前にトロンボーンの個人レッスンを受けていた時のこと。最初のレッスンでの最初のアドバイスは、姿勢だった。立ったときにおしりをアップする姿勢。これだけで音が全然違った。おしりがおちて腰が前に出ている姿勢では、音はこもったような音色になり、なにより息苦しい。姿勢を正すと、息がすっと入り、よく響く音色となる。
D.ヴァイニング『トロンボーン奏者ならだれでも知っておきたいからだのこと』(春秋社,2012年)を読んで、さらに姿勢の大切さを理解した。これはアレクサンダー・テクニークをベースに、それを楽器奏者のためのレッスンとしてアレンジしたもので、最初の部分は、いかに立つか、というレッスンである。人間は重力に逆らって二本足で立つことを覚えた動物である。重力の中で無理なく立つには体の体重のバランスをとることが大切だ。前のめりになると、どこかで倒れる。うしろにそってもどこかで倒れる。その中間に、バランスがとれるポイントがあるはずだ。
腰、肩、首の3点でバランスをとる。それぞれの関節をゆらゆら動かして、しだいにその振幅を小さくして振動の中心で止まる。そこがバランスがとれている状態である。腰のバランス位置をそのようにして探すと、まさにおしりをアップした姿勢となる。首の上に重たい頭が載っている。首を前後にゆらゆらしながら振動の中心で止めると少し上向きかげんな場所でとまる。胸が適度にはられて、呼吸を意識すると、息がすっと深く入ってくる。たしかに各所にバランスがとれていて力を入れなくても楽に立っていられる。『だれでも知っておきたい・・』はこの状態に楽器を持ってくるのことの大切さを説いている。
その理由は、楽器を演奏するということは、さまざまな筋肉や関節を音楽の表現にあわせて自在にスムーズに、さらにスピーディに動かさなくてはいけない。そのために、関節位置はもっとも柔軟に動くような位置を保つ必要がある。それがこの立ち方なのである。さらに、できるだけ自然な呼吸の中で音楽表現ができるように、楽に深くスピーディな腹式呼吸ができるために必要な立ち方である。
先日、整体師の高野智聖氏の整体講座を受けた。高野氏は野口整体を学びそれにさらに独自の知見を取り入れて整体をやられている。高野氏はまず立つ姿勢の話をされた。自分の両手で自分のおしりをきゅっと持ち上げる。それはまさに上に述べたバランスがとれた姿勢と同じものであった。
彼によれば、よつんばいで動いていた動物が二足歩行をすることによって手に入れてものは、まず手の親指が内側に動くようになり道具を作ることができるようになったこと。さらにそれによって文化を獲得したこと。そして3番目に、「天と地につながる姿勢」を手に入れたということ。
ヒップアップの姿勢によって、宇宙のエネルギーが自分の体を通り抜けるようになる。自分の力だけではできないことができるようになる。
考えてみれば、音楽というのもの宇宙的なものである。頭で表現を考えている間は、音楽的な演奏はできない。無意識のうちに体が動くようになってはじめてまともな演奏になる。それは、音楽の流れが心と体を同時に動かしていくような感じである。別の表現をするならば、宇宙のエネルギーが自分の体を通り抜ける時の表現といえるだろう。演奏する時に立つ姿勢が大切なのは、関節や筋肉の動きがスムーズにできるようにという物理的な理由だけではなく、自分の存在が天と地につながることによって、作為的でなく、自然(ジネン)に音楽表現ができるようになるという理由なのではないだろうか。
ということは、これは音楽だけにとどまらないのではないだろうか。人間のあらゆる行為は、天と地につながることによって首尾良く、自然にすすんでゆける。そのために必要なのは、まずはきちんと立つこと。これは今この瞬間からできる、よりよい未来への取り組み方である。
昨日の参議院選挙の結果は、この国で将来世代のことを考えて未来をよりよくしていこうとする人たちは、ごく少数であることが再び明らかになった。選挙結果にかかわらず、私たちのやるべきことは何も変わらない。きちんと立つことからはじめたい。
いつも興味深い記事をシェアいただきありがとうございます。
「人間のあらゆる行為は、天と地につながることによって首尾良く、自然にすすんでゆける。そのために必要なのは、まずはきちんと立つこと。これは今この瞬間からできる、よりよい未来への取り組み方である」
まさにその通りであると私も感じました。
もし小学校・中学校の義務教育学ぶことで最も大切な部分・基本にこの「立つ姿勢」を導入したらそれだけで日本の未来は大きく変わるかもしてません。
寄りかかることなく「立つ」ことはすなわち個人の自立においてもっとも大切な部分であり、本来自然に出来るはずの動作が出来なくなっているこの世の中において意識して真剣に取り組むべきことであると思います。
気づきと学びをありがとうございました。