大河ドラマ「平清盛」。このたびは、
「内昇殿」を許された平忠盛が、これを妬む
公卿によって命を狙われるという話であった。
時代は1132年、清盛15歳、源義朝は10歳である。
この「殿上闇討」というエピソードであるが、
ドラマでは黒幕が摂関家の藤原忠実で
実行犯は源為義、襲われた平忠盛は平家貞が
用意した銀箔付きの木刀とハッタリで
難を逃れるという話になっていた(暗殺計画が
あるという噂を事前に掴んでいた訳ではない)。
だが、私の限られた情報源で調べた限り
実際のところ闇討ちの真犯人は分からない。
またこのエピソードは『平家物語』に見られる
ものであるが、同古典によると忠盛は
自分の命が狙われているという噂を事前に
つかんだ上で、真剣に似せた銀箔の木刀を
公卿たちに見せつけることによって彼らを
脅したり、また平家貞が明らかに武装した姿で
控えることによって、暗殺を未然に防いだのだ
そうである。おそらく『平家物語』の
忠盛たちは「アイツらを怒らせたら何されるか
分からない」という恐怖を周囲に与えることで
暗殺を未然に防いだということだろう。
このドラマの時代考証をしておられる一人・
本郷和人さんが別冊歴史読本『源氏対平氏』の
なかで述べていた「武力」の本質とは
おそらくこの「恐怖」を示すのだと思う。
ところで、この平家一門は清盛の時代になって
忠盛時代以上の栄華を極めることになるが、
「平家にあらずんば人にあらず」ということを
言ったのは清盛の未来の義兄弟・平時忠と
されている。清盛ではないということであるが、
なるほど清盛が公卿の嫉妬にさらされる父親の
姿を見て育ったということであれば、
公卿に気を配りながら出世街道を歩みこそすれ、
「平家にあらずんば人にあらず」と言うとは
考えにくいものである。
一方、ドラマでの「殿上闇討」の黒幕である
藤原忠実であるが、彼はたしか「私の摂関家は
昔から源氏との繋がりが強かった」という
ふうに言っていたかと思う。
「昔」とは一体いつからなのか、私はこの点が
気になったので別冊歴史読本『源氏 武門の
覇者』をちょっと読んでみたところ、それは
どうやら10世紀半ばの源満仲(彼の息子・頼信が
源為義の属する「河内源氏」の祖とされる」)の
時代までさかのぼるようである。
その時代、藤原北家は「安和の変」を起こして
他氏排斥を完了させ、摂関政治を確立させるの
であるが、源満仲はこの北家に密告者として
加担し、北家の厚い信頼を勝ち取って、以来
満仲の息子たちも北家との繋がりを強めていった
――ということらしい。
今ドラマに登場している源為義も権門摂関家の
武力たることを存立基盤とし、その家領支配に
食いこむことによって(前回のココでの説明の
ように)子息たちを各地に送りこむことが
できたということである。
それと、彼は初登場かどうか記憶は定かで
ないが、藤原忠実の長男・忠通には、かつて
藤原璋子との縁談が持ち上がっていたのだが、
「璋子の素行に噂があったため」、
忠実がこの縁談を固辞したのだという。
ドラマの璋子はなかなか多情なようだが、
鳥羽院に嫁ぐ前から札付きだったのだろうか。
ちょっと前のテレビ雑誌で確認してみたが、
「遊びをせんとや生まれけむ」とは
「つまらない世を面白く生きたい」という
意味らしい。だが、実際そう生きるためには
例えば「殿上闇討」のようなアクシデントに
見舞われても楽しいゲームだと思えるように
ならねばならない。私はそのような人間には
なれてないし、確信は持てないが、
ドラマの忠盛はおそらく(朝廷の犬では
終わらないという)「心の軸」とやらを持った
おかげで、そのような人間になれた――
ということなのかもしれない。
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「内昇殿」を許された平忠盛が、これを妬む
公卿によって命を狙われるという話であった。
時代は1132年、清盛15歳、源義朝は10歳である。
この「殿上闇討」というエピソードであるが、
ドラマでは黒幕が摂関家の藤原忠実で
実行犯は源為義、襲われた平忠盛は平家貞が
用意した銀箔付きの木刀とハッタリで
難を逃れるという話になっていた(暗殺計画が
あるという噂を事前に掴んでいた訳ではない)。
だが、私の限られた情報源で調べた限り
実際のところ闇討ちの真犯人は分からない。
またこのエピソードは『平家物語』に見られる
ものであるが、同古典によると忠盛は
自分の命が狙われているという噂を事前に
つかんだ上で、真剣に似せた銀箔の木刀を
公卿たちに見せつけることによって彼らを
脅したり、また平家貞が明らかに武装した姿で
控えることによって、暗殺を未然に防いだのだ
そうである。おそらく『平家物語』の
忠盛たちは「アイツらを怒らせたら何されるか
分からない」という恐怖を周囲に与えることで
暗殺を未然に防いだということだろう。
このドラマの時代考証をしておられる一人・
本郷和人さんが別冊歴史読本『源氏対平氏』の
なかで述べていた「武力」の本質とは
おそらくこの「恐怖」を示すのだと思う。
ところで、この平家一門は清盛の時代になって
忠盛時代以上の栄華を極めることになるが、
「平家にあらずんば人にあらず」ということを
言ったのは清盛の未来の義兄弟・平時忠と
されている。清盛ではないということであるが、
なるほど清盛が公卿の嫉妬にさらされる父親の
姿を見て育ったということであれば、
公卿に気を配りながら出世街道を歩みこそすれ、
「平家にあらずんば人にあらず」と言うとは
考えにくいものである。
一方、ドラマでの「殿上闇討」の黒幕である
藤原忠実であるが、彼はたしか「私の摂関家は
昔から源氏との繋がりが強かった」という
ふうに言っていたかと思う。
「昔」とは一体いつからなのか、私はこの点が
気になったので別冊歴史読本『源氏 武門の
覇者』をちょっと読んでみたところ、それは
どうやら10世紀半ばの源満仲(彼の息子・頼信が
源為義の属する「河内源氏」の祖とされる」)の
時代までさかのぼるようである。
その時代、藤原北家は「安和の変」を起こして
他氏排斥を完了させ、摂関政治を確立させるの
であるが、源満仲はこの北家に密告者として
加担し、北家の厚い信頼を勝ち取って、以来
満仲の息子たちも北家との繋がりを強めていった
――ということらしい。
今ドラマに登場している源為義も権門摂関家の
武力たることを存立基盤とし、その家領支配に
食いこむことによって(前回のココでの説明の
ように)子息たちを各地に送りこむことが
できたということである。
それと、彼は初登場かどうか記憶は定かで
ないが、藤原忠実の長男・忠通には、かつて
藤原璋子との縁談が持ち上がっていたのだが、
「璋子の素行に噂があったため」、
忠実がこの縁談を固辞したのだという。
ドラマの璋子はなかなか多情なようだが、
鳥羽院に嫁ぐ前から札付きだったのだろうか。
ちょっと前のテレビ雑誌で確認してみたが、
「遊びをせんとや生まれけむ」とは
「つまらない世を面白く生きたい」という
意味らしい。だが、実際そう生きるためには
例えば「殿上闇討」のようなアクシデントに
見舞われても楽しいゲームだと思えるように
ならねばならない。私はそのような人間には
なれてないし、確信は持てないが、
ドラマの忠盛はおそらく(朝廷の犬では
終わらないという)「心の軸」とやらを持った
おかげで、そのような人間になれた――
ということなのかもしれない。
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