だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

新年のごあいさつ

2015-02-08 17:42:14 | Weblog

 もう2月にもなって新年のごあいさつでもありませんが、毎年区切りの記事なので遅ればせながらごあいさつさせていただきます。今年も黙々と精進していきたいと思いますので、よろしくおつきあいください。

 昨年は、千年持続学校・住まいづくり講座としてみんなで作ってきたおうちが完成したことが、私の中での最大のできごとでした。多くの仲間の汗と涙と愛の結晶です。「宇宙(そら)の家」と命名されたおうちに、さっそくSさん一家が入居して新しい暮らしをはじめられました。私としてはオフグリッド・ソーラーをはじめとする設備がちゃんと機能して、自然エネルギー100%の暮らしが楽しく続けられるようサポートすることが役目です。それと同時に、この3年間のプロジェクトを振り返り、そこで得た学びをほりおこし、発信することも私の役回りだと思っています。

 一方、年明けは衝撃的なニュースからはじまりました。名古屋大学の学生が殺人事件をおこして逮捕されたという事件です。同じ大学の教員として私は相当動揺しました。多くの学生、教員がそうだと思います。これは心を病んだ若者が個人的におこした事件であり、名古屋大学とは本質的には関係ない、と考えることもできるでしょう。でも私にはそうは思えないところがあるのです。名古屋大学に限らないでしょうが、大学内では学生も教職員も心を病んでいる人がかなりいます。ハラスメントのような事件がたくさん発生しています。大学という場が、心を癒すのではなく、心の闇を増幅するような場となっていることを感じます。それらのたくさんの小さな心の闇を富士山のすそのとし、その頂点でこの異常な事件が発生したというふうに思えてならないのです。

 一方、千年持続学校は、心が癒される場でした。そこではやりたいことをやりたいようにやればよいのです。作業日に来ても来なくてもよい。来て寝てるだけでもよい。でも参加者は、力をあわせて作業をしたいという気持ちが強く、時にはもくもくと、時には冗談を言い合いながら作業をすすめる時間はとても充実したものでした。慣れてくると、誰かが何か作業をしていて手助けが必要なことが出てくると、言葉を交わさなくてもそのことがわかるようになり、自然と手が出るようになります。作業の指示はその一日の目標などのおおざっぱなことしかありません。基本的には自分で仕事をみつけて作業をしていきます。この気持ちよさは格別です。

 ただ、そんな調子ですから、はじめは1年くらいで完成するかと思いきや、工期は延長につぐ延長で、最終的には3年の歳月がかかりました。でもできてみれば、お金を出しても実現できないようなクオリティの高いおうちができました。

 プロジェクトの運営についても、作業のようすから学んで、私は途中から「自然(じねん)のマネージメント」を心がけるようにしました。つまり、誰も上から指示をしない、ということです。必要なことは、気がついた人が声をあげて、そしてその人がリーダーシップをとってやっていく。困ったことがでてきたら、みんなでひたすら話し合って解決策を見つける。上にたつものはリスクをとる責任だけはきちんともつ。何度か私自身が苦しくなり、プロジェクトが頓挫しそうなことがありましたが、そのたびにみんなでよくよく話し合うことで乗り越えてこられたと思います。

 大学と千年持続学校と組織のあり方として何が本質的にちがうのでしょうか。もちろん目的も規模もまったく違うもので比較のしようがないのですが、あえて比較してみたときに、やはり気がつくのは、「弱さの情報公開」ができるかどうか、ではないでしょうか。べてるの家の物語として有名になった「弱さの情報公開」ですが、やはりとても大切なことだと思います。

 大学では、すぐれた研究、すぐれた成果、すぐれた学生が評価され、求められます。それは当たり前のことなのですが、その磁場の中で、自分はすぐれた教員であり学生であることを、自ら過剰に求めてしまいます。人には弱みを見せられないわけです。ところが、上には上がいます。教員からみれば十分すぐれた学生である本人が、「自分はだめだ」と思っていることがよくあります。教員は「もっと上をめざさなくては」という思いに自分自身がついていけなくて、暗い顔をしている人が多くいます。

 千年持続学校では、大工仕事が上手にできるようになると、みんなから賞賛され、感心されますが、全員がそうならなくてはいけないとは全員が思っていません。早々に落ちこぼれても(私のように)、人手がかかる作業ではちゃんとできることがあります。またそれぞれに得意技を発揮すればよく、多様な場面が用意されています。ごはんをつくる、子どもと遊ぶ、焚き火をおこす、小言を言う、ただニコニコしてみんなの作業の様子を見ている(これは私)などなど。

 そして、材木をノミできざむ作業をしながらおしゃべりしていると、自然に身の上話のようなことになっていきます。傷つき、迷い、途方にくれていることが、おもしろおかしく話されます。「弱さの情報公開」です。そこには、不思議なことなのですが、お互いの「弱み」を共有するからこそ、お互いに尊敬の念がうまれるという逆説があります。結果としてチームワークがよくなり、仕事が進み、クオリティが高くなります。それで時間はかかりましたが、立派な成果をあげることができたわけです。

 今年の私の挑戦は、大学という「砂漠」の中に心を癒すオアシスのような場所をつくることができるかどうかです。昨年設立された臨床環境学コンサルティングファームの部門長として、大学の中に「自然のマネージメント」を導入するという、かなり無謀な試みをやってみたいと思っています。さてどうなることか、楽しみですね。

 

 

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2 コメント

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その通りだとおもいました (Komamor5)
2015-02-12 00:59:42
久しぶりにありがたい記事を読んでコメントさせてもらいます。今の日本では「出来ることが当たり前」で「出来ないことはちょっとおかしい」というのが常識になってしまっていますが、実は現代人はほとんどが失敗作ばかりです。だから先生のような考え方でいかなくては 上手くことが運びません。ダメだから頑張って、寂しいから人を必要とするんですよね。大学だけでなくあらゆる団体でこのような考え方、感じ方が必要だと思います。
千年持続学校に参加して (バッシー)
2015-02-21 08:04:09
高野校長の評価と同じです。気持ち良さと楽しく価値ある組織・チームの活動でした。新しい組織のサンプルとして千年持続学校はとて良い体験でした。他ではちょっと経験できないものでした。
この体験を生かして今度移住する地域社会で少しでも近づjけられないか努力してみたいと考えっています。本当に価値ある自由闊達な学校でした参加できたことに感謝します。

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