大河ドラマ「平清盛」。このたびの話題は、
清盛の娘・徳子が高倉天皇に入内し、
いよいよ平家の一人勝ちとなっていく――と
いったもの。徳子が入内したのは1171年12月、
清盛54歳、後白河法皇45歳、源頼朝が25歳、
北条政子は15歳である。
最近登場している「禿」についてであるが、
これは『平家物語』の「禿髪」に登場する
者たちのようである。『平家物語』では
「入道相国のはかりごと」であるとしており、
平時忠が使っているとは述べてないようだが、
「禿」の務めの内容はドラマと同じらしい。
いずれにしても、本当にこうした集団が
いたのかは、私には分かりかねる。
この度の主な政治的出来事である徳子の
入内についてであるが、ドラマの描き方とは
対照的に、『平清盛の闘い幻の中世国家』では
あまりこの出来事を「清盛が成しとげた
大躍進」として大々的にとりあげていない
ようである。というのも同書では、
当時に近い時代の先例を根拠に、「摂関と
外戚とは分離しており、摂関以外の外戚は
政治的地位を上昇・安定させるものの、
政権の座とは無関係である」と解釈している
からである。どうもドラマと違って同書では、
徳子の入内は平氏政権の樹立を約束するもの
ではないと解釈しているようなのだ
(もしかするとドラマのほうは、同書が述べる
「通説的理解」に基づいて描かれているの
かもしれないが)。そして同書では、清盛が
徳子を入内させた思惑について、家格の上昇・
安定のためではないかとしている。
また、このたびのドラマの貴族たちは、
徳子の入内について「武門の血が入ってくる
なんてゆゆしきことじゃ」と忌まわしげに
していたが、先述の本ではこの点についても、
「徳子が後白河院の猶子として入内したため、
高倉と兄妹になってしまうことが非難された
ものの、武門の娘ということは何ら問題と
なっていな」かったとしている。
ところで、動乱の時代だからなのか分からぬが、
平安時代末期には面白い女性が多い。
ドラマではいつも平家の敵役として登場する
八条院であるが、実際の彼女はとにかく
おおらかな性格で、例えば彼女の財産を上皇や
天皇が勝手に拝借しても気にしなかったり、
「塵が積もった御所の中で、女房がちぐはぐな
衣装を着ても気に留めなかった」という。
別冊歴史読本『源氏対平氏』では彼女のことを
「戦乱のなかで不遇になった多くの人々を
庇護したが、そのなかには、後白河法皇もいた」
とか、平氏とも源氏とも円満な関係を保って
いた、というふうに紹介しているが、
ウィキペディアの彼女の項では「(以仁王が
挙兵した時代では)八条院自身の立場は
さておき、彼女の周辺には、反平家の人々が
集っていた。」とも述べている。
これは私の勝手な想像にすぎないが、彼女が
「負け組」たちを助けていくという務め上、
「勝ち組」だった清盛たちとはどうしても
ぶつからざるをえない場面が多くなっていた
可能性はあったかもしれない。
力を持った人間が「おごっている」と見なされ
「おごれる者も久しからず」ということに
なってしまうのは、思うに「あの人は自分の
利益ばかり考えている」と思う人が多くなり、
そうなったがために、多くの人々の支持を
失ってしまうからではないのだろうか。
たとえ本人におごってるつもりはなくても、
他人の利益を守ったり還元するというかたちで
結果を出さなければ、結局は「おごれる者」
よばわりされ、「おごれる者も久しからず」
ということになってしまうものだと思う。
史実の清盛たちにしろ、あるいは彼らなりに
世のため人のためを考え続け、にもかかわらず
結果を出せなかったがために、「おごれる者」
よばわりされてしまっただけかもしれない。
ただ、少なくとも、清盛を「おごれる者」
よばわりしている『平家物語』に近い描き方を
しているこのドラマのことだから、ここは
「ドラマの清盛は所詮は自分の利益しか
考えてない」ということにするべきなのだろう。
前回も気になったことであるが、ドラマの
清盛が貿易を始めたり栄華を極めたり
することによって、果たしてどれだけ多くの
人間がその恩恵を感じているのだろうか。
もしかすると清盛のしていることは、
ある種の「善意の押し付け」にすぎないの
ではあるまいか、と――。
権力者の「おごり」には、自分勝手さが
つきもののように思える。
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清盛の娘・徳子が高倉天皇に入内し、
いよいよ平家の一人勝ちとなっていく――と
いったもの。徳子が入内したのは1171年12月、
清盛54歳、後白河法皇45歳、源頼朝が25歳、
北条政子は15歳である。
最近登場している「禿」についてであるが、
これは『平家物語』の「禿髪」に登場する
者たちのようである。『平家物語』では
「入道相国のはかりごと」であるとしており、
平時忠が使っているとは述べてないようだが、
「禿」の務めの内容はドラマと同じらしい。
いずれにしても、本当にこうした集団が
いたのかは、私には分かりかねる。
この度の主な政治的出来事である徳子の
入内についてであるが、ドラマの描き方とは
対照的に、『平清盛の闘い幻の中世国家』では
あまりこの出来事を「清盛が成しとげた
大躍進」として大々的にとりあげていない
ようである。というのも同書では、
当時に近い時代の先例を根拠に、「摂関と
外戚とは分離しており、摂関以外の外戚は
政治的地位を上昇・安定させるものの、
政権の座とは無関係である」と解釈している
からである。どうもドラマと違って同書では、
徳子の入内は平氏政権の樹立を約束するもの
ではないと解釈しているようなのだ
(もしかするとドラマのほうは、同書が述べる
「通説的理解」に基づいて描かれているの
かもしれないが)。そして同書では、清盛が
徳子を入内させた思惑について、家格の上昇・
安定のためではないかとしている。
また、このたびのドラマの貴族たちは、
徳子の入内について「武門の血が入ってくる
なんてゆゆしきことじゃ」と忌まわしげに
していたが、先述の本ではこの点についても、
「徳子が後白河院の猶子として入内したため、
高倉と兄妹になってしまうことが非難された
ものの、武門の娘ということは何ら問題と
なっていな」かったとしている。
ところで、動乱の時代だからなのか分からぬが、
平安時代末期には面白い女性が多い。
ドラマではいつも平家の敵役として登場する
八条院であるが、実際の彼女はとにかく
おおらかな性格で、例えば彼女の財産を上皇や
天皇が勝手に拝借しても気にしなかったり、
「塵が積もった御所の中で、女房がちぐはぐな
衣装を着ても気に留めなかった」という。
別冊歴史読本『源氏対平氏』では彼女のことを
「戦乱のなかで不遇になった多くの人々を
庇護したが、そのなかには、後白河法皇もいた」
とか、平氏とも源氏とも円満な関係を保って
いた、というふうに紹介しているが、
ウィキペディアの彼女の項では「(以仁王が
挙兵した時代では)八条院自身の立場は
さておき、彼女の周辺には、反平家の人々が
集っていた。」とも述べている。
これは私の勝手な想像にすぎないが、彼女が
「負け組」たちを助けていくという務め上、
「勝ち組」だった清盛たちとはどうしても
ぶつからざるをえない場面が多くなっていた
可能性はあったかもしれない。
力を持った人間が「おごっている」と見なされ
「おごれる者も久しからず」ということに
なってしまうのは、思うに「あの人は自分の
利益ばかり考えている」と思う人が多くなり、
そうなったがために、多くの人々の支持を
失ってしまうからではないのだろうか。
たとえ本人におごってるつもりはなくても、
他人の利益を守ったり還元するというかたちで
結果を出さなければ、結局は「おごれる者」
よばわりされ、「おごれる者も久しからず」
ということになってしまうものだと思う。
史実の清盛たちにしろ、あるいは彼らなりに
世のため人のためを考え続け、にもかかわらず
結果を出せなかったがために、「おごれる者」
よばわりされてしまっただけかもしれない。
ただ、少なくとも、清盛を「おごれる者」
よばわりしている『平家物語』に近い描き方を
しているこのドラマのことだから、ここは
「ドラマの清盛は所詮は自分の利益しか
考えてない」ということにするべきなのだろう。
前回も気になったことであるが、ドラマの
清盛が貿易を始めたり栄華を極めたり
することによって、果たしてどれだけ多くの
人間がその恩恵を感じているのだろうか。
もしかすると清盛のしていることは、
ある種の「善意の押し付け」にすぎないの
ではあるまいか、と――。
権力者の「おごり」には、自分勝手さが
つきもののように思える。
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