大河ドラマ「軍師官兵衛」。このたびの話題は、
父・職隆の隠居と官兵衛の祝言であった。
時代は、信長が足利義昭を奉じて上洛した時点で1568年。
官兵衛23歳、光姫16歳、信長35歳、秀吉32歳である。
未来の官兵衛は44歳で隠居するのであるが、このたび
隠居した父・職隆の年齢もほぼ同じだったようだ。
いずれの隠居の真相もよく分からないが、『黒田家譜』は
官兵衛の隠居の背景について、天下人となった秀吉や
その家臣が官兵衛の才智を警戒するようになったためで
あるとしている(去年の五月号の歴史読本による)。
ゆえにこのたびのドラマは、小寺政職と黒田職隆の人間
関係を、晩年の秀吉と官兵衛になぞらえるようにして
描いた、と解釈すべきかもしれない。
ちなみに、ウィキペディアの黒田職隆と小寺政職の項に
よれば、のちに小寺政職が落ちのびると、職隆は小寺
政職の子を密かに引き取って養育し、そうして育った
小寺氏職は黒田家に仕えるようになったという。
この先、ドラマがどんなふうに描いていくか分から
ないが、このたび政職があやしていた赤ん坊は
あるいは後の小寺氏職だったりするのかもしれない。
それにしても、ドラマの職隆はあれだけ小寺政職に
忠義を尽くしてきたにもかかわらず、忠義を疑われて
隠居せざるをえなくなったのである。悔しいとか、
悲しいとか、なにかそういう割り切れない思いを
視聴者に見せたってよさそうなものだと私は思うし、
もっと言えば、見せた方がドラマ的には面白くなる
ような気がしている。万事ソツなく世の中を渡った
黒田家らしいと言えばそうなのであるが、少なくとも
私にとって、万事ソツがないというのは(それはとても
素晴らしいことだが)あんまり魅力的なものではない。
そういう黒田家のドラマだからこそ、割り切れない
思いもかかえて生きていく「あわれ」が見たいと感じる。
一方、信長はこのたび美濃の斎藤氏を滅ぼして上洛し、
着々と天下に近づいていた。その前に、ドラマでは
墨俣城に滞在する秀吉の姿が見えたが、この城は
秀吉が一夜にして築いたことで知られている。
1996年の大河ドラマ「秀吉」にはこの城を一夜で築く
苦労が描かれていたはずだが、このたびのドラマには
それが見られない。これはおそらく、一夜城伝説に
ついて不明点が多く、作り話とする説まであることを
考慮したものと思われる。例えば、去年の五月号の歴史
読本では、『絵本太閤記』なる江戸時代の読物(1797年
発行)の創作にすぎないとしている。
なお作り話といえば、秀吉が隠居している竹中半兵衛を
「三顧の礼」で口説き落としたことも、同じく『絵本
太閤記』による創作だそうであるが、このエピソードも
省略されるのであろうか。
ところで、今年の大河の時代考証はやはり小和田哲男
氏である。同氏はたしか、NHK教育テレビの「高校講座
日本史」のなかで「天下布武」の真意について
「公家でも寺家でもない、武家こそが天下を掌握する
のだ」という意味である(ということは、当時の社会情勢
としては、武家が天下を取ることは必ずしも歴史の必然
ではなかった)と解説していたかと思われるが、
このたびのドラマの描き方では、ちょっと、こうした
真意が伝わりにくいかもしれない。その点、2011年の大河
「江〜姫たちの戦国〜」は、個人的にはツッコミどころ
満載の内容だったと今でも思っているが、この「天下
布武」の意味に関しては、小和田氏の説を正確に
伝えていたかと記憶している。そういえば、むかし
地元・川越の博物館の歴史講座を受講して知りえた
ことだが、たしかこの小和田氏は元々駿河の今川氏が
専門だったかと思われる。今川義元の周囲には
あまりにもスターが多すぎたが、かなりマイナーな
女性や架空の人物までが大河の主人公になれることも
ある。小和田氏が御存命のうちに今川義元が主人公に
選ばれる日も来るであろうか――。
なお、肝心の「天下布武」の真意については、
Yahoo!知恵袋を読んだ限り、小和田氏が説明するもの
以外にも様々な解釈が存在するようだ:
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1025615500
←ランキングにも参加しています
父・職隆の隠居と官兵衛の祝言であった。
時代は、信長が足利義昭を奉じて上洛した時点で1568年。
官兵衛23歳、光姫16歳、信長35歳、秀吉32歳である。
未来の官兵衛は44歳で隠居するのであるが、このたび
隠居した父・職隆の年齢もほぼ同じだったようだ。
いずれの隠居の真相もよく分からないが、『黒田家譜』は
官兵衛の隠居の背景について、天下人となった秀吉や
その家臣が官兵衛の才智を警戒するようになったためで
あるとしている(去年の五月号の歴史読本による)。
ゆえにこのたびのドラマは、小寺政職と黒田職隆の人間
関係を、晩年の秀吉と官兵衛になぞらえるようにして
描いた、と解釈すべきかもしれない。
ちなみに、ウィキペディアの黒田職隆と小寺政職の項に
よれば、のちに小寺政職が落ちのびると、職隆は小寺
政職の子を密かに引き取って養育し、そうして育った
小寺氏職は黒田家に仕えるようになったという。
この先、ドラマがどんなふうに描いていくか分から
ないが、このたび政職があやしていた赤ん坊は
あるいは後の小寺氏職だったりするのかもしれない。
それにしても、ドラマの職隆はあれだけ小寺政職に
忠義を尽くしてきたにもかかわらず、忠義を疑われて
隠居せざるをえなくなったのである。悔しいとか、
悲しいとか、なにかそういう割り切れない思いを
視聴者に見せたってよさそうなものだと私は思うし、
もっと言えば、見せた方がドラマ的には面白くなる
ような気がしている。万事ソツなく世の中を渡った
黒田家らしいと言えばそうなのであるが、少なくとも
私にとって、万事ソツがないというのは(それはとても
素晴らしいことだが)あんまり魅力的なものではない。
そういう黒田家のドラマだからこそ、割り切れない
思いもかかえて生きていく「あわれ」が見たいと感じる。
一方、信長はこのたび美濃の斎藤氏を滅ぼして上洛し、
着々と天下に近づいていた。その前に、ドラマでは
墨俣城に滞在する秀吉の姿が見えたが、この城は
秀吉が一夜にして築いたことで知られている。
1996年の大河ドラマ「秀吉」にはこの城を一夜で築く
苦労が描かれていたはずだが、このたびのドラマには
それが見られない。これはおそらく、一夜城伝説に
ついて不明点が多く、作り話とする説まであることを
考慮したものと思われる。例えば、去年の五月号の歴史
読本では、『絵本太閤記』なる江戸時代の読物(1797年
発行)の創作にすぎないとしている。
なお作り話といえば、秀吉が隠居している竹中半兵衛を
「三顧の礼」で口説き落としたことも、同じく『絵本
太閤記』による創作だそうであるが、このエピソードも
省略されるのであろうか。
ところで、今年の大河の時代考証はやはり小和田哲男
氏である。同氏はたしか、NHK教育テレビの「高校講座
日本史」のなかで「天下布武」の真意について
「公家でも寺家でもない、武家こそが天下を掌握する
のだ」という意味である(ということは、当時の社会情勢
としては、武家が天下を取ることは必ずしも歴史の必然
ではなかった)と解説していたかと思われるが、
このたびのドラマの描き方では、ちょっと、こうした
真意が伝わりにくいかもしれない。その点、2011年の大河
「江〜姫たちの戦国〜」は、個人的にはツッコミどころ
満載の内容だったと今でも思っているが、この「天下
布武」の意味に関しては、小和田氏の説を正確に
伝えていたかと記憶している。そういえば、むかし
地元・川越の博物館の歴史講座を受講して知りえた
ことだが、たしかこの小和田氏は元々駿河の今川氏が
専門だったかと思われる。今川義元の周囲には
あまりにもスターが多すぎたが、かなりマイナーな
女性や架空の人物までが大河の主人公になれることも
ある。小和田氏が御存命のうちに今川義元が主人公に
選ばれる日も来るであろうか――。
なお、肝心の「天下布武」の真意については、
Yahoo!知恵袋を読んだ限り、小和田氏が説明するもの
以外にも様々な解釈が存在するようだ:
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1025615500
←ランキングにも参加しています