黄色だ。だがそれは入国カードとしてイミグレが保存するもので私が持つものではないはずだ。私は彼にその旨を説明する。
「あれはお前が持ってなければダメなんだ、だからきちんと提示しろ」
『見せたくてもそれは無理だ、あれはもうイミグレが持っている、どうしてもというならイミグレに一緒に行ってくれ』
私は抗弁する、これから出発だという時に厄介なこ事だ。すると後部座席に座っていたおばさんが小声で私に「200シリング(約300円)払えばOKよ」と言ってきた。
『!』
謎は解けた、ポリスが賄賂欲しさに私にいちゃもんをつけてきただけだったのだ。そうなれば話は早い。
私は急に声を荒げて彼にこう告げる。
『あんたが要求している物は俺の持つべきもんじゃないしその必要もない。それに俺のパスポートに何の問題もないぜ』
彼はそれでもゆずらず押し問答になる。
そんなことでしばらく時間を費やしていると急に彼はトラックを降りて私の前からいなくなる。
『どうなるんだ・・・?』
やや不安な気持ちになったが、ポリスが消えるのと同時に降りていたドライバーが戻ってきて、「さぁ、出発だ」と声をかけてきた。どうやら彼が上手くやってきたらしい。
出発直前のこのドタバタに旅行最初の賄賂請求。
これからブラックアフリカが思いやられた瞬間だった。
だが、そんな出足とは関係なくトラックは順調に進む。
道中の景色
休憩中に後ろに乗っていた人を見たが埃まみれになっていた。
私は真ん中とはいえ助手席で快適。彼らを見たときに本心から『前に乗れてよかった~』と思っていた。
マルサビット国立公園。動物は見れなかった。
2005.03.2(水)
日付が変わってしばらくたったころ、トラックはイシオロに到着。
今日はここで休むらしい。
私は助手席でそのまま寝ようとしたらスタッフから「そこでは寝れない」と告げられる。『なんでだ?』と思ったが見ていると車両の整備を始めたのでこれでは無理だろうと諦める。
そうなると野宿するかどうかになるが危険と噂のケニアでそれもちょっと避けたい。しばらく思案にくれていると荷台に乗っていたケニア人が私に話しかけてくる。地方でミリタリーポリスをやっているというナフタは好青年だった。
彼によるとこのままトラックに乗っていけないから荷物を降ろしてここでバスに乗り換えなければいけなくなるらしい。
『ハァ・・・』
そんなこと出発前に教えてくれればいいのにと思ったがそれならば仕方が無い。
ナフタが手伝ってくれて私の荷物を降ろす。次は宿だ。
と、2人ばかり、そこにいた人間が猛烈に我々に話しかけてくる。ホテルガイドだ。あてがあるわけでもないのでトラックの目の前にあるホテルに案内されるがままいって2人で部屋をシェアする。一人150シリング(約200円)。
しかし海外初相部屋はケニア人になるとは思わなかった。
朝0400時頃、私は急に起こされる、トラックのドライバーだ。「出発するから乗れ」と言っているらしい。
ナフタは「乗客は降りなければいけない」といっていたが、それは荷台に人を積んでナイロビ市内に入ることが禁止されているという意味で私は助手席だったのでそのまま市内まで乗っていけたのだ。
損をした気にはなったが、この時の私は眠かった。『いいよ、ここからはバスで行くよ』と告げて彼の誘いを断る。
朝0500時頃起きてナフタの先導でバスへ向かう。チケットは難なくとれ2人でバスに乗込む、エチオピアで見ていたぼろぼろのバスではなく、これなら普通のバスと言って通用しそうだ。
そして出発を待っていると昨日夜我々にホテルを案内した(といってもそのホテルは停車したトラックの目の前にあったのだが)ガイドが2人やってくる。チップの請求だ。彼らはナフタとなにやら話し始めて揉めている、私は見ているとナフタの手から幾らかのお金が彼らに手渡されているのが見えた。
ナフタがバスに戻ってくる。彼は何もいわなかったので私は『幾ら払ったの?』と聞くと「200」と力ない答えが。一人150でホテルに泊まってそれでガイド一人に100というのも酷い話だが面倒な交渉もナフタ一人に押し付けてしまった私も悪い。ナフタに『じゃあ半分』と100渡す。しかし、ナフタはミリタリーポリスと言っている割には外見は優男だし、押しも弱いので大丈夫だろうかと心配になる。まあそこが彼を信用できる所なのだが・・・
バスは思いの他に快適だ。途中ケニア山の頂を見て一路ナイロビへ。
到着は1100時、だがどう考えても私の持っている地図の外の場所だ。周りの建物の様子から郊外だと分かる。
『無事に市内に出れるのか・・・?』
私の緊張は高まるばかりだ。
そんな私を見てとったのか?バスの運転手が親切に「お前どこに行くんだ?」と聞いてきて、その地区を走っていたマタトゥ(市内を走るミニバスのケニアでの呼び名)を呼び止める。そして「こいつは俺の友達で市の中心に行くからそこで
降ろしてやってくれ!」と伝えてくれた。いい奴はどこにでもいるもんだ。
私はこれまで一緒にいたナフタと別れてマタトゥに乗る。それにしても危険と言われる所で今どこにいるかさっぱり分からないと言うのは何とも気が重い。15分ぐらいは乗ったのだろうか?久しぶりに見る高層ビル、マタトゥのスタッフが「ここでいいかい?」と聞いてくる。どうやら市の中心部へ到着したらしい。
私は降りて、少し歩いてから人から見えない所で地図を開く、危険な所でどうどうと地図を開くとターゲットになると聞いていたからだ。そして建物のセキュリティーらしき人に道を聞いてダウンタウンの入口にある日本人宿へ向かう。ここへ向かったのはソマリランドに一緒に行った森田氏と再会場所として約束していたことと、それと情報の少ないアフリカで情報ノートもあり、他の日本人旅行者とも出会いやすいので色々と聞けるだろうと考えたからだ。
しかし、初めて泊まる日本人宿がよりによって危険なナイロビの危険な場所の入口にあると言うのは泣かせてくれる。
正午でなので大丈夫だろうと思いながらもビクビクしつつ、なんとかお目当てのニューケニアロッジに到着。無事に宿を取る事が出来てホッとする。
だが、油断してはいけない。これからブラックアフリカ最初の首都、危険都市ナイロビが始まるのだ・・・
2005.03.01(火)
エチオピアの旅が終りケニアへと入国する。
サハラ以南をブラックアフリカと捉える場合が多いがエチオピア人は見た目も我々の想像する黒人とはちょっと違うので、あまりそうは感じなかったがこの先は俗に言う縮れ毛の黒人世界へと突入する本格的なブラックアフリカが始まるのだ。
これから突入するブラックアフリカのイメージとは何だろうか?
政情不安定、劣悪な衛生環境、絶えざる内乱、腐敗に賄賂、貧困等色々な物がある。
中でも旅行者にとって最も気になるのはブラックアフリカ諸国に於ける都市部の治安の悪さだろう。
「トップスリー」に挙げられるのは、「ヨハネスブルグ(南アフリカ共和国)」、「ラゴス(ナイジェリア)」、そしてこれから私が向かう「ナイロビ(ケニア)」であった。
国境町であるモヤレからナイロビまでいくには大雑把に行って3つのルートがあるが、その内のメジャーな2つのルートは武装強盗団が出ることで有名だ。ナイロビという危険な都市に行くまでにまずこれを心配しなければいけないのは頭の痛いことでもあるが私にはどうすることも出来ない、これから乗るコンボイ(トラックの悌隊、武装強盗を避けるために車列を組んで移動する)が武装強盗団に遭わないように願うぐらいが限界だ。そして私のコンボイはマルサビット国立公園を経由するルートとなっていた。(注:コンボイのルートはこのメジャーな2つのルートのいずれかでおり、それは一つのルートをしばらく使っているとそこに武装強盗団が襲いかかってくるのでそうなるともう一つのルートに移すという繰り返しだった。私の時期ではマルサビットルートは安全と言われていた。)
泊まっていたホテルをガイドと一緒に出て国境を越える。
モヤレの街並
手続きは昨日すでに終っているのでただ通り抜けるだけだ。
トラックの発着場につき、昨日ガイドが調整していたブローカーに残りの代金を渡す。
このトラックは前座席と後ろの荷台という2つの選択肢がある。
後ろだと移動中はずっとフレームに摑まらねばならず、また地面の悪さからしょっちゅう跳ねたり、また道路脇の木の枝を避けたりしなければならないので身をかがめたりすることとなり、その乗客の動作から“スーパーマリオ・トラック”と呼ばれている。また荷台の荷物も当り外れがあり豆ならまだしも牛となると最悪と言う事で有名だ。
多くの旅行者は安いことやこれを一つのアトラクションととらえてチャレンジするのだが私にはそんなメンタリティーは露ほども無い。何よりもしがみつくことで精一杯になり道中の景色が楽しめないではないか!
と、言い訳して前座席を取っていた(トラックは前座席は2列で運転手と同じ列の後ろにもう一列ある。私が取ったのは前座席の前)。窓際には先客がいて残念ながら中央だがまあ悪くは無いだろう。
なにやら人が来て私になにやら話しかけてくる。エチオピアと違ってケニアは英語圏だから話が早い。
なんでも私の荷物をくくるのにロープを買わなければならず、その代金とくくりつけるお金がひつようだそうだ。
『・・・』
うーん、毎度の事ながら何故あらかじめ言ってくれないんだろうか?ブローカと押し問答したが向こうは折れる気配も無く、一応の説明はされたので仕方なく支払う。(後で聞いたら後ろの荷台に乗る人も自前のロープがなければ払う仕組みになっていたのでボラれた訳ではなかったようだが・・・)
しかし、これで昨日から併せて乗車代2100ケニアシリング(約3000円、以下シリングという)にこのロープ代に作業代で200シリング(ロープは1本50で私の荷物には3本使っていた)の合計2300シリングの出費だ。
それにしても予算が最初の予定通りに収まらないのは気分が悪い。
一連のごたごたを終えて私をここまで案内していたエチオピア人ガイドにガイド代としてチップとして残っているエチオピアブルを渡そうとしたらもう消えている。エチオピアブルはもうとっていても仕方なかったのに彼には間の悪いことをしてしまった。
そこで一時間ぐらいは待ったのだろうか?エンジンがかかっていよいよこれから出発だ。と、いう時に急にポリスが助手席に顔を入れ、私になにやら言ってくる
「おいっ、パスポートを見せろ、それとイエローカードだ」
私は彼に従い両方提示する。ケニアは黄熱病の予防接種を受けていないと入れないのでそれも確認したかったのだろう。
だが、彼は予想もつかない一言を放ってきた。
「イエローカードはこれじゃないぜ。お前きちんと見せてみろ」
イエローカードといったら私にはこれしかないし世界中でも常識な筈だ。彼の言い分が良く分からず私は聞き直す。
「入国した時にカードを記入しただろう。それの事だ」
『???』
確かに記入した。そのカードの色は黄色だ。だがそれは入国カードとしてイミグレが保存するもので私が持つものではないはずだ。私は彼にその旨を説明する。
「あれはお前が持ってなければダメなんだ、だからきちんと提示しろ」
『見せたくてもそれは無理だ、あれはもうイミグレが持っている、どうしてもというならイミグレに一緒に行ってくれ』
私は抗弁する、これから出発だという時に厄介なこ事だ。すると後部座席に座っていたおばさんが小声で私に「200シリング(約300円)払えばOKよ」と言ってきた。
『!』
謎は解けた、ポリスが賄賂欲しさに私にいちゃもんをつけてきただけだったのだ。そうなれば話は早い。
私は急に声を荒げて彼にこう告げる。
『あんたが要求している物は俺の持つべきもんじゃないしその必要もない。それに俺のパスポートに何の問題もないぜ』
彼はそれでもゆずらず押し問答になる。
そんなことでしばらく時間を費やしていると急に彼はトラックを降りて私の前からいなくなる。
『どうなるんだ・・・?』
やや不安な気持ちになったが、ポリスが消えるのと同時に降りていたドライバーが戻ってきて、「さぁ、出発だ」と声をかけてきた。どうやら彼が上手くやってきたらしい。
出発直前のこのドタバタに旅行最初の賄賂請求。
これからブラックアフリカが思いやられた瞬間だった。
だが、そんな出足とは関係なくトラックは順調に進む。
道中の景色
休憩中に後ろに乗っていた人を見たが埃まみれになっていた。
私は真ん中とはいえ助手席で快適。彼らを見たときに本心から『前に乗れてよかった~』と思っていた。
マルサビット国立公園。動物は見れなかった。
2005.03.2(水)
日付が変わってしばらくたったころ、トラックはイシオロに到着。
今日はここで休むらしい。
私は助手席でそのまま寝ようとしたらスタッフから「そこでは寝れない」と告げられる。『なんでだ?』と思ったが見ていると車両の整備を始めたのでこれでは無理だろうと諦める。
そうなると野宿するかどうかになるが危険と噂のケニアでそれもちょっと避けたい。しばらく思案にくれていると荷台に乗っていたケニア人が私に話しかけてくる。地方でミリタリーポリスをやっているというナフタは好青年だった。
彼によるとこのままトラックに乗っていけないから荷物を降ろしてここでバスに乗り換えなければいけなくなるらしい。
『ハァ・・・』
そんなこと出発前に教えてくれればいいのにと思ったがそれならば仕方が無い。
ナフタが手伝ってくれて私の荷物を降ろす。次は宿だ。
と、2人ばかり、そこにいた人間が猛烈に我々に話しかけてくる。ホテルガイドだ。あてがあるわけでもないのでトラックの目の前にあるホテルに案内されるがままいって2人で部屋をシェアする。一人150シリング(約200円)。
しかし海外初相部屋はケニア人になるとは思わなかった。
朝0400時頃、私は急に起こされる、トラックのドライバーだ。「出発するから乗れ」と言っているらしい。
ナフタは「乗客は降りなければいけない」といっていたが、それは荷台に人を積んでナイロビ市内に入ることが禁止されているという意味で私は助手席だったのでそのまま市内まで乗っていけたのだ。
損をした気にはなったが、この時の私は眠かった。『いいよ、ここからはバスで行くよ』と告げて彼の誘いを断る。
朝0500時頃起きてナフタの先導でバスへ向かう。チケットは難なくとれ2人でバスに乗込む、エチオピアで見ていたぼろぼろのバスではなく、これなら普通のバスと言って通用しそうだ。
そして出発を待っていると昨日夜我々にホテルを案内した(といってもそのホテルは停車したトラックの目の前にあったのだが)ガイドが2人やってくる。チップの請求だ。彼らはナフタとなにやら話し始めて揉めている、私は見ているとナフタの手から幾らかのお金が彼らに手渡されているのが見えた。
ナフタがバスに戻ってくる。彼は何もいわなかったので私は『幾ら払ったの?』と聞くと「200」と力ない答えが。一人150でホテルに泊まってそれでガイド一人に100というのも酷い話だが面倒な交渉もナフタ一人に押し付けてしまった私も悪い。ナフタに『じゃあ半分』と100渡す。しかし、ナフタはミリタリーポリスと言っている割には外見は優男だし、押しも弱いので大丈夫だろうかと心配になる。まあそこが彼を信用できる所なのだが・・・
バスは思いの他に快適だ。途中ケニア山の頂を見て一路ナイロビへ。
到着は1100時、だがどう考えても私の持っている地図の外の場所だ。周りの建物の様子から郊外だと分かる。
『無事に市内に出れるのか・・・?』
私の緊張は高まるばかりだ。
そんな私を見てとったのか?バスの運転手が親切に「お前どこに行くんだ?」と聞いてきて、その地区を走っていたマタトゥ(市内を走るミニバスのケニアでの呼び名)を呼び止める。そして「こいつは俺の友達で市の中心に行くからそこで
降ろしてやってくれ!」と伝えてくれた。いい奴はどこにでもいるもんだ。
私はこれまで一緒にいたナフタと別れてマタトゥに乗る。それにしても危険と言われる所で今どこにいるかさっぱり分からないと言うのは何とも気が重い。15分ぐらいは乗ったのだろうか?久しぶりに見る高層ビル、マタトゥのスタッフが「ここでいいかい?」と聞いてくる。どうやら市の中心部へ到着したらしい。
私は降りて、少し歩いてから人から見えない所で地図を開く、危険な所でどうどうと地図を開くとターゲットになると聞いていたからだ。そして建物のセキュリティーらしき人に道を聞いてダウンタウンの入口にある日本人宿へ向かう。ここへ向かったのはソマリランドに一緒に行った森田氏と再会場所として約束していたことと、それと情報の少ないアフリカで情報ノートもあり、他の日本人旅行者とも出会いやすいので色々と聞けるだろうと考えたからだ。
しかし、初めて泊まる日本人宿がよりによって危険なナイロビの危険な場所の入口にあると言うのは泣かせてくれる。
正午でなので大丈夫だろうと思いながらもビクビクしつつ、なんとかお目当てのニューケニアロッジに到着。無事に宿を取る事が出来てホッとする。
だが、油断してはいけない。これからブラックアフリカ最初の首都、危険都市ナイロビが始まるのだ・・・