狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

何も世間の人達と同じ事をする必要性は全く無い。もっと高いレベルの現実を見るべきである。

2015-08-13 12:27:59 | 世間・空気
 私は、自分を信じて世間を疑っている
 何も、此の世に存在する物事全てを行なう必要は無い。此の世に存在するものは、殆どが人の欲望の対象になるものばかりで、商売・ビジネスもその欲望によって成り立っているものが多い。
 グルメ、酒、レジャー、博打、ファッション、ショッピング、物欲、性欲、等々・・・、それら欲望にまかせて手を出し取り入れても、その時の一瞬の快楽・充足を得るだけで、また直ぐに心や頭は渇いてしまう。そして、次から次へと際限無く欲望に身を任せて手を出し続けるのである。
 要するに、欲望の対象となるものは実際は中身が空っぽである為に、何時まで経っても心が満たされないのである。取り入れた一瞬だけ充足感を感じているだけなのである。
 あの栄華を極めたソロモンでさえも、年を重ねた晩年に次の様に言っている。

 旧約聖書・伝道者の書1章2・3節
 「空の空。伝道者は言う。
 空の空。すべては空。
 日の下で、どんなに労苦しても、
 それが人に何の益になろう。」

 「色即是空」と言う言葉も存在する。此の世に存在する物事の殆どが実際は虚無であり、価値・意味が無いものが多いのである。故に、その虚無である事を行なう必要は無いのである。
 しかし、世間の多くの人達の捉え方は逆である事が多い。セックスをはじめとして、それら欲望の対象になる事を行なわなかったり経験が無いと恥ずかしい事と思う人達が多いのである。しかし前述の様に、その世間の多くの人達のその様な捉え方は間違っているのである。
 現実を見るという事は大事な事である。しかしこの点においても、世間の多くの人達は現実を見ずに空想・ファンタジーに浸っているのである。フィクションの恋愛ドラマやアクション小説を見読したり、キャバクラで虚構の恋愛に浸る等して、日々のストレスからの解放感を得たい為もあってか、「現実逃避」しているのである。
 此の世に存在するその様な欲望の対象となるレベルの低い現実に目を向けるのでは無く、国際情勢の悪化で戦争・侵略が危惧される状況下に対する国の安全保障体制の脆弱さの現実や、借金財政・財源不足による医療・介護・年金等の社会保障を削減せざるを得ない現実、大地震等の自然災害が間近に迫っている現実、金の裏付けの無い紙切れの紙幣を印刷し続けて来たが故のハイパーインフレが迫る現実、バブルである米国株価の下落が迫る現実等、そういうもっとレベルの高い現実に目を向けなければならないのである。却ってレベルの低い現実に目を奪われ続ける事によって「平和ボケ」してしまい、危機意識を持てなくなってしまうのである。
 次の本を読んだ。
 「現実入門―ほんとにみんなこんなことを? 」(著者:穂村弘氏、出版社:光文社、出版日:2009/02/20)
 著者は本書著作時42歳で、結婚、独り暮らし、海外旅行等をしたことが無いと言う。私も現在46歳(2015年時点)で、著者と同じくA型で未婚で海外旅行や合コンをした事も無く、キャバクラにも行った事が無い。しかし前述のとおり、私は世間の多くの人達と違ってその様な事等に関する経験の無い事を恥ずかしいとは全く思わない。タバコは吸わない、パチンコはしない、食事は粗食、服はめったに買わない。世間の多くの人達が行なっている事をやりたいとも思わず、レジャーやスポーツ観戦も今に至っては興味が無い。私は、そういう低レベルの現実に入らなくとも、全く恥ずかしいとは思わないのである。何も世間の人達と同じ事をする必要性は全く無いのである。
 本当の「大人」という者は、自分で考えて自分で判断する事が出来る、精神的に「自立」して周囲の多くの人と異なる事が出来る者の事を言うのである。

 「現実入門―ほんとにみんなこんなことを? 」(著者:穂村弘氏、出版社:光文社、出版日:2009/02/20)
「現実入門―ほんとにみんなこんなことを? 」(著者:穂村弘氏、出版社:光文社、出版日:2009/02/20)

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