大河ドラマ「花燃ゆ」。このたびの話題は、異国船に
よってひろまった病「コロリ」によって、萩でも
多くの死者が出るといった話。異国の船がただ来た
だけでも病によってこれだけ日本が振り回され、
その上さらに幕府が日米修好通商条約を結ぶという。
この先、日本にどんな経済的混乱も待ち受けている
かもしれない――そんな危機感があらゆる階層の
日本人に広まった、というのが今回の時代背景だろう。
しかしながら、危機感そのものは等しく共有できても、
危機に対して思い描く方法論が人によってあまりにも
違いすぎる。話題の中心たる吉田松陰たちは条約が
天皇の許可なく結ばれたことを怒っていたけれど、
井伊直弼だって本当は許可が無いことを良いとは
決して思ってないし、許可を取り付けないと反感を
買うことぐらいは百も承知の上である。このたびの
久坂が「やむにやまれぬ」思いで勝手に京に行ったのと
同じように、井伊もまた、「やむにやまれぬ」思いで
無勅許での条約締結を決意したのだ――。こうした
井伊の事情まではさすがにドラマでは明確に語られ
なかったものの、やはりこのたびの「花燃ゆ」は
長州の志士のやることを一方的に礼賛するものとは
一味違う。時代は、日米修好通商条約が締結された
時点で1858年6月、文は16歳のままである。
ところで、ウィキペディアで少し調べてみたが、
実は日本における「コロリ」の流行は「花燃ゆ」の
時代が初めてではなくて、その30年以上前にも、
朝鮮あるいは琉球からのルートにより発生している。
また「コロリ」の予防については、「1884年には
ドイツの細菌学者ロベルト・コッホによってコレラ
菌が発見され、医学の発展、防疫体制の強化などと共に、
アジア型コレラの世界的流行は起こらなくなった。」
という。なにも、日本に「開国」を迫って困らせる
異国人だけが「コロリ」をもたらすわけではない。
また、日本を困らせる異国人も、実は同じように
「コロリ」に悩まされている。本当は、「コロリ」を
もたらした異国人を責めるよりも、異国人と協力して
「コロリ」と闘うほうがよほど生産的かもしれないが、
これはやはり幕末当時よりは発達した医学に恵まれ、
「幕末」をより俯瞰的に見やすい時代人の発想とも
言え、別に異国人が来なくったって完成された
「江戸文明」のなかでそれなりにうまくやってきた
「花燃ゆ」の時代の日本人からすれば、「せっかく
今まで自分たちだけで平和にやってきたのに、
邪魔しやがって」――というのが、異国人に対する
本音である(『逆説の日本史』17巻の第四章を参照)。
これでは、「異国人と協力して…」などという発想は
出にくかろう。このたびのドラマでも、かろうじて
小野為八の父上が「人を救うのは武器じゃなくて
薬なんだ」とは言ったが、為八はじめ松陰の門下生は
それよりも「地雷を開発して『コロリ』をもたらした
異人をやっつけるんだ」と躍起になる。
父上自身も「コロリ」にかかって死ぬ寸前になると
為八の暴力的なやり方を認めるようにはなったが、
ドラマの文と同様、身内や世の中に対する心配な
気持ちはぬぐえなかったであろう。
「やむにやまれぬ」思いゆえ、時代は確実に不穏な
ものとなりつつある。牢屋に入れられていたころは
「至誠をもって幕府に改善を求める事で、政治を
あくまで幕府に委ねる」と論じていた吉田松陰も、
本当はまだ完全に幕府に絶望した訳ではないのだが、
このたびいよいよ無勅許に怒り、倒幕を叫ぶように
なっていった。
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よってひろまった病「コロリ」によって、萩でも
多くの死者が出るといった話。異国の船がただ来た
だけでも病によってこれだけ日本が振り回され、
その上さらに幕府が日米修好通商条約を結ぶという。
この先、日本にどんな経済的混乱も待ち受けている
かもしれない――そんな危機感があらゆる階層の
日本人に広まった、というのが今回の時代背景だろう。
しかしながら、危機感そのものは等しく共有できても、
危機に対して思い描く方法論が人によってあまりにも
違いすぎる。話題の中心たる吉田松陰たちは条約が
天皇の許可なく結ばれたことを怒っていたけれど、
井伊直弼だって本当は許可が無いことを良いとは
決して思ってないし、許可を取り付けないと反感を
買うことぐらいは百も承知の上である。このたびの
久坂が「やむにやまれぬ」思いで勝手に京に行ったのと
同じように、井伊もまた、「やむにやまれぬ」思いで
無勅許での条約締結を決意したのだ――。こうした
井伊の事情まではさすがにドラマでは明確に語られ
なかったものの、やはりこのたびの「花燃ゆ」は
長州の志士のやることを一方的に礼賛するものとは
一味違う。時代は、日米修好通商条約が締結された
時点で1858年6月、文は16歳のままである。
ところで、ウィキペディアで少し調べてみたが、
実は日本における「コロリ」の流行は「花燃ゆ」の
時代が初めてではなくて、その30年以上前にも、
朝鮮あるいは琉球からのルートにより発生している。
また「コロリ」の予防については、「1884年には
ドイツの細菌学者ロベルト・コッホによってコレラ
菌が発見され、医学の発展、防疫体制の強化などと共に、
アジア型コレラの世界的流行は起こらなくなった。」
という。なにも、日本に「開国」を迫って困らせる
異国人だけが「コロリ」をもたらすわけではない。
また、日本を困らせる異国人も、実は同じように
「コロリ」に悩まされている。本当は、「コロリ」を
もたらした異国人を責めるよりも、異国人と協力して
「コロリ」と闘うほうがよほど生産的かもしれないが、
これはやはり幕末当時よりは発達した医学に恵まれ、
「幕末」をより俯瞰的に見やすい時代人の発想とも
言え、別に異国人が来なくったって完成された
「江戸文明」のなかでそれなりにうまくやってきた
「花燃ゆ」の時代の日本人からすれば、「せっかく
今まで自分たちだけで平和にやってきたのに、
邪魔しやがって」――というのが、異国人に対する
本音である(『逆説の日本史』17巻の第四章を参照)。
これでは、「異国人と協力して…」などという発想は
出にくかろう。このたびのドラマでも、かろうじて
小野為八の父上が「人を救うのは武器じゃなくて
薬なんだ」とは言ったが、為八はじめ松陰の門下生は
それよりも「地雷を開発して『コロリ』をもたらした
異人をやっつけるんだ」と躍起になる。
父上自身も「コロリ」にかかって死ぬ寸前になると
為八の暴力的なやり方を認めるようにはなったが、
ドラマの文と同様、身内や世の中に対する心配な
気持ちはぬぐえなかったであろう。
「やむにやまれぬ」思いゆえ、時代は確実に不穏な
ものとなりつつある。牢屋に入れられていたころは
「至誠をもって幕府に改善を求める事で、政治を
あくまで幕府に委ねる」と論じていた吉田松陰も、
本当はまだ完全に幕府に絶望した訳ではないのだが、
このたびいよいよ無勅許に怒り、倒幕を叫ぶように
なっていった。
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