大河ドラマ「花燃ゆ」。このたびの話題は、
異国船から報復攻撃を受け、萩にも防衛のために
台場を築く必要に迫られ、その建設に女たちも
参加しました――という話。時代は高杉が奇兵隊を
結成したのが1863年6月ごろ。文は21歳のままである。
攻撃された欧米からしてみれば、ただ近くを通り
がかっただけで何の迷惑もかけていないのに、突然
攻撃されたのだから、たまったものではない。
別冊歴史読本 『【幕末維新】 動乱の長州と人物
群像』によると、対外危機に対応するため、高杉が
せっかく奇兵隊を結成したにも関わらず、結成後
「外国艦の来襲はいったん途絶えた」というが、
そりゃあ当たり前だろう。当時の一般の欧米人なら
きっと「やはり日本は野蛮な国なのだ」とあきれ
かえるところであろうが、少なくとも同時代の
イギリスの新聞『イラストレイテッド・ロンドン
ニュース』は、これについて「長門の大名は自分
自身の責任で、ちょっとした戦闘行為にふけりつつ
ある」と報道している。つまり、同記事はこのたびの
攘夷実行を長州藩の独断とみなし、必ずしも全ての
藩が同じことをしてくるとは考えていなかったようだ
(2014年9月号の歴史読本による)。
だがそうだとしても、もし本当に当時の欧米が
日本を植民地にしようと狙っていたのであれば、
攘夷実行を絶好の口実としてもっと本格的な
戦闘を仕掛け、下関だけと言わず、たちまち京から
江戸から制圧して植民地化を進めてくるはずなのに、
実際はそれがなかった。ということは、実は当時の
欧米では、もはやそうした帝国主義的路線が影を
潜めつつあったのである(2013年3月号の歴史読本に
よる)。当時、幕府の対欧米貿易の七割はイギリスが
占めており、ゆえにイギリスの発言力が絶対になって
いて、列強の対日政策はイギリスの方針に依ることに
なっていた。そしてそのイギリスは、通商条約が
遵守され、貿易が順調に拡大さえすれば問題ないと
考えていた。そういうわけで、当時の日本は実は
現実的には植民地化の脅威に直面している訳では
なかったのである。ただイギリスは一方で、幕府が
国内の攘夷派に押されている影響で「生麦事件」
解決のための賠償金が思うように得られなかったり、
国際信義に反するような横浜鎖港までさせられそうに
なったりすると、脅しのために戦争をちらつかせたり
したので、日本の知識層は日本の植民地化を恐れたし、
実際そのリスクも皆無というわけにはいかなかったの
である。繰り返すが、当時の日本の植民地化の
リスクとは、実際のところその程度のものだったのだ。
ドラマでは、女たちが立場の違いを超えて国のために
働く姿が活き活きと描かれたが、あれで実際には
欧米の脅威の度合いが低かったからよかったような
もので、欧米が本当にその気になれば、一たまりも
なかったに違いない。理屈はどうあれ、攘夷実行とは
本当に無茶な真似をしたものだ。
「効果があるかどうかはともかく、やるしかない」
――たしかにそれは一理ある。私も当事者なら、
ドラマの椋梨美鶴と同様、文句ばっかり言ってても
しょうがないと考えるだろう(自分だけ何もしないで
いると体面の問題にもかかわるし)。だが、こうした
切迫した状況で陥りがちなのが、やることそのものに
酔ってしまうことである。こうした状況ではうつべき
対策の選択肢が少ないように感じられてしまうから
そうなってしまうのかもしれない。だが、例えば
当時の長州にしても、横浜には伊藤博文らの留学を
支援してくれたマセソン商会があり、オールコック
英国公使も実は貿易のためとあらば助けてくれなくも
ないかもしれない。再びの戦争などは、例えば彼らを
介した交渉が決裂した後でも出来ることなのである。
当時の長州藩士のなかに、来襲に備えることばかりが
能でないことに気づいてる人物が本当にいなかったのか
どうかは分からないが、少なくともドラマのなかで
スポットが当たっている高杉も久坂も、どうやら
このことには気づけていないようである。特に支持を
失った久坂は意固地になり、手段そのものが目的と
化してしまっているかのようであるが、このたびは
さすがにそんな彼を笑うことはできないし、それは
私だけではないようにも思われるのである。
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異国船から報復攻撃を受け、萩にも防衛のために
台場を築く必要に迫られ、その建設に女たちも
参加しました――という話。時代は高杉が奇兵隊を
結成したのが1863年6月ごろ。文は21歳のままである。
攻撃された欧米からしてみれば、ただ近くを通り
がかっただけで何の迷惑もかけていないのに、突然
攻撃されたのだから、たまったものではない。
別冊歴史読本 『【幕末維新】 動乱の長州と人物
群像』によると、対外危機に対応するため、高杉が
せっかく奇兵隊を結成したにも関わらず、結成後
「外国艦の来襲はいったん途絶えた」というが、
そりゃあ当たり前だろう。当時の一般の欧米人なら
きっと「やはり日本は野蛮な国なのだ」とあきれ
かえるところであろうが、少なくとも同時代の
イギリスの新聞『イラストレイテッド・ロンドン
ニュース』は、これについて「長門の大名は自分
自身の責任で、ちょっとした戦闘行為にふけりつつ
ある」と報道している。つまり、同記事はこのたびの
攘夷実行を長州藩の独断とみなし、必ずしも全ての
藩が同じことをしてくるとは考えていなかったようだ
(2014年9月号の歴史読本による)。
だがそうだとしても、もし本当に当時の欧米が
日本を植民地にしようと狙っていたのであれば、
攘夷実行を絶好の口実としてもっと本格的な
戦闘を仕掛け、下関だけと言わず、たちまち京から
江戸から制圧して植民地化を進めてくるはずなのに、
実際はそれがなかった。ということは、実は当時の
欧米では、もはやそうした帝国主義的路線が影を
潜めつつあったのである(2013年3月号の歴史読本に
よる)。当時、幕府の対欧米貿易の七割はイギリスが
占めており、ゆえにイギリスの発言力が絶対になって
いて、列強の対日政策はイギリスの方針に依ることに
なっていた。そしてそのイギリスは、通商条約が
遵守され、貿易が順調に拡大さえすれば問題ないと
考えていた。そういうわけで、当時の日本は実は
現実的には植民地化の脅威に直面している訳では
なかったのである。ただイギリスは一方で、幕府が
国内の攘夷派に押されている影響で「生麦事件」
解決のための賠償金が思うように得られなかったり、
国際信義に反するような横浜鎖港までさせられそうに
なったりすると、脅しのために戦争をちらつかせたり
したので、日本の知識層は日本の植民地化を恐れたし、
実際そのリスクも皆無というわけにはいかなかったの
である。繰り返すが、当時の日本の植民地化の
リスクとは、実際のところその程度のものだったのだ。
ドラマでは、女たちが立場の違いを超えて国のために
働く姿が活き活きと描かれたが、あれで実際には
欧米の脅威の度合いが低かったからよかったような
もので、欧米が本当にその気になれば、一たまりも
なかったに違いない。理屈はどうあれ、攘夷実行とは
本当に無茶な真似をしたものだ。
「効果があるかどうかはともかく、やるしかない」
――たしかにそれは一理ある。私も当事者なら、
ドラマの椋梨美鶴と同様、文句ばっかり言ってても
しょうがないと考えるだろう(自分だけ何もしないで
いると体面の問題にもかかわるし)。だが、こうした
切迫した状況で陥りがちなのが、やることそのものに
酔ってしまうことである。こうした状況ではうつべき
対策の選択肢が少ないように感じられてしまうから
そうなってしまうのかもしれない。だが、例えば
当時の長州にしても、横浜には伊藤博文らの留学を
支援してくれたマセソン商会があり、オールコック
英国公使も実は貿易のためとあらば助けてくれなくも
ないかもしれない。再びの戦争などは、例えば彼らを
介した交渉が決裂した後でも出来ることなのである。
当時の長州藩士のなかに、来襲に備えることばかりが
能でないことに気づいてる人物が本当にいなかったのか
どうかは分からないが、少なくともドラマのなかで
スポットが当たっている高杉も久坂も、どうやら
このことには気づけていないようである。特に支持を
失った久坂は意固地になり、手段そのものが目的と
化してしまっているかのようであるが、このたびは
さすがにそんな彼を笑うことはできないし、それは
私だけではないようにも思われるのである。
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