「他の観光地のようにむやみに木を伐りたおして道をひろげて、というのではなく、藪かげのしめった道はそのままにして、その中に家をたてる。それもまた面白いことではないか。そういうことを愛する人も世の中には少なくないであろう。人はいまあわただしい世界からのがれて、時に静かないこいを求めている。つばきの垣で小さく区切られた畑は、そのまま一つの屋敷にもなる。そしてそういう家が、いま少しずつ建ちはじめている。
島の人たちはそれによって経済的な利益をいきなりあげようというのではない。そのようにしてやって来た人たちと、時に人生の問題を、時に島の将来を、時に文化を語り合いたいと願っている。
静かに島にかくれたいような人は何かを持っている。島の人たちのほしいものはその何かである。利益のためにのみ動き、貧しい故にと称して島を去る。それがその人にとってほんとのしあわせになることかどうか。そういうことを考える機会は今の世の中にほとんどなくなっている。しかしもっと深いところで人生を考えて見たいと思っている人は多い。その話し相手を都会へまでいってさがすのではなく、島のすぐれた風物、島の先祖たちがのこしてくれた文化遺産を利用してそういう人たちを迎え入れることはできないものかどうか。」宮本常一「伊豆大島」『あるくみるきく』14号1967年(田村善次郎、宮本千晴監修『宮本常一とあるいた昭和の日本11関東甲信越①』農文協2010年より)
まさに今、私たちは同じことを考えている。日本が高度経済成長に沸いていた今から40年も前、すでに宮本常一が答えを出していた。そのことを知ってあらためて感銘を受けた次第である。
『あるくみるきく』は宮本が主宰していた近畿日本ツーリスト・日本観光文化研究所に集った宮本の「弟子」たちが各地を訪問してはその見聞録をつづった月刊誌で、今でいうところのフリーペーパーであった。近畿日本ツーリストがスポンサーとなり、各地の営業所などにおいて、営業用資料として活用されたとのことで、市販されることのなかった「まぼろし」の雑誌である。それを今回、農文協が地域別に編集しなおして全25巻で刊行される予定である。
当時は高度経済成長の絶好調の時代。今の中国沿岸部のような熱気がうずまく社会情勢の中で、旅行というものが庶民にも手の届く娯楽となってきた。その時勢の中で、日本のいなかの美しい風景や篤い人情を紹介している旅行記は、今読んでも心をうつものがある。
ただ、やはり宮本常一の書いたものが秀逸である。お弟子さんたちの文章もすばらしいのであるが、それはやはり一人の旅行者の感じ体験したものである。宮本には、それ以上に地域の支援者としての視線が色濃くある。厳しい暮らしを引き継いで長い歴史をきずいてきた地域の人々に対する畏敬の念、その暮らしが大きく変化するのに立ち会っているという粛然とした思い、そして将来の展望を求めて思案する人々によりそい、はげます気持ち。21世紀に生きる私たちもそうありたいものである。
ささやかながらわが意を得るような気持ちになったのは、私たちが月に一度やっている「足助千年ゼミ」は、けっしてねらってそうなったわけではないものの、結果として、いなかの「すぐれた風物、先祖たちがのこしてくれた文化遺産」のもとで「もっと深いところで人生を考えて見る」場となっていることである。
ここには地元の人たちとともに、いなかに移住した「静かにいなかにかくれたいような」「何かをもっている」人たちが集まってくる。また、そういう暮らしに漠然と興味を抱いている都会のワカモノたちが集まってくる。そのようなワカモノたちが自然なカタチで、いなかに移住することができるようになれば、宮本常一の思いが、半世紀をへて実現するということになるだろう。そのために力を尽したいと思う。
島の人たちはそれによって経済的な利益をいきなりあげようというのではない。そのようにしてやって来た人たちと、時に人生の問題を、時に島の将来を、時に文化を語り合いたいと願っている。
静かに島にかくれたいような人は何かを持っている。島の人たちのほしいものはその何かである。利益のためにのみ動き、貧しい故にと称して島を去る。それがその人にとってほんとのしあわせになることかどうか。そういうことを考える機会は今の世の中にほとんどなくなっている。しかしもっと深いところで人生を考えて見たいと思っている人は多い。その話し相手を都会へまでいってさがすのではなく、島のすぐれた風物、島の先祖たちがのこしてくれた文化遺産を利用してそういう人たちを迎え入れることはできないものかどうか。」宮本常一「伊豆大島」『あるくみるきく』14号1967年(田村善次郎、宮本千晴監修『宮本常一とあるいた昭和の日本11関東甲信越①』農文協2010年より)
まさに今、私たちは同じことを考えている。日本が高度経済成長に沸いていた今から40年も前、すでに宮本常一が答えを出していた。そのことを知ってあらためて感銘を受けた次第である。
『あるくみるきく』は宮本が主宰していた近畿日本ツーリスト・日本観光文化研究所に集った宮本の「弟子」たちが各地を訪問してはその見聞録をつづった月刊誌で、今でいうところのフリーペーパーであった。近畿日本ツーリストがスポンサーとなり、各地の営業所などにおいて、営業用資料として活用されたとのことで、市販されることのなかった「まぼろし」の雑誌である。それを今回、農文協が地域別に編集しなおして全25巻で刊行される予定である。
当時は高度経済成長の絶好調の時代。今の中国沿岸部のような熱気がうずまく社会情勢の中で、旅行というものが庶民にも手の届く娯楽となってきた。その時勢の中で、日本のいなかの美しい風景や篤い人情を紹介している旅行記は、今読んでも心をうつものがある。
ただ、やはり宮本常一の書いたものが秀逸である。お弟子さんたちの文章もすばらしいのであるが、それはやはり一人の旅行者の感じ体験したものである。宮本には、それ以上に地域の支援者としての視線が色濃くある。厳しい暮らしを引き継いで長い歴史をきずいてきた地域の人々に対する畏敬の念、その暮らしが大きく変化するのに立ち会っているという粛然とした思い、そして将来の展望を求めて思案する人々によりそい、はげます気持ち。21世紀に生きる私たちもそうありたいものである。
ささやかながらわが意を得るような気持ちになったのは、私たちが月に一度やっている「足助千年ゼミ」は、けっしてねらってそうなったわけではないものの、結果として、いなかの「すぐれた風物、先祖たちがのこしてくれた文化遺産」のもとで「もっと深いところで人生を考えて見る」場となっていることである。
ここには地元の人たちとともに、いなかに移住した「静かにいなかにかくれたいような」「何かをもっている」人たちが集まってくる。また、そういう暮らしに漠然と興味を抱いている都会のワカモノたちが集まってくる。そのようなワカモノたちが自然なカタチで、いなかに移住することができるようになれば、宮本常一の思いが、半世紀をへて実現するということになるだろう。そのために力を尽したいと思う。
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