Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

寅年初詣 空鉢堂への道

2010-01-30 00:00:35 | 山歩き

空鉢って何? 托鉢の鉢のような・・・信貴山は托鉢するの?  ???

って思っていたけれど 後になって名前のヒントを得る。玉蔵院から更に奥の院の方向へ歩いていくと 左手に登って行く鳥居の列がある。 ここに違いない。 奥の院に行く事は固く止められていた。片道だけでも一時間はかかるらしい。 ツアーだとこういうところで自由がきかない。ま それでも良いところもあるからねっ!

Nobori_2  コンクリートで整備された道だけれど 片道20分ほどの修行 道もさほど急では無いし よいしょ よいしょ

Hi ようおまいり

って何だか優しい響きの碑が後押ししてくれる。

Torii3 鳥居をいっぱいくぐると御利益ありそうな気がする?

私は実はちょっと気味が悪く苦手だった。でも この道はずっと繋がっているから 避けられず 御利益があるとしんじることに。。。

Torii 何度か葛籠折れに登って行くと 右手に 信貴山城址の碑が建っている。

ここも城だったのかぁ

Jyousi 標高433メートルのところにある信貴山城は東南550メートル 南北700メートルにわたって120以上もの郭を持っていた奈良県最大の中世山城だそうだ。

でっかいな。120もの郭がどのようにあったのか地図はあったものの分らず 空鉢堂の建っているところが 本丸らしい。

今見るとさほど広い場所とは思えないけれど。

信貴山は河内と大和を結ぶ交通の要所なので古くから城が建設されたらしい 天智天皇の頃は高安城域となり 中世には護良親王がここを拠点に鎌倉幕府に対抗したと・・・

その後松永久秀が入城し 信長に背いて総攻撃を受けて落城 その後廃城になるまで 歴史の表舞台にあった城だったんだね。 それにしても433メートルの高さってどうなんだろう?

Tenbou3 しまった 空鉢堂の写真が無いじゃないの?

あ~あ 代わりに空鉢堂から見た展望写真を・・・ むすっ  本当にもう~

街の景色がとてもよく見えるのだけれど残念ながら 全く知らない土地なので 

ひょっとしたら 大阪の方なのかもしれない。

バスの時間にゆとりはあるけれど 後から後から人が登ってくるので 降りることにした。

そう言えば みんな水差しの様な物に水を入れて登ってくる。 なんだろ?あれ 山の上は水が無いからみんなで運んでいるんだろうか? 私 知らないから空手で来てしまったよ。 ごめんなさい 罰は当てないでね。

しかし 何処にあったのかなぁ?

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寅年 初詣 張り子の寅は可愛い

2010-01-29 01:09:21 | 山歩き

仁王門をくぐると いきなり山腹にお寺の本堂が浮かび上がっている。 清水の舞台のような立派な建物 お~~っ

Hondou 読経の音も流れてきている。 お寺に来たんだなぁ

立派なお寺に聖徳太子のイメージは吹き飛んでしまったけれど 聞いてみたら 朝護孫子寺は醍醐天皇の時代に付けられた屋号だそうで 証拠は無いけれど 聖徳太子の頃にはもう少し鄙びたお寺だったに違いないと。。。。(でも 法隆寺は立派だなぁ)

Ne 年期を感じさせる木の根っこに敬意を表して思わず手を合わせる。

Torii2 大鳥居をくぐって灯籠の列を渡ると 出ました~ 

世界一大きな寅の張り子だそうで。。。。。

あれ それほどでも無いな

でも可愛らしい寅と 山腹の本堂とのツーショットは何だか笑える。

でも これ見たことあるな  ポスターだったかしら?

Tora 張り子の寅 ちびっ子に大人気。

寅の上にのらないでください の張り紙に のっちゃえのっちゃえ。。。の父ちゃん  めっ!

寅は張り子だけじゃぁないぞ

Tora2

Gosinboku あまりにたくさんの寺社仏閣にきょろきょろ

どうやってまわるか??? 

結局 左回りにまわって 本堂へ行く事にした。 空鉢堂は ゆずれない。 高いところがあると登りたく鳴ってしまう山好きの性か・・・(大げさな)

Gyokuzouin2  青空に朱塗りの屋根が美しい玉蔵院

浴油堂では 毎朝護摩祈祷が行われているとか 

神聖な場所なんだね。 

左手に折れて回り裏の方へ登って行く。

Bisyamon 少し登るだけでずいぶん高度を稼いだと見えて あっという間に街が見える所まで出る。

Tenbou2 この辺りの地理に疎いので見えてもさっぱりの景色だけれどね

さ 空鉢堂への登り口は何処?

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中山道を繋ぐ  山道と別れて歩く

2010-01-23 12:46:31 | 山歩き

耳神社を過ぎたら もう山歩きは無いのかと思っていたら 右に折れてまたまた山道に入る。牛の鼻欠け坂とある。 うしのはなかけさか と音だけを聞いていたので 牛の鼻輪に紐を付けて繋いでいた場所なのだと思った。 牛の馬場のようなものだね。

Hanakakesaka いい加減な私の思い込みは当たっている試しは無く これは牛の鼻が欠けると書く。牛の鼻が欠けるって?

牛坊 牛坊 何処で鼻欠いた?  西洞の(さいと)坂で欠いた

あまりにきつい坂で 重い荷物を担いで鼻を地面にこすりつけるように登るので 鼻がすれて無くなってしまう

そのぐらい西洞坂は きつい登りだというのだ。たしかに膝に来るきつい下りだったけれど 短かったし 下りだったので クリアー

この坂が平坦地と山間地の中間点に当たるらしく これからはのんびりと農村地帯を歩けるはず。

先を行く人たちはますます 歩きにピッチがかかる。 待ってくれ~

Hanakakezaka Yanekazari

先を行くぴーちゃんが立ち止まって屋根を見上げている。

おお~ 屋根に雀の飾りがのっている。

写真の角度が良くないので分りにくいかぁ

ぴーちゃんは屋根から落ちてきた雀をずっと部屋に放し飼いをしているので 雀を見ると妙にテンション上がるらしい。

畑に出ていたおじさんに どうして雀を屋根に飾っているか聞いたけれど 分らずじまい。 「突いているの知らんかった。」 ンなわけないやろ~

民家の 花を愛でながら歩いていると21号線に出る。 21号線は私の実家近くを通る道だ。 子どもの頃21号線は基本中山道だと聞かされて まだ見ぬ遠くの世界にわくわくしたものだった。 しかし 交通量が多くなった。 こういう道は嫌い。

和泉式部廟所  東山道の旅の途中 病に倒れた和泉式部のお墓だという。鬼岩温泉で療養生活をしていたけれどとうとう亡くなってしまったとか。

Izumisikibubyousho 東山道 そうそう この地には 中山道よりも前に東山道と言う道があった。 その何カ所かを歩いたけれど 御坂峠など恵那山近辺を通っていたり 網掛山を通っていたりで中山道とは比べものにならないほどきつい道だった。(よその事は ちょっと分らないけれど)

和泉式部はそんなきつい旅をしていたんだね?

今田園風景の広がる真ん中でぽつんと静かに眠っている。

次々とやってくる車を気にしながら 御嵩の門前町までの分岐 信号二つ

いなかだから一つが長いんだよね。

Mitakesyuku 御嵩は伝教大師が創建したと言う天台宗のお寺(蟹薬師)の門前町。 

竜安寺の席亭の元となったと言われる石庭がある愚渓寺もある。

興味はあるけれど このコースは次の日。 仕事があるのでみんなといっしょに歩けない私たちは 御嵩から電車の人になる。 また 何時か・・・

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中山道を繋ぐ 謡ながら歩く謡坂 

2010-01-21 12:23:43 | 山歩き

気持ちの良い山道は 美味しい水のわき出る道でもあるらしく 唄清水 少し下がって一呑みの清水と続く

Utasimizu Hitonominosimizu

皇女和宮様もご賞味なさってとても喜ばれたそうな。

私も皇女和宮さんになれるかな? と言うわけに行かない。

今は生では飲めないらしい。 汚れちゃったのか。。。

更に少し降りて行くと 小さな里があって トイレも使えるという。ただし少し道を離れているので歩かないといけない。 ここに聖母マリア像があるというのでどうしようか?と思ったけれど 先はまだまだ 無駄な体力は使わない事にした。(ってよほど疲れていたんだろうか?) 出かけた人からも感想は聞かれなかった。よその人のレポートにもほとんど記述が無い。 

Jyupponngiitiriduka Araiba 知らなければ気付かないで通り過ぎてしまう 史跡が続く。

十本の松があった事から名付けられた十本木立場

杖を立てて籠をおいたりして休憩した場所らしい。 洗濯をしたかもしれない洗い場もあって この辺りは安藤広重の御嵩の舞台と思われる。。。と言う事だった。

Mitakemoderu すぐ脇には家がある。 版画をここに載せることが出来ないので 興味がある人は調べてみてください。

この民家と 傍らで洗い物をする姿が見つかるかも

Hirosigehanga あ ありました

民家は木賃宿だって

みんな楽しそうだねぇ

謡坂(うとうざか)の石畳に出る。あまりに苦しいので唄を謡って気を紛らせて登ったと言われる坂

私たちは西に向かうので下り道になり るんるん気分で鼻歌を歌う謡坂

Utouzaka

この坂も綺麗な石畳が続く。 復元された部分もあるらしいのだけれどなかなか良い気分。そうそう この坂を修復しているときにマリア像が見つかったんだと 人里離れたこの地にも隠れキリシタンが住んでいたのだと思うと不思議な気持ちにもなるね。

ととと 前から車が。。。 こんな所車? と思ったら車は脇道にそれる あ~~っ これってもしかして。。。。

実はこの辺りに森のレストラン ラ プロバンスがあるんだよね。 前に来たときに下の方から車で上がってきたけれど どんどん不安になるぐらい登ってきて「こんな山の中に作って一体誰が食べに来るの。。。」と思っていたけれど なぜか いつも予約でいっぱい。 私もケーキしか買ったことない。 ここだったんだ。 気になっていた場所が繋がる。

あれよあれよと石畳を降りてきたらまたまた小さな里へNobotoke

野仏は相変わらずあちらこちらに 

通る度に手を合わせたくなってしまう優しそうな様子。 

Mimijinnjya 完全に車道に出て 少し下っていくと耳神社

耳神社? その名前のおもしろさに足を止める。

道の傍ら斜面を利用した小さな神社だけれど どんな御利益があるのだろうか?

ふむふむ

耳の病気に効く事は想像出来るのだけれど ここでは神社においてある錐を借りて耳に当てる。 病気が治ったら年の数だけ錐を奉納すると言うもの。

年の数だけ錐を? 私もの凄い数になるんですけれどぉ。 ちょっと怖くないかい? 神社に錐がすだれのように下がっているんだよ。錐は竹で作っても良いのだそうだけれど それにしても 信者が多いらしい。 びっくり

ここを過ぎてすぐにまた右側山に入る。 いよいよ最後の山道になりそうだ。

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中山道を繋ぐ 和宮に思いを馳せて 御殿場まで

2010-01-20 13:30:13 | 山歩き

ハイキングコースに入ってすぐに 秋葉坂三尊

Akibasanzon 秋葉様は火防ぎの神として知られている。昔は台所にお札を貼っていたけれど 今どのくらい秋葉様のお札あるのかな? 遠州まで遠いからここでお祀り?

小さな祠に入った秋葉様。。。あ違った 秋葉様はこの石室の上に祀られていて この石室に入っていらっしゃるのは 馬頭観音と観音様だそうな

中山道を旅する人を見守ってくれているんだね。

Miti

道はハイキングコースらしく緩やかに上り下りりを繰り返す物の気持ちの良い山歩きとなる。 中山道を歩いている事を忘れ いつもの山歩きと勘違いしそう。ずっと緑の中

Kounosuitiriduka1

Kounosuitiriduka2 鴻巣の一里塚

ここだけは左右対称一対ではなく 少し(16メートル)ずれて作られていた。 地形の関係らしいけれど やっぱり二つひと組なんだね。ここから鈴鹿や伊吹 北アルプスの山々が一望できると言うんだけれど 本当? 昔の話しかしら?

Miti2 さくさくと枯れ葉を踏んで気持ちの良い山歩きが続く。

Kudari2 るんるんの下り道を楽しんで 津橋の集落へ

Sekihi_2 石組みだけが残っている山内嘉助さんのお家跡 誰?山内嘉助さん 

地元の造酒屋で豪商だったんだと・・・なぁんだ

Nouson2 農村風景の中を歩いていくとまた東海自然歩道の案内に従って山に入っていく。 木曽路だけではなく 美濃地もずいぶん山の中だなぁ

Bunki2

Fuukei おっ 良い感じやねぇ

あっという間にまた登ってしまったよ

Nobori

Nobori2 結構長くて しんどい

へとへとです。

登り切った辺りが御殿場と呼ばれるところ

皇女和宮一行が休憩出来るように作られた場所

和宮の行列は中山道の歴史に残る大行列 4-5千人がずっと続いていたのだから 休憩場所を確保するのも大変だったろうね?

上に登って行くと展望がよさげだったけれど 長い坂道にくたびれきった私はぴーちゃんを特使に任命して見てきてもらった。 さほどの展望は得られなかったけれど 御嵩富士があったと・・・ まぁ いいや。

Monimitougesita 御殿場辺りを物見峠と言うらしく そりゃきつかったはずだよ。 こんな鄙びた苔むした蔵が建っていた。

しかし 崩壊の危機が近づいているようにも。。。

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