上野戦争については こちら
この上野戦争について、Wikipediaでは歌川芳盛による絵が添えられています。
この題名が本能寺合戦之図となっているのはなぜなのでしょうか。
上野戦争では彰義隊討伐にアームストロング砲が使用されたとのこと。→ こちら
この絵が示すように寛永寺のような建物はやはりそう簡単には燃えないだろうから、こういった兵器がつかわれたはず。
本能寺の変についても、テレビドラマでたびたび見られるような燃え方ではなく、明智方が当時の最新兵器を使った可能性があるということではないでしょうか。
すなわち外国製の兵器が提供されたということかもしれません。
ただし、この絵こそ真実だ、ということはいえないのかもしれません。
スポンサーの要望によっての絵ということもある?
それとも、本能寺の変が日本歴史のひとつの扉の役割をしているということかもしれません。
いろいろな視点で資料を読んだり、考えたり、発信してみたりするのは戦争を防止するためにも必要なことではないでしょうか。
これこそが真実であり、議論は許されないみたいな社会になっていくことも阻止したいと思います。
大政奉還→王政復古→戊辰戦争
なんですね。
明治維新とはかなり鮮やかに交代が行われたみたいに考えておりましたが・・・・
利権の分捕り合戦みたいなことになって
混乱が生じる?あるいはそういう工作が用意されている、ということもあるかもしれませんね。
移ることができるように支援する役割がありそうです。
ということは情報操作?
それとももっと複雑な動きでもあった?
日本をよく観察し、チェスの駒を並べるような感じで開国をさせたんではなかろうか
と思ったりします。
それで多大な混乱とはならなかったのでしょうが、しかし第2次世界大戦へとつながり、多くの犠牲が出た
まだ朝鮮戦争や中東戦争が続いている
という見方もできるんでしょうか。
明治天皇が崩御
そのころに佐幕派の冷や飯組の蜂起といったことが予想された?
もしくは煽られた?