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ぶんぶく茶釜(PART 2 OF 3)

2009-11-21 07:16:24 | 海・河のスポーツ・旅行・車


 
ぶんぶく茶釜(PART 2 OF 3)


茂林寺 (もりんじ)



茂林寺は群馬県館林市堀工町にある曹洞宗の寺院である。
室町時代中期の応永33年(1426年)に大林正通禅師により開山した。
山号は青竜山(せいりゅうざん)。
本尊は釈迦牟尼仏。
分福茶釜で有名。

分福茶釜には、お伽話としての「ぶんぶく茶釜」と伝説としての「分福茶釜伝説」の二通りの逸話がある。
また「狸コレクション」と称する全国の狸にまつわるグッズや狸の剥製が多くが展示されている。
境内の至る所に信楽焼の狸が配置されている。

境内には約20体ほどの狸の像が参拝客を迎え、タヌキのお寺を感じさせる。
また、1980年(昭和55年3月31日)に館林市の保存樹に指定された、
見事な「シダレザクラ」があり本堂に宝物として保存されている「分福茶釜」は、一般参拝者の見学も可能である。



2002年(平成14年)から毎年4月に狸桜祭を開催。
岩佐鶴丈の薩摩琵琶『分福茶釜』の演奏や、講談、舞踊などが披露され、先着100名には餅が振る舞われる。

寺院の北には県指定の天然記念物である茂林寺沼湿原が広がり、湿原植物の生育地として保護されているほか、湿原内の茂林寺沼ホタルの里では6月下旬から8月にかけてヘイケボタルが見られる。

茂林寺の釜



茂林寺の釜とは松浦静山の随筆『甲子夜話』に登場する化け狸の話である。
昔話『分福茶釜』のモデルとされる。

応永年間のこと。上州(現・群馬県)の茂林寺という寺に守鶴という優秀な僧がいた。
彼の愛用している茶釜はいくら汲んでも湯が尽きないという不思議な釜で、僧侶の集まりがあるときはこの釜で茶を振舞っていた。

あるときに守鶴が昼寝をしている様子を別の僧が覗くと、なんと守鶴の股から狸の尾が生えていた。
守鶴の正体は狸、それも数千年を生きた狸であり、かつてインドで釈迦の説法を受け、中国を渡って日本へ来たのであった。
不思議な茶釜も狸の術によるものであったのだ。

正体を知られた守鶴は寺を去ることを決意した。
最後の別れの日、守鶴は幻術によって源平合戦の屋島の戦いや釈迦の入滅を人々に見せたという。

この説話をもとにして、昔話の『分福茶釜』が創作されたと言われている。

ぶんぶく茶釜

分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)とは、日本中で語り継がれている昔話のひとつ。
文福茶釜とも表記する。
タヌキがあらわれ、化けて人を騙す場面が見られる。

江戸時代の赤本や絵本に、茶釜から顔や手足を出した狸の姿や傘を持って綱渡りをする姿がデフォルメされたことによって、そのイメージが広範にそして甚だしく笑話化されて伝えられてしまった。
もともとは狐の恩返しをテーマにしたものであり『日本昔話大成』の中の「狐と博労」、「狐遊女」と同種の昔話である。

そのルーツは群馬県館林市の茂林寺に伝わる伝説で、茂林寺には現在も狸が化けたとされる茶釜が伝わっている。
茂林寺にある茶釜は、1394年から1428年の間に住職であった守鶴が愛用した茶釜で、一度水を入れると、一昼夜汲み続けても水がなくならないという伝説が伝えられている(松浦清山著『甲子夜話』に所収)。

「分福」という名の由来については諸説ある。
この茶釜はいくつもの良い力を持っていたが中でも福を分ける力が特に強くかったことに由来し、「福を分ける茶釜」という意味から分福茶釜と呼ばれるようになったという説。
水を入れると突然「ぶくぶく」と沸騰することから「ぶんぶく」となったのではいかという説。
どれが本当かははっきりしていない。

「ぶんぶく茶釜」のあらすじ

貧しい男が罠にかかったタヌキを見つけるが、不憫に想い解放してやる。
その夜タヌキは男の家に現れると、助けてもらったお礼として茶釜に化けて自身を売ってお金に換えるように申し出る。
次の日、男は和尚さんに茶釜を売った。
和尚さんは寺に持ち帰って茶釜を水で満たし火に懸けたところ、タヌキは熱さに耐え切れずに半分元の姿に戻ってしまった。
タヌキはそのままの姿で元の男の家に逃げ帰った。



次にタヌキは、綱渡りをする茶釜で見世物小屋を開くことを提案する。
この考えは成功して男は豊かになり、タヌキも寂しい思いをしなくて済むようになったという恩返しの話である。

茂林寺の伝説ではタヌキが守鶴という僧に化けて寺を守り、汲んでも尽きない茶を沸かしたとされている。
普通、物怪(もののけ)は鉄を嫌うが、このタヌキはその鉄の茶釜に化けており金の精霊たる所以を表している。

柳田國男による分析

民俗学者・柳田國男によると、基話の狐の恩返しを基にすれば、動物と人間との交渉を物語る昔話の根幹には“動物援助”の考えがあり、選ばれた人間に神の使いである鳥獣が富を与えるのだという。
そこで動物の危機を救ってやり報恩を受けるのを見ると、動物が献身的に尽くす好意も理解できる。
動物援助から動物報恩に移行する過渡的な様相を帯びた話といえる。
 
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


名前だけは聞いたことがありますけれど、「ぶんぶく茶釜」と茂林寺が関係あるとは知りませんでしたわ。デンマンさんは茂林寺に特別な思い出でもあるのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、僕が小学校2年生か3年生の頃、行田市の下町(しもまち)地区の遠足で「ぶんぶくヘルスセンター」へ行ったのですよう。

それは“スーパー銭湯”とか“健康ランド”のようなものでござ~♪~ますか?


スーパー銭湯



スーパー銭湯は、日本における公衆浴場の一形態。
本来の銭湯の機能のほか、露天風呂、各種アイテムバス、サウナなど付加的な風呂設備をもち、さらに外食などの各種施設及び店舗を併設する公衆浴場を指す。

健康ランドが広がる中、より低料金で回転率がよく、付帯設備が少なく、設置費用がかからない施設として建設されていったものがスーパー銭湯であるといえる。
時期的には1990年代以降の発生といわれているが、実際には1980年代後半より各地で開店している。
1985年に富山県高岡市にオープンした「万葉ポカポカ温泉」がスーパー銭湯発祥である。
(愛知県が発祥との説もある)

多くは水道水や井戸水を沸かして使用していたが、天然温泉をボーリングによって掘りあて、そこが新たな温浴施設になったものや、温泉ではなかった温浴施設に温泉を掘って温泉付きとなったスーパー銭湯が増えている。

また1990年代以後、近場の温泉からトラックでお湯を運んできて沸かしているスーパー銭湯も見受けられるが、この方法はボーリングよりも比較的簡単に天然温泉を確保できる。しかし天然温泉を繰り返し循環によって使うことになるため、泉質の劣化が激しいという欠点がある。2000年代以後に流行している岩盤浴がついているところもある。また、建物の作りを和式にしているところが比較的多い。

このタイプの銭湯が登場してから「銭湯が家族のレジャーランド」となったが、その反面、従来は単に親に合わせるものである子供の混浴を問題化する人々も現れた(男児の身長による制限等)。
近年、子供の成長が早いことも考慮して、法律による禁止だけでなく独自の「混浴年齢制限」を設けている店もある。
またこれとは別に最初から「小学生以下入店禁止」を通達している店もある。
ラクーアなどでは18歳未満の入店を禁止している。

誰もが手軽に近場で安価に温泉気分が味わえる利点もあるが、身体を洗わないまま脱衣所から風呂場へ直行するなどと言った、一部の利用客のマナーの悪さも問題視されている。

【スーパー銭湯と健康ランドの違い】



入浴料金が安く設定されている。
厳密な意味でのスーパー銭湯ならば、銭湯と同一の基本料金設定をもち、それにサウナ利用料など付加的料金を加え、入浴料として700~800円に設定している。
ただし、その場合でも《銭湯と同一の基本料金》は店頭に明示されないこともある。
また、上記以外にも入浴料金1000円程度までの類似施設が一般的にスーパー銭湯と呼ばれる。

タオルなどの貸し出しは別料金になることが多く、健康ランドにあるような館内着はふつう用意されていない。
地域によっては、シャンプーや石鹸などの備え付けがない店舗もある。
特に料金の安い店で、この傾向が見られる。
24時間営業に近い施設は少ない。
オールナイトによる深夜から早朝の営業を行うところはある。
健康ランドは半日~まる一日をそこで過ごす長時間滞在を前提とし、スーパー銭湯は健康ランドより比較的短い時間(2~3時間程度)の滞在を前提とする施設といえる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』  


“スーパー銭湯”も“健康ランド”も1980年代にできたものだけれど、「ぶんぶくヘルスセンター」は1960年代にあった。似たようなものだけれど、サウナはなかったと思う。

。。。んで、何が特徴だったのでござ~♪~ますか?

大きな温水プールがありましたよう。もちろん、それはプールじゃなくて、風呂なのだけれど。。。、確か混浴だったような気がします。小学2年生か3年生だったから女性の裸を見る楽しみがまだ分からなかったから、混浴だったかどうだか?はっきりと覚えていないけれど、僕のお袋も一緒に入ったような気がしますよう。

どのくらい大きなものだったのですか?

子供の目には25メートルプールのように大きなものに見えた。でも、長方形ではなくて“えんどう豆”のような形をしていましたよう。

何か面白いものでもあったのでござ~♪~ますか?

いや。。。とりわけ面白いイベントは無かったけれど、ただ、今でも忘れずにはっきり覚えていることは、“水泳禁止”だった。

それにもかかわらずデンマンさんは泳いだのでござ~♪~ますか?

そうですよう。子供の目には温水プールとしか見えなかった。第一、お湯の温度だって普通の風呂の温度よりぬるい。たぶん、体温と同じぐらいでした。しかも、水深が1メートルから1メートル20センチぐらいだったから、泳ぐのには、おあつらえ向きにできている。仲間と一緒に泳ぎまくったのですよう。

でも、水泳禁止だったのでござ~♪~ますでしょう?

そうなのですよう。大人のお客さんに迷惑だと見えて、50歳ぐらいの監視員のおじさんが10メートルから15メートルぐらいの“竹ざお”を持って風呂の周りを歩きながら監視しているのですよう。

。。。んで、泳いでいる子供を見つけると、どうなさるのでござ~♪~ますか?

その竹ざおの先で、泳いでいる子供の頭をピシャピシャとたたくのですよう。

それって、児童虐待になりませんか?

その当時は、今のように「児童虐待」なんて人道的な考え方は無かった。「水泳禁止」と張り紙がしてある大きな浴槽で泳いでいる子供を竹ざおでたたいて注意するのは当たり前の事だったのですよう。どの親も誰も文句を言いませんでしたよう。

それで、デンマンさんはどうなさったのですか?

竹ざおの先で頭をたたかれるのは痛いから、監視員のおじさんが近づいてくると水に潜りましたよう。僕の実家は忍川(おしかわ)のそばだったから、幼稚園にあがる以前から泳いでいたのです。だから、泳ぐのだって、もぐるのだって得意でした。

つまり、監視員のおじさんの竹ざおをかわしながら泳ぎまくったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。うしししし。。。

デンマンさんは、かなりの悪ガキだったのでござ~♪~ますわね。

うへへへへ。。。そうなのですよう。その竹ざおをかわしながら泳ぎまくるのがとっても楽しかったのですよう。

それで、「ぶんぶくヘルスセンター」は今でもあるのでござ~♪~ますか?

残念ながら、とっくの昔になくなってしまったそうです。その跡地は芝桜の名所になっているそうですよう。

それで、子供の頃にも茂林寺へ行ったのでござ~♪~ますか?

間違いなく茂林寺へも行ったはずなんだけれど、僕の記憶に全く無いのですよう。ただし、「しょうじょう寺の狸ばやし」だけは、何度も聞いたことがあるのです。


「証城寺の狸ばやし」



作詞・野口雨情
作曲・中山晋平

証 証 証城寺   
証城寺の庭は  
つ つ 月夜だ      
皆出て 来い 来い 来い
おいらの友達ァ
ぽんぽこ ぽんの ぽん  
   
 (間奏)

負けるな 負けるな   
和尚さんに 負けるな  
来い 来い 来い   
来い 来い 来い
皆出て 来い 来い 来い     

証 証 証城寺  
証城寺の萩は
つ つ 月夜に 花盛り
おいらは 浮かれて
ぽんぽこ ぽんの ぽん

(すでに歌詞は著作権失効)
この曲も「著作権消滅曲」です。
また、MIDIは「童謡・唱歌の世界」サイトより拝借しました。

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それで、この記事を書くまで、僕は茂林寺の通称が「しょうじょう寺」だと思い込んでいたほどですよう。

マジで。。。?

大真面目ですよう。調べてみたら「しょうじょう寺」というのは千葉県木更津市にある證誠寺のことだそうです。僕は、かなり致命的な思い違いをしていたのですよう。

 (すぐ下のページへ続く)



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