だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

恐れについて

2007-03-23 02:13:15 | Weblog

「対症療法ばかりが中心だった日本の西洋医学が、予防医学の大切さを啓蒙し始めているが、実は何も変化していないと思う。何故ならば、予防という概念の根底にあるのが、病気と死への『恐れ』に他ならず、既に病気に負けているからだ。恐れから立ち上がったモノやシステムは、どんなに良く見えても新たな恐れを生んでいく。そしてその新たな恐れを問題視して解決に躍起になり、新たな解決方法を見つけては、それを創造と人々は呼ぶが、はたして本当にそうだろうか?今世界は、医療のみならずあらゆる分野でこの恐れと問題解決の罠にはまっており、そのせいで全てが複雑化し、行き詰まっているように見える。/医療の分野でいうならば、病気や死に対する恐れのせいで、健康と病気、生と死という二極性の檻に閉じこめられている人間の魂をいかに解放するかという事こそが、真の創造なのだとあえて言いたい。」(伊東充孝氏(ホールサム ウィズ クリニック院長)、「Eco-Branch通信」第23号、2007年)

 アル・ゴア氏の『不都合な真実』がブレイク中である。私はこの手のものが苦手だ。これでもか、と恐怖心をあおるやり方についてである。おそらくこの映画を見たり本を読んだ人の中には希望よりも絶望を抱く人がいるだろう。そうなれば、この「真実」に対しては、いかんともしがたい「現実」としてむしろ必死で目をつぶらざるをえない。ある人は、世界中の人々が今すぐ行動を起こさなければならない、と前のめりな感情を抱くかもしれない。ではどうすればよいのか。『不都合な真実』の教えるところは、「次に買うときには、もっと燃費のよい自動車を買おう」というものである。このギャップに戸惑うだろう。

 私もこの映画を多くの人に見てもらいたい。ただし、これがアメリカ大統領選挙の年にアメリカ国民に向かって発せられた政治的な演説だと、理解しながら見てほしい。なぜ温暖化によって北極圏の氷の季節が短くなって陸上交通に支障があることが語られて、海上交通に有利になっていることが語られないのか。なぜグリーンランドの氷床がすべて解けてフロリダ半島の先端が水没するのは、数千年先の話だということが書かれていないのか。なぜ温暖化しなくても発生する巨大ハリケーンの被害を受けて、水死した市民の写真を載せる必要があるのか。科学的な解説ではなく、政治的な演説だから、と私は思う。政治的なものは政治的なものとして受け取りたい。その上で私は共和党より民主党の方に親近感を抱く。

 地球温暖化問題は最近になって認識された「新たな恐れ」である。恐れをあおっておいて「車に乗るのはやめて歩こう」ではなく、「新しい技術によって実現した燃費のよい車に乗ろう」というのは、「問題解決の罠」ではないのか。
 そうではなく、自然から切り離された暮らし、大量資源採取・大量生産・大量消費・大量廃棄社会、お金がすべての世の中、人々が分断される社会、にいやおうなく組み込まれて、行き場を見失っている私たちの魂を解放し、再生することが目的であり目標なのではないか。そのための技術開発であり、社会制度の変革であり、人々の意識改革なのではなかろうか。

 アメリカのプロテスタントの一派であるアーミッシュの人々が現代のアメリカにおいても自動車に乗らず馬車に乗っているのは、環境問題を鑑みたせいではない。自動車に乗る暮らしが人々の関心をコミュニティから遠ざけ、ひいては人々を分断することを知っているからである。
 今すぐ私たちが車に乗らなくてもよい暮らしができるとは思わない。でもそちらの方角に向けて一歩を踏み出すにはどうしたらよいのか、と考えたい。その方角がどちらなのか、かいもく見当がつかないかもしれない。でも、いじけた私たちの魂を解き放つ方向だと思えば、きっと心と身体が反応するだろう。例えば、日本ではじまってるコミュニティバスやボランティアタクシーの取り組みの中には、地域の人々の心を結びつける役割を果たし始めたものがある。そういう方角を見つけることが「真の創造」であり、絶望ではなく希望を抱くことができるやり方なのだと思う。
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