前夜祭 7月24日(土) 八戸グランドホテル
試合 7月25日(日) ひばりの公園球場(五戸町)
天候 炎天 気温 33度
~優勝杯の八甲田越えは?~
弘前市、八戸市、仙台市の三医師会が一同に会してリーグ戦を行うこの大会も今回で5回目となる。1,2回目は八戸が、3,4回目は仙台が優勝している。今年は八戸の主催である。
プロ野球のベテラン選手でも、シーズン初ヒットが出るまでは「もう永久に打てないのではないか」と不安になるという。昨年9勝1敗1分の好成績を残した仙台ドクタークラブも、今年はここまで2連敗1中止と未勝利である。この遠征で最低1勝を挙げないと、不安は底知れぬものとなる。
<前夜祭>
前夜祭は八戸グランドホテルで行われた。土井三乙八戸市医師会長の歓迎の挨拶があり、その中で千田仙台市医師会長への叙勲のお祝いの言葉を頂戴した。続くアトラクションでは、北国に春を呼ぶ民俗芸能「えんぶり」が披露された。そしてお待ちかねのスピーチ合戦である。弘前の鳴海康安は、新幹線の通る仙台と八戸の選手からは文化の香りが漂ってくる、と持ち上げたあと、仙台―八戸は新幹線で1時間20分、然るに弘前―八戸は(同県内にもかかわらず)2時間半かかったと嘆いて見せた。さらに最近の世相に血が逆流しすぎて逆流性食道炎になったと言って聴衆を抱腹絶倒させた。ケーシー高峰も顔色無しである。一方「弘前の太陽」前田慶子は肌も声も去年より艶が増した。ボディアクションもよりパワーアップしている。前広報担当の阿部精太郎は前田女史の妖気に当てられ、おかげで小生に原稿書きが回って来たのである。女史は7月28日から東京での国際女医会議に出かけ、弘前にトンボ帰りしてねぶたでハネる予定、という。女史の独演会の最後に、堀田康哉・前仙台市医師会長の急逝を悼み、全員で黙祷を捧げた。
<試合経過>
翌日午前9時半、室内にいても熱中症になるという記録的な猛暑の中、試合開始のサイレンが鳴った。
■第一試合
八戸は無論3年ぶりの優勝を狙っている。仮にそれがかなわぬなら、いまだ美酒の味を知らず、高齢化で存亡の危機にある弘前に優勝させたいとの下心を持っている。従って仙台戦に総力を傾注し、後の弘前戦は成り行きまかせ、という基本方針である。仙台は八戸の先発長谷川の立ち上がりをとらえた。初回に佐藤(韶)のタイムリーで2点、さらに2回、綿谷の3塁打で1点を取った。しかし立ち直った長谷川から追加点が奪えない。一方、八戸は安藤の剛球と鋭いカーブのコンビネーションに手も足も出なかったが、3回2死からヒットと四球の走者を置いて、3番長谷川が左中間に2塁打を放ち2点を奪った。しかしここで同点にできなかった八戸は急に気力が萎え、4,5回は安藤が1点差を守り逃げ切った。
■第2試合
仙台との激戦で疲弊した八戸は、初回弘前に早々と3点を献上した。これで試合は俄然面白くなった。序盤、弘前・63歳黄川、八戸・36歳佐々木の投げ合いは見ごたえがあったが、弘前の得点はこの3点で終わってしまった。「弘前に優勝させたい」下心はどこへやら、八戸は「ハンデはあげたし、あとは容赦せんけんね」と黄川を攻め、無慈悲に12点を奪った。この試合を観戦していた仙台には、「弘前、今年も組し易し」の油断が生まれ、のちに肝を冷やす遠因となった。
話は前後する。朝、なかなか起きてこない松井をナインが心配していると、ようやく現れた松井の息はウォッカ臭かった。足取りもよろよろしている。前夜、八戸・弘前連合軍にビール、焼酎、ウォッカを4次会までかけてたっぷり盛られたという。闘いは水面下で前日から始まっていたのである。午前中は使い物にならぬと見た監督佐藤(徳)は、前夜祭を欠場した安藤を第1試合の先発に指名した。采配の妙である。
仙台ナインは第2試合をネット裏の日陰で観戦していたが、松井だけは炎天のスタンドに一人ぽつんと座っていた。あとで調査したところでは、真近で弘前の打者の癖を研究していたという。酒臭いと言われるのでナインから離れていたわけでも、JRの行く末を模索していたわけでもなかったのである。投手はなんと孤独なポジションであろうか。スコアラー菊地哲丸は、「今日の松井のムービング・スローボールはいつもと違う。(千鳥足のように)左右に揺れて落ちる。」とスコアブックに書き込んでいた。ドリンキング・ウォッカ・ボールと名づけてはどうだろう。
第2試合終了時点で仙台1勝(得失点差+1)、八戸1勝1敗(同+9)、弘前1敗(同-3)となった。第3試合で仙台が弘前に敗れることがあれば八戸に優勝が転がり込む。それどころか弘前が13点以上の差をつけて仙台を下せば弘前が優勝という状況でもある。
■第3試合
だから、というわけでもなかろうが、この試合、弘前は雪国のハンデを感じさせない闘いをした。予定通りと言っては語弊があるが、連投の黄川を攻めた仙台は3回の表を終わり5対1とリード。仙台の優勝は決したかと思われた。しかし今年の弘前は何かが違っていた。雪国に太陽あり、前田慶子はベンチの最前列中央に陣取り、ドスの効いた声で盛んに檄を飛ばす。昨日の艶のある美声ではない。弘前の打者は、あたかも前田が憑依したかのごとくパワーアップして松井に襲い掛かる。3回裏に1点、さらに4回裏には森岡の3塁打で2点を返し、ついに5対4となった。慌てた仙台は急遽安藤を再登板させたが、捕手相川のパスボールで森岡まで生還しついに5対5となった。相川は熱中症でボールが見えなくなったと言ったが、前田の妖気に当たったと考えた方が自然である。ここで監督佐藤(徳)は引き分けを覚悟し、選手の年齢計算を始めた。規定では、「同点終了の場合は最終イニングの守備に着いた9名の選手の年齢の総和の多い方を勝ちとする」とある。引き分けを想定し、年齢の切り札、伊藤(幸)をベンチに残しておいたのは采配の妙である。しかし最終回、年齢勝ちを潔しとしない仙台は、余力を振り絞り4安打を集中し3点をもぎ取った。その裏安藤は1安打を許したものの後続を押さえ、ここにようやく仙台の3連覇が達成されたのである。仙台にとっては2試合とも胃の痛くなる試合であった。
表彰式で前田慶子から驚くべき事実が暴露された。第3試合の直前、あろうことか浅沼(達)が前田に「(結果はわかっているから、仙台の)不戦勝にしませんか?」と持ちかけたという。弘前ナインの体調を慮った提案ではあったが、口は災いの元、これが津軽のじょっぱり魂に火を着け、仙台苦戦の原因になったのであった。最優秀選手には2勝を挙げた安藤、また優秀選手には7打数5安打の綿谷,4打点の佐藤(韶)が選出された。綿谷は昨年通算14打数で僅か1安打であった。突如打撃に開眼したのか、今日の2試合で5年分を打ってしまったのか判断に苦しむところである。弘前は野球では2敗したが、前夜祭と表彰式では前田、鳴海、両顧問の舌好調の活躍で2連勝し、2勝2敗の5割(?)に戻した。来年当番の弘前は、手回し良くすでに五所川原のドーム球場を確保してあるという。弘前は恐らくこの球場を丹念に下見し、ホームの有利さを最大限利用する腹であろう。
「前田慶子の目の黒いうちに優勝杯の八甲田越えを」・・・雪国の5年来の悲願が仙台ナインの心を激しく揺さぶる。しかし勝負はまた別なのである。
「弘前の太陽」のおかげで今年も素晴らしいお天気にめぐまれました。(でも神通力アップのせいか、ちょっと暑すぎました。) 大会を準備して下さった八戸市医師会の先生方と、3市医師会事務局の皆様のご尽力に心より御礼を申し上げます。
追記:「ドクタークラブ便り」は試合から2ヶ月遅れで掲載されますが、下記ホームページには1週間以内に原稿が載せてあります。 あやし小児科医院HP http://www.myclinic.ne.jp/ayashipc/
(文責 宮地辰雄)
試合 7月25日(日) ひばりの公園球場(五戸町)
天候 炎天 気温 33度
~優勝杯の八甲田越えは?~
弘前市、八戸市、仙台市の三医師会が一同に会してリーグ戦を行うこの大会も今回で5回目となる。1,2回目は八戸が、3,4回目は仙台が優勝している。今年は八戸の主催である。
プロ野球のベテラン選手でも、シーズン初ヒットが出るまでは「もう永久に打てないのではないか」と不安になるという。昨年9勝1敗1分の好成績を残した仙台ドクタークラブも、今年はここまで2連敗1中止と未勝利である。この遠征で最低1勝を挙げないと、不安は底知れぬものとなる。
<前夜祭>
前夜祭は八戸グランドホテルで行われた。土井三乙八戸市医師会長の歓迎の挨拶があり、その中で千田仙台市医師会長への叙勲のお祝いの言葉を頂戴した。続くアトラクションでは、北国に春を呼ぶ民俗芸能「えんぶり」が披露された。そしてお待ちかねのスピーチ合戦である。弘前の鳴海康安は、新幹線の通る仙台と八戸の選手からは文化の香りが漂ってくる、と持ち上げたあと、仙台―八戸は新幹線で1時間20分、然るに弘前―八戸は(同県内にもかかわらず)2時間半かかったと嘆いて見せた。さらに最近の世相に血が逆流しすぎて逆流性食道炎になったと言って聴衆を抱腹絶倒させた。ケーシー高峰も顔色無しである。一方「弘前の太陽」前田慶子は肌も声も去年より艶が増した。ボディアクションもよりパワーアップしている。前広報担当の阿部精太郎は前田女史の妖気に当てられ、おかげで小生に原稿書きが回って来たのである。女史は7月28日から東京での国際女医会議に出かけ、弘前にトンボ帰りしてねぶたでハネる予定、という。女史の独演会の最後に、堀田康哉・前仙台市医師会長の急逝を悼み、全員で黙祷を捧げた。
<試合経過>
翌日午前9時半、室内にいても熱中症になるという記録的な猛暑の中、試合開始のサイレンが鳴った。
■第一試合
八戸は無論3年ぶりの優勝を狙っている。仮にそれがかなわぬなら、いまだ美酒の味を知らず、高齢化で存亡の危機にある弘前に優勝させたいとの下心を持っている。従って仙台戦に総力を傾注し、後の弘前戦は成り行きまかせ、という基本方針である。仙台は八戸の先発長谷川の立ち上がりをとらえた。初回に佐藤(韶)のタイムリーで2点、さらに2回、綿谷の3塁打で1点を取った。しかし立ち直った長谷川から追加点が奪えない。一方、八戸は安藤の剛球と鋭いカーブのコンビネーションに手も足も出なかったが、3回2死からヒットと四球の走者を置いて、3番長谷川が左中間に2塁打を放ち2点を奪った。しかしここで同点にできなかった八戸は急に気力が萎え、4,5回は安藤が1点差を守り逃げ切った。
■第2試合
仙台との激戦で疲弊した八戸は、初回弘前に早々と3点を献上した。これで試合は俄然面白くなった。序盤、弘前・63歳黄川、八戸・36歳佐々木の投げ合いは見ごたえがあったが、弘前の得点はこの3点で終わってしまった。「弘前に優勝させたい」下心はどこへやら、八戸は「ハンデはあげたし、あとは容赦せんけんね」と黄川を攻め、無慈悲に12点を奪った。この試合を観戦していた仙台には、「弘前、今年も組し易し」の油断が生まれ、のちに肝を冷やす遠因となった。
話は前後する。朝、なかなか起きてこない松井をナインが心配していると、ようやく現れた松井の息はウォッカ臭かった。足取りもよろよろしている。前夜、八戸・弘前連合軍にビール、焼酎、ウォッカを4次会までかけてたっぷり盛られたという。闘いは水面下で前日から始まっていたのである。午前中は使い物にならぬと見た監督佐藤(徳)は、前夜祭を欠場した安藤を第1試合の先発に指名した。采配の妙である。
仙台ナインは第2試合をネット裏の日陰で観戦していたが、松井だけは炎天のスタンドに一人ぽつんと座っていた。あとで調査したところでは、真近で弘前の打者の癖を研究していたという。酒臭いと言われるのでナインから離れていたわけでも、JRの行く末を模索していたわけでもなかったのである。投手はなんと孤独なポジションであろうか。スコアラー菊地哲丸は、「今日の松井のムービング・スローボールはいつもと違う。(千鳥足のように)左右に揺れて落ちる。」とスコアブックに書き込んでいた。ドリンキング・ウォッカ・ボールと名づけてはどうだろう。
第2試合終了時点で仙台1勝(得失点差+1)、八戸1勝1敗(同+9)、弘前1敗(同-3)となった。第3試合で仙台が弘前に敗れることがあれば八戸に優勝が転がり込む。それどころか弘前が13点以上の差をつけて仙台を下せば弘前が優勝という状況でもある。
■第3試合
だから、というわけでもなかろうが、この試合、弘前は雪国のハンデを感じさせない闘いをした。予定通りと言っては語弊があるが、連投の黄川を攻めた仙台は3回の表を終わり5対1とリード。仙台の優勝は決したかと思われた。しかし今年の弘前は何かが違っていた。雪国に太陽あり、前田慶子はベンチの最前列中央に陣取り、ドスの効いた声で盛んに檄を飛ばす。昨日の艶のある美声ではない。弘前の打者は、あたかも前田が憑依したかのごとくパワーアップして松井に襲い掛かる。3回裏に1点、さらに4回裏には森岡の3塁打で2点を返し、ついに5対4となった。慌てた仙台は急遽安藤を再登板させたが、捕手相川のパスボールで森岡まで生還しついに5対5となった。相川は熱中症でボールが見えなくなったと言ったが、前田の妖気に当たったと考えた方が自然である。ここで監督佐藤(徳)は引き分けを覚悟し、選手の年齢計算を始めた。規定では、「同点終了の場合は最終イニングの守備に着いた9名の選手の年齢の総和の多い方を勝ちとする」とある。引き分けを想定し、年齢の切り札、伊藤(幸)をベンチに残しておいたのは采配の妙である。しかし最終回、年齢勝ちを潔しとしない仙台は、余力を振り絞り4安打を集中し3点をもぎ取った。その裏安藤は1安打を許したものの後続を押さえ、ここにようやく仙台の3連覇が達成されたのである。仙台にとっては2試合とも胃の痛くなる試合であった。
表彰式で前田慶子から驚くべき事実が暴露された。第3試合の直前、あろうことか浅沼(達)が前田に「(結果はわかっているから、仙台の)不戦勝にしませんか?」と持ちかけたという。弘前ナインの体調を慮った提案ではあったが、口は災いの元、これが津軽のじょっぱり魂に火を着け、仙台苦戦の原因になったのであった。最優秀選手には2勝を挙げた安藤、また優秀選手には7打数5安打の綿谷,4打点の佐藤(韶)が選出された。綿谷は昨年通算14打数で僅か1安打であった。突如打撃に開眼したのか、今日の2試合で5年分を打ってしまったのか判断に苦しむところである。弘前は野球では2敗したが、前夜祭と表彰式では前田、鳴海、両顧問の舌好調の活躍で2連勝し、2勝2敗の5割(?)に戻した。来年当番の弘前は、手回し良くすでに五所川原のドーム球場を確保してあるという。弘前は恐らくこの球場を丹念に下見し、ホームの有利さを最大限利用する腹であろう。
「前田慶子の目の黒いうちに優勝杯の八甲田越えを」・・・雪国の5年来の悲願が仙台ナインの心を激しく揺さぶる。しかし勝負はまた別なのである。
「弘前の太陽」のおかげで今年も素晴らしいお天気にめぐまれました。(でも神通力アップのせいか、ちょっと暑すぎました。) 大会を準備して下さった八戸市医師会の先生方と、3市医師会事務局の皆様のご尽力に心より御礼を申し上げます。
追記:「ドクタークラブ便り」は試合から2ヶ月遅れで掲載されますが、下記ホームページには1週間以内に原稿が載せてあります。 あやし小児科医院HP http://www.myclinic.ne.jp/ayashipc/
(文責 宮地辰雄)