福島県田村市は福島第一原発から30km圏のすぐ外側にありながら、幸いに放射線量の少ない「クールスポット」である。そこにある蓮笑庵(れんしょうあん)を訪問した。ここはちいさな山のふもとに画家の渡辺俊明氏の自宅、アトリエ、ゲストハウスが配された静かな山里である。俊明氏は正統的な美術教育を受けたわけでなく、伝統にとらわれない奔放な画風で知られる。仏教やキリスト教に題材をとった絵画や版画も多い。俊明氏が亡くなられてからは、奥様の仁子さんがここを守っておられる。俊明氏の絵にたびたび登場する、目尻の下がったにこやかな女性は、仁子さんだとすぐわかる。
仁子さんは、娘さんたちとともに、福島でずっと生きていくことを決意し、この蓮笑庵を、人々が新しい暮らしのあり方、人生のあり方を学び見出す場にしたいと、「愛・ふくしまひかり塾」を立ち上げられた。ここをどういう学びの場にするか、私たちはおしゃべりしながら、あれこれ話し合った。とても楽しい時間だった。
俊明氏は野の花をこよなく愛したという。そして、蓮や百合の花の絵を描いている時には、仁子さんがアトリエを覗くと、花と俊明氏とが強く結ばれているような感じがあり、近寄りがたかったという。嫉妬の気持ちすら覚えたという。「花にはかなわないわね」と仁子さんは笑う。
俊明氏は旅先から子どもたちにあてた絵手紙に、「詩人になりなさい」とたびたび書き送っていたという。これは文字で表現される詩を書く人になりなさいという意味ではなく、自然を愛する詩人の心をもちなさい、ということだったという。
蓮笑庵の山里は本当にきれいに管理されている。近所のおばあさんに草刈りを頼んだところ、手鎌でていねいに草を刈ってくれて、そういうときには、花が咲いているタンポポを残してきれいに草刈りをやってくれる。そういう時、俊明氏はおばあさんに「あなたは詩人だねぇ」と言って感心をし、お礼もいったのだという。
仁子さんは近くに農地を借りてみんなで農作をやることを計画している。自然エネルギーにも取り組みたいという。もちろん美術、音楽などさまざまなアートにあふれる場にもしたい。子どもたち、若いお母さんたち、障がいをもった者も、年寄りも、いっしょに生きていける場にしたい。夢はどんどん広がっていく。
おしゃべりをしながら、私たちは、そのようなさまざまなプログラムを支えるひとつの理念、目標を思いついた。「何をやっても詩人になる」。タネをまいても、草刈りをしても、機械を作っても、何をやっても、詩人になれる。単に野菜をつくることが目的ではない。太陽光で発電するのが目的ではない。それを通して詩人になるのが、目的である。
人々が、何をやっても、それを通して詩人の心を育むことができるならば、このつらく苦しい福島の現実の中でも、希望を見出して生きていくことができるようになるだろう。福島だけでなく、世界全体が美しくなっていくだろう。そのささやかな第一歩が、ひかり塾からはじまろうとしている。私もその塾生のひとりとして、詩人に近づけるよう、学んでいきたい。
「詩人の魂」…ジョン・レノンのジャケットタイトルを思い出しました。
苦しい中にいても、美しいものを見いだしていこうとする精神、その働きかけを忘れないようにしたいです。
阿吽。
然り。
ストンと腑におちた。
「何をやっても詩人になる」
いつになく、小生も同じようなことをよく感じている気がする。
ただし言葉そのものは、「何をやっても詩人になる」とは異なり、小生の場合、「どうであれ魂がある」とよく遣う。
似ていると思った。
ピュアな子どもの前では、保育者の経験年数より、「どうであれ魂がある」かどうかだなぁと思う。
春の里山を共に歩いては、花や、草や、虫の知識を問うより、「どうであれ魂がある」かどうか、センス・オブ・ワンダーだなぁと思う。
去年の2学期の保育反省会では、洋物言葉(男言葉?)はやめて、冗談じゃなくて、「五七五七七」で保育を振り返ろうと提案した。
結果は、稚拙さをものともせずに、個々の想いの授受が瞬時に成就され合い、「どうであれ魂がある」ものとなった。
普段の言葉を積み重ねる反省の弁は、届かないし、残らないことが多いのに、いまだに幾つもの句が脳裏に焼きついている。
「言葉(ことば)」は、即ち「言霊(ことだま)」。
本来、「どうであれ魂がある」ものであったはずだと思う。
3.11以降を過ごしてきて、最近はそのような
「何をやっても詩人になる」、「どうであれ魂がある」人たちをたくさん知り、また出合った。
ただその反面、「何をやっても詩人になれない」、「どうであれ魂がない」人たちをたくさん知ってしまったということも否定できない。だから、そういう人たちにこそ「詩」と「魂」を送りたいと、ほんとに、そう思う。