椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

2020年東京オリンピックに

2016-07-29 14:29:20 | 平和を考える
東京都知事選挙ではあまりオリンピックについて触れられていないのが気になっております。
所沢は場合によっては工事用車両通過で大きな影響を受けることになるでしょうから他人事としてもいられない気もいたします。

2020年の東京オリンピックの開催が日本の将来にとってプラスになるようなものとする方向で考えてみることはいかがでしょうか。

・韓国,北朝鮮,日本の共同開催とする。
・横田基地の使用をアメリカと交渉
・船舶をホテルとして利用(参考記事はこちら
 (災害時の避難場所としていく)


偉大な国アメリカのご協力を心から期待いたします。

7月17日のまち 第19回 椿の和 サマーコンサート 〔3〕

2016-07-28 11:09:58 | 椿の和 コンサート
5. フラダンス ポーマイカイ アイマアマ(キッズフラ)
 ティアレオエノタヒチ オパオパテパピ アロハカウアイ ほか10曲 













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写真や動画を失敗したものがありまして、申し訳なく思っております。

椿峰コミュニティ会館別館ホールは小さなホールですが、この椿の和コンサートはたいへん贅沢な時間となっております。

なつかしい音の響きあるいは関わる人たちの思いといったものをお伝えできていますでしょうか。


この椿峰コミュニティ会館別館ホールへはぜひ歩いてお出かけくださいますように。
椿峰の樹木が人間のように感じられるのがお分かりになると思います。

関連記事は こちら

7月17日のまち 第19回 椿の和 サマーコンサート 〔2〕

2016-07-25 13:33:20 | 椿の和 コンサート
4. 椿峰小学校カメリアコーラス
 ①むこうむこう 三井ふたばこ作詞 中田喜直作曲
 ②きみ歌えよ 谷川俊太郎作詞 信長貴富作曲
 ③麦藁帽子 立原道造作詞 三善晃作曲
  
④麦の歌 中島みゆき作詞作曲
  

7月17日のまち 第19回 椿の和 サマーコンサート 〔1〕

2016-07-24 20:19:45 | 椿の和 コンサート
今年は青森の実家に出かけていて、まちづくりの活動はお休みがちになっておりました。
サマーコンサートも予定が立たないため、いつものお手伝いはお断りしていたのですが、何とか出かけられたので客席で写真やビデオを撮ることにしました。
椿の和コンサート委員会長のTさんはほかに2つのコンサートが前後に重なって、大忙しのようでした。
Tさんのブログは こちら

1.アンサンブル・トランタン
 フルート高橋達夫/オーボエ加藤達朗/クラリネット秋山学/バイオリン水岡善郎/ピアノ加藤純子
「キャッツ」より メモリー 他5曲
  モーツアルト作曲 クラリネット協奏曲 K622 第2楽章 ↓

 
2.デュオ・エッフェ
 ピアノ連弾 位寄昭子 加藤純子
 ①「組曲ドリー」よりスペイン風の踊り フォーレ作曲
 ②ニュー・シネマ・パラダイス モリコーネ作曲
 ③幻想曲 作品103 シューベルト作曲

3.椿峰まちづくり協議会より 南林和
 POST椿峰協定について
 

夏休みの注意に加えてください

2016-07-23 08:47:14 | 防災
ポケモンGOなどの注意に加えて、もしかしたらポケモンの再ブームにより、映画やビデオを見たがるお子さんがいるかもしれません。

1990年代のポケモンの番組による光過敏性発作について こちら

お子さんをお持ちの方はこういった点にも目配りをお願いいたします。

また、現在のゲームではどのようになっているのかよくわかりませんが、脳に影響のある場合があるかもしれませんので
長時間のゲームには十分にご注意ください


父の場合〔8〕

2016-07-21 13:24:44 | 高齢化社会
父の父親、私の祖父は富山県の出身で、青森の実家は浄土真宗大谷派の蓮心寺の檀家ということになっております。
蓮心寺については歴史的に興味深いところがあります。 こちら

6月28日朝に父が亡くなって、まず母は蓮心寺に電話し、どのようにすればいいのか聞いたようです。
その時に葬儀社はと聞かれて、親戚でお世話になった 千一ちんだ にお願いしたいといったとのこと。 → こちら
千一ちんだの担当のMさんには、たいへんお世話になりました。

弟夫婦が家の片づけや掃除をしてくれて、母が高齢で疲れが出るといけないということで
知人でかつ蓮心寺の世話役でもあるOさんという方に相談したところ、
家族の密葬で執り行い、父の知人の方たちで後日しのぶ会を開いてくださることになりました。

病院から父が運ばれてきて帰りたかった家にしばらく寝かされ、その後納棺の儀がありました。
納棺師の方によって、丁寧に棺におさめていただきました。


青森では、火葬→通夜→葬式 の順です。
また、多くの方たちは、地方紙である東奥日報に死亡広告を出して通夜と葬式の日時・場所を知らせます。

父の場合は誰にも知らせず、また日程の関係で葬式が友引の日になりました。
参列者が10人に満たないのですが、お寺の本堂を使わせていただき、檀家のための祭壇というもので通夜と葬式が営まれました。
すっきりした祭壇で、浄土真宗大谷派に伝わっている方式を取り入れているとか。
けっこう見た目重視の父も満足しているのではないか、と思いました。


なお浄土真宗大谷派独特のお参りの作法があったりします。
お焼香のとき、額におしいただく動作はせず2回、ということになっているとのこと。各宗派作法については こちら

主人のときには神道でしたし、ご近所などでの葬儀とも違っていてびっくりしたりします。
日本の宗教がさまざまに分かれているのだということを改めて気づかされます。

と同時に、葬儀というものがかなり流動的な文化として感じられたりしました。

残された家族にとって、それぞれの別れ方というものがあって方法には積み重ねられた知恵というものもあるようです。

人一倍わがままであった父は医療や介護、葬儀で多くの方たちにたいへんお世話になりました。

皆様のご厚情に心から感謝申し上げます。

法要はお寺に近い つかさ →こちらで行われました。
余ったお料理は折詰で持って帰ることができました。

若い副住職さんに出ていただいたので、美しい声のコツなどをお聞きしたりしました。
住職さんも親しみのもてるお人柄だったりします。

父が晩年「正信偈」を熟読していたことなどからすると、お寺の持つ役割というものがより期待されるのかもしれません。

父の場合〔7〕

2016-07-17 09:16:33 | 高齢化社会
私は最期には付き添って終わりよければすべてよしにできると思っていたのですが、父はもしかしたらそれは望んでいなかったのかもしれません。
お花見に行くときに、急いだのでパンツ型の紙おむつを履くのを手伝おうとしたら嫌がっておりました。

5月から訪問看護師さんたちに来ていただいて、入浴介助をしていただき気持ちよさそうにして笑顔をみせていました。
看護師さんたちには素直に感謝の言葉も出てきます。

主人の場合は浴槽をベッドのわきで使っての入浴でしたが、父の場合は浴室まで歩くことができました。
介護では、入浴のサービスがたいへんありがたいと思います。
着替えの用意などはボランティアでもできそうです。
介護を受ける人数がどんどん増えていくとすれば、入浴用の器械がより快適なものとなっていくことが望まれるのではないでしょうか。

認知症などの症状がなければ、在宅の期間をできるだけ長くして、動けなくなったら終末の数週間だけ穏やかで清潔な施設があればよい
というのが今のところの知人の高齢の女性たちの希望です。

・高齢者でも自分でできることは自分でしてもらう、食事は無理に食べさせない
寝具や衣類について定期的にクリーニング・交換、という介護サービスがあればと思います。
・介護認定および医師と訪問看護師さんの関係がわかり易いものとしていく必要があると思います。
このためには地域の包括支援センターを人員・内容を充実させていけばよさそうだ、とも感じております。
・認知症的な症状についても改善できる方法があったりします。
そういった介護に関する情報を蓄積して共有することが必要だと思います。

父は経営については先を読むのを得意としていましたが、自分の終末期については大きな誤算があったのかもしれません。
知人の方たちは10年以上も前に亡くなっていて、病院の個室で親切な付き添いさんが見つけられたという時代でした。
現代では、経済的に困っていない方が早々としっかりした施設に入居してその施設の管理に自由が奪われ、後悔しているというお話も聞くことがあります。そういうところでは人手過剰なのかもしれません。


各地で介護の専門家の方、行政の方、そして地域の活動をしている方が一緒に議論ができる場があると、お金がそれほどかからず誰もが満足できる介護というものが可能となるのではないでしょうか。ただし、取りまとめる方は高齢の男性でないほうがよさそうです。


父の場合〔6〕

2016-07-14 22:36:11 | 高齢化社会
転んで額を切って血を出して倒れていたため、母は救急車を呼んで県立中央病院に入院できて安心だと電話してきました。

意識もあって、県立中央病院の病室は広く、看護も行き届いているとのことで私もそのときには青森に出かけずにこちらで様子を聞くだけにしておりました。

これは6月の半ばのことです。
幸い大したケガではなかったため、父はすぐ退院できると思っていたようです。

この県立中央病院には1週間ほどしか入院できず、89歳である母は退院ではなくほかの病院に転院させることを選びました。

このときに私が出かけて父にしっかり説明をして付き添っていればよかったと後から思います。
父の次の受診予定が6月29日であり、28日に出かけるという予定にしていたため,歩けるという父はまだ大丈夫と考えてしまったのです。

母は父が転院を嫌がるのではないかと思って、よく効く睡眠剤を頼んだようです。
転院後、かなりの時間眠っていたようですが、目が覚めたときに事情がよくわからず、トイレを探すか家に帰ろうとして動き回ったかもしれません。

夜間は人手があまりない病院だったとかでいわゆる抑制ということになってしまったんだとか。
抑制については こちら
この転院の4日後、28日の早朝に母と弟に呼び出しがあって、2人が見守るなか息を引き取ったとのことです。

冗談をいえるほど頭がはっきりしていたのが、父にとって辛いことになったのかもしれません。


主人の介護の経験があるので父も同じように最期を看取ることが出来るなどと考えていた自分が浅はかでした。

たとえ、行き届いた高齢者施設であっても、最期についてはまだまだ難しい部分がありそうです。
緩和治療についても、かなり前からの予約が要るようになってきているようです。

人手が不足してくるのであれば、安楽死のルールというものを検討する必要があるのかもしれません。

介護心中が多くなってきていることに、しっかりした対策が必要であると思います。
相談できる自治体の窓口が遠いように思われたりします。





父の場合〔5〕

2016-07-13 00:26:40 | 高齢化社会
家に戻ってきた父は次第に足が弱ってきて、入浴が難しくなってきました。

また、父が深く眠っていて母が救急車を呼んだりするということがあったりしたので
ケアマネージャーさんと相談して訪問看護をお願いすることにしました。→ こちら
ずっと来ていただいているヘルパーさんは こちら からです。

5月には
月 看護師さんによる父の健康チェックと母の不安解消
ヘルパーさんの掃除

火 ヘルパーさんの浴室などの掃除  看護師さんの入浴介助

水 ヘルパーさんに買い物依頼

金 看護師さんの入浴介助

月~金 夕食のお弁当配達

という老老介護体制になっていました。父は要介護2で母は要支援1です。

ヘルパーさんたちは母に食品や介護用品などあれこれ教えてくれていましたし、看護師さんによる心のこもった入浴介助のおかげで父は元気になっていると思えるほどでした。
弱ったためということもあり、それまでの薬を飲まずに過ごした時期がありました。

5月の県立病院の受診のときにはいつ亡くなってもおかしくない状態にあるとのことでしたが、1か月後の6月1日の受診にも出かけることができ、2時間ほどの長い待ち時間にオロナミンCのドリンクをおいしい、といっていたのを思い出します。
そのとき、元気な様子だったので、3カ月なり半年は持つかもしれないとかかりつけの先生に言われました。

病院に行ける程度には歩いていて、タクシーに乗ると運転手さんに通る道の指示をしていました。
主人が亡くなる数か月前にはそういったことができなかったために、父は当分大丈夫だと判断し、
弟に時々様子をみてもらうことにして、それまでの青森行の間隔を少し開けて、自分の用事をしておりました。

その後、運動不足となっていたので体調の良い時に庭に出られるように廊下と玄関の階段まで手すりの工事をお願いしました。
それが裏目に出て、朝、新聞を取りに行って転んでしまったのです。

体調の悪い時にはまったく新聞を読むことはなかったのですけれども・・・・・