大河ドラマ「天地人」。
今回の放送は石田三成の処刑であった。
三成に死なれた初音ちゃんは
ついに自分自身の気持ちを語ることはなかったが、
ただ「涙が出るほど悲しい」ではなく、具体的に
どんな思いを抱いて三成の死を受けとめたのであろうか。
私にとってはイヤな思い出なので今まで忘れていたが、
私は中学3年のとき、誤解が原因で或る男子たちに嫌われ、
その仕打ちが辛くて泣かされることも度々あった。
(私の推測ではあるが)彼らはあるとき自分たちの掃除の
不行き届きを先生に注意されでもしたのだろうか、
「アイツ(=私)が先生に告げ口をしたせいだ」と勘違いし
以来私を恨むようになったのである
(当時、私は班長として班員である彼らの掃除ぶりを
チェックせねばならなかった)。
私は「まぁ掃除は完璧とは思えないけど、あの人たちだって
全く掃除をしてないわけではないんだから」と思い
チェック表の評価の欄には先生の目に止まるような
記述は載せなかったし口でも特に何も言わなかったのだが
(内心、自分は良くないことをしていると思いつつ)。
どうしてなのかこの誤解は後で解けたようだったが
(少なくとも私は誤解を解く努力も「するだけ逆効果だ」と
初めから諦めていた)、誤解が解けて
彼らが私にしてきた仕打ちを自ら悔い改めたとて
ちっとも嬉しいとは思えなかった。
誤解が解けたのがもはや「辛いけどもうどうしようもない」
という諦めの境地に至ってからのことだったからだとか、
彼らとはまた別の理由で私を露骨に嫌っていた人間が
まだまだ大勢いたためだという理由も無いではないが、
なにより、誤解されている期間にこうむった被害の爪あとは
それがどんなものであれ容易に消すことはできないから
である。
同様に、「天地人」の三成が誤解されている期間に
こうむった現実的・内面的被害の爪あとも
決して死ぬまで消えることはなかったであろうから、
福島正則らが誤解に気づいて自らの態度を悔い改めてみても
三成は決して嬉しいなどとは思えないであろう。
それでも「豊臣家を思う気持ちが同じなら、かまわん。
正則どのの酒を飲んでみよう」と言えるのは、
自分とは異質な考えの持ち主を一切よせつけなかった
若かりし頃よりも器が大きくなった証拠の一つと考えるべき
なのだろうか(「いつか兼続のように自分も踊ってみたい」
という言葉もまた一つの証拠かもしれないが)。
それでも三成は敗者なので、家康が三成を負かして
なおも三成におのれの正義を訴える場を与えてくれるとは
思えない。さらに言えば、三成に対する福島殿の誤解が
あれほど早い段階で解けるとも思えない
(家康への不信感だけでは、三成に対する誤解の解消には
必ずしもつながらないからである)。
そして、先月の衆議院選挙の際のコメンテーターではないが
「勝利に偶然はあるが、敗北に偶然は無い」。
(つまりドラマの三成が言うように「時の運」で
負けたとは思えない)。それも、敗因は決して
ドラマの三成の性格だけではないと思われる。
やはり「熱中時間」とか漫画『風雲児たち』でも
指摘していたように、120万石を誇る毛利一族の影響力を
充分に活かしきれなかったところや、
秀頼君を大坂から西軍の陣まで連れてきて
「錦の御旗」にすることができなかったところに原因があると
考えるべきだろう。
小早川秀秋と兼続のことは話題にする気にもなれないので、
今回はこのへんで記事を終わらせたい。
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今回の放送は石田三成の処刑であった。
三成に死なれた初音ちゃんは
ついに自分自身の気持ちを語ることはなかったが、
ただ「涙が出るほど悲しい」ではなく、具体的に
どんな思いを抱いて三成の死を受けとめたのであろうか。
私にとってはイヤな思い出なので今まで忘れていたが、
私は中学3年のとき、誤解が原因で或る男子たちに嫌われ、
その仕打ちが辛くて泣かされることも度々あった。
(私の推測ではあるが)彼らはあるとき自分たちの掃除の
不行き届きを先生に注意されでもしたのだろうか、
「アイツ(=私)が先生に告げ口をしたせいだ」と勘違いし
以来私を恨むようになったのである
(当時、私は班長として班員である彼らの掃除ぶりを
チェックせねばならなかった)。
私は「まぁ掃除は完璧とは思えないけど、あの人たちだって
全く掃除をしてないわけではないんだから」と思い
チェック表の評価の欄には先生の目に止まるような
記述は載せなかったし口でも特に何も言わなかったのだが
(内心、自分は良くないことをしていると思いつつ)。
どうしてなのかこの誤解は後で解けたようだったが
(少なくとも私は誤解を解く努力も「するだけ逆効果だ」と
初めから諦めていた)、誤解が解けて
彼らが私にしてきた仕打ちを自ら悔い改めたとて
ちっとも嬉しいとは思えなかった。
誤解が解けたのがもはや「辛いけどもうどうしようもない」
という諦めの境地に至ってからのことだったからだとか、
彼らとはまた別の理由で私を露骨に嫌っていた人間が
まだまだ大勢いたためだという理由も無いではないが、
なにより、誤解されている期間にこうむった被害の爪あとは
それがどんなものであれ容易に消すことはできないから
である。
同様に、「天地人」の三成が誤解されている期間に
こうむった現実的・内面的被害の爪あとも
決して死ぬまで消えることはなかったであろうから、
福島正則らが誤解に気づいて自らの態度を悔い改めてみても
三成は決して嬉しいなどとは思えないであろう。
それでも「豊臣家を思う気持ちが同じなら、かまわん。
正則どのの酒を飲んでみよう」と言えるのは、
自分とは異質な考えの持ち主を一切よせつけなかった
若かりし頃よりも器が大きくなった証拠の一つと考えるべき
なのだろうか(「いつか兼続のように自分も踊ってみたい」
という言葉もまた一つの証拠かもしれないが)。
それでも三成は敗者なので、家康が三成を負かして
なおも三成におのれの正義を訴える場を与えてくれるとは
思えない。さらに言えば、三成に対する福島殿の誤解が
あれほど早い段階で解けるとも思えない
(家康への不信感だけでは、三成に対する誤解の解消には
必ずしもつながらないからである)。
そして、先月の衆議院選挙の際のコメンテーターではないが
「勝利に偶然はあるが、敗北に偶然は無い」。
(つまりドラマの三成が言うように「時の運」で
負けたとは思えない)。それも、敗因は決して
ドラマの三成の性格だけではないと思われる。
やはり「熱中時間」とか漫画『風雲児たち』でも
指摘していたように、120万石を誇る毛利一族の影響力を
充分に活かしきれなかったところや、
秀頼君を大坂から西軍の陣まで連れてきて
「錦の御旗」にすることができなかったところに原因があると
考えるべきだろう。
小早川秀秋と兼続のことは話題にする気にもなれないので、
今回はこのへんで記事を終わらせたい。

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