愛の奇跡(PART 1)
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デンマンさん聞いてください。
文字通り奇跡、不思議な出来事です。
今日12月9日見舞いに行ってきました。
病室の交替もあり、部屋に入るとベットに芳江さん(デンマン注: 僕の母親)がいません。
血流が止まるくらいドキッとしました。
廊下に出て係りに尋ねたところ食堂に行っているとのこと。
気持ちでは走ってゆきました。
まあ、なんと車椅子で食卓に向き合っているではありませんか。
「芳江さんよかったね」と思わず手を握ったら力強く握り返してきました。
そのあと、よかったね、よかったねの連発。百遍も言ったでしょうか。
お互いに涙です。
不謹慎な言い方かも知れませんが芳江さんは死の淵より生還。
まさに奇跡です。
でも私だけが死の淵を考えたのでしょうか?
多分、デンマンさんだって一方ではその想いはあったのではと思います。
何しろ長男としての覚悟もあってか葬儀屋さんまで行かれたのですから。。。
芳江さんの真摯でこのあっぱれな負けず魂に敬意を表し、あとは欲張らず、このくらいの状態でいいから生への記録を大きく延ばして欲しいと心の底から思っています。
病院からの帰り際「デンマンさんに手紙を書くから」と言ったら「私は元気で飛び跳ねているからと書いて」と芳江さん。
車椅子の上で両手を高々に挙げて満面の笑みでした。
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繰り返しになりますがデンマンさんとの話の中、お互いに絶望を意識していたことを芳江さんにお詫びしましょう。
清司さんや正造さんには「お母さんはきっと良くなるから」といつも元気付けてきました。
芳江さんに対して私とデンマンさんの立ち位置が違うにせよ、デンマンさんにきついことを言ったとしたら、その点申し訳なかったなあとお詫びします。
夜7時まで病室にいました。
帰宅してあの元気な芳江さんの回復振りが私の脳を刺激しっぱなしです。
『虹のかなたの奇跡』より
(2012年12月20日)
デンマンさん、元気にしてますか。
今日2月2日、突拍子もなく暖かい日でした。
茉莉子・姉さんと泰夫・兄さんが誘ってくれて芳江さん(注:デンマンの母親)の見舞いに行ってきました。
昨晩、泰夫・兄さんから電話があり「迎えに行くから一緒に行こう」と。。。
映画のタイトルのように予期せぬ出来事で病院内で4人、存分に姉兄の“味”を堪能しました。
もちろん芳江さんは伺うたびに元気でいつもの口上よろしく
「ここで死んでなるものか、家族を悲しませることはできないわよ」
人間、この意気ですね。
気に掛けていた尿管も外され、ずいぶんと楽に見えます。
話を示し合わせたように正造さん(注:デンマンの弟)が洗濯物の交換を持ってみえました。
病室がにぎやかだったので正造さんも特別うれしそう。
彼には頭が下がります。
私事ですが、年がデンマンけて1月8日に見舞ったのですが、その直後インフルエンザに感染し発熱、下痢、嘔吐の襲撃に遭い、さんざんでした。
いつも病気の話で申し訳ありません。
1月8日に見舞った際、芳江さんが「また来てね」と言ってくれたので1週間後の1月15日に予定をし、13日にスーパーで新鮮な鯖の安売りがあったのでニンニク、生姜、生葱をたっぷり入れた南蛮漬けを用意しましたが14日から症状があり見舞いを断念しました。
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年末年始でせわしなく動いたので抵抗力が一段と落ちていたのでしょうね。
最近にない苦痛を味わってしまいました。
それから約2週間、保菌者から脱出できたかな、と思っていたら泰夫・兄さんから電話があったというわけです。
芳江さんに感染しないかと迷ったのですが菌力は症状が出る前の潜伏期間の方が強力であるという事を聞いていたので自己判断で見舞いに伺うことにしました。
芳江さんは元来、肌がきれいなので暖かさも手伝って、ほんのりと桜色、シワもなく臥せていなければ健康人そのものに見えました。
早くみんなで退院祝いしたいですね。
帰り際に、デンマンさんに手紙書くからと言ったら芳江さんも1月27日に手紙を書いたそうですね。
「今日で1週間たったから、今日手紙が着くと思うよ」とうれしそうでした。
それにベッドで日記のようなものを書いています。
これも素晴らしい!
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帰りは泰夫・兄さんの車で送ってもらいました。
夕方5時を廻り夕飯には少し早いですが私の家で、茉莉子・姉さんを含めて食事をしました。
日本そばと海老のカキ揚げに腕を振るいました。
「今度は芳江さんも一緒だね」と3人で話しながら楽しく如月(きさらぎ)を迎えました。
明日は節分。
その翌日は立春です。
不謹慎なことですが芳江さんに、こんな喜ばしい日が来るとは正直思いませんでした。
その分、心底うれしいです。
九条多佳子
2013年2月2日
夜の11時。 良くないとは思いながら夜更かししています。
お互いに身体に気をつけて、またみなで会いましょう。
『奇跡の悦び』より
(2013年2月15日)
2013年2月14日 (木曜日)
今日はバレンタインデーです。
格別バレンタインデーに対する思い入れはありませんが、こうしてバレンタインデーに返信を書くことになったのも、母親の奇跡的な回復と関係があるのかもしれません。
多佳子さん(注:デンマンの叔母)の手紙は2月12日にマンションに帰り着いた時に手にしました。
昨日、返信を書くつもりでしたがブログの記事を書いていたら時間がなくなってしまい、バレンタインデーに雪崩(なだ)れ込んだというわけです。
母親の回復が予想以上に順調な様子が多佳子さんの手紙から見えるようで、読みながらホッとしています。
帰省を終えて日本から帰る数日前には葬儀屋に出向いて母親の葬式の準備を滞(とどこお)りなく済ませたものでしたが、無駄になって、これほど喜ばしいことはありません。
人間、必ずいつか死がめぐってくるものですが、このような形で喜びを与えてくれる母親の“ありがたみ”も、また格別です。
膀胱にカテーテルを入れて、言葉も発することができなくなったタカ叔母さんを見舞ってから、かれこれ10年近い年月が過ぎようとしていますが、その時も帰省を終えてバンクーバーに戻ってくる数日前のことでした。
それから1週間ほどしてタカさんは亡くなったのでした。
小生がタカさんを見舞った時の様子が、最後に母親を見舞った時の姿と瓜二つでした。
そのようなわけで、母親があと1週間の命だと思ったので葬儀屋に出向いたのです。
それにしても未だに信じることができません。
主治医の三宅医師からも詳しい病状を聞かされ、心臓のレントゲン写真も見ました。
心臓の周りの血管が悪玉コレステロールで詰まって、白くなっているところが少なくとも5箇所ぐらいあるのですよね。
心筋梗塞で、いつあの世に逝っても可笑しくない状態でした。
膝の状態もボロボロで入院前に歩いていたのが信じられないと医者も驚いていました。
しかも腎臓を検査したら検査値が40を越えたら危険なのに、お袋の場合には100をも超えていたのでした。
血圧は高いし、腎不全で、いつあの世に逝っても不思議ではなかった。
とにかく寝たきりで声が出ない。
うっすらと目を開いていました。
それまでに脱水状態で弱りきっていたし、
その後、むくみが出たりで、
“床ずれ”もひどくなるし、
見ていても苦しそうでした。
最後に小生は、母親の手を握り、体温のぬくもりを手のひらで感じながら、これが見納(おさ)めだと思いながら病室を後にしたのでした。
涙は出ませんでした。
すでに母親が逝くものだと心に決めて、数日間イメージトレーニングをしていましたから。。。
その後で葬儀屋に行ったのです。
多佳子さんの手紙を読みながら尿管を外したお袋が、妹の茉莉子さん、多佳子さん、それに弟の泰夫さんと楽しそうに話している様子が目に浮かぶようです。
信じられないけれど、それが事実なのですよね。
全く奇跡だと思います。
お袋が1月26日に書いた手紙を2月4日に手にしました。
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デンマンさん、長いお手紙受けとりました。
多佳子さんの手紙のコピーまで添えてあり大変嬉しく読ませていただきました。
本当にありがとうございました。
私の病気では家族や親戚の皆様にいろいろと御心配をかけてしまいました。
できたら親戚の方々に御礼を兼ねて、よろしくお伝えください。
最近では病状も回復し、リハビリに励んでおります。
そのようなわけで返信を書くのが遅れてしまいました。
すみませんでした。
入院患者の方々とも言葉を交わすようになり、最近ではリハビリを一緒に仲良く行うような事も多くなっております。
そのような訳で楽しい毎日を過ごされていただいております。
行田総合病院では栄養のゆき届いた食事を作っていただいており、感謝しながらいただいております。
回復に向かっているとはいえ、これからは油断せずに、1日1日をしっかりとした気持ちで生きてゆこうと思っております。
すぐにお目にかかる必要はないと思います。
秋になったら、また生まれ故郷へ帰省してください。
その方が楽しみを持ってリハビリに励むことができます。
デンマンさんも、お体には充分に気をつけて元気にお過ごしください。
バンクーバーの皆様にはよろしくお伝えください。
では御幸福と御発展を祈りながら筆をおきます。
母より
平成25年1月26日
『奇跡の回復』より
(2013年2月9日)
母親から手紙をもらうことなど考えてもいなかったので驚きました。
多佳子さんが書いたように、またお袋が望むように今年の秋に一緒に食事ができれば、それは奇跡の喜びになるでしょうね。
小生も、それを願っております。
母親のことでは、特に多佳子さんにはお世話になっております。
いろいろとありがとうございました。
これから春に向かいます。
多佳子さんも、自分の健康についてはくれぐれも注意して細く長く幸せな第2の青春を謳歌してください。
では。。。
『奇跡の悦び』より
(2013年2月15日)
もう死ぬに違いないと思って葬儀屋まで行ったのに、
奇跡的に母親が回復に向かったのはどういうわけなのか?
僕はずいぶんと考えさせられました。
断っておきますが、僕は母親が死ぬことを願っていたわけではありませんよ。
母親が死んだからといって大きな遺産が転がり込んでくるわけでもないのです。
とにかく元気で、できるだけ長生きして欲しい。
この気持ちが偽らざる僕の本音です。
たまたま夕べ本を呼んでいたら次の箇所に出くわしました。
(すぐ下のページへ続く)