黒い瞳のジプシー生活

生来のさすらい者と思われた私もまさかの定住。。。

天下布武

2014-01-26 21:42:57 | 思索系
大河ドラマ「軍師官兵衛」。このたびの話題は、
父・職隆の隠居と官兵衛の祝言であった。
時代は、信長が足利義昭を奉じて上洛した時点で1568年。
官兵衛23歳、光姫16歳、信長35歳、秀吉32歳である。
未来の官兵衛は44歳で隠居するのであるが、このたび
隠居した父・職隆の年齢もほぼ同じだったようだ。
いずれの隠居の真相もよく分からないが、『黒田家譜』は
官兵衛の隠居の背景について、天下人となった秀吉や
その家臣が官兵衛の才智を警戒するようになったためで
あるとしている(去年の五月号の歴史読本による)。
ゆえにこのたびのドラマは、小寺政職と黒田職隆の人間
関係を、晩年の秀吉と官兵衛になぞらえるようにして
描いた、と解釈すべきかもしれない。
ちなみに、ウィキペディアの黒田職隆と小寺政職の項に
よれば、のちに小寺政職が落ちのびると、職隆は小寺
政職の子を密かに引き取って養育し、そうして育った
小寺氏職は黒田家に仕えるようになったという。
この先、ドラマがどんなふうに描いていくか分から
ないが、このたび政職があやしていた赤ん坊は
あるいは後の小寺氏職だったりするのかもしれない。

それにしても、ドラマの職隆はあれだけ小寺政職に
忠義を尽くしてきたにもかかわらず、忠義を疑われて
隠居せざるをえなくなったのである。悔しいとか、
悲しいとか、なにかそういう割り切れない思いを
視聴者に見せたってよさそうなものだと私は思うし、
もっと言えば、見せた方がドラマ的には面白くなる
ような気がしている。万事ソツなく世の中を渡った
黒田家らしいと言えばそうなのであるが、少なくとも
私にとって、万事ソツがないというのは(それはとても
素晴らしいことだが)あんまり魅力的なものではない。
そういう黒田家のドラマだからこそ、割り切れない
思いもかかえて生きていく「あわれ」が見たいと感じる。

一方、信長はこのたび美濃の斎藤氏を滅ぼして上洛し、
着々と天下に近づいていた。その前に、ドラマでは
墨俣城に滞在する秀吉の姿が見えたが、この城は
秀吉が一夜にして築いたことで知られている。
1996年の大河ドラマ「秀吉」にはこの城を一夜で築く
苦労が描かれていたはずだが、このたびのドラマには
それが見られない。これはおそらく、一夜城伝説に
ついて不明点が多く、作り話とする説まであることを
考慮したものと思われる。例えば、去年の五月号の歴史
読本では、『絵本太閤記』なる江戸時代の読物(1797年
発行)の創作にすぎないとしている。
なお作り話といえば、秀吉が隠居している竹中半兵衛を
「三顧の礼」で口説き落としたことも、同じく『絵本
太閤記』による創作だそうであるが、このエピソードも
省略されるのであろうか。

ところで、今年の大河の時代考証はやはり小和田哲男
氏である。同氏はたしか、NHK教育テレビの「高校講座
日本史」のなかで「天下布武」の真意について
「公家でも寺家でもない、武家こそが天下を掌握する
のだ」という意味である(ということは、当時の社会情勢
としては、武家が天下を取ることは必ずしも歴史の必然
ではなかった)と解説していたかと思われるが、
このたびのドラマの描き方では、ちょっと、こうした
真意が伝わりにくいかもしれない。その点、2011年の大河
「江〜姫たちの戦国〜」は、個人的にはツッコミどころ
満載の内容だったと今でも思っているが、この「天下
布武」の意味に関しては、小和田氏の説を正確に
伝えていたかと記憶している。そういえば、むかし
地元・川越の博物館の歴史講座を受講して知りえた
ことだが、たしかこの小和田氏は元々駿河の今川氏が
専門だったかと思われる。今川義元の周囲には
あまりにもスターが多すぎたが、かなりマイナーな
女性や架空の人物までが大河の主人公になれることも
ある。小和田氏が御存命のうちに今川義元が主人公に
選ばれる日も来るであろうか――。
なお、肝心の「天下布武」の真意については、
Yahoo!知恵袋を読んだ限り、小和田氏が説明するもの
以外にも様々な解釈が存在するようだ:
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1025615500


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大望が無ければ…

2014-01-19 21:37:36 | 思索系

大河ドラマ「軍師官兵衛」。このたびの話題は、
初恋の人を殺されてガッカリしている官兵衛を
心配した親たちが、官兵衛を堺に行かせる、といった
話。時代は、時の将軍・足利義輝が討死した時点で
1565年。官兵衛20歳、信長32歳、秀吉29歳であった。
「恨むばかりで大望が無ければ、恨みを晴らしたとて
一体なんになろう」。――かつての大河ドラマ
「風林火山」での武田晴信の一言が私のなかで
またもよみがえった、このたびの「軍師官兵衛」。
とりあえず、度々引用している私の手元の資料には
当時の官兵衛が堺へ旅したという話は特に見られない。
まぁ、大望を持つというほどでなくても、賢く優しい
親御さんの配慮のおかげで何とか立ち直ることが
できました、といったところだろうか。

また、このたび初登場した荒木村重の出自についても、
手元の歴史読本(去年の五月号)やウィキペディアでは
荒木義村(あるいは高村)という摂津の土豪の息子で
摂津池田城主・池田勝正の家臣であったとしており、
「浪々の身」というドラマの設定とは異なる感じだ。
有力でないながらも生まれながらの「御屋形様」だった
信長ならまだしも、たかが「牢人」の荒木村重までが
(しかもこの時の彼はもう30歳だったはず)、天下人を
目指すなどと誇大妄想を言い、もし私がドラマの
官兵衛なら、「こいつバカか!?」と思うところだろう
(官兵衛もバカだったという設定なら話は別なのだが)。
こういう描き方をするから、私はこの大河ドラマが
大河ドラマらしい「上から目線」で描かれているように
感じるのである。

バカといえば、『黒田官兵衛のすべて』の編者・安藤
英夫氏は、官兵衛の最初の主君だった小寺政職を
「暗君」と述べているのだが、果たして何を根拠に
そう評しているのかよく分からないし、少ない情報を
独自にかき集めた限りでは特に暗君だったという印象は
なく、それどころか、「幾たびかの小競り合いを制し、
播州平野を中心として半独立勢力として割拠した」という
実績すら見える(ウィキペディアの小寺政職の項による)。
私の考えにすぎないが、ここは小寺政職が暗君だった
というより、むしろ、黒田官兵衛の頭が良すぎたと
考えるべきではないのだろうか。小寺政職はむしろ、
黒田官兵衛ほど頭は良くなくても、それなりにしぶとく
世の中を渡ったと見るべきではないかと思うのである。

一方、官兵衛の未来の盟友の一人・美濃の竹中半兵衛は
このたびのドラマでは稲葉山城乗っ取りを決行していた。
決行の理由については、ドラマでは従来の説の一つの
とおり、主君の斎藤龍興を諌めるためであったとして
いるが、これも歴史読本によると、その他にも色々な
説があるらしい。例えば、稲葉山城の脆弱性を示すため
とか、半兵衛の舅である安藤守就が、日根野弘就という
龍興の家臣と対立するなかで、舅を救うためであったとか、
あるいは半兵衛が龍興の寵臣だったという斎藤飛騨守に
侮辱されたのが原因だったとする説、さらには、ただ単に
自分が主君にとってかわりたいだけであったとする説まで
あるという。なお、同書によれば、「美濃の国衆の多くが
半兵衛方につかなかったため、稲葉山城奪取は半年に
とどまり、最終的には失敗に終わった」という。

ところで、このブログのサブタイトルにあるように、
私には今の仕事に就くまで、6年ものブランクがあった。
実際に経験してみないと分からないことかもしれないが、
いまふりかえっても、当時は筆舌に尽くしがたい辛い
日々をすごしたものである。この大河ドラマにも次回
あたり登場するようだが、例えば明智光秀もそうした
辛い日々を経験した末、ようやっと信長に「雇ってもら
えた」のだろうし、荒木村重にも、多少なりともそうした
恩義が信長にあったはずである(ましてや「浪々の身」
なら、なおさらのはずだろう)。実際、少なくとも明智
光秀の場合は、本能寺の変の1年前でもなお、信長への
深い感謝の言葉を残している(本能寺の変を題材にした
番組「英雄の選択」がそう伝えていたと記憶している)。
荒木村重については私にとってやや分からない部分も
まだあるが、少なくとも明智光秀に関しては、
最初は自分を拾ってくれた信長にすごく感謝していた
はずなのに、最終的には謀反の道を選ばずには
いられなかった。今や、そういう光秀の心境を思うと
涙さえ出てくる。気が早いかもしれないが、果たして
このドラマは明智光秀をどのように描いていくのか、
それも私には気になるところである。


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オーソドックス路線

2014-01-12 20:46:29 | 思索系
大河ドラマ「軍師官兵衛」。このたびの話題は、
元服した官兵衛が初陣を果たすという話。時代は1562年、
官兵衛17歳、信長29歳、秀吉26歳であった。
のちの官兵衛と秀吉は、信長横死という禍を転じて福と
為した。同じ出来事をプラスに考えるかマイナスに考えるか、
官兵衛や秀吉のように、成功する男はプラスに考える
ものである――そう、言いたげであったこのたびのドラマ。
官兵衛の初陣の際の敵についてであるが、ウィキペディアの
官兵衛の項や『黒田官兵衛のすべて』(編:安藤英夫
中経出版 2013)では「近在の土豪」としかしていないが、
2013年5月号の『歴史読本』ではその相手を浦上宗景とし、
赤松政秀とするドラマとは異なる説明をしている。

また、私の手元の資料とドラマの内容との照合という
意味で気になる点は他にもある。前回は記さなかったが、
まず、円満という坊主のことである。前回のドラマでは
この名前の僧が赤松氏の使いの者として登場していたが、
歴史読本では、同じ名前の僧が官兵衛の教育係として
ついており、若き官兵衛に、和歌や連歌の道よりも
武芸に励むよう助言した、としている。つまり当時の
官兵衛は和歌や連歌が好きだったということであるが、
同書の別の論考によれば、和歌は官兵衛の母も嗜んだと
思われるもので、亡き母への断ち切れぬ想いが、若き
官兵衛を文芸好きにしていたのではないか――という
ことである。いずれにせよ、これはドラマを見るだけ
では知りえぬことである。本当にいたかどうか知らない
ような初恋の女の話よりも、むしろこういう逸話を
とりあげるべきではないのだろうか。
まあ、架空の初恋物語(それも、悲劇的な結末の――)を
織りこむのも大河ドラマにはよくあるパターンだと
思われるが。また、この官兵衛の初恋物語に関しては、
落雷のなかで恋が進むところなど、2005年の「義経」を
彷彿とさせるものであった(あのドラマのシチュエー
ションは、雨に濡れて小屋のなかで薄着になっている
政子を偶然頼朝が見てしまってお互いにドッキリ、
というもので、この官兵衛のドラマとは微妙に異なって
いるし、政子と頼朝は結局結ばれるのであるが)。

しかし、ツイッターでは去年思うところを述べたが、
何とか視聴率を上げようと思うなら、やはり少しでも
物語を多面的で多種多様にすることだと思われる。
また、そのために、中心的な人物の人間模様にのみ
スポットを当てるのではなく、端役・脇役のそれも
おろそかにせず、継続的にスポットを当てていくべき
だろう。思うに人は共感できる要素に心を動かされる
ものだから、ドラマの内容が多面的であればあるほど、
面白いと思う視聴者が増えたり、継続的に見る視聴者が
増えるのではないかと思われるのである。
――このように思うから言うのではないが、
黒田家、織田家という一部の勝ち組が泣かせたであろう
幾多の家の物語からも、感動がほしいものだ。


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軍師官兵衛

2014-01-05 22:15:54 | 思索系
今年も、大河ドラマが始まった。題材は、黒田官兵衛。
私の親戚の話によると、去年の「八重の桜」では
主人公を演じる綾瀬はるかさんの登場が遅かった事が
視聴者の大ヒンシュクを買っていたそうで、初回早々
岡田官兵衛が元服していたのも、あるいはそのせいで
あるかもしれない。いずれにせよ、まだ岡田官兵衛
ないし信長・秀吉も年齢不相応であるから、
今年も設定年齢を確認しながら感想を述べていきたい。
というわけで、今回、16歳の官兵衛が元服した時点で
1561年、信長は28歳、秀吉は25歳。ちなみに、
武田信玄と上杉謙信(政虎)が信濃の八幡原で死闘を
繰り広げたのもこの1561年。偏見かもしれないが、
おそらくは当時の信長など、武田信玄から見れば
まだまだ生意気な味噌っかすにすぎなかったことだろう。
それゆえ、当時の信長が果たして天下まで視野に入れて
生きていたものかどうか、そのへんも甚だ疑問である。
時代劇や漫画によっては、当時の信長はまだ美濃制圧
程度しか視野に入れてなかったように描かれているが、
個人的にはその方がリアルに感じられる。

それと、キャストに関しては、1997年の大河ドラマ
「毛利元就」と、2007年の「風林火山」に登場していた
俳優陣が目につく。私が気づいただけでも、初回から
登場した片岡鶴太郎さんをはじめ、増岡徹さん、鶴見
辰吾さん、陣内孝則さんは前者に登場した俳優陣であり、
ナレーションの藤村志保さん、竜雷太さん、谷原
章介さん、近藤芳正さん、高橋一生さん、嘉島典俊さんは
後者に登場した顔ぶれである。
その、「風林火山」といえば、意外と私の心に残って
いるのが、矢崎十吾郎なるしがない地侍のことである。
彼は、浪々の身で何とか仕官がかなったはいいが、下働きの
末、武運拙く、真田幸隆の謀略によって討ち死してしまう。
黒田官兵衛のじいちゃんや父ちゃんのように家運が
上がるのは幸運なこと、ましてや、万石どりの大名にまで
発展することはさらに幸運で稀なこと。きっと、
寿命を全うできずに討死したり、あるいは細々とお家の
命脈を保っていくのがやっとというケースが圧倒的に
多かったに違いない――私は、地元・埼玉の(全国的には)
無名の武将たちのことを少し学んだ今となって、
そういう意識が相対的に強くなってきている。
「風林火山」には、ハッキリ言って浪々の身分のままが
相応しい感じのダメ武将も登場する。きっと、そういう
武将も実際には多かったことだろう。だがそれでも、
「風林火山」の目線がより社会的弱者に向けられている
のに対し、冒頭早々、弱肉強食の論理を説いてくる
今年の「軍師官兵衛」のそれは、より社会的強者に
向けられている感じがする。まあ、今年の「軍師
官兵衛」のような「上から目線」の描き方のほうが、
より大河ドラマらしいという感じはするのであるが――。
ともあれ、官兵衛の場合、御師からもたらされる諸国の
情報を根拠に信長への帰順を決意し、家運を切り開いて
いったのではないかとされる(官兵衛に関する番組
「ザ・プロファイラー」による)。

それにしても、人間とは難しいものだと思う。
ドラマで早くもその才気を発揮した少年・万吉(=官兵衛)
であるが、私の地元・川越ゆかりの太田道灌もまた、
子供のころから利発であったという。
川越市立博物館では、それを伝えるエピソードが常時
紹介されているようだが、そこでは、そのエピソードを
伝えた後で、話を次のように締めくくっている。
「――このような聡明さは、ややもすると人を侮る心にも
つながりかねない。道灌の父は、それを心配していた。」
晩年の道灌に人を侮る心があり、それゆえ敵をつくって
暗殺されたものか、そこまでは私には分からない。
しかし、自分が聡明であるがために周りがバカに見え、
それでかえって人気を落としてる人は身近にもいたりする。
私の知る限り、黒田官兵衛には知略で知られながらも
そうしたところも見えず、如才ないというべきものだ。
大きなお世話だろうが、私から見れば、非の打ちどころが
ないという点を除けば、彼は非の打ちどころのない人物である。


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Frohes Neues Jahr!

2014-01-01 22:06:13 | 日常
ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを見て、
ようやく年が明けた気分になった。
「美しく青きドナウ」はウォークマンでも時々
聴くようになったせいか、同じ楽団が同じ曲を演奏しても
指揮者によって曲の感じが微妙に違ってくるのだ、
ということが今年のニューイヤーコンサートによって
実感できた。

ブログの更新はこれからも滞ることが予想されるが、
今年もよろしくおねがいします。


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