巷は、道の混み具合や、店先の商品に、
“師走”を感じるようになったね。
昨年の今頃は、初夏のころから騒ぎが拡大した“新型インフルエンザ”を
心配しながらの暮れだったけれど、
今年は、ほとんど新型インフルエンザという言葉も、耳にしなくなった。
たった、1年で、新型は、“新型でない”ものに世の中でなったのかな。
そして、最近ニュースで取り上げられるのは、
下痢や嘔吐を引き起こす“ノロウィルス”の話題。
幸いにも軽症の人が多いようだけれど、
おなかの具合が今一つと言う人が、
LOHASの森の散歩で出くわす人の中にも何人かいるんだ。
皆は、元気かな。
昨夜、テレビである少女の“延命治療の選択”についてのドキュメンタリーをやっていたようだが、観た人はいるかな。
綾乃さんはかつて、その延命治療のある現場に立ち会ったことがあるそうだ。
自発呼吸ができなくなって、
患者本人はすでに意識がない状態。
その中で、人工呼吸器を挿入するかしないかで、
近しい親族の間で、さまざまな思いが錯綜したのだそうだ。
昨夜の番組でも、娘の延命治療に
「少しでも生きる望みがあるならば、親としてわが子に生きていて欲しいと願ってしまう」父親の切なさと鉢合わせの“本音”が語られていたが、
綾乃さんが遭遇したその病室でも、
やはり二つの“思い”を巡って、
短い時間に、葛藤と祈りが錯綜する事態が展開されたのだそうだ。
一つは、先の父親のように、
「少しでも生きる望みがあるならば、出来る限りの手立てで、延命して欲しい」という
家族や親族の思い。
そして、もう一つには、
「本人は、もう十分頑張ったのだから、できるだけ早く楽にしてあげて欲しい。苦しむ時間が、できるだけ短くあって欲しい」という家族や親族の思い。
綾乃さんが遭遇したその場所では、
患者の二人の子供が、この二つの立場で意見が分かれたのだとか。
親と子の間の、複雑で微妙な関係の違いが見え隠れもする気がしたそうだ・・・
だた、そのとき感じたことは、
どちらを選択するにしても、
“死”を受け入れるための気持ちの覚悟と整理と勇気が必要に思ったそうだ。
悩み、苦しみ、葛藤。
涙や、思いが深いが故に、自然と発せられる“怒号”が病室を埋め尽くす。
しかし、その時その場に立ち会った関係者が最後に出した結論は、
患者本人の気持ちはわからない中で、
もし、たったひとりでも延命治療を強く望むものがいるならば、
その人が“目の前の死”と向き合う準備ができるまで、
皆で待つ努力をしようと。
意志を伝えることができない病床のその人は、
自らの目の前で近しい家族が苦しみ、悩む様に、心を痛めていたかもしれない・・・
ドキュメンタリーの中では、
もう自分は十分頑張った、
自分は延命を希望せずに、死を受け入れる心の整理がついたと
携帯電話の画面に文字を刻む二十歳にも満たないけれど“凛とした大人”の娘の姿が、
たまらなかった・・・と、綾乃さん。
自殺者年間3万人を超す昨今の日本。
生きるのも、死ぬのも、
色々とそれぞれに大変だとは思う。
大河ドラマ『龍馬伝』の最終回、
坂本龍馬が死ぬ間際に、中岡慎太郎に問うように発するセリフが
印象的だった。
わしは、自分の、この命を
使い切ることができたかのぅ・・・
「まだまだだ!」と言葉を返す瀕死の中岡の言葉も
印象的だ。
綾乃さんは、永遠の風の丘から、遥かに遠くまで広がる海を見つめながら
つぶやいた・・・
“命を使い切る”人生をおくれるかなぁ・・・
おくりたいなぁ・・・・
“師走”を感じるようになったね。
昨年の今頃は、初夏のころから騒ぎが拡大した“新型インフルエンザ”を
心配しながらの暮れだったけれど、
今年は、ほとんど新型インフルエンザという言葉も、耳にしなくなった。
たった、1年で、新型は、“新型でない”ものに世の中でなったのかな。
そして、最近ニュースで取り上げられるのは、
下痢や嘔吐を引き起こす“ノロウィルス”の話題。
幸いにも軽症の人が多いようだけれど、
おなかの具合が今一つと言う人が、
LOHASの森の散歩で出くわす人の中にも何人かいるんだ。
皆は、元気かな。
昨夜、テレビである少女の“延命治療の選択”についてのドキュメンタリーをやっていたようだが、観た人はいるかな。
綾乃さんはかつて、その延命治療のある現場に立ち会ったことがあるそうだ。
自発呼吸ができなくなって、
患者本人はすでに意識がない状態。
その中で、人工呼吸器を挿入するかしないかで、
近しい親族の間で、さまざまな思いが錯綜したのだそうだ。
昨夜の番組でも、娘の延命治療に
「少しでも生きる望みがあるならば、親としてわが子に生きていて欲しいと願ってしまう」父親の切なさと鉢合わせの“本音”が語られていたが、
綾乃さんが遭遇したその病室でも、
やはり二つの“思い”を巡って、
短い時間に、葛藤と祈りが錯綜する事態が展開されたのだそうだ。
一つは、先の父親のように、
「少しでも生きる望みがあるならば、出来る限りの手立てで、延命して欲しい」という
家族や親族の思い。
そして、もう一つには、
「本人は、もう十分頑張ったのだから、できるだけ早く楽にしてあげて欲しい。苦しむ時間が、できるだけ短くあって欲しい」という家族や親族の思い。
綾乃さんが遭遇したその場所では、
患者の二人の子供が、この二つの立場で意見が分かれたのだとか。
親と子の間の、複雑で微妙な関係の違いが見え隠れもする気がしたそうだ・・・
だた、そのとき感じたことは、
どちらを選択するにしても、
“死”を受け入れるための気持ちの覚悟と整理と勇気が必要に思ったそうだ。
悩み、苦しみ、葛藤。
涙や、思いが深いが故に、自然と発せられる“怒号”が病室を埋め尽くす。
しかし、その時その場に立ち会った関係者が最後に出した結論は、
患者本人の気持ちはわからない中で、
もし、たったひとりでも延命治療を強く望むものがいるならば、
その人が“目の前の死”と向き合う準備ができるまで、
皆で待つ努力をしようと。
意志を伝えることができない病床のその人は、
自らの目の前で近しい家族が苦しみ、悩む様に、心を痛めていたかもしれない・・・
ドキュメンタリーの中では、
もう自分は十分頑張った、
自分は延命を希望せずに、死を受け入れる心の整理がついたと
携帯電話の画面に文字を刻む二十歳にも満たないけれど“凛とした大人”の娘の姿が、
たまらなかった・・・と、綾乃さん。
自殺者年間3万人を超す昨今の日本。
生きるのも、死ぬのも、
色々とそれぞれに大変だとは思う。
大河ドラマ『龍馬伝』の最終回、
坂本龍馬が死ぬ間際に、中岡慎太郎に問うように発するセリフが
印象的だった。
わしは、自分の、この命を
使い切ることができたかのぅ・・・
「まだまだだ!」と言葉を返す瀕死の中岡の言葉も
印象的だ。
綾乃さんは、永遠の風の丘から、遥かに遠くまで広がる海を見つめながら
つぶやいた・・・
“命を使い切る”人生をおくれるかなぁ・・・
おくりたいなぁ・・・・