椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

義姉の場合 〔5〕

2023-11-22 10:20:06 | 高齢化社会

10月3日の昼、クレリ灘ホールへ出かけました。

横たわった義姉は義母そっくりに見えました。生前はあまり似ていないように思っていたのですが。

義母は昔の小学校の教師だったので威厳といったものをよく感じましたが、義姉はその母親に反発していたことがよくありました。

義母の口から、自分が他人に頭を下げて頼むことができなかったために、娘たちは結婚しそびれてしまった・・・・・

と聞いたことがあります。

担当してくださる方と打ち合わせをして、その後Fさんと娘さんが来られました。

Fさんは東北の出身の方で、義姉に悩み事をいろいろと相談していたようです。

お2人で涙を流してお別れの言葉をかけていただきました。義姉にとって、ありがたい家族のような存在であったのだと思います。

 

10月4日の葬儀・告別式のスケジュール表は以下のようになりました。無宗教葬・一日葬です。

9:30 湯灌・納棺

10:30 進行についての打ち合わせ

12:00 開式 黙祷 玉串奉奠 

   女性の司会者の方が義姉の経歴を紹介、その後、義姉についての各自の思い出を語る

      お別れ(棺に花入れ)

12:45 出棺 霊柩車 タクシー2台

13:00 甲南火葬場到着、荼毘

13:30 灘ホール帰着 精進落とし 音羽鮨(和食・生ものは避けてもらう)

15:05 火葬場へ出発

15:30 火葬場到着 お骨拾い

16:00 ホール帰着

湯灌は義姉が母親の葬儀でしてもらったと話していたのを思い出したのですが、

なるほど遺族にとってありがたい儀式のようにも思われました。

司会者の方により手際よく進行していただき、スタッフの方たちの気配りもありました。

義姉についての思い出を語り合うことで和気あいあいとした葬儀と出来なのではないか

と思います。義姉はそれぞれ甥2人に思い出を残していたことがわかりました。

 

火葬場との往復の時間もそれほどかからず、ゆったりと食事をおいしくいただくことができました。

甲南火葬場の職員の方が丁寧にお骨について説明をしてくださいました。

古い火葬場のほうがきれいにお骨が残るようにも思われました。

お骨は最も小さい骨壺を2つ用意してもらい、しばらく私が呉と所沢での納骨まで預かることにしています。

おかげさまで、無事、義姉の葬儀が終わり、思ったほど疲れが出なかったのはありがたいことでした。

 

高齢化社会では、無理なく見送る、ということが大事そうです。

面倒なことは避けて通りたいではなく、どうしたら無理なくできるかを考えてみる、ということをあらためて義姉から教わったような気分です。

 

クレリ灘ホールでお世話になった皆様、どうもありがとうございました。

 


2022年9月 その3

2022-10-01 08:23:24 | 高齢化社会

コロナ禍その他で足踏み状態にある  HAHA NO IE は、瞑想とはいかないまでも思索の場、もしくは試作の場になっております。

育児、仕事、介護、看取りを終えて、その間、望んでいた時間と空間がささやかながらも手に入り、自由というものを実感できたのはありがたいことだと思ったりします。

限りある時間に、自分がいちばん何をしたいのか見極めたいという気もします。

いただいたリースがちょうど家のドアの色に合っています。

父が若いときに描いた絵や、青森の画家の絵を並べてみました。

光線の加減で、絵の写真が変になっております(汗

思い切って Rolandの電子ピアノを購入しました。

洗濯機の下に置く台を自分で調整して組み立ててみました。

掃除がしやすくなるようです。

着物のリメイクや料理の本をあれこれ購入してあります。

借りている家には、私にとって貴重な本が積みあがっております。

さて、私は何をしたいのでしょうか。

ブログの材料として事欠かない?

景気浮揚に役立てたい?

時間というものを具体的に考えたい?

お出でいただいた方からさまざまな知恵を引き出したい、ということのようですね。


2月1日のまち  所沢駅西口から

2022-02-11 12:14:22 | 高齢化社会

2か月に1度の定期の診察のため所沢駅前の病院に出かけました。

椿峰ニュータウンから小手指駅までバス、小手指駅から2駅目が所沢駅です。

電車から白い富士山が近くにあるかのようにきれいに見えました。

病院は予約診療で会計も支払機になっており、それほど待たなくてすみます。

帰りは所沢西武店に立ち寄り、食事をしました。

8階「清元」というお店は、ひとりでも入りやすいお店です。

高齢になってみると、新しいお店に入ってみる、あるいは駅から遠いお店はめんどう、ということになったりします。

サラダ付きのネギトロ丼定食です。

温かい茶そば、茶わん蒸し、つけもの、ひじき煮がついています。

私の場合は家でよく肉料理を食べるので、外ではあっさりしたものにしたりします。

私たちの年代にとって、デパートは安心できる場所になっています。

送迎や時間帯を考えると、売り上げを増やすことは可能ではないでしょうか。

高齢化で購買力が落ちているところで、再開発の新規開店があると共倒れになっていくような・・・・

デパート地下でお買い得のお肉を買って、所沢駅から我が家まで歩くことにしました。

昨年、この西武所沢店で足を測ってもらって購入した靴だとかなりの距離を歩いても大丈夫です。

高層マンションまでの歩道橋ができています。

陽の当たる所では梅や椿が咲き始めています。

朝に見た富士山が撮れたら、と思って所沢高校の裏に行ってみましたが・・・・隠れてしまっていました。💦

 

 

 

 

 


1月29日のまち 新宿へ〔4〕

2022-02-06 18:53:29 | 高齢化社会

新宿のビル群です。

新宿駅西口は再開発だとか。

空き家問題に加えて空きビル問題が出てくるのではないでしょうか。

空きビルが安値で外国に買われて、治安に問題が出てくるといったことがありませんように。

 

また、災害が多くなるときには、高層ビルがどうなっていくのか心配です。

災害時の首都機能について、しっかり考える必要がないでしょうか。

 

 

 


2021年4月 青森へ その4

2021-04-16 00:55:06 | 高齢化社会

4月8日 晴れ 

片づけ1日目 4人の男性の方たちに作業をしていただきました☆

ベッドが解体されました。下のじゅうたんは水をたっぷり吸っている状態です。

じゅうたんはよく切れるハサミではずして ↓

この日はまだ暖かでした。

1階の和室と2階はどうにか無事だったので、遺品の片づけは半分ほどになっています。

女のひとはバッグがどうしてこんなに必要なのか、といつも思うそうです 


2021年4月 青森へ その3

2021-04-14 19:15:20 | 高齢化社会

出発前に、高校時代の友人が最近、実家の家じまいをしたときに依頼してよかったというトータルプロデュ―ス・モコという会社に片づけを依頼したところ、忙しい時期のようで、4月7日見積もり、8,9日の2日間の作業となるとのこと。

また、長男の知人の青森の建築設計事務所の稲見さんと工務店STKさんにどのようにしていくのか相談に乗ってもらうことにしました。

 

4月7日 晴れ

朝、実家の玄関をこわごわ開けてみました。

納戸が一番ひどく、ダイニングと居間(高齢になって両親は数年間ベッドを2つ置いていました)の床が水で濡れていて、照明のカバーが落ちたり、水が貯まったまま外れかけていたりしていました。

 ・午前10時 モコさんの作業見積もり

 ・午後2時 水道屋さんに1階台所と1階トイレだけ水道を開けてもらう

 ・午後4時 稲見さんとSTKさんに会ってお話しする

暖かな日だったので、合間に納戸にあった水を吸って膨らんだトイレットペーパーなどを外に出したりしました。

容器という容器には水がいっぱい入っている状態でなんと重いこと・・・・

少しでも乾かしたいと思ったのですが・・・・ほんの一部です。

とはいえ、水害にあわれた方に比べれば、この程度で嘆いてもいられませんね


2021年春 いかがお過ごしですか その5

2021-03-26 23:45:23 | 高齢化社会

大規模修繕中のマンションです。

管理組合に遺産の一部を遺贈されたのだとか。

下校の時間でした。

上手に年を取っていくことが大事そうです。

そして、この何気ない日常が平和の姿だと思います。


ヒントを求めて その5

2021-01-10 16:15:22 | 高齢化社会

何度か記事にして参りましたが、所沢・山口地区文化祭はヒントがたくさんあるものとして感じられます。

昭和30年代から続けられてきたとのことで、若い方たちもこの中からでもヒントを得ていただければと思います。

→ こちら

共同作業というものは、思いのほか楽しいものですね。

書道の加無木先生が一昨年亡くなられましたが、先生の思い出とともにこの山口地区文化祭は貴重なものとしてあります。

高齢者は若い人たちにさまざまなヒントを残していかなければならない、と先生に教わった気がいたします。

先生の笑顔のおすそ分けをどうぞ。


2020年11月 神戸へ その7

2020-12-17 17:47:05 | 高齢化社会

11月27日はお昼にヘルパーさんが来られるということで、デパート阪急三宮店の地下で買い物をしてから義姉のところへタクシーで向かいました。

もうすぐの踏切でチョコレート色の阪急電車が停まっていて、通行止めだとのこと。

回り道がよくわからなかったのですが、なんとか到着。

ヘルパーさんは義姉を上手に動かして、やはり介護のプロの技術があるのだとわかりました。

こういった技術もなく、家事も不得手な男性などが介護を担うとすれば、介護されるほうもたいへんなことになりそうです。

主人の場合は病院の様子から認知症になってしまったかと思いましたが、なんとか回復したので助かりました。

仮性の認知症といったことからの回復ができる場合がありそうに思われます。

 

しかしまた、部分的に回復したりすると徘徊があったりする?

認知症についての研究が介護従事者によってされていって、回復例が増えていくこともあるのでは?

転倒によって起きる硬膜下血腫が原因で起きる認知症的症状は治る場合があるので、疑われる場合はその検査はしてほしいと思います。

Sさんという隣家との境界の塀が壊れてしまっていたため、折半で修理をお願いしていたのができていて、Sさんにご挨拶に。

今の時代はメールで写真などを送ってもらえて、ありがたいことでした。

義姉の年代の女性は、こういった修理なども相手にお願いするといったことに身構えるところがあったりします。

介護の若い人がどうして結婚しなかったの?と聞いたとか、デイサービスで一緒の高齢の男性が、体重を減らしたほうがよいといったのでその視線が嫌だとかでかなり怒っていました。

それで怒るの?と思えたりしますが、義姉が怒るのはなるほど、ということもあります。

その人の個性に合わせる介護心理学みたいなものができていくと、ありがたいと思います。

主張の聞き方を工夫すると、感情爆発を防ぐことができる?

あるいは後期高齢者の入り口あたりで、腹をたてずに済む会話術の訓練をするとか。(高齢の夫婦に必要?)

 

その後、たいへんお世話になっている従妹の娘さんご夫婦とお会いし、特養の施設の外側からの見学をして、今後について助言をいただきました。

主人の父親は広島出身で兄弟姉妹が多く、神戸の地震のときもさまざまにお世話になりました。ありがたいことだと思います。

長命で暮らし上手な方が多い家柄です。かなり古くからの神社だからでしょうか。

こういった縁というものは不思議なものに感じたりもします。

 

ホテルの窓から飛行機が見えました。

主人が亡くなる1年ほど前の2013年4月に、長男と一緒に3人で飛行機で神戸に来て義姉と会ったのを思い出しました。

主人はだいぶ衰えていて、義姉は元気だったんですが・・・・