Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

牛若丸が天狗と遊んだ山  鞍馬山Ⅰ

2016-04-21 21:41:42 | 山歩き
今年も 亭主の会社の所属している共済会で 京都へいく話が提案された。
バスで行って 現地解散  現地集合で帰って来る。
つまり アッシー君だけするからそれぞれのプランで京都を楽しんでおいで・・・・と言うもの。

娘と電話で話したときに 「今年も三日に京都行くんだけど」というと じゃあみんなで集合しようと。
ただ 桜の季節 ただでさえ混むのに京都は嫌だな
「うるさく騒ぐどこぞやらの団体さんがいないところが良いな。」
と言うことで娘がプランを考えてきた。

「鞍馬山に行こう。 あのあたり食べ物屋さんもあんまり無いから お弁当持って行こうよ」
「良いねぇ それ。 なんだかピクニックみたいだよ。」
と言うことで 決定。
チビだけが心配。 とても気儘で我が儘ですからね。 歩けるかどうか・・・・・

でも一番足を引っ張りそうなのは私でした。
1ヶ月ほど前 朝起きたらベッドから立ち上がれません。 無事だった右足の膝まで壊れてしまったようです。
で 週に二度のリハビリと 整体 週一で注射  できるだけの事をして少し歩けるようになったのですが 歩けるのでしょうか?
そうはいって 観光地 何とかなるでしょ・・・・・

「ばばちゃん あんな 前に行ったとき靴がどろどろになったからあんまり行きたく無いんや。」
チビが 電話してきて行きたくないことをせつせつと訴える。
え~~ 大変なのかぁ?
甘く見ていたようです。


京都市内はバスやタクシーを避けて 時間の計算できる電車で移動
乗り換えて 乗り換えて 又乗り換えて
走って 走って 
やっぱり駄目かもしれない。足が引きつります。


駅には大きな天狗さんがお出迎え
ぎょろりと大きな目で睨んでいます。


へんてこな桜が咲いています。
これ 桜だよねぇ?
花が 直接木に張り付いて咲いているみたいに見えます。くす玉みたい。
何やろ? 先の方ではちゃんと枝から咲いているのに


さて門前町を少し歩いて突き当たりが鞍馬寺の入り口です。
美味しそうなものがあったので きょろきょろしながら


仁王門へ向う階段です。
俗界から浄域への結界です。


鞍馬山は毎日を明るく正しく元気よく積極的に生き抜くための活力を,本尊である尊天から戴くための道場だそうです。
尊天 初めて聞く言葉です。
宇宙の大霊であり大光明 大活動体
だそうです。???
宇宙生命 宇宙エネルギーであって,その働きは愛と力となって存在させて下さる宇宙生命・宇宙エネルギーであって,その働きは愛と光と力になって現れる  そうですが まだちんぷんかんぷん
愛を月輪の精霊 千手観世音菩薩 光を太陽の精霊 毘沙門天王 力を大地の精霊 護法魔王尊のお姿で表し三神を一体として尊天と考えているそうです。

ウン 少し分ってきたけれど
なんだか 最近流行のコミック本見ているみたいで・・・・ 罰当たりって叱られるかしら?
そのせいでしょうか?
UFO伝説も聞いたことあります。

と結界を超えて参道に入ってきました。

美しい階段が始まります。
これなら大丈夫そうですが

ここで 娘が大騒ぎしている。
「え~~っ? 途中までケーブルで行くつもりやったのに。 工事中って・・・三月末で終わるってあったのに 延期やて」
「止めようかぁ」
「ここまで来て本堂も見ないで帰るんか?」
しゃ~ない 歩きますか。





放生池まで来ました。小さな池で 上の方から細い細い滝が流れています。
魔王の滝です。

左に見える小さなお社は鬼一法眼社です。
義経は兵法の大家であった法眼の所から 兵法書を盗んで読んだそうですよ。
え~~っ 牛若丸 泥棒さんだったの?


こちらが 魔王の滝です。

まだまだ先が長いです。
って言うか まだ始まったばかり
まずは由岐神社に向けて歩きましょう。
コメント (4)
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参勤交代で賑わった宿場町 今庄

2016-04-20 21:49:25 | まち歩き
滋賀県に出かけることが多い私は ここへ来て北陸道の表示に違和感を持つ。
ずっと北国街道と思って歩いていたからだけれど ひょっとしたら今庄からは北陸道になるの?
なんだか現代風な前に??と思いながら調べて見る。

北国街道(ほっこくかいどう)とは、江戸時代における北陸道の呼称。
直江津以西の北国街道。→北陸道
新潟から出雲崎を経て直江津までの北国街道。→北陸道
追分から直江津までの北国街道。→北国街道 (信越)
中山道洗馬から北国街道丹波島までの脇往還。→北国西街道
近江米原より琵琶湖東岸を南北につないで越前今庄を経て直江津につながる北国街道。→北国街道 (近江)

※基本的[誰?]に、富山県高岡市以東では北陸街道、以西では北国街道と呼ばれている。

ウィキ先生に聞いてみたらこういうこと。 つまり同じなのね? 

道が大きく曲っています。
この先 駅前の通りと出会います。が 見通せません。
良くある鉤の手とか枡形の一種でしょうか? 矩折(かねおり)と呼ばれているそうです。
武者だまりに使われたり 敵の侵入の勢いを弱めたり 防御のための道です。


これは 昭和会館
比較的新しいものですが やっぱり懐かしい建物です。 もう昭和って大昔になったんですね?
とてもノスタルジーを感じます。


加賀本陣
ん? 福井本陣では無いの?
今庄の観光協会で出している地図では加賀本陣となっていましたが どうも脇本陣のようです。
調べて見ても良く解りません。

屋根の飾りが気になります。
平ぺったいのですが釣り鐘をモチーフにデザインしたもののようにも見えます。
丁度畑仕事をしていた方に聞いてみましたが 分らないとのこと
今庄の人達は とてもシャイなようです。


福井本陣は道路を挟んで反対側にあったようです。
立派な公園になっていました。


昔酒飲み 今は酒好きの血が騒ぐようです。


敦賀の方に向って大きく曲っています。


面白い建物です。
よく見えませんね? この家の壁は大きくカーブしているのです。
素人考えにも わざわざカーブさせるのは 技術が要ると思うのですが。
昔 佐渡の宿根木で見た船の形のお家を思い出します。 


昔はどんな人が暮らしていたのでしょうか? 更地になった土地の向うに燧ヶ城址が見えます。



ひぇ~~ 土筆が林になっています。
これだけ摘んだだけでも佃煮が何日分か作れそうです。
天ぷらも良いねぇ  私は卵とじ・・・・・

しかし 人の土地です。 後ろ髪を引かれる思いで先に進みます。

屋根のひさしが面白い建物です。
前に長いです。 やっぱり雪対策でしょうね?

黄色い漆喰が美しい家です。
やはり庇は大きく前に出ています。
家 家を大きく隔てている壁は 卯建のようです。
火事の時の類焼を防ぐためもあるのでしょうね

この後 今庄そばを食べようと言うことに成り「ふるさと」へ
宇野重吉さんが愛したそば屋さんだそうで お店に宇野重吉さんの懐かしい写真が飾ってありました。
私達は いわゆる越前そばを頼みませんでした。 盛りそば大盛りです。
美味しかったです。 ごちそうさま。

カタクリを見に行く事が第一の目的でしたので 今庄の街をしっかり見ることはできませんでしたが 今度来ることがあったら まず燧ヶ城址へ登ろう。
もっと元気があったら 鍋倉山から藤倉山へ縦走しよう。
強いご縁が出来た気がした今庄でした。
コメント (5)
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何だって?

2016-04-15 21:12:25 | 日記
亭主の両親が誕生日を迎える。
義母が3月30日 義父は4月7日

4月9日に海津大崎へ桜を見に行く事があったので ついでに敦賀まで足を伸ばした。
この頃 滋賀県と福井県に入り浸っている。

で 帰りにおみやげに・・・と穴子の棒寿司と鯖の棒寿司 かまぼこ 鮎の甘露煮など買い求めた。
しめて5000円ほど
いえ お金のことを言うつもりはありませんがちょっと次の話に関係あるので
私が出しました。

次の日
日曜日で 実家へ誕生日祝いを持って行くので選んで欲しいと亭主

スーパーで 刺身 煮物の材料 サラダの材料などを買っていると 「よし これで僕からの誕生日祝いにしよう」

レジに並んでいると
「ねえ 財布 財布」
はぁ? 僕からのプレゼントじゃあ無かったの?

亭主の策略に懸り 結果 一万円の出費です。
なんちゅう奴や



エビネ蘭が真っ盛り
家を建て直したとき可愛そうで 我が家に迎え入れた株
なかなか元気になれず 二年目は花咲かなかったけれど

これだけ咲けば もう大丈夫だね

コメント (6)
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おやおや どうしたの? カタクリの里のカタクリ

2016-04-07 20:46:39 | 散歩
風邪でごほっ ごほっって言っていたんだけど マスクすれば良いかな?と出かけた。
福井県の今庄
前から誘われていて それにあわせて18切符を買っていたのでね。
三月も末になって新品の18切符使わないと捨てることになっちゃう。
「どうしたもんかのう?」
電車の中で寝ていたら良いんだし 行っちゃえ・・・・

敦賀に来たらいきなり 恐竜ですよ。
もう福井に入ったんですものね?


さばとらななちゃんのラッピング列車も走っているし


駅の連絡通路の階段には 戸が着いています。
雪国ならでは・・・・です。

ともあれ 大垣から岐阜のTさん夫妻と一緒になったので お任せで 何処をどう行ったのかほとんど覚えていない。
嫌になるくらい乗り換えた。
敦賀も通り過ぎて 着きました~。 今庄の宿


北国街道の重要な宿場町は 降りてみると思ったより静かで江戸時代の繁栄を感じられないぐらいでした。

興奮したのは ここが藤倉山や 鍋倉山の登山口である事を知ったときです。
あ これで 2座は近いうちにいけそう。

今庄の街にも興味がありましたが まずは新羅神社です。 今日はカタクリを見に来たんですから。

新羅神社です。 日本史を勉強した私としてはしらぎと読んでしまいますが しんらだそうです。

この神社の境内を含む裏山がカタクリの里です。
わくわくすることを見つけてしまいました。
新羅神社を更に登っていくと 燧ヶ城跡があります。 標高270メートル。
平家物語や源平盛衰記にでてくる燧ヶ城 木曾義仲に
深い関わりのある城・・・・ 縄張り図を見ると 随分横に広い大きな城の様子。
これはいつか行かねばなるまい。

と 心惹かれながらも 今日の体力ではね
さあ カタクリ カタクリ

でも なんだか変です。
カタクリ全然見当たらないのです。 うちの方にあるか付けたくりの山なんぞ遠目にも紫色に染まっているのに

ワサビはあったよ
囓ってみたら爽やかな辛みが口に広がった。
これ葉っぱの醤油漬けにしたら美味しそうだよ。


これはムラサキケマン? 優しい色ですねぇ
あらら 色が優しいので エンゴサクでは無いだろうと勝手に思ったのですが エンゴサクの仲間のようです。
団子さんが教えて下さいました。
感謝です。
団子さんの記事によると ジロボウエンゴサクのようですよ。





カタクリを探して大分登ってきたのですが





気付いたことがあります。
この山は 鹿の被害に遭っているようです。
残っているカタクリはとても背が低い。
そして ほとんどが一枚葉です。 カタクリは葉が三枚ほどにならないと花芽は着かないそうですから

きっと鹿が大好物のカタクリを食べ尽くしたのでしょう。 鹿は鼻先が汚れるのを嫌うそうですから 若い赤ちゃんのカタクリを残して食べ尽くしてしまったのでしょう。
全体で 花芽が着いているものは5-6株しかありませんでした。
残念。
地元の人も 危機感を持たれたのか 今はネットで囲んでありました。
この山麓が又美しいカタクリの山になるのは2-3年ほど後のようです。


セリのように見えますけれど 毒ぜりだと大変だし・・・・ 根っこが違うらしいのですが よく知りません。

花 思いっきり伸ばしてみましたけれど 花の形で区別が付くのでしょうか?
暈けちゃってるしなぁ・・・・・


キクザキイチゲがひっそり咲いていました。

カタクリには 会えませんでしたが 北陸にひっそりと咲いている野の花を楽しんで その後 町歩きをして見ることにします。

コメント (6)
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